第二部 第二章

第二章プロローグ

「エリス……起きて、エリス……!」

「……っ……?」


 名前を呼ぶ声、そして肩のあたりをやや強めに揺らされる感触を覚えて、私はまどろみを残した意識のまま瞼を半分ほど開ける。

 すぐ目の前には、この『ワールド・ライブラリ』で同じ使命を担う親友の顔。ただ、それがなぜ横に傾いた格好で視界に映っているのか不思議に思いかけたその時、……私は横になっているのはむしろ自分で、さらには自分が少しうたた寝をしてしまっていたことに気がついた。


「ご、ごめんなさい……! やっと、波動エネルギーの調整が終わって平行世界全てが安定するようになってくれたと思ったら、気が緩んじゃって……!」


 うっかり弛んだところを見せてしまった醜態を詫びながら、ようやく正常に頭が働くようになった私は慌てて起き上がる。

 さっきまで眠っていたのは、『ワールド・ライブラリ』の中でもひときわ大きな泉のほとりにある、『水の花園』と名付けられた空間だ。そこは草花など自然物の代わりに泉の水でできた大小の球体が地面にくまなく敷き詰められており、その柔らかさとあたたかさに包まれていると心身の疲労が短時間で癒される効果がある。

 そこで一息入れようと、軽く横になっただけのつもりだったのだけど……まさか本当に眠ってしまうとは思ってもみなかったので、恥ずかしいよりも後ろめたい気持ちだ。


 ただ……言い訳としては見苦しいのかもしれないが、ここしばらくの間私たちは本当に休みなしの働きづめだった。『鼓動を止めた世界』の帰結先である『エリュシオン』と、未来へとつながる力と可能性に満たされた『イデア』。その2つが、とある1人の男の野心と暴走によって深刻なほど損壊し……全ての平行世界が危うく消滅の危機に陥ってしまったのだ。

 幸い、イデアにおける『波動エネルギーの申し子たち』の活躍のおかげでなんとか崩壊は免れたものの、2つの世界構造を正常化させるには平行世界の各所に生じた不具合を解消する必要があり、私と親友はその対処と修復作業で長い間大わらわだった。


「(それにしても、時の概念がない存在になったというのに疲れは感じるのね……)」


 意外でもあり、当然とも思われる自然の摂理に抗うことができないわが身に苦笑を覚えたが、だからといって課せられた義務を放棄したり、いい加減に扱ったりするわけにもいかない。というわけで私たちは手分けして数多くの平行世界を渡り歩き、その構造を維持するための『変異点』を探り出しては『ワールド・ライブラリ』から波動エネルギーを送り込む経路を構築していた。

 そのおかげで、終わった時は親友とともに言葉すら出ないほど疲れてしまったのだけど……。


「(……とはいえ、泣き言を口にできる立場じゃない。私は『管理者』なんだから)」


 可能性という因果律によって分岐した、全ての平行世界。それらをまとめ上げ、それぞれに未来へと進む力を分け与える世界構造の中心がこの『ワールド・ライブラリ』で、私たちはその機能が正常に働くよう神から権限を与えられた『管理者』だ。

 ……かつて私は、自らの全てを失った上に偽りの存在理由を与えられ、数え切れないほどの悪事を重ねてきた。本来ならば生きる資格すらもない大罪人なのだが、私を支えてくれた人たちの優しさと励ましのおかげで、こうして存在を認められている。

 そうだ。今の私には、休息を望むことすらおこがましい。課せられた責任と義務に応え続けることこそが、私の罪滅ぼしであり、罰なのだから……。


「エリス……?」

「……あぁ、まだ少し眠気が残ってたみたいね。ごめんなさい、もう大丈夫よ」

「ううん。私こそ、休んでるところを起こしちゃって」

「気にしないで。疲れてるのはお互い様なんだし、まして私はあなたの――」


 そう言って、申し訳なさそうに目を伏せる親友をねぎらおうと笑いかけようとして、……ふと私は気づく。彼女の表情に普段の明るさがなく、……というよりも口元が固く引き結ばれ、胸の辺りで組まれた両手がぎゅっ、と異様な力のこもり具合に見えたのだ。


「どうしたの? なにか、まずいことでも――」

「……これを見て」


 そう言って親友は覚悟を決めたように顔を開けると、手の平をひるがえして空中にひとつの画面を映し出す。

 ……そこにあったのは、ぼんやりと小さく人の姿。おそらく平行世界のどこかで起こった出来事、その一瞬を写真のように切り取ったものだろう。

 ただ、……じっと凝視しているうちにその顔があらわになり、それが「誰」かがわかった瞬間、私は思わずあっ、と声をあげて目を大きく見開いた。


「なっ……? これって、まさか……!?」

「……見つけたのは、本当に偶然よ。『変異点』の中に平行世界の基本構造からほんの少しだけずれを感じたものがあったから、念のためにまんべんなく確かめてみて……「これ」の存在に気づいたの」

「……っ……!」


 さっきまでの緩んだ気持ちをかなぐり捨てて、私はその人物の顔を改めて見つめる。

 もしも、これが他人の空似とか見当違いとか、そういったエラーによるものでないのだとしたら……全てはまだ、終わっていないことになる。

いや、むしろ「はじまり」といっても言い過ぎではなかった――。


「……平行世界への干渉は、厳禁。不安定な構造に与える影響が大きすぎるから……それがアストレアさまの決めた、私たちに対しての戒律だった。だけど――」


 もはや、それは「死文」にせざるを得ないほど危険極まりない陰謀が現実になろうとしている事態を悟って、私は吐息をつく。

こうなってしまっては、ただ超然と事の推移を見守っているわけにはいかない。そして、自ら動くとしたら私のとるべき道は「あれ」しかないだろう……。


「……ごめんなさい。あなたには無理と、迷惑をかけてしまうことになりそうだけど……手を貸してくれる?」

「……っ……」


 その申し出に対して、親友は即答せずじっと私の顔を見つめる。

 ……わかっている。彼女は本心では、私を行かせたくはないのだ。だから、もしもここで「代わってくれ」と頼めばきっと二つ返事で応え、今すぐにでも現地に向かって任務を遂行してくれることだろう。

 だけど、……それでは、ダメだ。たとえどれほど心苦しい現実を直面することになったとしても、これは間違いなく私が担うべき任務。また、ある意味では「義務」と呼んでもいい使命だった。


「……あなたこそ、無理はしないで」

「わかってるわ。あとのことは、よろしくね」


 そして私は、旅立った。

 過去の私の罪……そして「呪い」と向き合うために――。

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