第89話

 石畳の床を砕くような勢いで踏み鳴らしながら疾走する岩の巨人の背中を、私はめぐると並んで追いかける。

 鈍重そうにも見える図体に似合わず、巨人の走りは思ったより速くてその差がなかなか縮まらない。身体の構造は明らかに上下のバランスが悪く、特に脚部の関節には相当の負荷がかかっているのか今にも崩れそうな態を示していたが……それでも速度を維持しているのはやはり、エリュシオン・メダルの力のようなものを用いているのだろう。


「(ひょっとして……あのゴスロリ女もメアリのような人造人間か、魔界の息がかかった者……?)」


 もっともこの城で意識を取り戻して以来、普通の人間と出会うことのほうが少なかったのでそれほど驚きはなく、事実だとしても「まさか」ではなく「やはり」の感想を抱くだけだろう。いずれにしても、なぜ機能を停止したメアリのメダルを奪って逃げようとしているのか……その目的を突き止めることこそが、今の私たちにとって急務のことだった。


「っ、この……待ちなさい!」

「しょーっしょっしょっしょっ! この状況で待てと言われて、素直に従うようなバカはいないっしょ!」

「その通りです、サロメさま! 一生ついていきます!」


 応じる声が聞こえてきたので目を凝らしてみると、巨人の右の脚に軍服姿の男がしがみついているのが見える。前後に激しく揺さぶられて、どうしてそんな乗り心地の悪い場所に掴まっているのか、と奇異にも感じたが……先ほど対戦した時の扱いから見てもサロメと彼は主従ではなく一方的な隷属関係のようで、その粗雑な扱いが少し哀れにも思えてきた。


「あぁっ、目が回るぅぅ……っ! で、でもこれも、俺のサロメさまへの想いの強さを証明するための、苦行……つまり、試練! ならば最後まで、耐えてみせますっ!」


 ……訂正、あの男は変態だ。同情するのもバカバカしい。


「ほんと。しつこいわねぇ……! さっさと諦めて、元の場所に引き返すといいっしょ!」

「誰が諦めるもんか……! すみれちゃん!」

「――っ……!!」


 めぐるの呼びかけとその表情を見て、おおよその意図を察した私は頷いて駆ける速度を上げる。そして、彼女からわずかに先行する位置に入った瞬間、勢いをつけて床を蹴ると前方に向けて跳んだ――!


「『エンジェルタイフーン・暁』っっ!!」


 それと同時にめぐるは立ち止まり、両手の中に大槌状になったローズクラッシャーを出現させるとその柄を握りしめ、気合のこもった叫びとともに全身で大きく振り抜く。彼女の一閃は竜巻となって放たれ、その螺旋の渦に包まれながら私の身体は砲弾のように激しい勢いで前方へと撃ち出されていった。


「『エンジェルローリングサンダー・黄昏』ッッ!!」


 四方からの狂暴な空気の流れに翻弄されながらも体勢を維持して、私は手に持っていたブルームを薙刀状に変え……ぎらり、と鋭く輝く切っ先を急接近した巨人の背中を目がけて無数に突き立てる。その衝撃は、岩のように堅固な表面を貫き、砕き――そして、無数の深くて大きな亀裂を走らせてゆく……!


『グォ、グォォォオォッッ!!』

「ちょっ、止まるなっしょ……って、倒れるなっしょっ! わぁぁぁあっっ!?」

「サロメさまっ?……なっ、ほんげぇぇぇぇっっ!?」


 私とめぐるの合体技が致命的なダメージを与えたことで、走り続けていた巨人の脚が止まったかと思うと……ぐらり、と上体を揺らしながらよろめき、廊下の横の壁を突き破ってその向こうにあった部屋のような空間の中へと倒れ込んでいく。当然、その肩あたりに乗っていたサロメも巻き込まれる格好で地面に落下し、さらには足下にしがみついていた軍服の男も情けない悲鳴を上げて、崩壊した岩と瓦礫の中にうずもれていった。

 もうもうと巻き上がった粉塵が落ち着いて薄らぐと、中から這う這うの体で抜け出してきたサロメが姿を見せる。その顔や衣装は土埃で汚れ、時折むせるようなせきこみをしながらよろよろと立ち上がった。


「あ、あれだけの速度で走ってた巨人に追いついてくるとは……なかなかやるっしょ」

「別に、敵に褒められるほどのことじゃないわ。……それより、私から奪ったメダルを返しなさい」

「……だからぁ、そう簡単にあんたたちの命令を聞く義理なんて私にはないっしょ――、っ!!」


 そう言ってサロメはどこから取り出したのか、巨大な銃……いや、機関砲を構えてその凶悪な銃口を私たちに向ける。そして、形勢逆転とばかりに口元を吊り上げると、一切の容赦なくその引き金に指をかけた。


「こいつは、今までの機関砲とは一味違うっしょ……食らえ、魔力弾っ!!」


 その言葉が最後までこちらに届かないうちに、いくつもの銃身が束になった発射口から無数の弾丸が火花とともに吐き出される。それを見た私は、高速で放たれる凶弾を回避するべくとっさに飛びすさったが、その弾は直線的な軌道ではなく途中で向きを変えて曲がり、照準から外れたはずのこちらを追尾して襲いかかってきた。


「っ、これは……!?」


物理法則の一切を無視したその動きに驚きつつも、私は振り切るべく速度を上げる。でも、いくつかの失速したもの以外は誘導ミサイルのように執拗に迫って、私を捉えようと追いすがり続けた――!


「くっ……だったらっ……!」


私は丹田に力を込め、脚に意識を集中させると床だけでなく横の石壁、天井すらも足場にしてジグザグに移動する。そして頃合いを見計らったところで跳んで身を躍らせると、宙に浮かんだところに四方から集まってきた魔弾の気配を感じ取り、その全てに向けて意識を集中させた。


「……っ、ここっ!!」


 私はブルームを鉄扇状に変えてそれを縦に、横にと振るい、全身を回転させながら魔弾をことごとく叩き落す。

 動きが読めないのであれば、読めるように誘導すればいい……とっさに思いついた判断だったが、ブレイクメダルからもたらされる波動エネルギーは私にそれを可能とするだけの超感覚を与えてくれていた。


「ちょっ……何なのよその動きはっ? あんた、絶対人間やめてるっしょ!?」

「失礼なことを言わないで。私は、魔術も使えないただの人間よ。だけど――」


 私は空中で姿勢の向きを整え、眼下でぎょっ、と目をむいて愕然と固まるサロメを視界の中に映し出す。そしてブルームを再び薙刀状に戻すと、落下の勢いも合わせながら渾身の力で刺突を繰り出していった。


「あなたたち悪の連中に、私たち正義の味方が負けるわけにはいかないのよっ!!」

「なにを、こっ恥ずかしいことを堂々とぉぉっ!!」


 サロメは激高をあらわにした表情でこちらを見上げながら、機関砲を頭上へと掲げて私に再び攻撃を仕掛けようと狙いを定める。

 こちらが間合いに入るまでには少しだけ距離があり、それに対しサロメは射程圏内……わずかに生まれた優位に、彼女がにやりと笑みを浮かべた――その時だった。


「このっ……『エンジェルジェットスライダー・暁』ぃっっ!!」


 私たちのもとに追いついてきためぐるはクラッシャーをメイス状に変えて、それを勢いよく振り切る。すると、鎖につながれた巨大な水晶のような塊がロッドからうなりを上げて迫り、それを見たサロメは頭上と真横からの同時攻撃、どちらに対処すべきかと一瞬動きを止めてしまった。

 が、それは完全に致命的なミス。その隙を突く格好で私は機関砲を弾き飛ばし、ほぼ同時にめぐるのクラッシャーが彼女の身体を軽々と吹き飛ばす――!


「ななっ?――んきゃぁぁぁあっっ!?」


 とっさに防御の姿勢をとったのか、あるいは魔術の障壁でも展開したのかは見えなかったが……いずれにしてもそんなものが何の役にも立たないレベルの一撃を受け、サロメは部屋の反対側の壁に、そして落下してからは床へと激しく叩きつけられる。今度はさすがにすぐには立ち上がることができないようで、苦しげなうめき声を上げながら力の入らない手足をばたつかせていた。


「くっ……さ、さすがはツインエンジェルBREAK……っ。『天ノ遣』最強の実力の持ち主って、あいつが言うだけのことはあるっしょ……」

「あいつ……?」


 油断なく追撃、あるいは迎撃の姿勢を保ったまま、私はサロメが口にした言葉の中で気になる単語を聞きとがめ、再度自分の声で繰り返す。

 「あいつ」とはおそらく、彼女の雇い主かそれに類する存在だろう。そして、この一連の企ての首謀者という可能性が高い。

 さすがにそろそろ、敵の素性を正確に知っておきたいと思った私はブルームを構えながら、サロメに向かって言った。


「……私たちを、この城に連れ込んだのは何者? その正体と、目的を聞かせて」

「はんっ、冗談はやめろっしょ! 雇い主の情報を売るような真似なんて、できるわけないでしょーが! 私たちの今後の活動に関わってくるっしょっ?」

「でしょうね。――だから、もうあなたに用はないわ」


 意味のない問答にかける時間が惜しいので、私は薙刀形態のブルームをサロメにかざす。ぎらり、と鋭く輝くその刃を鼻先近くに見た彼女は「ひっ!?」と息をのむと、さっきまでの強気な態度はどこへやら、引きつった笑みを浮かべながらまくしたてるように言った。


「っ? ちょ、ちょちょちょっ、ちょっと待つっしょ! そ、そこまで言うならヒントくらいはおまけしてやってもいいっしょ!」

「ヒントって……」


 こんな状況にもかかわらず場違いな言葉を聞かされた私とめぐるは顔を見合わせ、それぞれに呆れを含んだ息をつく。

 どうやら、このゴスロリ女はメアリやヴェイル・ヌイたちと違ってそれほど組織に忠誠心とか、帰属意識とかがないらしい。軽薄なその姿勢と態度には、正直共感できないどころか嫌悪すら抱きたくなったが……それでも話が少しでも通じるならばと思い直し、私は言葉を繋いでいった。


「もう一度聞くわ。あなたたちを差し向けてきたのは、いったい何者?」

「別に隠すほどのことでもないから、教えてやってもいいっしょ。あんたたちの命と力を狙うヤツの名前は、『ブラックカーテン』……文字通りの黒幕っしょ」

「……ふざけてるの?」

「ほ、ほんとにそうなんだから仕方ないっしょ! 私だって、偽名だとしてもせめてまともな名前を教えろ、って言ったらそう返ってきたっしょ!」

「…………」


 サロメの慌てふためく様子を見る限り、どうやら嘘や演技でもなく本当のことのようだ。

 それにしても、……『ブラックカーテン』……か。仮に名乗ったものだとしても、あからさまに自分を「黒幕」呼ばわりする意図には、どんな企みが隠されているのだろうか。それとも、その余裕はこちらがどう出ても反撃できる自信と備えがあってのことなのか……?


「私が手に入れた情報によると……どうやらあんたたちは、あの魔界――『エリュシオン』に行ってきたそうね。それって人類史上はじまって以来の快挙だけど、同時に全ての始まりにもなってるっしょ」

「全ての、始まり……。それは、どういう意味なの?」

「それは、まぁ……つまりは、こういうことっしょ!」


 そう言ってサロメはおもむろに立ち上がると、懐から取り出したものを私目がけて投げつけてくる。とっさに受け止めていったい何かと見やると、それは私から奪ったあの『エリュシオン・メダル』だった。


「しょーっしょっしょっしょっ! まんまと引っかかって、この部屋までおびき寄せることができたっしょ! そんじゃ新しいツインエンジェルのお二人さん、アディオス♪」

「……へっ? ちょ、ちょっと待ってくださいよ、サロメ様ぁぁ!!」


 負け惜しみともつかぬ捨て台詞を残してから、サロメは背を向けると逃げ出す。さらにはようやく瓦礫の山から這い出してきた軍服姿の男が、情けない声を上げながらその後に続いて駆け去った。


「待ちなさい――、っ!?」


それを見た私とめぐるは、すぐにそれを追いかけるべく足を踏み出したが……次の瞬間ぞっ、と背中を撫で上げるような殺気を感じて、反射的に立ち止まる。そしてお互いに武器を構えながら、緊張を全身にみなぎらせて部屋の周囲に目を向けていった。


「今の感覚、なに……?」

「……わからない。でも、確実に「いる」ね」


 めぐるの言葉に無言で頷き返しながら、私は息を殺して気配の所在をうかがう。

 それにしても、さっきのサロメの言葉……彼女の役割が私たちをこの場所へ誘い込むのが目的だったとしたら、怯えたように振る舞ってみせたのはそのための時間稼ぎ? だとしたら、いったい誰が何の目的で……?

 そんな疑問に答えを見つけ出そうと思案に沈みかけた――その時だった。


「……っ……!?」

『……ようこそ、最強にして最後の『天ノ遣』のお二人さん。俺が、噂のブラックカーテンってやつだ。どうぞ、お見知りおきを……』


 目の前の空間に、人型の巨大な「闇」が浮かび上がってくる。そして軽薄な口調のわりにぞっとするような酷薄の響きを声に含ませながら、「闇」はわざとらしいほどの恭しい物腰で私たちに向かって挨拶を送ってきた……。

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