第41話

 天使ちゃんから告げられたその事実を聞いて、その場にいた全員が言葉を失ってしまう。……それは、問いかけた私自身も例外ではなかった。


「……っ……!!」


 わずかに芽吹いた疑問を起点にして、ひょっとしたら、という予想はずっと私の心の中にあった。……ただ、それはさすがに憶測が過ぎると即座に否定し、その考えに固執することはなかった。

 だけど今、天使ちゃんから正しいと言われたことで……戸惑いとともに、改めて悟る。

 私は、「ありえない」と否定したんじゃない。むしろ「あってほしくない」と思って、認めることが怖かったのだ、と……。


『っ、終着点……? エリュシオンが、未来を失った世界だって……!?』

「アイン……」

『嘘だっ! そんな……そんなはずはない! だってボクはちゃんと生きて、成長もして普通に暮らしてるんだぞ!?』


 驚きと怒りをあらわにしたアインが、声を荒げて天使ちゃんに詰め寄る。

確かに、これまで彼女には物理的な意味で何度も助けられてきた。『同化』の能力は異質なものかもしれないけど、だからといって死者や幽霊の類だとはとても思えない。

でも、……皮肉なことにこれまでずっとアインや魔界に対して抱いてきた「違和感」は、それを答えとすることで全て氷解するのも事実だった。


『エンデも、ディスパーザさまだってそうだ! 生まれて物心ついた時からずっと、ボクは近くで見て育ってきたんだ! だからっ――』

「――では、他の人たちはどうですか?」

『えっ……!?』

「あなたの世界にいる、エリュシオンの民。その人たちは今、どうしていますか?」

「……っ……」


 天使ちゃんのその指摘に対して、アインはうっ、と言葉を詰まらせる。そしてわなわなと肩を震わせながら、さっきまでの剣幕が嘘のように悄然と押し黙った。


「どういうこと? エリュシオンには、アインたち以外にもたくさんの人が住んでいるんじゃないの?」

「はい、「います」。ですが、それはすみれたちが想像している様相とは少し……いえ、かなり違ったものになっているのです」

「……?」


 その説明ではさすがに納得ができず、私は小首をかしげてアインに目を向ける。だけど彼女は私の視線に気づくと、はっと息をのんで顔をそらしてしまった。

 そばに立つテスラさんとナインさんも、意味がわからない、と言いたげに戸惑いの表情を浮かべている。天使ちゃんの意図をはかりかねた私たちは、さらに詳細を聞くべくそのつぶらな瞳を固唾をのんで見つめ返した。


「先ほども言ったとおり、確かにアインは生きています。そして、彼女が今名前に挙げた人々もそれぞれ、自分の時間を持って存在している。……でも、エリュシオン自体が成長し、変化することはありません。いうなれば、そう……この『ワールド・ライブラリ』に近しい世界と言えば、理解してもらえるでしょうか」


 そう言って天使ちゃんは、かわいらしい声色のまま淡々と語り始める。だけど一方で、その口調には人ならざるものが発する威厳のような響きが含まれていた。


「未来を失った平行世界は、そこに内包された次元エネルギーをいずれかへ帰結させる必要があります。もし流れを滞らせてしまうと、時間という波動が淀みや歪を生じさせ、他の世界にも影響を及ぼす恐れが出てきてしまう。……おそらく、イデアが可能性という分岐によって多重層の平行世界を構築した時から、その仕組みは大いなる意思によって作り出されたのでしょうね」

「大いなる意思……それは、神様ってこと?」

「超然で、超常の存在。……確かにそれは、私やあなたたちにとって『神様』と呼ぶべき存在かもしれません」

「……。つまり、私たちの理解を超えたところで、世界は形作られていた……?」

「いえ。イデアに住む人々と、エリュシオンの民は分岐に至った当初こそお互いのことや世界の構造を認識していたようです。ただ、やがて時間の経過とともに両者の間にできた溝が大きくなって、人々の記憶からもいつしか消えていった。……あなたたちが魔界の存在をはっきりと知らなかったことも、その証のひとつです」

「……その名残としてわずかに存在するものが、いわゆる「神話」。その中で死後の楽園として認識された、エリュシオンの概念なのですね」

「その通りです」


 そう答えてから天使ちゃんは、両方の手の先に浮かべていた2つの光球を空へと放つ。くるくると交わりあいながら昇っていくその光の帯は、どことなくDNAの二重らせんを彷彿とさせるものだった。


「そして今回、イデアとエリュシオン……本来の流れであれば交わるはずのない2つの世界が、こうして関係を持ってしまった。ですから、どうしてこのような経緯に至ったのかについて、まずご説明しましょう」

『…………』


 アインは憮然とした様子で口を固く引き結び、目の前で浮かぶ天使ちゃんを睨んでいる。自分の知らなかった事実を突きつけられて反発を覚えながら、それを無視できないことに苛立ちを感じているのかもしれない。

ただ、さすがに今は彼女を気遣う余裕がなかったので、私は視線を戻すと天使ちゃんに首肯を返し、話の続きを促した。


「未来を失った世界は「世界」として終わりを迎えた後、本来の生命の力を保持したままエリュシオンへと辿り着きます。そして、そこの「魂の泉」と呼ばれる場所に流れ込んで中和された後……エリュシオンの空間構造の維持と、そこに住まう人々の力となる仕組みでした」

「じゃあ、アインの使っていたあの魔法って……?」

「はい。魔法の知識と技術を受け継いでいたエリュシオンは、その次元エネルギーを分析することで巨大なエネルギーを顕現させることに成功しました。それが、アインやエンデ……さらにさかのぼると、聖女アストレアが用いていた超常の力の根源になります」

「つまり、魔法の根源は元をたどると他の世界……それも、失われた世界に存在していたエネルギーってわけなのね」


 それはまるで、滅んだ世界の生命をつぎ込んでいるようにも感じられて……不快な気分がこみあげてくる。だけどテスラさんは、そんな私の表情の変化を見て苦笑交じりに肩をすくめながら、諭すように言葉を添えていった。


「別に、おかしな話ではありませんよ。私たちの世界でも、石油や石炭など……失われた生命が変化したことで形成された物質をエネルギーとして用いています。それと同じことですよ」

「……魔法の場合、それがさらに大規模になっただけだと?」

「はい」


 言われてみれば、……確かにその通りかもしれない。生物の営みにおける食物連鎖にもあるように、私たちは何らかの生命の犠牲の上で命を育んでいる。そこに潔癖な理想論をぶつけて感情的になるのは、それこそ偽善というものだろう。


「天使ちゃん、質問です。世界が、枝から落ちる……つまり、未来を失ってエリュシオンへと導かれる原因はなんですか?」

「詳しいことはわかりません。ただ、未来を失った世界では何らかの戦乱、あるいは災厄が発生し、それによって時間が「停止」してしまったことは確かです。私とパートナーは、『鼓動が止まった未来』と呼んでいます」

「…………」


 鼓動が止まった未来、というモノがどういう状態を指すのかはよくわからない。枝から落ちるという表現もそうだ。

想像は出来るけど、理解が追いつかなくて……。


「(あれ……?)」


 と、その時……天使ちゃんの向こう側にある光球の群れの中に一つだけ妙に弱々しい光をまとうものが目に映ったかと思うと、前触れもなくその輝きを失う。やがてそれは影をまとい、形そのものが薄らいで……消えてしまった。


「(ひょっとしてあれは、これからエリュシオンに向かうのかな……)」


 もし、この世界に浮かんでいるカラフルな球体一つ一つが可能性世界だとしたら……輝きが弱まり、光が消えていくものを『鼓動が止まった未来』と呼んでいるのかもしれない。


「話を戻します。エリュシオンの民はある時、そのエネルギーをもとに研究を進めたことで次元移動の秘術を発見しました。それにより、本来は行き来などできるはずもなかった異なる可能性世界……イデアへの直接的な門(ゲート)を開いたのです」

「……なるほど。つまりエリュシオンの民は、私たちよりも高い知識と技術を持っていたというわけですか?」

「はい。そして、エリュシオンに流入する次元エネルギーの量が膨大だったことも大きな後押しになりました。次元間を通過する門を開けるためには、それこそ世界ひとつを構築するほどの量子波動の力が必要になりますから……」

「…………」


 天使ちゃんの言葉を受けて、私は二度に渡って体感した時空間内の「嵐」のことを思い出す。

 あの激しい気流のようなものが、次元エネルギーの具現化した姿なのだとしたら……確かに私一人の存在など、荒波の中に浮かぶ木の葉も同然だろう。飲み込まれずに無事でいたことが改めて、奇跡のように思えてならなかった。


「それにしても……どうしてエリュシオンは貴重な次元エネルギーを費やしてまで、他の可能性世界との門を開いたのですか?」

「これは、私の推論に過ぎませんが……彼らは新天地を求めたのだと思います」

「新天地? それって、つまり侵略……!?」

「いえ、もっと純粋な理由……「あこがれ」ではないか、と」


 一瞬緊張を走らせた私に対し、天使ちゃんは首を振ってから話を続けていった。


「エリュシオンには、『鼓動が止まった未来』の残骸が溢れていました。ですから、鼓動を刻み……未来に進み続けるイデアの存在が、とても眩しく、そして希望に満ちたものに映ったのでしょう。だから彼らは、そこに安らぎと幸せを求めたのかもしれません」

「……。でも、そうはならなかった」

「はい。門を開いたせいで、エリュシオンの次元エネルギーがイデアへ流入し……その力の余波を受けた生物の一部が魔物化して、人々を襲いはじめたのです」


その結果、混沌に陥るイデアの惨状を目の当たりにしたエリュシオンの民は、己の過ちに気づき……門を閉じることを決断した。

ただ、魔物によって荒れ果てたイデアをそのままにしておくわけにはいかない……そう考えた一部の有志が残留を決め、とある国と手を組むことで事態の収拾に乗り出したとのことだった。


「……その有志が、アースガルズの民。そして力を貸した相手の国が、イスカーナ王国というわけね」

「その通りです。アストレアとフェリシアたちがエリュシオンからやってきたのは、そういう経緯があってのことでした」

「そうなんだ……」


 得心した思いで、私はそっとため息をつく。どうしてエリュシオンの民がイデアの世界とつながったのかは、今の説明でなんとか理解できたと思う。

……ただ、わからないことはまだある。イスカーナ王国の存在だった。


「天使ちゃん。イスカーナ王国って国家のこと、私はあの世界に行くまで知らなかった。ヨーロッパ大陸を統一したような大国だったら、歴史の教科書にも間違いなく載っているはずなのに……どうして?」

「……歴史には、未来に残すべき記録とそうでないものが存在します。イスカーナの存在は、その後者に当たるものでした」


 そう言って天使ちゃんは両手をかざし、一つの映像を私たちの前に映し出す。

 それは、剣と魔法が飛び交い……おびただしい数の亡骸が血と泥にまみれて倒れ伏す悪夢のような戦場。

平和とはほど遠い光景に、私は思わず息をのんで固まった。


「これは……?」

「イスカーナは、アストレアたちの支援によって覇権を握った後……その力におぼれて、大陸を恐怖で支配するようになりました。アースガルズの民さえもが搾取の対象となり、やがて内乱状態へと突入。それによって国力は急速に衰退し……そこに付け込むように、魔物を率いた軍勢による猛攻を受けたことで、瞬く間に滅亡しました」

「……瞬く間って、どれくらい?」

「そうですね。……大陸を統一してから、3年ほどのことです」

「た、たった3年間で……!?」


 フェリシアたちに連れられて入ったあの城下町が、ほんの数年で廃墟と化したというのか。……盛者必衰とは昔語りで聞いたことがあったけど、あまりの短期間の推移に驚きを抱かずにはいられなかった。


「で、でも……たとえ滅亡したとしても、国家の名前くらいは歴史に残っているものじゃないの……?」

「アースガルズの民は、死闘と激戦の末に魔物の脅威を一掃した後、自分たちに関係する記憶の大半を抹消し……力となるものを回収してから去りました。歴史の記録から消えてしまったのは、それが理由です」

「…………」

「とはいえ、魔物の存在やその恐怖の記憶までは消すことができませんでした。そのため魔物とそれを率いる者の戦いは『聖杯戦争』として、ごくわずかな人たちの口伝によって人類の歴史の裏側に刻まれることとなったのです」

「『聖杯戦争』……? だとしたら、それはっ……!?」


 その名前を聞いた瞬間、何か思い当たることを感じたのかテスラさんが身を乗り出す。そして震える声で天使ちゃんに尋ねかけていった。


「イスカーナを滅ぼしたという、魔物の軍勢の首領は……もしかして……!」

「お察しの通り……大魔王、ゼルシファーです」

「「っ……!!」」


 その名前が出た瞬間に、テスラさんとナインさんが愕然と目を見開く。私も、その名前を聞いて意外なつながりが存在したことに言葉を失ってしまった。

 少し前に、メアリがめぐるの力を媒介にして復活させようとしていたというあの大魔王ゼルシファー……それが、私たちのいたあのイスカーナを滅亡させたというのか……?


「ゼルシファーって、……いったい何者だったの?」

「出自は不明です。ただ、アースガルズにあった門から出現し、瞬く間にあの集落を灰に変えてしまった……恐ろしい力を持った存在であったことは確かなことでしょう」

『…………』


 天使ちゃんの話を聞くアインは、未だ一言も口にしない。……だけど、ゼルシファーという単語が出た瞬間にその瞳にわずかな動揺が走ったのは気のせいではなかったと思う。

 彼女は、ここで語られていないゼルシファーの「何か」を知っているのだろうか。

……ただそれをここで確かめることは憚られて、私は天使ちゃんの話に意識を戻した。


「ゼルシファーは侵攻後、魔物だけでなくエリュシオンの急進派と不満分子をまとめ上げることでイスカーナを殲滅し、大陸全土の支配へと乗り出しました。それに立ち向かい、死闘の果てに勝利を収めたのがアストレアと、彼女の血を引く一族……『アスタディール家』なのです」

「っ……!」


 聞き覚えのある単語を耳にして、私は無意識に手のひらをかざす。

 浮かび上がってきたのは、ブレイクメダル。それはいつも通りの輝きを持って私を見上げていたけれど……その光が、今の私には違う意味を持っているようにも感じられた。


「じゃあ、アストレアは……神話の女神、アストレア様と同一人物だってこと!?」

「その通りです。彼女が、アスタディール家の開祖ということになります」

「あの人が……アスタディール家を……っ?」


 かつて地上が魔界から侵攻を受けた際、女神アストレアと地上の錬金術師がともに作り上げたという『アストレア・メダル』――この『ブレイクメダル』の基礎ともなったそれをこの地にもたらしたのは、あの人だったのか……。


「その後アスタディール家は、アースガルズに存在したエリュシオンへ繋がる門を完全に封鎖。そこをアースガルズ遺跡と名付け、厳重に管理するようになりました。……しかし、2つの可能性世界が繋がった時点で世界中に穴が空いて、その狭間から次元エネルギーが流入するようになってしまったのです」

「狭間って……あの黒い裂け目のこと?」

「はい。亀裂が小さいものはエネルギーの流入だけですが、広がった場合はどんなものになるかは、おおよそ想像がつくかと思います」

「…………」


 天使ちゃんの力で、強制的に引き戻された直前のことが脳裏をよぎる。つまりは、あのブラックホールのような闇の中に世界が飲み込まれてしまうということだろう。……それを思うとぶるっ、と寒気が全身に走った。


「世界各地の「穴」を封印すべく、アスタディール家やその家令たちによって全国に作られたものが。神殿や神社……如月神社も、そのひとつです。そして、それらの暴走や崩壊を予防すべく設けられた次元管理システムが――この『ワールド・ライブラリ』なのです」

「ここを作ったのも、アストレアさまだったんだ……」


 エリュシオンの民……そして、アストレアさまの存在とその力の偉大さ、そして関係の深さを思い知って、私は呆然と『ワールド・ライブラリ』を見渡す。

 ということは、私たちの持つツインエンジェルBREAKとしての力はこの空間を作り出したアストレアさま、そしてエリュシオンの民によってもたらされたものということになる。……そう考えると、超常的な波動エネルギーの仕組みについてある程度の納得をつけることができた。


「……すみません、ちょっと待ってください」

「テスラさん?」

「でも、おかしくありませんか? 私が聞いた女神・アストレアの神話では、彼女が地上に現れるのは魔王ゼルシファーが暴虐の限りを尽くした後……しかも、彼女はこの世界の人間に愛想を尽かして去っただけで、まして殺されたというくだりはありませんでした」

「(あっ……!)」


 声にならない声が、心の中にこぼれる。

 私がみるくちゃんから聞いた神話も、確かにそうだった。女神アストレアという名前で全く同じだと思い込んでいたけど、よくよく考えると彼女の言うとおり、固有名詞は同じとはいえその展開、そして結末は全く違っている。

 これは、どういうことなんだろう……?


「アストレアさまは、あの後どうなったの? 助かったの、それとも……っ?」

「あの後、という表現は正しくはないでしょうが……襲撃の後、彼女は存命でした。そのための犠牲は決して少ないものではなかったものの、彼女は生き延びてアースガルズの民をまとめ上げます。そしてゼルシファーと戦い、勝利を収めたのです」

「え? だったら、私たちのいたあの世界は……?」

「平行世界の中に存在する、可能性の一つ。あなたたちの未来につながるものとは別の『過去』です」

「じゃ、じゃあ……アストレアさまが殺されたってことは、あの世界はどうなるの?」

「あれは元々、未来へつながる可能性を失った『鼓動が止まった未来』の一つなのです。……あえて残酷なことを打ち明けると、あの世界でアストレアが死ぬのはどうやっても避けられない決定事項でした」

「っ……!」


 アストレアの柔らかな、だけど力強い笑顔。でもあの笑顔は、自分が死ぬことを悟りながら浮かべたものだったのか。……それを思うと、慄然とした思いがこみ上げてくる。

 だとしたら、あの時……アストレアがわざわざ側近のフェリシアとカシウスを私たちの護衛に付かせたのは、ひょっとすると巻き添えで二人が殺されることを、防ぐためだった……?


「(でも……だったらアストレアは、いったい誰に殺されたの?)」


 めぐるは、真っ先に除外だ。あの現場に居合わせていたとはいえ、どんな理由があろうともあの子が人を殺すことなどありえない。

 それに、エンデ……アインのパートナーが殺したというのも違和感がある。

 だとしたら、城内に彼女を恨んでいた誰かが……? でも、それならフェリシアたちをあえて護衛から外したことに対する説明がつかない。

 ということは、まさかテスラさんたちの父親……ダークトレーダーが? 確かに、フェリシアたちを圧倒した腕前を持つあの男ならば、あり得るかもしれないけど……。


『……おい、ちっこいの』


 思考を巡らせていた時、それまでずっと黙っていたアインの声が耳朶を打つ。そして、怒りをあらわに天使ちゃんへと迫っていった。


『お前、今の話をなんで最初に言わなかった!?』

「……。知ってどうするというのですか?」

『なにっ……!?』

「もし説明していれば、あなたは未来を変えるために奔走したことでしょう。……それによって世界は崩壊から救われるかもしれませんが、その揺り戻した平行世界全体へと伝わる。……その可能性を考えて、話すのを控えていたのです」


 必死に爆発しそうな怒りを堪える彼女に対し、詰め寄られた天使ちゃんはあくまで冷静に言葉を返す。それはまるで、問い詰められることを予想していたかのような態度だった。


「そもそも、あなたはエリュシオンが終わった世界の終着点だという私の説明を信じ切ることができていますか? 自分の世界をゴミ箱扱いされたと、憤っているだけなのではないですか?」

『て、てめぇっ……!』


 怒りに震えながらも、アインは言葉を飲む。そして、掴みかからんばかりにいきり立つ彼女の様子を見て私は思わず、それを制するつもりで肩に触れた。


『っ、すみれ……?』

「気持ちはわかる。でも、確かに私たちの目的は魔界の入口を見つけてめぐると、あなたのパートナーの後を追うことだった。……余計に首を突っ込んでフェリシアを助けてしまった、私が言えたことじゃないけど――、?」


 そう言葉に出してみて、はたと私は思い出す。

 あの時私は、明らかに歴史を変えるような禁忌を犯していた。……なのに天使ちゃんはそれを止めようとせず、むしろ推奨する姿勢だった。

 この違いはいったい、どうして生まれたのだろうか……?


「……天使ちゃん。あなたは、私が歴史の改変が行われるような干渉をしようとしても、それを止めなかった。……それは、どうしてなの?」


 もし、あの世界が『鼓動が止まった未来』だとわかって、送り出したのだとしたら……天使ちゃんはアストレアさまが……あの優しい人が殺されることを知っていたはず。

にもかかわらず、ダークトレーダーとの戦いを終えた後、魔界へ向かう選択を断念してまでアストレアさまを救いに行く、と主張した私に返してくれた言葉は、確か――。


 ――……あなたが私の期待通りの人で、よかったです。


「あなたは、私があの人を助けられないって……知っていたのよね? だったらどうして、あの時無駄だって止めなかったの?」

「…………」

「答えて! どうやっても、あの世界のアストレアは救えなかったんでしょう!?」

「……可能性はとても高いと、事前にわかっていました」

「なら、なんでっ……!」

「あなたなら、違う展開に導くことができるのでは、と考えたからです。『アカシック・レコーダー』の力を持つ如月すみれ……あなたが干渉すればひょっとしたら、と」


 詰め寄る私に、天使ちゃんは落ち着いた様子で諭すように伝える。ただ、その表情には揺るぎなどなく、ただ私に対する真摯な思いがあった。


「アカシック・レコーダー……? なんなの、それは?」

「いずれわかります。それがあなた……いえ、あなたたちが持つ本当の力であり、そして使命なのです」

「……っ……」

「ただ、あの世界が袋小路に閉ざされるとしても、苦しみに焼かれた末の終わりか、眠るような穏やかな眠りなら、私は後者であって欲しかった。だから、救えるのなら救うべきだと思いました……でも」

「でも?」

「あの状況で、天月めぐるとエンデが現れたのはさすがに想定外でした。まさか向こうも、同じことを考えていたなんて……」

「……天使ちゃん」


 童女のような声の奥に、自分を責めるような悔恨を感じた私は、ようやく我に返る。

 確かに彼女は、ダークトレーダーを前にしたときも驚いていた。全てを読み取ることは、彼女にも不可能だったんだ……。


「……ごめんなさい、天使ちゃん。あなたは何もしていないのに、全部責任を押しつけるようなことを言ってしまって……」

「……いえ、私もみなさんをあの世界に連れて行った理由は別にあります。だから、結果的にこれでよかったのだと思います」

「別の、理由?」

「ええ。先ほどあなたが言ったように、エリュシオンが魔界に変わった「変異点」を見つけるためです」


 そう言って天使ちゃんは顔をあげ、私たちに向き直っていった。


「『鼓動を止めた世界』のいくつかが闇に染まり、魔界へとつながっている事実は突き止めていました。だけど、どこにその変化を起こす鍵――「因子」があるのかはどうしてもわからなかった。直接その世界に入り込んで見つける必要があったからです」

「……っ……」


 天使ちゃんはにっこりと笑顔を浮かべる。……だけどその瞬間、ぞくりと背筋に悪寒が走った。

 動物には、笑顔という概念が存在しない。だから私たちが笑っていると感じるそれは、ある種の威嚇であるという。

天使ちゃんの今の表情は、……まさにそれのようにも感じられた。


「だけど、あなたたちのおかげで原因が掴めました。……あとは、私たちの仕事です」

「な、なにをする気なのっ……!?」


 彼女の声は未だ甘く……だけど、あまりにも感情が読めない。

 そんな不吉な予感に脂汗を滲ませる私に、……彼女は鋼鉄のような強さ、そして冷たさを兼ね備えた響きで告げていった。


「――あの『因子』を目印に、平行世界を切り離します。そうすれば、魔界とこの世界は分断されて……世界を入れ替えるというエリュシオン側の野望は、潰えるでしょう」

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