第二部 第三章

第二部第三章 プロローグ

 左右の壁際にしつらえた無数の燭台の先で光とも、闇ともつかぬ漆黒の灯が揺らめく中、その男はひとり謁見の間で膝をついた姿勢で恭しく首を垂れていた。


「いよいよ、待ち焦がれていた「時」が来ました。わが主、ゼルシファー様……」


 男が敬虔の想いを送る先にあるものは誰も座っていない豪奢な玉座と、その頭上の壁に巨大な肖像画。そこに描かれた壮年の男は威厳に満ちた鋭い目で遠くを見据え、下々になどまるで関心を向けないように傲然とした面立ちで不敵な笑みを浮かべている。

しかし、それすらも忠誠を捧げる魅力と感じさせるのか……男は顔をゆっくりと上げると物言わぬ絵画の「主」を見つめ、恍惚とした表情で胸の内からわき上がる歓喜にうち震えながらさらに言葉を繋いでいった。


「ここに至るまでに幾千と、幾万……数多くの同胞たちの血と屍を積み重ねて参りました。全てはあなた様を迎え入れるための世界をつくる、ただその想いで――。さりながら、この非力で非才なるわが身ゆえにあなた様のご復活時に間に合わせることができなかったこと、ここで深くお詫び申し上げます。――ですが」


 おもむろに立ち上がると、男は懐から何かを取り出して「主」に見せつけるようにかざす。それは、小さいながらも光と力を放つ一枚のメダルだった。


「アスタリウムの結晶体にして、個々のマナを集約した『エリュシオン・メダル』を統べる力を持ちえた奇跡のアーティファクト……これを手に入れた今こそ、あなた様が望む世界がようやく、現実のものとなるのです!」


 その宣言とともに、男――ブラックカーテンは振り返って両手を広げる。そして天を仰ぎながら、謁見の間の隅々にまで響き渡るような声を高らかに上げていった。


「さぁ……! 今こそ目覚めるがいい、大魔王ゼルシファー様の忠実にして剛健たる下僕たちよ! 長きにわたり光でも闇でもない、混沌と虚無の牢獄の中で屈辱と不遇の日々を課されてきたわが主の新たなる栄光を祝福し! エリュシオンの同胞たちとともに我らの前に立ちふさがる憎き敵、『天ノ遣』どもを討ち果たすのだ!!」


『『――――』』


 その声に呼応したのか、燭台に灯っていた黒い炎が燃え広がって次々に地面へと落ちる。やがてそれは人のかたちを取り始め、……炎が消え去るとそこには緋色の髪の、同じ容姿をした無数の少女たちが虚ろな瞳で佇んでいた。

 その異様な光景を視界にとらえ、来るべき栄光を確信したブラックカーテンはにやり、と笑みを深める。……と、その時だった。


「……なるほど。これが、『ルシファー・プロジェクト』の成果物、ってわけね」


 「少女」のひとつのすぐそばにある柱の陰から、派手な服装を身にまとった女――サロメが姿を見せる。そして彼女は、物珍しそうに「それ」の顔を覗き込んでしげしげと見つめてからブラックカーテンに向き直ると、重々しい周囲の空気にも臆することなく飄々とした口調で話しかけた。


「どうやら、首尾はうまくいったようね。こっちも身体を張った甲斐があったっしょ」

「……あぁ、ご苦労だったな。おかげで色々とはかどったぜ」

「思ってた以上に厄介だったから、正直ヤバかったっしょ。あとでボーナス、弾んでもらうっしょ」


 言葉とは裏腹に余裕の笑みを浮かべながら、サロメは肩をすくめる。その隣では軍服姿のアレキサンダーが跪いた格好で「さすがです、サロメ様!」と尻尾でも振らんばかりにほめ称えていたが、彼女はそんな下僕に一瞥もくれずげしっ、と足蹴にしてからブラックカーテンに歩み寄ると、低く声を潜めていった。


「……どうやら、「あいつ」が来てるっしょ。自由にさせると後々面倒になりそうだけど、何か手は打ってあるわけ?」

「もちろんだ。なんせ、相手は『アカシック・レコーダー』……並大抵のことじゃ、因果律ごとこちらの備えを破られちまう。万全にはちぃと足りねーが、少なくとも「やつ」の力の発動だけ封じておけば、どうとでもなるさ」


 そう言ってブラックカーテンは、手に持っていたメダルを腰に巻いたベルトのバックルへと近づける。すると、黒水晶のような飾りから光が放たれ……瞬く間に吸い込まれるようにしてそれは消えていった。


「こいつは俺の意思と連動して、外部からの波動エネルギーの干渉を妨害する障壁が何重にも張り巡らされている。……メダルのない『天ノ遣』なんて、ただの小娘程度の存在だ」

「超常の存在といえども、力の源がなければ恐るるに足りず、ってわけね。……けど、くれぐれも注意しておくことね。どういう方法で入手してるのかは知らないけどあいつら、こっちが考えもしない隠し玉を毎回用意してくるっしょ」

「確かに。……何度も負けて追い返されてるやつが言うと、説得力があるってもんだ」


 その皮肉を含んだ物言いにサロメはぴくり、と眉を跳ねさせる。しかし、ここで反論するのも無益だと感じたのか咳払いをして表情の変化をごまかすと、さらに尋ねかけていった。


「……で? これから私たちは、どこでどうやってやつらを出迎えればいいっしょ?」

「適当に、っつっても不親切だな。まー、あいつらを足止めして時間稼ぎをしてくれるような場所なら、どこでもいいや」

「……。んじゃ、好きにさせてもらうっしょ」


 そう言ってサロメはマントを翻すと背を向け、すたすたとその場を去る。そして巨大な扉をアレキサンダーに押し開けさせると、空いた隙間を通って謁見の間を出ていった。


 ……回廊が果てしなく続き、石畳には2人の足音が固く、冷たく響き渡っている。そんな重苦しい沈黙の空気に耐え切れずに、アレキサンダーは無言を貫いたまま歩みを止めないサロメに横から顔色を窺うようにして話しかけた。


「あの……サロメ様、よろしいのですか? あんなに協力したってのにあいつ、全っ然感謝してる感じがしないんですけど」

「上っ面だけ取り繕った、腹の足しにもならない言葉なんて、どうでもいいっしょ。もらうもんだけを貰えたらそれで十分、それが戦闘エージェントってやつっしょ」


 淡々とした口調で、サロメはそう答える。すると、珍しく返事をしてくれたことがよほど嬉しかったのか、アレキサンダーは飛び跳ねんばかりに「そうっすねー!」と明るい口調でまくしたてていった。


「巻き込まれるのも、ごめんですよねー! またあの時空間の狭間に落ちるってのは、正直もう勘弁してもらいたいっていうか……まぁ俺はサロメさまとご一緒できるなら、火の中水の中地獄の中どれでもオールOKですけど~♪」


 だが、サロメはもうそんな戯言になど耳を貸していなかった。彼女の頭の中にあるものは、ブラックカーテンが望み願っていたものとは全く異なる、次なる野望だった。


「『ルシファー・プロジェクト』に、因果律の転換集積、か……。おかげで、なかなか面白そうなことを知ることができたっしょ。あとはせいぜい、運命とやらに立ち向かってみるがいいわ。ブラックカーテン……」


 ほくそ笑む口元から、そんな呟きがわずかに漏れる。しかしそれは、すぐそばではしゃぎ回る下僕にすら声となって届くことはなかった……。

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