第81話

 ……どこかから、誰かが呼んでいるような気がする。

 ぼんやりとそれを感じた瞬間、あたしは無意識のうちに目を開いていた。


「……、……え……?」


 視界に映し出された光景に思わず瞼をぱちぱちとしばたきながら、起き上がって左右を見渡す。

 ……真っ暗だ。それも夜とか、灯りがないとかじゃない。そこには何かしらの存在を表す影、形が全く見えない正真正銘の「闇」だけが広がっていた。


「……ここは、どこ……?」


 まだ起き抜けの頼りない気分を引きずりながら、あたしは立ち上がると何か見えるものはないか、と、思って首を巡らせる。……でもやっぱり、映る景色は漆黒の「無」だ。

 ほのかに伝わってくるのは生温かい、まるで動物の息吹のような気持ち悪い空気の流れと、辛うじて地面だとわかる足の裏への感触と重力。そして――


「あたし……見えてる……? なんで?」


 光のようなものはどこからも感じないのに、あたし自身の腕や脚……スーツをまとった身体だけはなぜか、闇から浮かび上がったようにはっきりとその色や形を確かめることができる。それがかえって、今の状況が現実なのか夢なのかを曖昧なものにしてしまっていた。


「どうしてあたし、こんなところに……、っ?」


 なんとなく頭に浮かんだ不思議を言葉に出してみて、あたしは、はっ、と息をのみながら弾かれたような勢いでもう一度周囲に目を向ける。

 そうだ……あたしは確か、すみれちゃんたちと城の回廊を抜けた先にあった部屋の中に入って、床に描かれた魔法陣のようなものを見つけたんだ。そして、それが何なのかを調べようとしてテスラさん、ナインさんに続いてその内側へと踏み込んだ瞬間、黒い壁のようなものが取り囲んできて……!


「すみれちゃん……! すみれちゃん、どこにいるのっ?」


 あたしは懸命に声を張り上げ、姿の見えない大切な人の名前を呼び続ける。だけど、それに返ってくる言葉はなく……ますます焦りと怖さが膨らんでくるのを懸命にこらえ、さらに強く叫んでいった。


「すみれちゃん、返事をして! すみれちゃんっ――!!」


 重苦しい沈黙が支配する中、自分の声だけが響き渡って「無」の空間の中へあっという間に吸い込まれるのをむなしく確かめているうち……あたしは、肌に震えが走るような悪寒がじわじわと全身に広がっていくのを感じる。

 ……本当に、この場所にはあたし一人しかいないんだろうか。そんな絶望感と必死に戦いながら、とにかく今できることは声をあげ続けることしかないと考えたあたしは、再び力を込めて口を開きかけた――と、その時だった。


「めぐる……さん……?」


 ふいに少しだけ離れた背後の足下から、か細い声が伝わってくる。あいにくそれはすみれちゃんのものではない、とはすぐに分かったけど、それでも聞き覚えのある響きにあたしは希望が胸の内に花開くのを感じながら、振り返って膝をつく。そして目を凝らし、声がした辺りをのぞき込んだ。

 ……すると不思議なことに、まるで黒い霧が晴れるように闇がゆっくりと薄らいでいく。その変化に驚きながら様子を見守っていると、あたしたちにとって頼もしい味方のテスラさん、ナインさんの姿が浮かび上がってきた。


「テスラさん……それに、ナインさんも! 怪我はありませんか?」

「えぇ、おそらく……なっちゃんはどうですか?」

「……問題ない」


 そう言って二人は倒れていた姿勢から上体を起こしながら、あたしを元気づけるように優しい笑顔を浮かべてくれる。

 ……正直に言うと、すみれちゃんじゃなかったのは少しだけ残念だった。だけど、少なくとも誰かが近くにいるという事実は、さっきまでの孤独な不安を抱えていた状況と比べて段違いに心強い。だからあたしは気を取り直し、テスラさんに話しかけていった。


「えっと……ここって、どこなんでしょうか?」

「さぁ……私もたった今意識を回復したばかりですから。めぐるさんこそ、この漆黒の空間に見覚えは?」

「そ、そう言われても……」


 質問に質問を返されて、あたしは困った思いで改めて周囲を眺める。

 どこかの空間、といってもここが城の一室なのか、それともエリュシオンのような異世界なのか――それを判断するためのものが何もないのだから、答えようがない。

 ただ、やっぱり闇の中でもあたしは自分の身体をなぜか見ることができて、さらにテスラさんとナインさんの姿も明らかになった。これはいったい、どうしてなんだろう……?


「……参りましたね。何も見えない状況もいい気分ではありませんが、空気までもが不快な気配によどんでいるようで……まるで、悪い夢の中にいるようです」

「悪い……夢……? あっ――!?」


 その言葉からあたしは、過去の記憶に残っていた「あの」状況を思い出す。

 そう、悪い夢といえば……この城に連れ去られる直前にすみれちゃんと話していた、メアリが出てきた「あの夢」だ。あの時は学院の敷地や建物が視界の中に映っていたけど、今の状況と感覚はよく似ている……つまり……!


「ここは……心の中の世界……!?」

「っ? それって……どういうことですか?」

「以前、メアリが夜寝ていたあたしとすみれちゃんの意識に入り込んで、乗っ取ろうとしてきたんです! その時は、2人で力を合わせて倒すことができたんですけど……」


 ……あの時、あたしたちは夢の景色の中に現れたメアリの不可思議な力によって闇の渦に飲み込まれ、危うくそのまま意識を失ってしまうところだった。

 もしあたし一人だけだったら、きっと耐え切れなくて飲み込まれていたのかもしれない。だけど、


『ここにはあたしだけじゃなく、すみれちゃんがいる……だから、負けるわけにはいかないっ!』


その想いと覚悟が闇の波動を打ち消し、その支配と束縛から逃れたあたしたちは変身して、メアリを倒すことができたんだ。そして――。


 × × × ×


『っ、く、くくっ……これで、エンドと思わないことね……』

『えっ……!?』


 二人の必殺技、『レインボー・ザ・ファイナル』を受けて消滅したメアリの姿は、どこにも見えなかったけど……その声だけははっきりとあたしとすみれちゃんのもとへ伝わってきていた。


『……残念だわ。私はお前たちに格別の慈悲で、安らかな死を与えてあげるつもりだったのに。ここで倒されなかったことを、きっと後で悔やむでしょうね……』

『どういうこと……? またあなたは、ここにやってくるっていうの!?』

『いいえ……もう、私はここで「消える」。お前たちの命を奪うのは、あの子たちに任せるとするわ……』

『あの子たち……? いったいそれは、誰っ?』


 あたしは天を仰ぎ、どこにいるともわからないメアリに対して怒鳴り声で呼びかける。だけど彼女はそんな困惑が心底おかしいのか、憎らしいほどにおぞましい高笑いを返すだけだった。


『今度こそ、お別れね……暁と黄昏の巫女さんたち……。お前たちのあがき苦しむ姿、地獄から見ていてあげるから……ふふ、うふふふふっ……あっははははははっっ!!』


その、耳障りすぎるほどの哄笑を残聴として――。あたしの夢は、そこで覚めた。


 × × × ×


「消える……ですか。だけどメアリは、先ほどもあなたたちの前に現れましたよね?」

「は、はい……」


 さっきの妖しい狂気の笑みを浮かべた「集団」のことを思い出して、あたしはこみ上げる不快と嫌悪を懸命にこらえながらこくん、と頷く。

 あの時は「消える」と言っておきながら、再びあたしたちの前に立ちはだかってきた宿敵――メアリ。彼女の発する言葉は理解できないものが多かったから、特に深く考えても意味はないのかもしれないけど……ちくり、と胸の中に刺さった小さな違和感が、どうしても不安となって取り除くことができなかった。


「いずれにしても、この空間を抜け出すことが先決ですね。そして、ここにすみれさんがいないということは、おそらく引き込まれずに済んだのだと思いますが……」

「……一人だけ、危険。早く戻るべき」

「っ……!!」


 ナインさんの言葉を受けて、あたしの心に緊張がみなぎる。

 すみれちゃんなら、きっと大丈夫だと思う……思いたい。だけど、これがもしメアリの仕掛けてきた罠だったとしたら、まだ違う何かを企んでる可能性はすごく高いだろう。


「すぐに、すみれちゃんと合流しましょう! お願いしますテスラさん、ナインさん!」

「えぇ、お任せください。……と、本来なら言いたいところなんですが――」


 そこでテスラさんは言葉を切り、険しい表情を浮かべながら周囲を見回す。そしてはぁ、と大きくため息をつきながら腕組みをしていった。


「もし、これが本当に私たち、あるいはめぐるさんの心の中だったとしたら……どうやって術を破り、脱出すればいいのでしょう? 見渡す限り完全に闇だけで、考えもなく歩き回るのはかえって危険です」

「え、えっと……じゃあ、前の時みたいに意識を集中する、っていうのはどうですか? こう、早く目が覚めろ……悪夢よ出ていけ、とか……」

「お気持ちはよくわかりますが……私たちは当事者ではなかったので、そのやり方を教えていただかなくては実践のしようがありません。めぐるさんは、どうやってメアリが仕掛けてきた妖術を破ったのですか?」

「そ、それは……」


 改まってそう尋ねられても、……とにかくあの時は夢中だったから、はっきりとは覚えていない。すみれちゃんならともかく、あたしが言葉で説明するのはたぶん無理だ。

 それに、何よりも違っているのは「メアリがいないこと」だった。せっかくあたしたちの意識を取り込んで支配下におさめたというのに、彼女がこちらを攻撃してくる様子は今のところないというか、気配すらも感じない。


「どうすれば……、?」


 そう思って、以前のことを必死に思い出そうとした――その時だった。


「……え……?」


 突然、あたしの頭の中に声……というより、誰かの「意思」の流れが伝わってくる。それは、言葉のように何か明確な意味を伝えるわけではなかったけど、顔を上げた先に光のような道筋と、そこに向かうように、と促す思いだけは理解できた。


「? どうしましためぐるさん、どこへ……?」

「……呼んでる。こっち、なにか――」


 誘われるまま、あたしは闇の中へと足を踏み出す。そして、目の前に現れた小さな空間の「裂け目」のようなものに手をかざし、囁きかけてくる言葉をそのまま、そっと呟いた――。


「※※※、※※※※……」


 × × × ×


「……? えっ――!?」


もはやこれまで、と覚悟して身をすくませながらぎゅっ、と目を閉じた私は、……続いて訪れるであろう死の衝撃がいつまでたっても届かないことに違和感を覚えて、恐る恐る瞼を開ける。すると――


「ぐっ……? ぅぅうっ、ぐ……ぐぉぉぉおぉっっ……!?」


 目の前でメアリが、槍を取り落とし……なぜか頭を押さえながら苦悶していたのだ。


「な、なぜだ……? まさかこいつ……闇のマナを……!?」


 意味が理解できない言葉を吐き出しながら、メアリはたたらを踏んでよろよろと後じさっていく。それを見て私はすぐさまブルームを呼び戻して両手持ちに構えたが、攻撃を仕掛けるにはなんとなく躊躇を覚え……彼女の様子を油断なくうかがいながら、固唾をのんでその異常な成り行きを見守った。


「……いったい、何が起きてるの……?」

「や……やめろ……やめろやめろ、止めろっ!! 私の中に、入ってこないで……ぎゃっ、ギャァァァアッッ――!?」


 その咆哮はいったい、誰に向けられているのか。困惑のあまり私は思わず、すぐ足下で気を失ったままのめぐるの顔にちらっ、と視線を向けていた――。


 × × × ×


「……。これは、どういうことですか……?」

「……っ……」


 テスラさん、そしてナインさんも驚いたように目を丸くしながら、あたしをじっと見つめてくる。でも自分自身、何が起こったのかわからなくて、答えようがなかった。


「いったい……何が……!?」


 あたしは一面に広がる色のついた世界を見つめながら、呆然と立ち尽くす。

 ……さっきまで存在していた「無」の空間はもう、どこにもない。その代わりに視界の中に映し出されたものは、豪華かもしれないけど古めかしい……どこか時代と、日本とは違う文化を感じさせる部屋だった。


「(カビと薬品……それにこれは、……血の臭い……?)」


 さっきの生温かい空気に含まれていたのはこれだったのかと、あたしは思わず鼻を押さえる。テスラさんとナインさんも同じ感想を抱いたようで、軽くせき込みながら顔をわずかにしかめていた。


「壁際の棚には、実験用具ですか……? それと、机の上だけでなく床にまで本と書類が乱雑に積まれていますね」

「……窮屈。空気、悪い――、?」


 そう言って、室内を慎重に探っていたナインさんはふと、窓際の一角で視線を止めてあっ、と軽く息をのむ。それにつられて、テスラさんとあたしが目を向けると……そこには椅子に座ってまどろむ女性の姿があった。


「誰かいる……? ってあれは、まさか――!?」


 その容姿を見たあたしは息どころか、心臓の鼓動さえも止まってしまうのではと思うくらいの衝撃を受けて、愕然と固まる。

 髪型や年齢の違いはあったけど、それは間違いなく――。


「メ……アリ……!?」


 紛れもない、あたしたちの敵……メアリと瓜二つの容姿を持った女性だった――。

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