第一部 第三章
第三章プロローグ
いったいどうして、こんなことになってしまったんだろう。……全てが終わり、もう後戻りができなくなった今もなお、その想いは私の心を重く、そして深く苛み続けていた。
「…………」
私の目の前には、「あの子」がいた。全身にダメージを受けて足下をふらつかせながら、瞳に宿る光はなおも強い。
その手には、白銀に輝く『破邪の矛』。かつて、魔の力に魅了されて道を踏み外した者を討ち果たしたという神器はここに来るまで激戦を経てきたためか、どす黒く濁った紅に染まっている。
それを彩っているのはなにか、と考えが及んだ次の瞬間……私の腕に激しい痛みが迸り、地面へと流れ落ちる鮮血を見て意識が一瞬、遠のく。完全にかわしたつもりだが、気づかないうちに反撃を受けてしまっていたようだ。
「ぐっ……、……」
苦悶の声を吐き出しながら、なぜか胸の奥底から可笑しさがこみ上げてくる。
心は、すでに捨てたはずだった。それにともなって、感情も。そして、この世のすべてに背いてでも、ただひとつのことを守る――その決意を固めたつもりでいたのに、まだ自分が痛みを覚えるということが実に奇妙で、皮肉を感じずにはいられなかった。
「(だけど、……もう私は、止まらない。いえ――)」
ここで、止まるわけにはいかない。それが私に残された使命であり、「あの人」から託された信頼に応えるせめてもの矜持だった。
「――っ……」
……まだ、聞こえる。
頭の中では、「彼女」の声がさっきから絶えることなく、ずっと響いている。
――もうやめて。こんなこと間違ってる。
――今ならまだ間に合う。だから……。
そんな、涙まじりの悲痛な叫びにどれだけの優しさと想いが含まれているのか……痛いほど、よくわかっている。少なくとも、そのつもりだ。
だけど――。
その甘美な救いの手を、つかむわけにはいかない。ただでさえ今の私はとても不安定で、少しでも気を抜くと全身がばらばらになりそうなくらいの猛威に耐えている。
そして、一度それが解けてしまえば……二度目は間違いなく、ない。集中が切れた瞬間、私は目にも映らないほどの小さな欠片となって崩壊し、文字通りに存在そのものが消えてしまうことだろう。
死ぬのは怖くない、……と思う。だけど、
「……っ、ぅぐ……!」
私の意志と力の弱さのために、自分以外の多くの誰かが悲惨な運命に巻き込まれる……そんなことだけは、絶対に避けなければいけなかった。
「(それを、わかってもらおうと思うのは、……きっと、わがままなんだろうね)」
そんな思いを抱きながら、私は激痛で乱れかけた意識を奮い立たせ……再び顔を上げて真正面に立つ「あの子」を見据える。
……初めて会った時から、なぜか心が惹かれていた。
明らかに自分とは違う、……そうわかっていたのに、それがかえって魅力的で、とても眩しかった。
あの子のことを、理解したかった。
そして私のことも、理解してもらいたかった。
たったそれだけが、私の一番の、そして大切な願いだったはずなのに……その結果として訪れたのが、今のこの状況だったのなら――。
「(……神様。いえ、きっと私の前に現れたのは、悪魔なんでしょうね……っ!)」
そう内心で呟きながら、私はいるかどうかもわからない黒い影に向かって……あらん限りの呪詛を叩きつける。
だけど……もう、遅い。
たとえ、自分の大切なものを壊したとしても。
この使命を果たすために、一番に守りたかったはずのものと戦わなければならない――そんな、悪夢としか思えない状況を選んだのは、この私なのだから……!
「……っ……」
……痛みが,消えた。おそらく「彼女」の気力が尽きて、私の意識の底で眠ってしまったのだろう。
それを確かめてから私は、迷いを振り払うように自らの脚をずい……と一歩踏み出す。
体内に蓄積された波動エネルギーはすでに臨界へと達し、マグマのように灼熱を放って激しく燃えさかっている。
あと少し……そう、あと少しだ。この数分間をしのいで全てを遂行することができれば、私の悲願は達成される。
……それが叶った後に自分の命が滅ぶことになったとしても、構わない。それだけが、今となっては何よりの願いだった。
――本当に……?
「っ……!?」
ふいに聞こえてきた、その問いかけ。……まだ諦めないのか、と内心怒りにも近い苛立ちがこみ上げてくる。
「彼女」のそれは、さっきまでの悲痛な叫びではない。落ち着いていて、切ない……穏やかな声だった。
おそらく「彼女」は最後の力を振り絞って、……制止ではなく、私を気遣う言葉をかけてくれたのだろう。……ただそれが絶望ゆえの達観なのか、それとも他の意図があってのことなのかは私にもわからないし、何よりも確かめる時間がもう、残されていなかった――。
「ここで私は、あなたを斬る……覚悟しなさい、魔王ディスパーザ!――いやっ!」
そう言って「あの子」は、私に矛を構えてみせる。
その表情、そして全身から漂ってくる波動に、黒い殺意や狂気はない。……でも、だからこそ存在と力は脅威的で、なにより――。
「……※※※※※! 私はあなたを、……倒すッッ!!」
私の目的のためには、絶対に倒さねばならない敵だと……はっきり理解していた。
「(……あぁ、そうか)」
私はさっき、悪魔に誘われたと言ったけど、……違った。
悪魔は、私だ。そして今相対している「彼女」が、天からの遣い……。
ずっと私がなりたいと思って憧れていた、『正義の味方』の姿だった――。
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