第85話
「(……いったい、何が起きたというんだろう?)」
この状況をどう解釈すればいいのかわからなくて、私は毒気を抜かれた思いでその場に立ち尽くす。
一瞬の迷いから生まれたスキをメアリに突かれて、絶体絶命の状況に追い込まれた――はずなのに、その彼女はなぜか突然のたうち回って苦しみだし、喉の奥から血が迸るような咆哮をあげて目の前で崩れ落ちた。
……あまりにも大きすぎる事態の変化に、とても対応が追いつかない。おまけにめぐるやテスラさんたちは気を失ったままだから、説明を求めようにも取りつくしまが何もなくてただ困惑するばかりだった。
「メア、リ……?」
「……ぁが、……はっ……!」
やっとの思いで絞り出した声で呼びかけても、メアリは床の上でうめき、息も絶え絶えの気配で蹲ったままだ。
何が彼女を、そこまで苦しめているのかは理解できない。……だけど直前まで戦い、あと一歩で倒せたはずの相手を前にして武器の槍を手放してしまうほどの様子から鑑みても、よほどの重篤な事態に陥っていることがうかがえる。
逆に考えると私にとっては反撃どころか、とどめの決定打を見舞う絶好の機会。……ただ、その常軌を逸した有様と無防備すぎる姿をここまで目の当たりにしてしまうと、さすがに攻撃を仕掛けていいものなのか逡巡を覚えずにはいられなかった。
と、その時――。
「っ、……ぅ……」
メアリとは違う声が少し離れた場所から聞こえてくるのを感じて、私は弾かれたような勢いで顔を向ける。すると、さっきまで倒れたまま微動だにしなかっためぐるが身じろぎをして、意識を取り戻そうとしている様子が視界に入ってきた。
「めぐるっ……!?」
なによりも願ってやまなかった好転に、私はメアリのことも一瞬忘れてめぐるのもとへ駆け寄る。そしてその肩に手を置き、恐々と呼びかけながら揺さぶると……彼女はゆっくりと目を開け、覗き込む私の顔を見つめ返してきた。
「……すみれ、ちゃん……?」
「っ、よかった……めぐるっ……!」
張りつめていた緊張が一気に解け、私はめぐるの身体を抱きしめる。ぬくもりと息づかい、鼓動が肌越しに伝わってきて……安堵と歓喜が胸いっぱいに広がり、思わず涙がこぼれそうになった。
「心配したのよ……! あなたたちがいきなり闇に飲み込まれて、それを斬り払った後も倒れ込んだまま、目を覚まさなかったから、私っ……!」
「……ごめんね。メアリが仕掛けた罠にかかって、また心の中から意識を乗っ取られかけてたみたい」
そう言ってめぐるは、申し訳なさそうな表情で私に苦笑を返してくれる。
……ただ、むしろ謝るべきなのは私の方だろう。あの時に感じた不安をもっと早くめぐるたちに伝えていれば、メアリの目論見を回避できたのかもしれないのだから。
もちろん、それが結果論だとは自分でもわかっている。だけど、もしもそのことで最悪の事態に繋がっていたとしたら……そんな想像が一瞬頭の中をよぎっただけでも、全身の血液が冷えて心臓が凍り付きそうな戦慄がこみあがってきた。
「無事でよかったわ……。だけど、どうやって脱出してきたの? あの時は確か、私たちの前に現れたメアリを倒して、それで……」
「うん……だいたい、それと同じ。ちょっとだけ回り道しちゃったけど、今回もあたし一人じゃなかったし……あっ」
ふと、何かに気づいたようにめぐるが顔を上げるのを見て、私は振り返ってその視線の先に目を向ける。少し離れた場所で彼女と同じように倒れていたテスラさんとナインさんが意識を取り戻し、ゆっくりと起き上がろうとしていた。
「っ……ご無事でしたか、すみれさん……!」
「はいっ。お二人の方こそ、大丈夫ですか?」
「……問題ない。戻ってきた」
「なんとか、うまくいったようですね。……めぐるさんのお陰ですよ」
そう言ってテスラさんはやや複雑そうな表情で肩をすくめ、多少ふらつきながらもその場に立ちあがる。そして、すぐに敵の所在を求めるべく鋭い視線を巡らせて……蹲ったまま苦悶するメアリの姿に気づくと、戸惑った表情を浮かべて私に顔を向けていった。
「えっと、これは……どういう状況なんでしょうか?」
「わかりません。こちらを追い詰めたと思ったら、急に苦しみだして……」
私もどう説明していいかわからず、ありのままを伝えて再びメアリに目を向ける。彼女はようやく身体を起こそうとしていたが、その弱々しい動きは戦いを続けるどころか、武器を構えることも覚束ない有様だった。
「……っ、……ぅぐ……、かはっ……!!」
「……っ……?」
と、その時メアリの胸元……首のチョーカーのすぐ下にあるブローチが火花を発し、その真ん中に飾られた宝石のようなものがぴしっ、と音を立ててひび割れる。その瞬間、彼女の身体が一瞬黒みがかった玉虫色に包まれたように見えた――が、それはすぐに消え、元の姿へと戻っていった。
「(今の……何だったの……?)」
私がそんな違和感を抱く中、メアリは苦しそうにあえぎながら、それでも槍を杖のように使ってなんとか立ち上がる。そしてぎらり、と憎悪に彩られた目で鋭く睨みつけてきた。
「――っ……!」
その敵意を跳ね返すつもりで緊張をみなぎらせながら私はブルームを構え、テスラさんとナインさんも戦闘態勢を取る。……だけど、そんな私たちをよそにめぐるは一歩進み出ると、それを制するように手をあげていった。
「待って、すみれちゃん。……メアリと、話をさせて」
「えっ……?」
いつになく淡々とした、冷たさすら感じるめぐるの言葉。私がその意味を問いただすよりも早く彼女は手に武器も持たず、メアリの目の前へと歩み寄っていった。
「メアリ……止めよう。これ以上戦っても、意味なんてない……勝負は、ついてるよ」
「な……なにをっ……!?」
怒りと屈辱を満面に浮かべながら、メアリは食いつかんばかりの形相で身を乗り出す。だけど、めぐるは以前と違ってそれに怯んだ様子も見せず……それどころか穏やかな口調のまま、相手を諭すように優しく続けていった。
「あなたの力の源は、波動エネルギーの結晶体――ずっと昔、ゼルシファーから与えられた『エリュシオン・メダル』によるもの。……そうなんだよね?」
「……。見たのね、私の過去を……」
「『エリュシオン・メダル』は本来、この世界にはあってはいけないもの……。波動エネルギーの中でずっと生きているエリュシオンの民と違って、あたしたちはそれを受け入れるようにはできてない。だから『同化』を続けていると、身体と心だけじゃなくて「魂」まで傷ついて……その人の存在そのものが、消えてしまうことになる――」
「……っ……?」
めぐるの言葉は、私だけでなくテスラさんたちにも驚きをもたらす。
普通の人間が波動エネルギーを持つメダルを体内に取り込むと、心身にダメージを負う……初めて知る事実だった。今までそんな話は、みるくちゃんやお母様からも聞いたことがない。
というよりも、どうしてめぐるがそれを知っているの……!?
「……メアリ。その力に頼ってるかぎりあなたの願いは叶えられないし、幸せな未来もなくなっちゃう。だから……もう、止めよう? あなただって、本当はわかってるんでしょ?」
「っ……それって、脅しのつもりかしら……? ふん、ナンセンス……! 残念だけど私、そんな安い手には乗らないわよ……っ」
「……脅しなんかじゃないよ。これは、事実だから。それに――」
「っ……シャラップ! 小娘の分際で、これ以上……私を、惑わせるなっ……!!」
メアリはそう吐き捨てて、大きく後ろに飛ぶ。そして荒い息をつきながら身構え、凶悪と狂気をはらんだ鋭い光を眼の中にはらんでいった。
「私は……あの時、ゼルシファーさまに誓ったのよ! あのお方を復活させて、そして再び愛を語り合おうと! その願い……夢は、誰にも否定させたりはしない!」
「……っ……」
「貴様らに……貴様らになど、わかるものか! あのお方が私に託してくれた信頼と、愛! それこそが私を支える柱であり、何よりの生きる証! その価値もわからない貴様らの世迷言など、聞く意味すら感じない……っ!!」
「メアリ……」
その、狂気とも偏執ともつかぬ想いの深さに、私は気圧されたような思いを抱く。
メアリの考えは、理解できない……したくもない。だけど、その強烈な思慕が「愛」だと彼女自身が語って信じるのだとすれば、それも一つの真実だと思って然るべきなのだろう。
だけど――。
「……違うよ」
穏やかに切り出されためぐるの返答は、メアリの信念だけでなくそれを認めようとした私の妥協さえも、あっさりと否定する。そして悲しそうな目で見据えながら、言葉を繋いでいった。
「メアリ……昔のあなたなら、本当にそう思ってたのかもしれない。愛にも、いろんな形がある……過去を見てきた今なら、あたしにもわかるような気がするから。……でも」
「……っ……?」
「今のあなたは、そう思い込んでる……ううん、「思い込もうとしてる」だけなんだよね。だって……」
次に告げた事実はメアリ、そして私たちの全身に電気が走り抜けるような戦慄と驚愕をもたらした。
「あなたはもう……「死んで」いるんだから――」
「……っ!?」
メアリが……死んで、いる……!?
それは、どういうことなのか。確かにメアリは以前、ゼルシファーの復活に失敗した時に自ら命を絶った。つまりあの時に彼女は死んで、今私たちが対峙しているのはこれまでと同じ「人形」ということなんだろうか。
「はっ……何を言うかと思えばっ! 私はここにいる、貴様らのその目で見た通りに! さっき戦ってきた私の操り人形たちと一緒にするな!」
「ううん……あなたは、300年前に死んでるの。『エリュシオン・メダル』を与えられたその瞬間に、魂を同化させられて……本体はもう、無くなってる。今のあなたは、残ってた過去の記憶が生み出した残像……『幽霊』みたいなものなの」
「ち……違う! 私はゼルシファー様から、永遠の命を授けられた魔女だ! あの人を想い、慕い続けて300年以上もの時を生きてきたのよ!!」
「……やっぱり、認めたくないよね。あたし、あなたの想いどころか存在の全てを否定するような、酷いことを言ってるとわかってる。でも――」
「黙れっ! それ以上戯言を語るつもりなら……その口、引き裂いてやる!!」
そう叫んでメアリは槍を振るい、電撃をはらんだ竜巻を生み出すとめぐるに向かってそれを放つ。……が、それは彼女の目の前でぴたり、と止まったかと思うと、瞬く間に勢いをひそめ――やがて、跡形もなく消え失せていった。
「なっ……!?」
「……。説明しても、わかってもらえそうにないね。――すみれちゃん」
「えっ……な、何?」
突然話の矛先を向けられて、私は少し言葉をもつれさせながらめぐるに顔を向ける。すると彼女は穏やかな、だけど陰りを宿した微笑みを浮かべながら、淡々とした口調で言った。
「一気に倒して、逝かせてあげよう。……いい?」
「っ、……ええ……!」
声色とは裏腹な物騒極まりない内容に戸惑いを覚えつつも、私はなんとか頷き返す。
正直に言ってまだ状況は、今ひとつどころか半分以上も理解できていない。……だけど、メアリを倒すことが先決なのは、間違いないことだった。
「テスラさん、ナインさん。あたしたちに任せてもらっても、いいですか?」
「ええ、わかりました――、っ? めぐるさん、後ろっ!」
「っ、ぅがぁぁぁぁあっっ!!」
テスラさんの声を最後まで聞くよりも早く、私とめぐるは左右に散開して襲いかかってきたメアリの刺突を回避する。
さっきまでの消耗しきった様子がうそのように思えるほどの、強烈な捨て身の一撃。……だけど、かわされたことで彼女は無防備な背中を晒し、私たちに絶好の反撃の機会を与えてしまっていた。
「あの胸元の、ブローチを狙うよ。タイミングを合わせて、すみれちゃん……!」
「え……えぇっ! はぁぁぁあっっ……!!」
めぐるからの呼びかけを合図に、私たちは飛び上がって交差し――空中でお互いの手を取る。そして全身の力を一点に集中させると、身体の奥からわき上がってくる熱い流れをそこにつぎ込んでいった。
「……今だよ、すみれちゃんっ!」
「ええっ……めぐるっ!!」
「「『レインボーブレイク・ザ・ファイナル』っっ!!」」
「ぐっ、……ぐぁぁぁあっっ……ぎゃぁぁぁあっっ!!」
断末魔の叫びを残しながら、メアリは七色の聖なる光に包まれていく。そしてその輝きが収まって間もなく……その身体は、力なくその場に崩れ落ちていった。
「……あっ……?」
ばたっ、とメアリが床に倒れ伏した次の瞬間、その胸元にあったブローチの宝石が大きくひび割れて、粉々に砕け散る。と同時に、彼女の身体は淡い光に包まれ……その髪はかつてと同じ金髪に、瞳も元の色へと変わっていった。
「……。っ……ゼルシファー、さま……」
満身創痍でもはや起き上がることもできなくなったメアリは、最後の力を振り絞るようにして右手を力なく、天に向かって差し上げる。そして震える手で、何かをつかもうとしたけれど……その動きに応えるものは何もなく、ただ虚空だけがむなしく存在していた。
「また……会えなかった……。で、でも、……私の愛、あなたに……届っ……」
その言葉が声となって出るよりも早く、メアリの腕がぱたり、と地面に落ちると……その身体が小さな粒子になって霧散する。やがてそれが消えた後、彼女がいた場所には焼け焦げたメダルと、なぜか少し大きめのアリの死骸が横たわっていた。
「……。かわいそうな、人……」
「えっ……?」
「記憶だけになっても、「愛」が欲しいって想いが強く残って……。でも、それが叶わないことを認めたくなかったから……それを邪魔するあたしたちへの憎しみだけが、メアリを支える全てになったんだね……」
「めぐる……」
めぐるの達観したような物言いに、私は違和感を覚える。
そして、頼もしいほど落ち着いたその様子を見ているうちに私は、……なぜか、言い知れない不安が胸の内からこみ上がってくるのを抑えられなかった。
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