第43話
「すみれちゃ――、!?」
あたしの伸ばした手が、すみれちゃんに届くかと思ったその時――まるでテレビの電源を切ったかのように、ぷつんと目の前が暗くなる。
それと同時に、差し伸べられた手も視界から消えて……つかみかけた手のひらの中には冷たい、虚しさだけが残された。
「……あ……」
夢心地の気分を引きずったまま、周囲を見渡してみたけど……真っ暗で、何も見えない。とりあえず、ここがどこなのか確かめよう……そう思って膝をついた体勢から立ち上がりかけたその時、漆黒の空間にぽつん、と小さな光が浮かびあがるのを感じた。
「(あれは……なに……?)」
最初は一つしかなかったそれは、二つ、三つと次々に増えて……瞬く間にものすごい数があたしの視野いっぱいに広がる。
整然と並ぶ星々のような輝きは、とても綺麗で、そして――。
『めぐるさま……』
「は、はいっ!」
ふいに、背後から声がかけられるのを聞いたあたしは、慌てて振り返る。……だけど、そこには誰もいない。
「……、あ、あれ……?」
そして動作から生じた違和感に、あたしは自分の身なりを確かめる。
今の服装はいつものスーツから、エリュシオンに来た時に着せてもらった赤いドレスに戻っていた。……気づかないうちに、変身が解除されてたみたい。
『ご無事でしたか? よかった……』
そう言って、闇に包まれた中から女性が姿を現す。そこにいたのは、にこやかに微笑む長い髪のアストレアさまだった。
『なんとか、エリュシオンの城に戻ってくることができたようですね……。かなり強引な転送だったので、心配しておりました』
「あ、アストレ……」
アストレアさま、と呼びかけた直前――視界に映った衣服のまだらな赤黒い色に、はっと息を飲む。
そうだ、思い出した。目の前にいるこの人は、アストレアさまの姿をしているけど……それは――。
「エンデ、ちゃん……?」
『はい、エンデです……ぐぅっ……!?』
「だ、大丈夫?」
『え、えぇ……。ある程度、痛覚を遮断しているので……』
そういって笑うエンデちゃんは、言葉とは裏腹に暗がりの中でもわかるほどに青白い顔色をしている。
……その瞳には力が感じられない。駆け寄ってその二の腕に触れると、ぞっとするほどに冷たい体温が伝わって思わず、声を失ってしまった。
「エンデちゃん……アストレアさまは、その……」
『……はい。今、私と同化することで、辛うじて彼女は「御魂」を残しておられます』
「みたま……?」
『人間は、肉体と魂で出来ています。肉体はいわば、世界において魂を収めつなぎとめる「器」のようなもの……その肉体とのつながりが切れてしまうと魂は行き場を失い、やがて消滅してしまいます』
「…………」
「ですから、今は私が依り代として彼女と同化し、魂をつなぎ止めているのです……、っ』
呟きながら、エンデちゃんは傷跡を押さえる。
応急処置か、それとも魔法で治療したのかはわからないけど、とりあえず血は止まっているみたい。それでも、お腹から足の先に向けて色濃く見える赤い痕跡が痛々しく、その凄惨さを物語っていた。
『もし、私がこの身体から離れてしまうとアストレアさまの魂はそのままかき消えて……本当の意味で亡くなってしまいます。そのためにも、しばらくの間は気を緩めるわけには……ぐぅうっ!』
「エンデちゃん!」
『だ、大丈夫です……』
「……っ……」
震えながら笑顔を浮かべるエンデちゃんが痛ましくて、あたしは視線を逸らす。すると、さっきまで暗がりの中でぼんやりと映っていた星々の形が、少しだけはっきりと見えるようになっているのを感じた。
「(あれ……?)」
目を凝らして確かめると……メダルだ。それも、かなりの数が等間隔に壁のようなものに貼り付けられて整然と並んでいる。そして、まるで生き物が呼吸するかのように点滅を繰り返していた。
「エンデちゃん……この光ってるメダルは、何?」
『……。エリュシオンの民です』
「えっ?」
エリュシオンの、民? ってことは……。
「このメダルは、ひと……生きている、の……?」
愕然とした思いに打ち震えながら、あたしは周囲を見渡す。
メダルの大きさは、あたしたちが変身する時やメアリたちが集めていたものとほとんど同じだ。
なのに、これが人間……このエリュシオンで暮らしている、人たちなの……!?
『はい。……正確にはエリュシオンの民の肉体と魂をデータ化して、メダル状に圧縮保存したものです』
「元に戻るの? 戻せるの?」
『もちろんです。これらの人々は皆、一時的に眠りについているだけですから』
「……エリュシオンの人は、ここにいる人で全員なの?」
『えぇ。この世界でメダル化していないのは、私とディスパーザさま……そして、あの子だけです』
「……っ……」
信じられない思いを抱えながら、周囲をぐるりと見渡す。
見渡す限りたくさんのメダルに囲まれているけど、これがこの世界の全員だといわれると……すごく少ないような気がする。ざっと見ただけでも、チェリーヌ学院の全生徒より少し多いくらいだろうか。
「(でも、人をメダルにするなんて……)」
……そういえば、と思い出す。確かメアリたちは、みんなのエネルギーをメダルにして吸い上げていた。
つまり、人の力をメダル化して集めることが出来るなら、人間そのものをメダルにすることが出来たとしても、おかしくない……?
「(こんな時に、みるくちゃんたちがいてくれたらな……)」
偽物……かどうかはわからないけど、死んだはずのメアリが出て来たり、人がメダルになっちゃったりとわけのわからないことが多すぎて、頭が爆発しそうだ。こういう時でも落ち着いて判断ができるすみれちゃんがいてくれたら、どんなに安心できるだろう……?
『めぐるさま、大丈夫ですか? どこかお怪我を……』
「あ、ううん。大丈夫……」
『……なら、よいのですが』
慌てて否定すると、エンデちゃんはほっとしたように微笑みを浮かべる。その顔はアストレアさまのものだけど、笑った時の面立ちはやっぱり、エンデちゃんらしい雰囲気があった。
「でも、なんで人をメダルにしたの?」
『……現在、この世界は大変危険な状況にあります。普段どおりの生活をするには危険すぎますから』
エンデちゃんはそういいながら、メダルの浮かぶ空間をぐるりと見渡す。
顔色はいまだに真っ青で、苦しげに息をつきながら肩を上下させているけど……メダルを見つめる彼女の瞳は、まるで大切な宝箱の中をのぞき込んでいるような、慈しむようなあたたかさで細められていた。
『トラブルはありましたが、なんとかアストレアさまをエリュシオンにお連れすることが出来ました。これで、ここにいるみんなは助かります、――っ!?』
「エンデちゃんっ!?」
ゆっくりと立ち上がろうとして……がくりと膝から崩れ落ちたエンデちゃんの身体を、慌て支える。
擦り傷と打ち身だらけの全身に鈍い痛みが走るけど、かろうじて間に合ったみたいだ。
『ありがとうございます、めぐるさま』
「大丈夫だよ……えへへ」
『? どうかなさいました?』
「うん。前にエンデちゃんが、あたしを助けてくれた時と逆だな、ってね」
『……そうですね』
暗闇の中、互いに顔を見合わせてくすりと笑いあう。
お互いぼろぼろだけど……でも、エンデちゃんの言葉を借りるとアストレアさまはまだ「死んでいない」という。
ということは、なんとか目的を果たしたといえる……のかな……?
「(なんですみれちゃんがあそこにいたのか、全然わからないけど……)」
すごく気になるけど、まずはこの世界を助けることが先決だ。そして、アストレアさまを……。
「これからどうするの?」
『ディスパーザさまのところまで参りましょう……申し訳ありませんが、このまま歩くのを手伝ってくださいますか?』
「もちろんだよ!」
頷いてあたしは、エンデちゃんと一緒にゆっくり立ち上がる。
『ここは城の地下です。急ぎ、謁見の間に……ディスパーザさまの元に参りましょう』
「うん!」
メダルが保管された部屋を横目に見ながら、エンデちゃんと一緒に部屋を後にする。
肩を貸しながらだから、進みはゆっくりだ。でも、ちらりと見たエンデちゃんの横顔は痛みに苦しみにながらもどこか希望に満ちていた。
「(これで、エンデちゃんの世界は助かるんだよね……)」
ディスパーザさまが聞いたら、喜ぶかな……ううん、きっと喜んでくれるよね。
そう考えながら、あたしとエンデちゃんが謁見の前に到着した――。
「ついたよ、エンデちゃん!……あ、あれ?」
……でもそこに、ディスパーザさまの姿は無かった。
何重にも重ねられたカーテンの向こう側には、豪華な椅子がぽつんと取り残されているだけ。誰もいないし、その付近にも人の姿は見当たらない。
『ディスパーザさま、どちらに……?』
「休憩してるのかな? エンデちゃん、ディスパーザさまのお部屋はど……っ!?」
だけど、その瞬間。……誰もいない玉座のカーテンがわずかに動いて、気配が伝わってくる。
……間違いない。誰かが、いる。
「だ……誰っ!?」
エンデちゃんの身体を支えながらあたしがそう叫ぶと、カーテンの影から背の高い男が姿を現した。
「――――」
黒いマントに身を包み、髪をオールバックにして……目元を大きなバイザーで覆っているせいか、その表情は暗がりの中ではよく、わからなかった。
『お前は……クラウディウス……!?』
「クラ……それは、誰?」
「私はクラウディウス・ヌッラ……この滅びゆく「死の世界」を生へと変えるべくやってきた、いわば「エリュシオン」の救世主だ――」
「救世主っ……!?」
とてもそうとは思えない外見と面立ちに、あたしはエンデちゃんを抱えながら油断なく相手の動きを観察する。
……正体はわからないけど、かなり強そうだ。エンデちゃんを守りながら戦うとなれば、明らかにこちらが不利だろう。
「っ、……ディスパーザさまは、どこ? どうしてここに、ディスパーザさまがいないの!?」
「ディスパーザ、だと……?」
それに対してクラウディウスと名乗った男は、おもむろに胸元に手を入れる。
武器でも出してくるんじゃないか、って一瞬身構えたけど、そこから出て来たのは……。
「それは、これのことか」
一枚のメダルだった。
「えっ……?」
『そ、そんな……っ!』
低くうなるような声を耳元で感じて、反射的に視線を向ける。すると、あたしに支えられたエンデちゃんが唇を噛みしめながら、乱れた髪の隙間から男を睨みつけている表情が見えた。
『まさか、そんなはずはない……! ディスパーザさまはまだ、大丈夫だとおっしゃっていました! なのに……っ』
「……エンデちゃん?」
『それとも、ディスパーザさま……? 実はあなた様は、もはや御身を長くとどめることもかなわぬほどに、衰弱されていたのですか……!?』
「えっ……? まさか、あのメダル……ディスパーザさま!?」
驚きのあまりあたしは、隣でうなだれるエンデちゃんの手を取って問いただす。彼女はややためらってから、……苦々しく顔をしかめてこくり、と頷いた。
『……このエリュシオンを支え、崩壊を食い止めるためにすべての力をつぎ込んで……もはや、ディスパーザさまも限界に来ていたのです。だからこそ、私はあのお方のご了承を得て、アストレアさまをお連れする策を――、!?』
その時、突然エンデちゃんは大きく目を見開くと、さっきよりも顔を蒼白にして凍り付く。そして震える口元を抑えながら、わなわなと呟いていった。
『わ、私はもしかして……やつの策によって、とんでもない過ちを……っ!?』
「やつ……? エンデちゃん、それって誰のこと!?」
「そうだ、エンデよ。……ここまで来たならば、お前の選ぶ道は一つしかない」
「……っ……!!」
そう口にしたバイザー男の視線が私へ向けられた次の瞬間、……ぞくり、と背中を悪寒が這い上っていく。
この人は、……危険だ! たぶん、今までに戦ってきたどんな相手よりも強く、そして――っ……!
「ディスパーザが亡き今、もはや是非もなし。かくなる上はその小娘……エリューセラを女王に融合させて、このエリュシオンを支える柱とするがいい」
『……っ……!』
すると、その瞬間。
エンデちゃんは深く唇を噛みしめながらも、強引にあたしから離れる。そして距離を取り、対峙すると鋭く目をむいて身構えた。
「え、エンデちゃん……?」
『……っ……!』
唐突に攻撃的な視線を向けられたあたしは、呆然と問い返す。……だけど、彼女は答えない。
そして、その目は悲しげに半分伏せられつつも……わずかにのぞいた薄い緑色の瞳の奥には固い決意が揺らめいていた。
「ど……どういうことっ? 女王に融合って、エリュシオンの柱って……?」
『……私のこと、恨んでくれてもかまいません……いえ、恨まれたとしても当然だと思います』
「エンデちゃん……? な、なにを言ってるの!?」
言葉を返しながら、あたしはじりっ、と後ろに一歩後退する。
逃げたかったわけじゃない。でも、エンデちゃんの全身から発せられる不穏なものに気圧されて、下がらずにはいられなかった。
『これしか、ないのです……! アストレアさまも、ディスパーザさまも頼れなくなった今となっては、私にできることは……っ……!』
そういって、エンデちゃんはあたしに向かって両手を突き出す。そして、
『もうっ……これしか無いのですっ!!』
その瞬間、ぱちっと静電気のような音が聞こえたかと思うと……腕と足が、勝手に動きはじめた。
「……っ!?」
慌てて動きを止めようとしても、全身が言うことをきかない。
金縛り……ううん、まるで操り人形のように勝手に腕が、足が動いてあたしは玉座の方……クラウディウスの方へと向けて歩き出していた……!
「な、なにこれ……? なんで、体が勝手に!?」
「お前の着ているその衣装……それは、拘束具だ」
「こ、拘束具って……!」
かろうじて自由になる眼球で自分の体を見下ろす。
赤と黒のドレス……これが拘束具? でも、この服をあたしに着せてくれたのは……。
「え、エンデちゃん……!」
『……っ……!!』
言うことを聞かない首を無理矢理動かして、すがるように彼女を見る。
だけどエンデちゃんは、それこそ本物の人形のように立ち尽くしたまま、意思に反して一歩……また一歩と祭壇を昇り始めるあたしを眺めていた。
「怯えることはない。お前は、救世主になるのだ……この世界を救うための、な」
「な、なんでこんなことを……? この世界を助けるためなら、あたしは……こんなことしなくても、自分で……っ!」
「ならば、エリューセラ。……お前はこの世界を救うために、己の世界を殺すことが出来るのか?」
「……えっ?」
己の……世界? それってつまり、あたしが今いる世界のこと……?
「そうだ。お前はイデアを……己の世界を殺さなくてはならないのだ。そうでなくては、エリュシオンは救われない……」
「なっ……!」
なに、それ……。
それって、まさか……。
「あたしの世界を……あたしが、殺す?」
「そうだ」
一歩。また一歩と階段をのぼるごとに、男の声が近づいてくる。
「お前は今から、この女王の御魂を持ったメダルと同化する。そして我々の意思に従ってこのエリュシオンの新たな女王、ディスパーザとなり……自らの世界を滅ぼすのだ!」
「い、いやだ……っ! あたしは、そんなのになりたくない……! みんなを殺すなんて、絶対に嫌だっっ!!」
精一杯の声をあげ、拒絶する。
みんなを殺すなんて、そんなこと……!
「……ならば、エリューセラ。殺さぬのであれば、この世界の者どもに死ねというのか?」
「えっ……?」
「何を驚いている。片方を殺したくないならば、もう片方を殺すしかない――それが、現在のイデアとエリュシオンの関係なのだ」
「――っ……!?」
その瞬間、またあの声が聞こえてくる。……あたしをいつも惑わせる、あの言葉だ。
――どうしても叶えたい願いがあって。
――そのために誰かを傷つけなきゃならないとしたら。それでもあなたは正義の味方でいられる?
メアリの声が、あの笑みとともに……耳をふさごうとしても、あたしの中に届いてくる。
「(……メアリっ……!)」
進みたくないのに、そんなつもりはないのに……足は勝手に、前へと進む。
あたしにはもう、何もできない。ただ、誰かの意思で操られるままに……抵抗することもできなかった。
「(これが、あなたの言ってたことなの……!?)」
その問いかけに対して、記憶の中にあるメアリはなおも冷笑を浮かべるだけ。そこに是も、否もなく、……ただ、混沌が渦巻く闇の深淵だけが存在していた。
「……っ、う、うぅっ……!!」
やがてあたしは、クラウディウスの前にたどり着く。すると彼は、その手にもったメダルをあたしの身体に向けて突き出してきた――。
「ふんっ!」
「あぐっ、ぁあああああああああああ!!」
胸元に押し当てられたメダルが、少しずつ……少しずつあたしの中に入っていく。
前にメアリにメダルを奪われた時は、自分の中にあるものが少しずつ流れ出ていくような気分だった。
でも今は、まるで飲み込めないものを無理矢理打ち込まれていくような……!
「あぁあああああああああああああ!!!!!!」
目の前が点滅する。
白と黒が、目の前を……あたしの世界を塗りつぶしていく。
そんな中。
崩れかけたお城で、あたしに向けて必死に手を伸ばしてくれたすみれちゃんの姿が浮かんだ。
「(……ごめん……すみれちゃん……!)」
メアリの残酷な問いに、欲張りな返事をしたあたしに対しても、それでいいって頷いてくれたのに。
「(みんなの笑顔を守る、正義の味方になりたかった……けど……っ)」
メアリの言葉を、行動で否定しなきゃいけないのに。
なのに、拒絶するどころか……指先一本動かない。
あたしは、……泣きたくなるくらいに、無力だった。
「(あたし……正義の味方に……なれなかった……よ……)」
そこで、あたしの意識は。
途切れて、何も感じなくなってしまった――。
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