第90話

「あなたが、ブラックカーテン……、っ……?」


 ちくり、と頭の中に刺すような痛みを覚えながら、私は怪訝な思いで人のかたちをした「影」に向き直る。

 これまで、私たちの身の回りで起きていた様々な事件を裏で操っていたという文字通りの黒幕――ブラックカーテン。まさか、こんなところで相まみえることになるとは思ってもみなかったので、さすがに動揺と戸惑いを抑えることができない。

 すると、そんな私の緊張が伝わってしまったのか「影」は笑ったように口元を歪め、馴れ馴れしいほどの砕けた口調で話しかけてきた。


『くっくっくっ……まぁ、そう怯えなさんなって。カワイイ顔が恐怖にひきつって、台無しになってるぜ?』

「なっ……!?」


 安い挑発と頭では理解しつつも、いかにも軽薄な態度で見下されるように言われたことで思わずかっ、と感情的に頭に血が上り、まなじりに熱がこもっていく。

ただ、そんな憤りを気遣ってか隣のめぐるが心配そうにこちらの顔を覗き込もうとするのが視界の隅に映ったので、私は薙刀状のブルームを構え直すとつとめて怒りを飲み込み、冷静になるよう自分に言い聞かせてから「影」に向かって対峙していった。


「思い描いていたイメージと違っていたから、少し驚いただけよ。……にしても、大ボスを気取るわりに小悪党みたいな喋り方をするのね」

『おーおー、気の強いお嬢さんだな~。けど、それくらいでなきゃ俺も、わざわざここまで来た甲斐がないってもんだ。んなわけで、よろしく頼むぜ。……短い間だけどな』

「っ……!」


 最後の言葉に威圧され、緊張に身をすくませながらも私は、ごくっ、と生唾を飲み込んでから闘志を奮い立たせる。

 今のところ、敵との戦力差がどれほどのものかはわからない。……でも、ここで退いたり必要以上に怯んだりするわけにはいかないことも、また確かなことだった。


「(まずは、先手必勝……相手の出方と、力量を見極める……!)」


 そう内心で意を固めると私は呼吸を整え、「影」の気配をうかがう。そして油断なくその挙動を推し量りつつ、視線を前に向けたまま隣のめぐるにそっと小声で話しかけていった。


「……準備はいい? めぐる」

「もちろんっ!」


 囁くような、だけど力強さがこもった明朗な声で、彼女が言葉を返してくれる。その力強さに頼もしさを感じながら、私は短く攻め方を伝え――床を鋭く蹴ると、「影」に向かって突進をかけた。


「エンジェルローリングサンダー・黄昏っ!! はぁぁぁあっっ!!」


 一気に接近して「影」を間合いにとらえた私は、その叫びとともにブルームを振るい怒涛の刺突を繰り出す。

 実体のない「影」に、物理的な攻撃は有効ではないだろう。だけど、このブルームの刃には波動エネルギーによる『聖なる輝き』が宿っているため、その光波は邪悪なるものを空間ごと切り裂き、致命傷でなくとも多少のダメージが与えられる――。

 はずだった。だけど、


「なっ……!?」


 私の刺突はことごとく空を切り、「影」は悠然とその場でゆらゆらと揺らぎながら、その形を保っている。ならば、と持っていたブルームを引き戻し、続けて斬撃を放とうと振りかぶったその時――。


「……っ……!?」


ぞっ、と全身の肌が泡立つような戦慄を覚えた私は、とっさにブルームを手繰って床に刃を突き立て、それを足掛かりに左横へと飛び退った。

 体感にして、わずかコンマ数秒。回避行動をとる私の身体をぎりぎりかすめるようにして、「影」の腕が鋭く薙いでいく。それはさっきまで私のいた場所に目がけて襲いかかり、床に残されていたブルームは嵐のようなその黒い猛威に触れるや、……まるで霞のようにかき消え、あとには何も残らなかった。


「やぁぁぁあっっ!」


 その時、私が注意を引きつけている隙に敵の背後へと回り込んでいためぐるが頭上高く跳躍し、たどり着いた先の天井を蹴った勢いとともに手に持った大槌状のクラッシャーを「影」めがけて叩きつけんばかりに振り下ろす。

 まるで、墜落する隕石が地表を砕いて穿たんとするばかりの威力をもった、彼女の一撃。……だけど、それすらも「影」の身体を素通りして空しく床を砕いただけで、それどころか目標を失い、その場で戸惑うめぐるの全身を黒い影がからめとるように包み込んでいった。


「えっ? ぐ、ぅぅうっっ……!?」

「――めぐるっ!!」


 彼女の苦悶する表情を見てとるや、私は反射的に駆け出して影の中へと飛び込む。そしてその身体を抱きかかえると、勢いそのままに身を躍らせていった。


「ぅ、ぐっ……!!」


 2人分の体重に加え、後先考えずに動いたとっさの対処だったためにまともな着地もままならず、私はめぐるとともに床に叩きつけられて2度、3度と転がっていく。痛みと振動に思わず気が遠のきそうになったけれど、それでも意識を振り絞って素早く上体を起こすと、腹ばいになった姿勢でうめき声をあげる彼女に呼びかけた。


「大丈夫、めぐるっ?」

「う、うん……助けてくれてありがとう、すみれちゃん」


 やや顔をしかめながらも、めぐるはそう言って笑みを浮かべてくる。

 ……どうやら大事には至ってないようで、ほっとした。もしもまた、メアリの時のように一時的だとしても彼女が意識を奪われるような事態になっていたとしたら、今度こそ私は正気を保っていられなかったかもしれない。


『いやいや、ナイスファイト。美しき友情、お見事だったぜ?』

「……っ……!」


 からかうようなその言葉に憤りをにじませながら、私は立ち上がって手の中にブルームを出現させる。

 私の武器はブレイクメダルによって生み出されたものなので、たとえ失っても呼び出すことで再びこの手の中に戻り、また敵に奪われたところで悪用されることがない。先ほどの回避行動は、それがわかっていたからこその非常手段だった。


「(だけど……どうやって攻撃を仕掛ける……?)」


 私たちの攻撃は、「影」に全くダメージを与えることができなかった。ブレイクメダルの力によって強化されたこちらの武器が通用しないとなれば、悔しいけれど勝機を見いだすことは難しい……。

 すると、そんな私の胸の内を見透かしたように「影」はくっくっ、と含んだ笑い声をあげ、おどけるようなしぐさを見せていった。

 

『ま、そうカリカリするなって。今回はほんの挨拶代わりみたいなもんなんだから、勝負はこの先でのお楽しみってことで……な?』

「……大した自信ね。まるで、私たちがあなたに負けることが決まってるみたいじゃない」


 私はそう答えながらブルームを片手持ちに変え、なにげない仕草を装って右手を下ろす。そして背中で隠すと、後ろにいるめぐるに指で合図を送った。


「それで、あなたは何を企んでいるの? 『ルシファー・プロジェクト』を利用し、世界を改変してまで手に入れたいと望むものは、いったいなんなの?」

『だから、そう焦るなって。せっかくこうして出会ったんだから、もうちっとくらいお互いのことを知るために親睦を深めようぜ?』

「悪いけど、あなたの趣味に付き合うつもりはないの――、っ!」


 その言葉を発すると同時に私は身を翻し、こちらに呼吸を合わせためぐるがしゃがみこんで姿勢を低くする動きを目の端に残しながらブルームを鋭く振り抜く。その刃はいつの間にか私たちの背後に迫っていた「影」の分身のようなものを捉え、真っ二つに斬り裂かれたそれは悲鳴すら上げず霧散して消えた。


「(倒せた……どうして?)」


 さっきは攻撃が通用しなかったのに、今度は手ごたえがあったのはどうしてだろう。……そんな疑問を抱きつつも、私は相変わらず悠然と構える「影」に改めて向き直っていった。


「……会話している間も、不意討ちを狙うつもりのくせに。親睦とはよく言ったものね」

『はー、ほんと可愛げがねぇな。真に受けちゃって!……さてはそこのお嬢さん、恋を知らねーな?』

「なっ? い、いきなり何を……!?」


 突拍子のない方向からの指摘を突きつけられて、私は思わず狼狽えた声を上げてしまう。

 不意討ちを企んだかと思えば、場の空気にそぐわない話題を持ちかける……この「影」はいったい、何を考えているのだろう?


「そんなこと、あなたに関係のないことでしょう? この状況でからかうつもりなら、容赦しないわよ!!」

『ははっ、からかうなんてとんでもない。俺はいつだって本気だぜ? 恋は素晴らしい……それを叶えるためには世界を変えてもいいって覚悟と、無限の力を望むことだってある魔性の宝石のような代物だ。……まぁ、お嬢さんにはまだわかんねーだろうけどな!』

「…………」


 何をくだらないことを、と反発を覚えつつも、その言葉を受けて私の脳裏に浮かんだのはあの、メアリのことだった。

 全てを捨てて……かつての自分自身すらも犠牲にしてクラウディウスに心を尽くし捧げた彼女の言動は、確かにある意味でこの「影」の言うところの恋愛であったのかもしれない。


「(……私は、どうだろうか)」


メアリほどではなくても、世界の理を捻じ曲げてでも惜しくない「ひと」。それは誰かと問われたら、私の場合はためらいなくめぐるがそうだ、と断言できると思う。

 でも、やはりそれは友情や親愛であり、恋愛とは異なるものだ。だからもし、その対象を強いてあげるのだとすれば、あるいは「あの人」のこと……?


『……んー、なるほど。そっちの赤いやつはともかく、青いやつにはそーゆーのがいるってことか。いやいや、これは失礼な物言いだったな』

「……っ……!?」


 はっ、と我に返り、私は「影」を見つめる。

 まさか……ひょっとしてこのやり取りは、私が「あの人」に抱く気持ちを読み取ろうとして……?


『んじゃ、お詫びと言ってはなんだが……こういう趣向でもてなしてやるよ。それ――』


 「影」はそう言って両手を広げると、自らの一部を切り離す。するとそれは人のかたちを形成し、徐々にその輪郭と姿、さらには顔立ちをはっきりと浮き彫りにしていって――。


「っ? そん、な……っ!?」


 その、容貌を視界の中に収めた瞬間……私の全身はわなわなと震え、その場から動けなくなる。

 そう、私の目の前に姿を現したのは、「あの人」――唯人お兄様だったからだ。


「お兄、様っ……!?」

「……久しぶりだな、すみれ」


 その声も……まさに、お兄様のもの。思わず耳を疑い、夢でも見ているのかと何度も首を振ってみたが、その姿は確かに私が記憶している通りの優しいあの人……!?


「さぁ……すみれ。その武器を捨てて、こっちに来るんだ」

「……っ……!」


 私は反射的にブルームを構え、切っ先を向ける。

……でも、力が入らない。頭の中がぐちゃぐちゃにかき乱され、さっきまでの張りつめた気合や覚悟が粉々に消し飛んでしまっていた。


「ぐ……っ!!」


 わかっている……あれは間違いなく偽者だと理解しているし、こんなところにお兄様がいるはずがない!

 なのに……どうして?

 「影」の妖しげな術によって惑わされているだけなのに……お兄様の姿を見ただけでこんなにも挫けて意気地がなくなってしまうほど、私の心は弱いものだったの……!?

 そんな自分自身が情けなくて、思わず涙がにじみかけた――その時だった。


「――すみれちゃん、下がって!」

「えっ……?」


 呆然と固まる私を背後にかばうように、めぐるが大槌を構えて前に進み出る。そしてきっ、と凛々しいほどの鋭いまなざしでお兄様? の幻を見据えながら、私を励ますように強い口調で言った。


「あの偽者は、あたしが倒す……! すみれちゃんは手を出しちゃダメ!」

「めぐる……っ……」

「大丈夫……すみれちゃんの気持ち、わかるよ。あたしだって、そうだったから――」


 そうか……偽者とはいえ、ヴェイルとヌイと対峙したあの時のめぐるの気持ちはこんなにも苦しいものだったのか。

 それを改めて理解した私は、申し訳ないと同時に……悔しさも覚える。彼女はそれを私のために克服したというのに、私は……っ……!


「……お願い、めぐる。私にやらせて」

「無理をしちゃダメだよ、すみれちゃん! お兄さんの姿をした相手に、戦うことなんかできないでしょ?」

「大丈夫……私じゃないと、きっと……、っ!」


 半ば意地、あるいは意固地な決意を奮い立たせてから、私はめぐるの制止も聞かずお兄様の姿をした相手に飛び掛かる。

 もしこれが、めぐるの時のように私に対しての罠なのだとしたら私自身が乗り越えないと――!


「はぁぁぁあっっ! エンジェルローリングサンダー、たそが――」

「すみれ……俺を殺すのか?」

「……っ!!」


 悲しげな表情を浮かべるお兄様の顔が間近に迫り、とっさに振るったブルームをぴたっ、と止めてしまう。せっかく固めた決心が跡形もなく消し飛び、どんなに力を込めても……私の腕はそれ以上動かすことができなかった。


「あ……あぁっ……!」

「落ち着いて、すみれちゃん! あれは、お兄さんなんかじゃない……もしそうだったら、妹のすみれちゃんに助けを求めたりなんかしないよ!」

「わかってる……わかってるわ! だけどっ……!」


 もしも……万が一これが本物の唯人お兄様で、私たちと同じようにブラックカーテンによって拉致されたのだったとしたら?

 その、ありえないほどわずかな可能性を考えてしまっただけで心が怯み、ぞっと血の気が失せるような恐怖が込み上がってくる。


『さーて、どっちを選ぶかなぁ~。偽者と決めつけて、ぶった斬る? それとも、愛を貫いてここで死ぬか? 好きな方を選んでいいぜ』

「……くっ……!」


 「影」の挑発に対して、私は歯がみするだけで言い返すこともできない。

 どうしたら……どうしたらいい?

 せめて、この「お兄様」が偽者だと断じることができれば……それなら……っ!

 と、その時だった。


「――愛の御名のもとに、乙女の純粋な気持ちを弄ぶとは……男の風上にも置けぬやつだな」

「えっ……!?」


 高らかに、雄々しいほどの声がどこからともなく伝わってきたのを感じた私は耳を澄ませ、左右に目を向けていく。

 今の声は……私の記憶が正しければ、「あの男」のものだ。だけど、どうして彼がここにたどり着くことができたというのか……!?


「あ、あなたは……?」

「美しき乙女たちよ。あの偽者の相手は、私が引き受けよう……」


 そう言って颯爽とマントを払い、私たちの前に姿を見せたのは――あの「変態マスク」、ミスティナイトだった。

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