第86話

 アリの死骸の横に転がっていたメダルを拾い上げた私は、焦げて黒くなったその表面をそっと撫でる。

 どんな技術を用いて、このメダルが作られているのかはよくわからない。だけど、幾何学的な紋様が精巧に刻み込まれ、周囲を見たこともない文字がぐるりと取り巻くその造形には、確かな見覚えがあった。


「すみれさん。やっぱりそれは、あの『エリュシオン・メダル』なんですか?」

「……おそらく。形状の他にも、メダルの中から伝わってくる『波動』があの場所で感じたものと同じです」


 そう答えて私は、隣に並んできたテスラさんに手に持ったメダルをかざして見せる。

「あの場所」とは魔王化したクラウディウス――カシウスと決戦を繰り広げた魔界の城、『エリュシオン・パレス』のことだ。私とテスラさんが見たのはめぐる、そしてカシウスに同化した『魔王のメダル』だけだったが……あとでめぐるから聞いた話だと、あの城の地下にあった安置所には壁面を埋め尽くすかと思うほど膨大な数のメダルが並べられて、それぞれが心臓の拍動のような点滅と、息吹にも似た波動を発していたという。

とはいえ、私が今手にしているメダルは元々の「魂」によるものなのか……中に封じられている力が「魔王」のものよりも、はるかに弱い。メアリ自身が放っていた強烈な妖気の残滓らしきものは感じるけれど、彼女の消滅とともにその「魂」も失われてしまったのかもしれない。


「(確か、『エリュシオン・メダル』は力を失って自らの肉体と精神を保てなくなった、エリュシオンの民が姿形を変えたものだ、とめぐるは言っていた。そしてエリュシオンの民は、お互いの意思を残しながら『同化』する能力を持つという。……ということは)」

 

 メアリのあの、非常識なまでの妖力と長命は『エリュシオン・メダル』――つまりエリュシオンの民と『同化』して手に入れたものということだろう。彼女は自身を魔女だと言っていたけれど……実際にはただの人間で、それがメダルの力を借りて魔人化したなれの果てと考えたほうが近いのかもしれない。


「(でも、本当にメアリが『同化』をしたのだとしたら……彼女の肉体、精神には2つ以上の『魂』が入っていたことになる……)」


 となると、あの狂気的なまでのゼルシファーへの想いは誰のものだったのだろう。彼女自身の思慕か、それともメダルに宿っていた「誰か」の執着によるものだったのか……。

 それに、もしかすると私たちがこれまで敵対してきたのは、自分をメアリだと思い込んでいた「誰か」だった、という可能性もあったということだ。……とはいえ、その「魂」が失われた今となってはもう真偽を確かめるすべがどこにもないので、それも想像の中の話でしかないのだけど。


「…………」


 私は首を振って少し気分を落ち着けてから、手の平の上にコンパクトを出現させてその側面にある溝のところにメダルを差し入れる。

本来であれば、デトックス――浄化して闇の波動を消し去るため、回収したメダルは全てみるくちゃんに預けるのが通常の流れだ。ただ、場合によっては私が単身で、あるいは今回のように彼女がいない状況で戦わざるを得なくなることもある。

そこで私は、エリュシオンから帰還した後にみるくちゃんにお願いして、一時的なメダルの保管場所をコンパクトの一部に増設してもらっていた。


「終わったね、すみれちゃん」

「えぇ……」


 めぐるの言葉に頷き返しながら、私は内心で「……でも」と呟く。

 そう、まだ終わってはいない。というよりもある意味では、こちらの問題を解決することこそが私にとっては肝要だった。


「それじゃ、次の場所に行こっか。休憩してる時間も惜しいし……」

「――待って、めぐる」


 踵を返し、奥に見える扉へと足を進めかけためぐるの背中に向かって、私は呼びかける。

 ……自分でもそうとわかる、緊張して固くなった声の響き。だけど聞かずにはいられないと思い直し、私は深く息を吸って呼吸を整えると口を開いていった。


「めぐる。……あなたは本当に、私の知ってるめぐるよね?」

「……。それはどういうこと、すみれちゃん?」


 わずかな間を置いてから、にこやかに振り返っためぐるは穏やかな口調で逆に問いかけを返してくる。その自然すぎる反応に私は後ろめたさから一瞬逡巡を覚えて、思わず口ごもりそうになった。


「(めぐるを、疑ってるわけじゃない……。だから本当は、こんなことを訊きたくないんだけど……)」


……とはいえ、その一方で私の違和感はより確かなものとなる。どうやら彼女は気づいていないようだけれど、その話し方はストレートに自分の感情や想いをぶつけてくる「めぐる」とは明らかに異なっていたからだ。


「この城に入ってから、私たちはいろんな「偽者」を見せられてきたわ。だから、正直考えたくもないことだけど……さっきからのめぐるの言動を見てる限りだと、その……」

「あたしが、他の誰かと入れ替わってる可能性もある……ってこと? もう、ひどいなぁ」


 えへへ、と笑いながらめぐるはそう言っておどけてみせるが、むしろ私は戦慄すら覚えて彼女を見つめ返す。

……落ち着き払った言動と、達観したように大人びたこの雰囲気は私が知っている「彼女」じゃない。こんなふうに変わってしまったのは、どういうわけなんだろうか。


「……答えて。あなたは……めぐるよね?」

「そうだよ。あたしは正真正銘の、天月めぐる。……そう言ったら、納得してもらえる?」

「…………」


 きらきらと輝きを宿すめぐるの瞳を、私はまっすぐに見据える。その純真なまなざしからは嘘、あるいは悪意らしきものを全く感じられず、それどころか自身の認識への疑いと罪悪感をかきたてられてしまいそうだ。

 ひょっとして私は疑心暗鬼になるあまり、親友に対してもっとも恥ずべき誤りを犯そうとしているんじゃないだろうか――そんな怯みを抱きかけた、その時だった。


「……すみません。私たちからも、お聞きしたいことがあります」


 そう言ってテスラさんは私の言葉を引き取るようにして割って入ると、敵意こそはないものの緊張した面持ちでめぐるに対峙する。そしてナインさんもその背後で彼女に視線を注ぎながら、油断なく動向をうかがっていった。


「……さっきのこと、教えて」

「さっき……って、何のことですか?」

「メアリの罠によって、心の世界に閉じ込められた際のことです。闇の結界のようなものに囚われて、私となっちゃんはどう脱出すればいいものか正直途方に暮れていましたが……めぐるさんはあのトラップを、あっという間に解除してしまいました。……あれは、どういう手段を用いたのですか?」

「…………」

「それに、あなたはあの世界でメアリの意識体を倒して、この場所へ戻ってくる直前に……気になることを言ってましたね。全てが終わったら自分はもう、すみれさんと一緒にいられない、と。……あの言葉の真意を、教えてください」

「っ……!?」


 どう口を挟んでいいのかわからず、固唾をのんでそのやり取りを見守っていた私だったが……さすがにその内容だけは看過できず、身を乗り出す勢いでめぐるに迫っていった。


「めぐる、それはどういうことっ? なんで私と、一緒にいられなくなるの!?」

「……あはは、聞かれちゃってたんですね」


 問いかけるテスラさんと詰め寄る私に対して、めぐるは苦笑いを浮かべて肩をすくめる。

そして、いつものように狼狽えたり、拙い知識と語彙でなんとか説明しようとしたりすることもなく……困ったように小首をかしげる様子を見て私は、さらに言い募っていった。


「……答えて、めぐる。あなたは何を知っていて、そして私たちに何を隠しているの?」

「何かを知ってる……とは、ちょっと違うかな。ただ、あたしは思い出したの。昔、チイチ島ですみれちゃんと一緒に湖の底に引きずり込まれた時に見た、……あの黒い影のことをね」

「黒い、影……?」


 その言葉を受けて私は記憶をひも解き、当時の光景を脳裏に思い浮かべてみる。

 確かに以前、チイチ島にある『水鏡』の湖畔から二人揃って湖の中に落ちた際に何か……不穏な気配がまとわりついてきたような覚えがあった。ただ、それよりもめぐるを助けたいという一心から彼女の手を握りしめることだけで精一杯だったから、その姿をはっきりと目撃したわけではないのだけど……。


「あなたは、それを見たというのね。……だけどその黒い影と、今のあなたの言動にどんな関連があるの?」

「信じてもらえないかもしれないけど……あたしのこの知識は、その時に手に入れたものなの。そして、記憶も……喋り方がちょっと変になっちゃったのは、そのせいかもね」

「……。私と一緒にいられないって言ったのは、どうして?」

「ごめん……今はまだ、言えない。どっちにしてもあたしたち……ううん、「あたし」はこの先に進んで、その正体を知ってるやつに会わなきゃいけない。その時までにちゃんと話すから……もう少しだけ、待ってもらってもいいかな?」

「…………」


 要領を得ないどころか、答えというにはあまりにも漠然としすぎている答えのせいで逆に謎が深まったものの、同時に私は理解する。ここまでめぐるが口を噤み続けているのは、私たちには話せないような何らかの問題に直面しているためだろう。

そして……おそらくその解決手段も、彼女はすでに分かっている。そこに必要なものは、何かを切り捨てる「覚悟」というわけか……。


「(……まったく……)」


 呆れというよりも、若干物申したいくらいの腹立たしさを胸の内に押し込めながら、私はおかしさすら覚えてため息をつく。

どうでもいい時や、そこまで深刻ではない時には大騒ぎしたり慌てたりするくせに、つくづく私の親友は肝心な場面になると弱音を吐いたりとか、誰かの助けを借りたりといった「他の人に頼る」ことが下手だ。もっとも、だからこそめぐるは「正義の味方」に憧れて、自分自身もそうなりたいと願っているのだろうけれど……。


「(これ以上訊いても、めぐるに辛い思いをさせるだけね……)」


 それがわかるからこそ、私はむしろめぐるの心の負担を取り除いておきたいと思い直す。そして「……わかったわ」と矛を収めながら、にこやかに笑いかけていった。


「話したくないことまで、無理に話さなくてもいいから。あなたの心の整理がついた時に、ちゃんと聞かせてね」

「すみれちゃん……」

「でも、忘れないで。あなたが以前、メアリに向かって言った『あの言葉』のことを。……私があなたに言っておきたいのは、それが全てよ」

「……っ……」


 それを聞いてめぐるは、はっ、と目を見開いて息をのむ。

 それは、チイチ島での大魔王復活を阻止し、自死したメアリがその命と引き換えに起動させた宇宙戦艦、インフィニティ・ラヴァー号と宇宙空間で対峙した時のこと。地球に向かって攻撃を仕掛けようとする彼女の「意思」に向かって、めぐるは毅然と言い放ったのだ。


『どっちか選べって言われたら……あたしは、どっちも大事だって答える!』


 あの時の言葉が、めぐるの信念だとしたら……今は、忘れてもらいたくない。少なくとも何かを犠牲にすることで、彼女が抱えている困難を解決しようと考えているのだとしたら……それだけは絶対に認めないし、私は断固として阻止するつもりだった。


「じゃあ、行きましょう。早く水無月先輩たちとも合流しなきゃいけないんだから、ぐずぐずしている時間はないわ」

「……ありがとう、すみれちゃん。テスラさんとナインさんも、すみません……」


 めぐるは心の底から申し訳なさそうに、固い表情で深く頭を下げる。それを見てテスラさんとナインさんはお互いに顔を見合わせてから、苦笑交じりに頷いていった。


「わかりました。事情は、誰にでもあるものですからね。……ただ、くれぐれも自分を大切にすることは忘れないでください」

「……生き残る、一番。……それだけ」


 そして二人は、それぞれにめぐるを励ますようにその小さな肩をぽん、と叩いていく。それを受けて彼女は少しの間呆然としてから、やがてぎこちなく「はいっ」と答えた。

 と、その時だった。


「――っ、何か来ます!」


 テスラさんの注意を促す声にすぐさま反応し、私たちは指し示された先に視線を向ける。すると、扉があった方向の壁がいきなり前触れもなく、轟音と砂煙を上げながら粉々に砕け散っていくのが目に映った。

 そして――


「……んん~、おやおやぁ? なんか見たことのあるやつと、見たことのないやつがいるっしょ!」

「なっ……あなたは……!?」


 禍々しい姿をした巨人の肩の上に乗って、場違いなほどのゴスロリ衣装を身にまとった女の子が姿を現す。それを見たテスラさんは驚きをあらわにして目を見開き、隣に立つナインさんはすかさず背の大剣を引き抜いて身構えた。


「また会えたわねぇ、ツインファントム……! 元気だったっしょ?」

「っ、サロメ……!!」

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