第30話
「……くしゅんっ!」
「ふふっ……やっぱり、少し冷えてきましたか。朝食の前に、お風呂にも入った方が良さそうですね」
「は、はいっ……!」
鼻をこすりながらあたしは、そう言って雫さんの提案に頷く。
……そういえば、さっきの滝壺での修行で水をかぶったこの人も濡れて、寒いはずだ。もしよかったら、あとで一緒にお風呂に入ろう、って誘ってみようかな?
「……あたしの修行、今日で終わりなんですか?」
「報告が終わって、修了の許可が出てからですね。それまでは気を緩めないように」
「も、もちろんです!」
念を押すような雫さんの言葉に、あたしはぶんぶんっ、と首を縦に振る。
ここまで来ておきながら、心構えが不足なのでもう一度修業のやり直しを……なんて言われたりしたら、落ち込むどころの話じゃない。ちゃんと学院に帰るためにも、最後まで気持ちを引き締めておかないとね。
「(……。でも、学院に帰れるってことは……)」
ここに来てから、あたしに優しくしてくれた神社の人たちや、雫さんとはお別れということになる。……もしかしたら、二度と会えなくなるかもしれない。
「…………」
歩きながら、ちらりと雫さんを見る。
みるくちゃんとすみれちゃんには、言ってなかったけど……実はここに来る少し前まで、ちょっと身体がだるいな……と感じることは、何度かあった。
症状自体はそんなに重くなかったし、風邪でも引きかけたのかなぁ、と思ってあんまり気にしてなかったけど……いつも、不安があった。
でも、ここに来たことでそんな気持ちの暗さはすっかり解消し、身体の調子もびっくりするくらいに良くなったと思う。
修行は厳しかったけど、その成果は……うん、やっぱりあったんだ。
……だけど、終わりが見えてきた今になって振り返ると、自分のことばかりに一生懸命になりすぎて、雫さんとはあんまりお喋りしてないなぁ、なんて今さらなことに気付いてしまった。
「(お別れの前に、もう少しこの人と仲良くなりたいなぁ……)」
そう考えたあたしは、思い切って雫さんに話しかけてみることにした。
「あの……雫さん」
「はい、なんでしょうか?」
「その、……雫さんって、どれくらい如月神社で暮らしてるんですか?」
「ええっと、そうですね……ここに来たのは、半年ほど前です。第一陣としてやってきたので、これでも古株の一人なんですよ」
「そうなんですかー。……あれ?」
なるほどーと納得しかけて、ふとわいた疑問に首を傾げる。
如月神社の建物はあたしが見た限り、結構歴史のあるつくりをしていた。少なくとも、あたしの年齢よりもはるかに歴史のあるものだと思う。
それなのに、雫さんをはじめ神社で働く職員さんたちがやってきたのは、半年前……? だとしたら、それまでここには誰がいたんだろうか。
「じゃあ、如月神社には雫さんたちが来るまで、誰か別の人がいたんですか?」
「いえ、無人でした。元々この神社は、長い間人が住んでいない無人の社だったのです。定期的に、修繕や清掃の手は入っていたようですが……」
「無人……」
雫さんの話を聞きながら、あたしはついさっき職員さんたちと挨拶を交わした寮内の光景を思い出す。
……建物の内部は古かったけど、歩いてても床がきしむ様子もなく、隙間風もほとんど感じなかった。職員さんたちもすごく慣れた様子で、ここでの暮らしが長いんだなぁ、と勝手に考えていたほどだ。
それだけに意外で、ちょっと信じられなくて……違和感に首を傾げていると、雫さんはまるで先生のように丁寧に説明をしてくれた。
「神社だけでなく、この島は元々……十数年前からつい最近まで、立ち入り禁止になっていたんですよ」
「えっ? ここって、誰も入っちゃいけないところだったんですか?」
「そうです。この島で起きた事故のせいで。……人がひとり、行方不明になったのだとか」
「っ……!」
行方不明、という言葉に思わず息を飲む。この島の雰囲気は厳かだけど、とてものどかな感じだったから……そんな、殺伐としたことが起きていたなんて、想像もしてなかったからだ。
「そ、その人はどうなったんですか……?」
「安心してください。最近になって見つかったそうです」
「よ、よかったぁ……」
「そのおかげか最近になって、規制が緩和されて……この神社を如月家ゆかりの者が管理することになったのです。そして、先ほど申し上げた地熱発電の開発の手が入るようになった……私は、そう聞いています」
「……。あ、あのっ……」
緊張で自分の声が強ばるのを感じながら、おそるおそる尋ねる。
頭の中では、さっき雫さんに忠告された――『強大な力は、自分たちに牙を向ける』という言葉がぐるぐる回っていた。
ひょっとして雫さんは、その事故とあたしの力に、何か因縁のようなものがあると言いたかったんだろうか……?
「その事故って、地熱発電のせいで起こったんですか……?」
「いいえ。事故の原因はこの島というよりも、むしろ――」
ドオオオオオオン!!
彼女が何か言いかけたその瞬間――大きな音が響いて地面が激しく、ぐらりと揺れた。
「きゃあっ……!?」
「……っ!?」
揺れ自体はすぐに収まって、悲鳴は上げたものの辛うじてその場に踏みとどまる。……だけど次の瞬間、ぞっと背中に走り抜ける悪寒を覚えたあたしは、はっと我に返るや全力で駆けだしていた。
「っ、めぐるさん? どこに行くのですか、めぐるさんっ!?」
後ろから、雫さんの声が聞こえてくる。……それでもあたしは、無視して走り続けた。
……胸の奥がざわざわする。この音は、何度も聞いたことがあるものだ。
事故? 地震?……ううん、違う、この気配は間違いなく「あれ」だ! それに、音がした方向には、確か……っ!
「っ……!」
ずぶ濡れのまま森を駆け抜けて、林道から飛び出したあたしが開けた視界に目を向けた、その瞬間――。
立ち上る砂埃と、その中にたたずむ巨大な「何か」の影が映っていた。
「……っ……!?」
最初は、鼻をつくにおいと舞い上がる粉塵のせいでよく、わからなかった。
でも、少しずつ目が慣れてきて……跡形もなく破壊されたそれが、さっきまであたしが寝泊まりしていた修行寮の残骸だと理解したその奥の方から――。
丸太みたいに太い手足を持つ、複数の大きな生き物がゆっくりと輪郭を見せ、その姿をあらわにしていった。
「ライオン……ううん、二本足で立ってるから、ゴリラ……!?」
それも、一体や二体じゃない。両手の指だけじゃ足りないくらいのそれが、あちこちで破壊を繰り返している。
改めて目を凝らしてみても、熊とも違う猛獣……というか、バケモノだ。すみれちゃんの影響で最近ちょっと動物に詳しくなってきたけど、あんなのは見たことない。まるで、いろんな動物の特徴をパッチワークみたいにつぎはぎにしたような、不気味な姿だった。
「なっ……なにこれっ? いったい、どうなってるの――!?」
「っ!? 危ない、めぐるさん!」
「えっ……きゃあああっ!?」
その声が聞こえると同時にあたしは突き飛ばされ、地面に転がる。……そのさなかで、巨大な腕に弾き飛ばされる雫さんの姿が見えてしまった。
「っ、雫さん!」
何とか踏みとどまって立ち上がり、地面に倒れた雫さんに駆け寄る。彼女の装束は泥にまみれ、顔には苦悶の表情がありありと浮かんでいた。
「雫さんっ! 雫さん!」
「う、ぁ…………!」
うめき声をあげる彼女の左足は大きく裂け、そこからたくさんの血が止めどもなく流れ出ていた。とっさにあたしは胸元から手ぬぐいを取り出して傷口に当てたけど、あっという間にそれは黒い紅に染まっていく……。
「しっかりして、雫さん! っ……!」
その時、ふと地面に落ちた影に気づいてはっと顔をあげると、雫さんを殴り飛ばしたバケモノがこちらに向かって一歩……また一歩と踏み出してくる姿が見える。あたしは必死になって彼女の腕の下にもぐり、その体を支えながら森の中に飛び込んだ。
大人の女性を抱えながらのせいで、進みは遅い。……けど、背後からどんどん威圧感が迫ってきている。ここで足を止めるわけにはいかない……っ!
「っ、雫さん……あたしに、つかまって……っ!」
「な、……なに、してるのっ……! はやく、逃げっ……!」
うっすらと目を開いた雫さんに声をかけると、彼女は濡れた前髪の向こうからあたしを睨みながらいった。
「あなただけでも、ここは、危険……早く……っ!」
「だっ……ダメだよ!」
「いいから、逃げなさい……逃げてっ……!」
「いやっ! 雫さんを置いて、逃げるなんてできない!!」
「……。ほんとに、あなたという子は……っ……」
そう呟いた瞬間、……雫さんの身体がずしり、と重くなった。
一瞬焦ったけれど、どうやら気を失って力が抜けただけのようなので、少しだけほっとする。
「……えへへ。ごめんね、雫さん。あたし、あんまり頭よくないから」
大きな木の影にそっと彼女の体を預け、あたしは立ち上がると同時に振り返る。
逃げ切れない――そう悟った瞬間あたしの心は決まり、そして覚悟を固めていた。
「でも、あたしは……正義の味方だから!」
「グルルルルル……!」
口元からヨダレを垂らした謎のバケモノと正面切って睨み合いながら、あたしは胸元に手を入れる。
そして取り出したのは、小さな卵形のコンパクト。同時に手の平の中から、一枚のメダルが浮かび上がってくる。
変身のキーアイテム、ブレイクメダル。今となっては手になじむそれを手にした瞬間、みるくちゃんの言葉が脳裏に蘇ってきた。
――『やっぱり……メアリに闇の力を強制的に発動させられた影響かしら』――。
メアリに利用されたせいで、あたしが弱くなったのなら。
すみれちゃんとみるくちゃんは、きっと否定するだろうけど……それは、あたしのせいだ。あたしがもっと強かったら、メアリに利用されることも……ヴェイルちゃんとヌイ君を守ることもできたんだ。
「(だけど……っ!)」
後悔ばかりしていても、仕方がない。大切なのは今、そして未来なんだ……!
「あたしは、同じことを繰り返さない……今度こそ、みんなを守る! ラブリー☆くりすたる!!」
コンパクトにメダルをセットした瞬間、強い光が視界を埋め尽くす。
ツインエンジェルBREAK……みんなを守る、正義の光!
「暁に射す、まばゆい朝陽! エンジェルローズ! 正義の鉄槌、くらわせちゃうぞ!」
「アアアアアアアア!!」
変身完了と共に襲いかかってきた敵に向けて、あたしは『ローズクラッシャー』を振りかぶる。
武器を持つのは久しぶりだったけど、なんだか前よりも軽いというか……手に馴染む。これならいけるかもしれない……!
「はぁっ!」
「グアアアアア!!」
鎖付きの鉄球が伸び、巨大な胴体を切り裂くとバケモノの姿が一瞬で掻き消えた。
「やったあ!」
うん、手応えばっちり!
前よりも……とはいかないみたいだけど、体調がおかしくなる前と同じくらいには力が戻ったみたいだ。
「よしっ!」
あたしは森の中を飛び出し、砂埃の中をうろついているバケモノの群れに躍り出た。
「グァアアアアア!!」
「はぁっ!」
突然現れたあたしにバケモノが反応する前に、『ローズクラッシャー』を次々と叩き込んでいく。
「やぁあーっ!」
「ギャァアアアア!!」
今戦えるのは、あたしひとり。だけど、取りこぼすわけにはいかない。
もし見逃してしまったら、また誰かが傷つくことになるからだ……!!
「たぁっ!」
「グアアアアアア!!」
一体、また一体と、バケモノたちを確実に、全力で倒していく。
数は減っている。でも……。
「はぁっ! はぁ、はぁ……」
「グルアアアアアアアア!!」
「っ!? きゃあっ!」
何体目かを倒したその時、背後から現れた敵のツメが腕を掠りその勢いで後方まで投げ飛ばされる。
慌てて体勢を整えようとするけど、着地に失敗した身体は地面にゴロゴロと転がり……立ち上がるまでにかなりの時間を使ってしまった。
「はぁっ、はぁっ、は……」
「ガアアアアアア」
「っ!? あぐっ!」
息を整える間も無く、飛んだ場所でも背後から攻撃。
慌てて避けたけど、バケモノのツメによってはじけ飛んだ木片まではかわしきれず、頭を殴られたような衝撃が襲った。
「っ、っ……!」
へたり込みそうになる体を、『ローズクラッシャー』で支えながらもう一度立ち上がる。……額に怪我をした時にできたのか、右目がなんだかぼんやりとしてよく見えない。
その間も、他の場所から集まってきたバケモノたちがゆっくりとあたしを取り囲もうとしているのが見えた。
「くっ……数が、多すぎるよ……!」
砂埃でよく見えないせいで、なにが何体いるのかもわからない。……ただ、少なくとも10体以上は確実に残っているだろう。
これを、あたし一人で全部倒さないと……雫さんや、みんなが……!
「……すみれちゃん」
思わず口にしてしまったけど、……やっぱりここにすみれちゃんはいない。あの勇気を奮い立たせてくれるような、叱咤の声は脳裏に響いてても……その頼もしい姿はどこにも見えなかった。
「……っ、う……」
痛みに呻きながら、ふと、すみれちゃんにお願いしたマステのことを思い出す。
ルンルンとリンリンによく似た……かわいい犬の、マスキングテープセット。ちゃんと買ってくるって、彼女は約束してくれた。
だからあたしも、身体をしっかり治して、すぐに戻るって……。
「約束、守……らな……ちゃ……」
だから、こんな場所で負けるわけにはいかないんだ。
あたしはもう諦めない。
だって、すみれちゃんと約束したから……! ちゃんと帰るって……!
「っ……!」
もう一度、『ローズクラッシャー』を手に立ち上がりかけた時。
「……。あ、れ……?」
青空の向こうに、何かが見えた気がした。
飛行機……じゃない。もっと小さくて、なんだか人みたいな形をしているような……。
『浄化の光よ……』
その瞬間、声が降ってきた。
知らない声。でもとても力強くて……温かい声。そして、
『クラスター・レイ!!』
その瞬間、文字通り空から光が降り注がれる。
みるくちゃんが使う猫の形をした爆弾の光によく似ていたけど、降ってきた無数の光の槍は、ライブで見たレーザービームのように――あたしを取り囲んでいたバケモノたちの頭を、正確に打ち抜いていった。
「アァアアアアアアアアアア!!」
「ギャアアアアアアアアアアアアアア!!」
鼓膜が破れそうになるほどに大きな叫び声の合唱に、反射的に目を瞑る。
「……?」
しばらくして静かになったのを確認し、おそるおそる目を開けると……そこに、バケモノはいなかった。
『殲滅、完了』
そこに立っていたのは、綺麗な女の子……ううん、女の人?
よく晴れた海みたいに薄い青色の長い髪に、白っぽくて柔らかく揺れるドレスみたいな服は、なんだか教科書で見たことがあるような、ないような……。
『……間に合いました』
柔らかい声に混じるように、金色の腕輪がしゃらんと甲高い音を立てる。
『ご無事でしたか、エリューセラ?』
エリューセラ……? って、なんだろう。エリューセラって。
ううん、でもそれよりも……。
「あ……あなたは……?」
『私は、エンデです。エンデ・※※ス※※※ー』
「えん、……っ……」
その名を繰り返してみようとしたけど、もやがかかったようになっていた目の前が真っ暗に染まる。
……あ、そうか。地面に倒れたんだ。
けど、立ち上がることはもちろん目を開けることもできないままで……かろうじて聞こえていた音も、やがて聞こえなくなった――。
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