第42話

「エリュシオンを、切り離す……?」


 あまりにも衝撃的すぎるその一言に、私の全身から血の気の引く音が耳鳴りのように響いて一瞬、意識が遠のきそうになる。

 それは聞き違いでもなければ、冗談でもなかった。その証拠に天使ちゃんの表情は穏やかながらも口元を引き結び、ゆるぎない覚悟で私たちを見据えている。

 ……だからこそ私は、その言葉の意味を問い直さずにはいられなかった。


「天使、ちゃんっ……つまり、それって……!?」

「はい。魔界に繋がる全てのルートを、外部から強制的に遮断します。つながりさえなくなれば、データの入れ替えも不可能。……イデアとの逆転現象を防ぐには、それが最善で確実な方法でしょう」

「ま……待って! それじゃ、めぐるはどうなるの!?」


 めぐるを連れ去ったアインのパートナー、エンデの行き先は間違いなくエリュシオンだ。つまり、そこにつながるルートを閉ざされてしまったら……あの子は私たちの世界に戻れなくなる、ということじゃないか……っ!?


「大丈夫ですよ、すみれ。平行世界の階層と次元構造を安定させた後、私とパートナーがエリュシオンへ赴き、めぐるの身柄を確保します。時間はかかるかもしれませんが、必ずあなた方の元へ戻すことを約束し――」

『……そんなこと、はいそうですかって納得できるわけがないだろっ!』


 説明が終わるのも待たず、アインが怒声をあげて天使ちゃんの言葉を遮る。そして、食いつかんばかりの勢いで真正面から詰め寄っていった。


『エリュシオンと行き来できる道をぶっ壊すって、たった今言っただろうがっ! なのに、お前たちはどうやってそこに閉じ込められためぐるを連れ戻すつもりなんだ!? 明らかに矛盾してるだろうが!』

「遮断は一時的な措置です。そのあと『ワールド・ライブラリ』の機能が正常化すれば、エリュシオンへの道を再び開くことも可能になります。……ただ、たとえるなら今は火が燃え盛っている状態。そこに飛び込むとしても、せめて火の勢いが落ち着いてからのほうが確実でしょう」

『その火が消えるまで、どれだけ待てっていうんだよ!? 1年か、10年か? それとも――、!?』


 畳みかけるようにまくしたてていたアインは、突然何かに気づいたのかはっ、と息をのむ。それから驚愕に顔を蒼白にしながら、震える声を絞り出すようにいった。


「ま、まさかお前っ……そうやって時間を稼ぎつつこいつらから記憶を奪って、めぐるを見捨てるつもりなのかっ? この世界構造を守るために、一人の命の犠牲はやむを得ないとでも言って……!?」

「なっ……!?」


 記憶を、奪う……!? その言葉だけはどうしても看過できず、私は二人の会話に割り込んでいった。


「それって、どういうことっ? 記憶を奪うって、そんなことが可能なの!?」

「……理論上は、可能だと思います。歴史や世界を改変できる力があるというのならば、人の記憶を書き換えることも……。それに遥さんから聞いたのですが、以前にも平行世界の秩序を維持するために、似たようなことがあったとっ……!」

「……っ……!」


 テスラさんが補足してくれた説明を聞いた私は、ぎょっ、と目をむいて声を失う。ただ、彼女自身もそれが天使ちゃんの本意とは信じられないのか、すぐに言い募っていった。


「で……ですがっ! それはあくまで可能という話だけであって、そもそも解決にはほど遠いものです! いくら天使ちゃんがこの平行世界の管理人だとしても、そこまでするとはとてもっ――」

「――いいえ。すみれたちとここで出会った当初から、私はそれも選択肢の一つに入れています。そして標準的な判断に基づく対処という点においては、ある意味で確実的かつ、効率的な手段と言えるでしょう……」

「っ……!?」


 そういって、冷たく……淡々と発せられた天使ちゃんの宣告は、懸命に最悪すぎる展開を否定しようとしていた私たちの心を挫くには、十分すぎるものだった。


「て、天使ちゃん……?」

「『ワールド・ライブラリ』を利用すれば、あなたたちの世界から天月めぐるという少女が存在したという記憶はおろか、痕跡を消す。……すべての平行世界を救うことと天秤にかけるのだとしたら、とても比較にはなりません」

「そ、そんなっ……!」

「実際に、ここに数多くある平行世界の中には、すみれとめぐるが出会わなかった世界も存在する……その一つとあなたたちの世界をつなぎ合わせれば、今とは異なる時系列が構築されるでしょう」

「あの子がいない、……世界っ……!?」


 めぐると出会わず、まして仲良くもならなかった現在と、未来……確かに可能性の世界の中には、そんなものがあってもおかしくはないだろう。

 だけど、そんなものは今の私にとって、まさに悪夢にも等しいものだ。少なくともそれが幸せな世界になるとは、絶対に思うことができない……!


「もちろんそれは最後の、そして最悪の手段です。……とはいえ、絶対にそれを選ばないという保証もできかねます。そして、そうなった時……私はあなたたちから最大級の怒りと憎しみを受け、そして罪業を背負う立場となるでしょう――」

『……て、てめぇぇぇっ!!』


 絶句する私の横で、アインが激高してこぶしを振り上げる。……止める間もなかった。彼女は感情の激するまま、天使ちゃんに向けて殴りかかろうとしたけど――。


『うぁっ……!?』


 その目前でするりと攻撃を避けられて、体勢を崩しながら倒れ込む。それでもアインはすぐに立ち上がり、血走った目で小さな天使を睨みつけた。


『っ……お前、すみれの何を見てきたんだよ! そこまでわかっていて、なんで理解してやらねぇんだ! 命がけで友達を助けようとしてるこいつの気持ちを、考えたことがあるのか!?』

「アイン……」

『そもそも、こいつらは被害者なんだぞっ! なのに、なんでっ……!』

「……っ……」


 天使ちゃんはそんなアインを眺めながら、ため息をつく。……だけど、そのつぶらな瞳の奥に微かな憂いが浮かんだように……私には見えた。


「非情、外道と呼ばれることは甘んじて受けましょう。……ですが、私には立場があり、そうと決めた以上の覚悟があります。それが、人であることを捨ててこの『ワールド・ライブラリ』を任された、私の業と使命なのですから」

「……天使ちゃん」


 聞き覚えのある言葉。……あの時、去り際にエンデが残した捨て台詞が、まさにこれと近いものだった。

そしておそらく、これは世界のすべてを背負うと誓いを立てた彼女が自らの胸の内に秘めて律する、真摯で悲壮な信念から発せられた言葉なんだと私にも理解ができた。


「いずれにしても、こうなってしまった以上は一刻も早くエリュシオンとイデア――二つのグループに帰属する平行世界の構造を安定化させるため、それぞれを分断するしか方法がありません。……わかってください」

「…………」

「でも、めぐるさんの身柄は私たちが、命に代えてもきっと取り戻してみせます。だから――」

『んなこと、信じられるか! だいたい、さっき言ってた矛盾にどうケリをつけるつもりなんだ!? それに、……それにっ――』


 アインの怒りの叫びが、……徐々に弱くなる。それから彼女は肩を落として声を震わせながら、嗚咽交じりに吐き出していった。


『道を閉じるっていうなら、……ボクは、どこに帰ればいいんだよ……! たとえエリュシオンがどうなったとしても、……あそこは、ボクがいた「世界」なんだぞっ……!』

「……。では、あなたは戻るつもりなのですか?」

『決まってるだろっ! ボクはエリュシオンの民で、ディスパーザさまにお 仕えする者だ! だいいち、エンデを止められるのはもう、ボクしか……っ!』


 そう言ってからアインはちらっ、と私に視線を送り、何かを伝えようと口を開く。……でも、それは音を発する前に喉の奥へと飲み込まれて、彼女は再び天使ちゃんに顔を戻すと身を乗り出して続けた。


『とにかく、まだ道がつながってるならボクだけでもエリュシオンに戻せよ! めぐるはボクが、必ず見つけ出してやる……お前なんかに任せてられるか!』

「あ、アイン……?」

『さっきも言ったとおり……こいつらはエリュシオンの陰謀に巻き込まれた被害者なんだ。だからこんなかたちで、大切なものを失わせるわけにはいかない……!』

「……お気持ちはわかりました。ではあなたは、その後は滅びゆくエリュシオンと運命を共にするというのですか?」

『んなわけあるかよ……』


 天使ちゃんの問いに、アインは首を振って苦笑を吐き出す。

 少し引きつったようなその表情は、明らかに無理をしているようにしか見えない。……でも彼女は、勇気を奮い立たせるように顔をあげていった。


『腹案なんて何もないけど……せいぜい、最後まであがいてみせるさ。そのためにボクは、ディスパーザさまから役目を預かってきたんだからな』

「…………」


 はっ、と息をのむ。アインの目に爛々と輝くその強い光は、出会ったばかりに感じた時と同じだった。


「(アインは、諦めてない……)」


 彼女の世界は、もうすぐ消える運命にある。そして生き残るには、他の世界を身代わりにするしかない。……そんな危機に瀕したさなかで自分が仕えてきた女王と大切な友達が、生き残りをかけて非道な手段を選ぼうとしている……。

 どう考えてみても、絶望しかない状況。だけどその事実を前にしても、アインはまだ望みを捨ててはいない様子だった。


『止めても、無駄だからな……! どんな手段を使ってでもボクは必ず、エリュシオンに戻らせてもらう! だから、』

「……行かせないわよ、アイン」


 そう言って私は、アインの肩にそっと触れる。

 その声は、燃え上がる炎のような彼女と比べると些か勢いに欠けていたかもしれない。だけど、私の中で燃え続けているこの決意は……絶対に、負けていないつもりだった。


「私も一緒よ、アイン。あなただけ行かせたりはしないわ」

『すみれ……』

「自分の力で、私はめぐるを取り戻してみせる。そのために、こんなところまで来たんだから……!」


 あの子を助ける……その意思は、誰にも曲げさせはしない。そんな思いと覚悟とともに宣言した私を前に、天使ちゃんは目を伏せた。


「……何度でも繰り返しますが、天月めぐるを切り捨てるのは最後の手段です。私たちは可能性が少しでもある限り、彼女の救出に全力を尽くすつもりでいます。……それでも、その言葉を信じてはもらえないのですか?」

「……あなたのこと、全部じゃなくても信じないわけじゃない。でも私は、めぐるのために自分のできることをつくしたいの。……だから今さら、誰かに任せる気なんてないから」


 別れの直前、めぐるは絶望に陥って血と涙に頬を濡らしながら……それでも私に向けて、手を伸ばしてくれた。

 あの手は、他の誰でもないエンジェル・サファイア……如月すみれに伸ばされたもの。だから、私が掴みに行くしかないんだ……!


「……私たちを指標代わりに使ったことについては、全部終わった後で存分に抗議させてもらう。ただ、あなたの気持ちもわかっているつもり」

「…………」

「だから謝ってほしくはないし、私も謝りたくない。……それから、やっぱり私はどこまでも正義の味方でい続けたいの」

「すみれ……」


 私が表明した決意を聞き、天使ちゃんはその大きな瞳をさらに大きく見開く。すると、そこへ背後から「……待ってください」と声がかかり、私は振り返った。


「すみれさん、アインさん……私たちも当然、ご一緒させてもらえますよね?」

「テスラさん……?」

「私たちは、お父様が最期に残した言葉の意味を確かめるため、魔界を目指してここまで来ました。……ですから、今さらこんなところで引き返すことはできません」

「私も、……同じ。みんな、一緒……!」

「……。確かに、あなたがたも「正義の味方」なんですよね……」


 私たちがうなずきあう様子を見届けてから、天使ちゃんは目を伏せる。

その表情は驚いているというよりも、どこか「やっぱり」と言いたげで……この状況を予想していたかのようだった。


「で……どうしますか、天使ちゃん? 私たちを止めますか、それとも――」

「……仕方ありませんね」


 再び顔をあげた天使ちゃんはゆっくりと私たちの顔を見渡すと、その手をすっとあげる。すると、小さな光の球体がその手めがけて、音も無く飛んできた。


「すみれ。これを、持っていってください」

「……?」


 そう言って渡されたものを慌てて掴み、手の中に収まったそれを見る。そこに、片方の小さな筒に色付きの砂が詰められて、細い管を経由し反対側の筒につながったレリーフが刻み込まれていた。


「……これ、砂時計?」

「それは、エリュシオンでの活動限界を示す時計です。そしてめぐるの存在に反応して、彼女の位置情報が得られる仕組みになっています」

「つまり、居場所の探知機ってわけね……?」


 砂時計の形をした表側を裏返すと、そこには方眼紙のような枠線が記されている。特に目印となるようなものは表示されていないけれど……やや左にずれた隅に光る赤い点があり、そして中心部にはおそらく私たちの位置を示す数個の青い印が点滅していた。


「ここにいる全員には、既にマーカーをつけています。なので、どの世界のどこにいたとしても私から補足することができるのですが……さきほどのめぐるとの接触では、近づくことができなかったためマーカーをつけることができませんでした」

「…………」

「ただ、その砂時計を持たせることができれば、その砂時計を目印に彼女を強制的にこの世界は引き戻すことができます」

「……めぐるが、この砂時計を受け取らなかったら?」

「受け取らせてください」


 弱気めいた仮定に対してハッキリと、天使ちゃんは告げる。……つまり、めぐる自身が自分の意思で元の世界に戻りたいと願い、この砂時計を持ち続けなければ引き戻すことは不可能ということだろう。


「……っ……」


 めぐるが今、何を思ってアインのパートナーと一緒にいるのかわからない。

 無理矢理連れ回されているのか、それとも自分の意思でともに行動しているのか。……そのためにも私たちはめぐると同時にエンデの行方を突き止めて、彼女の暴挙を止めつつ説得を試みる必要があった。


「(エリュシオンは、イデアを……人間界を、殺そうとしている)」


 でもアインを見ている限り、エリュシオンで生きている人々が悪だとは思えない。だからアインのパートナーも、きっと……。


「すみれ……あなたがたをエリュシオンに到着したら、すぐにその砂時計を作動させます。その砂が落ちきるまでに、めぐるを連れ戻してください」

「落ちきったらどうなるの?」

「すみれ、テスラ、ナイン……この三名を、強制的に『ワールド・ライブラリ』経由で元の世界に戻します。たとえどんな状況であろうと、一秒たりとも待ちません」

「……目の前にめぐるさんがいたとしても、ですか?」

「そうです」


 詰るような響きを含んだテスラさんの問いに対しても、天使ちゃんは微塵も揺るがない。だからこそ、私たちは事態の深刻さを理解すると同時に……最後に与えられたチャンスにかける覚悟を固めることができた。


「この砂時計が落ちるまで……時間に換算して、約一日。それが、私の提示できる猶予です」


 よく見ると、その砂時計は横になっているにもかかわらず砂は片方の底に張り付いたように固まり、傾けても振っても砂は一粒たりとも動かない。

 おそらく、私たちがエリュシオンに向かった直後からカウントが始まる仕組みになっているのだろう。


「……天使ちゃん」

「なんでしょうか」

「今の話を統合すると……あなたなら、今すぐ私たちからめぐるさんの記憶を奪ってイデアに押し戻すこともできるということですよね」

「はい」

「それなら、その手段をあえて取らない理由は何ですか? いえ、そもそもあなたの目的はなんですか?」

「……可能性世界の管理人の役目は、この『ワールド・ライブラリ』の安寧を保つこと。私は、それに従っているだけです」


 答えてから、天使ちゃんは困ったように笑う。……その表情を見て私は、さっき戦慄を覚えた冷たい宣告に含まれた真意を理解した。

 ……天使ちゃんは、黙ったまま「最悪の選択」をすることもできたんだ。にもかかわらずわざわざそれを私たちに教えたのは、こうなることを期待していたから……?

 考えすぎかもしれない。……でも私は、それを信じたいと思った。


「いずれにしても私の最優先はあなたたちの世界、イデアを守ることです。……ですから、これ以上の譲歩はないものと思っていてください」

「これ以上、泣き言は聞かないってことね……?」

「ええ。イデアには……人間界には、私とパートナーの大切な人たちがいます。命よりもかけがえのないそれらの方々を、私たちは絶対に守らなければいけないのです」


 そう言って目を細めた天使ちゃんの表情は優しいけれど、同時に厳しさもはらんでいる。私はそこに、姉か母のような慈愛を見た……ような気がした。


「かつて、失われかけた大切な人を救ってもらった後……私たちは誓い合いました。もし未曾有の危機が訪れて、そこで私たちに出来ることがあるならば……その時は絶対に手段を選ぶことなく全力を尽くそう、と」

「それが、今……ということですか?」

「……そう思ってくれて構いません。彼女たちを失うくらいなら、私は悪魔に成り果てる方を選びましょう」

「(……天使ちゃん)」


 天使ちゃんは、エリュシオンを見殺しにしようとしている。それは紛れもない事実だ。

だけどそれは、天使ちゃんにも守りたい理由があるからで……それを無慈悲とか、冷徹だとかと呼んで詰るのは、絶対にできないことだった。


「(私の、守りたいものは……)」


 迷うまでもなく決まっている、それはめぐるだ。そして――。


『話は終わったか? で、ボクたちはどうすればいい?』

「「変異点」となった因子は魔王ディスパーザ、そしてあのクラウディウス……ダークトレーダーです。その二人を倒す、もしくは無力化することができれば、エリュシオンが未来を乗っ取り支配する流れは消滅し、平行世界は元の安定した構造の修復へと向かうでしょう」

「っ……? お父様……クラウディウスも、エリュシオンにいるのですか!?」

「はい。私のパートナーが、移動を確認しました。……おそらくそこが、最後の決戦場になると思われます」

「……。そこでお父様を、倒す必要があるのですね……?」

『無理ならいいぞ。ボクがやる』

「……できる?」

『それはわからないさ。でも、やるしかないだろ』

「…………」


 着々と話が進む中、私は彼女たちのやりとりをぼんやりと見つめていた。

 エリュシオンのために、戻ることを決意したアイン。彼女とやり方は違うけど、自分の世界を守ろうとしているパートナー、エンデ。

 あえて非情を装ってまでも自分の大切なものを守ろうとしている、天使ちゃん。そしてテスラさんと、ナインさん……。


「(私が、守りたいものは……)」


 ふいに、空を見上げる。

 『ワールド・ライブラリ』には紺色の世界が広がり、無数の可能性世界の球体が星々のように浮きながらまばゆく輝いていた。


「…………」


 宇宙戦艦を追って、めぐると共に宇宙に向かい……そして私たちは、ヴェイルとヌイによって救われた。

 あの時の世界と、目の前に広がっているこの空はどこか……似ているような気がする。


「(私たちは、彼女たちに望まれて……生かされた)」


 守りたいものはたくさんある。出来ることなら、何一つだって捨てたくない。

だから、私はっ……!!


「すみれさん」

「ぇ……?」


 と、そこへ呼びかける声がして、はっと我に返る。そして顔を戻すと、私を見据えながら天使ちゃんが険しい顔で口を開いていった。


「天月めぐるは、エリューセラ……魔界の力の依り代として呼び込まれました。それゆえ彼女は、自らの意思か、……あるいは何らかの力の干渉によって、あなたたちと敵対するかもしれません」

「……わかってる」


 反射的にそう答えたものの、本当の意味でその覚悟があるのかと問われたら……正直言って、あまり自信はない。

 ただ、今はとにかく強がりでも、前に進むしかない。それに……。


 ――どうしても、叶えたい願いがあって。

――そのために、誰かを傷つけなきゃならないとしたら……それでもあなたは、正義の味方でいられる?


「……っ……」


 チイチ島でメアリがめぐるに放った言葉の毒が、私の中で渦巻いている。

 相反する願いと正義、どちらを優先するかと問われ、めぐるはこう答えた。


 ――あたしなら、どっちも叶うようにする。

 ――頑張って、みんなが笑顔になれるように。


 きっと今が、その状況。ずるいなんて百も承知だ。

 だから……私だって、諦めない! いや、諦めたくはなかった……!


「めぐるのパートナーは、私だから。あの子がもしも諦めてしまったとしても、必ずその目を覚まさせる。そして、二人で天使ちゃんがくれた時間ギリギリまで二つの世界が助かる方法を探す」

「天月めぐるが、目を覚まさなかったら?」

「その時は――」


 一瞬、言葉に詰まる。

 迷ったのは、自分がどう思っているかじゃない。それを口にすることだ。

 でも少なくとも、その選択肢だけはすでに用意していた。


「……引導を渡すのも、私の役目よ」


 私たちの世界は、めぐるが守ろうとしていた世界。

 みるくちゃんや、ツインエンジェルの先輩たち。学校のみんな。家族、島の友達……そして、ヴェイルとヌイ。

 めぐるは、誰よりもみんなの笑顔を望んでいた。そんなあの子の想いや願いに背いて、誰かの笑顔が失われるようなことだけは、絶対に阻止しなくてはいけない……いや、阻止してみせる!

 たとえその前に立ちふさがる相手が、めぐる本人だとしても……っ……。


「できるのですか?」

「……やるわ」


 頷きながら、私は最後にめぐると会った時のことを頭の中に思い浮かべる。

 マスキングテープを代わりに買うと約束し、別れ際に見せてくれたあの子の笑顔。……こみあげてくる切なさに涙がこぼれそうになったけど、……必死にこらえて息を吐き出し――私は、言った。


「連れて行って……エリュシオンに」

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