第46話

『――おい、すみれっ! 大丈夫か!?』

「……えっ……?」


 アインからの声を頭の中で感じた私は、暗い淵の底に沈み込みそうになった意識を取り戻して顔をあげる。

 さっきのノイズは、いったい何だろう……? 誰かが私に呼びかけてくるようにも感じたけれど、思考が正常に戻った今はふっつりと途絶えて、何も聞こえない。

 ……そうだ。この感じは確か、このエリュシオンに来た時の泉の中でも似たようなことがあった。言葉の意味はよく分からなかったけど、不気味さよりも、なぜか何かを訴えかけるような……そんな切実とした思いが込められていた気がする。


「(でも、……あれ?)」


 ふと、思い出す。……そういえば昔、私はこんなふうにたくさんの「ひと」から話しかけられるような体験をしたことがあった。

 それも、昨年や一昨年のことではなく……めぐると学院で出会うよりもはるか前に、誰かと一緒に「それ」を聞いたような――。


『もしかして、マナの流れのせいで身体に変調でも起きたのか? だったら、いったん融合を解いて――』

「……いえ、もう平気。待たせてしまって、ごめんなさい」


 私はそう返すと、いったん湧きかけた疑問と違和感を頭の片隅へと押しやって忘れ、再び駆け出す。

 声の正体が気にならない、ということじゃない。ただ自分でも何度となく繰り返していた通り、今はそれ以上になすべき大事なことがあった。


 × × × ×


 長い回廊をひたすら進んでいくと突きあたりへとさしかかり、大きな扉が目の前に立ちふさがって行手を遮る。

 それは、固く閉じられていたけれど……近づいてみただけでわかった。この向こうにいるのはおそらく、私が知る限りでも最強クラスの「バケモノ」だろう。


『ここが、女王の間だ。……準備はいいか?』

「もちろん……!」


 そのためにここまで来たのだから、今さら迷いや躊躇など一切ない。その決意を胸にして私は「破邪の矛」の柄を担ぐように肩へと乗せかけ、いつでも構え直せる体勢を取りながら空いた右手で取っ手を握る。それから力任せにぐいっ、と押し込むと……重々しい軋みの音を立てて、扉は開け放たれた。

 不意打ちに飛び出してくるものがないことを確かめ、私は慎重に身構えながら室内へと足を踏み入れる。


「…………」


 固く、大理石を叩くような冷たい響き。しんと静まり返った雰囲気の中、やけにその音が甲高く耳元を震わせてくる。

 ……思ったよりも、広い。以前、水無月先輩たちから見せてもらったキャピタル・ノアの資料の中に謁見の間をうつした写真があったけれど、明暗の違いを除けばこの感じに似ているような気がした。


『……あっちだ、すみれ。あのカーテンの向こうにある玉座におられるのが、ディスパーザさまだ』

「階(きざはし)の上に見える、あの人ね……、あっ」


 そう言って意識の中にいるアインに応えたその時、……私の声を耳にしたのかカーテンの奥にある人影が身じろぎをして、こちらに視線を向けた気配を感じる。それを受けて私も歩みを止め、まだ影でしか見えない「女王」に向き直った。


「あなたが、このエリュシオンの女王……ディスパーザさま?」


 蛮勇を奮い立たせるつもりで私は声を張り上げ、そう呼びかける。

 ……その人の名前に「さま」をつけたのは、これまで一緒に苦難を乗り越えてきたアインに対しての親愛から出た、せめてもの礼儀だ。本心ではやはり、めぐるをさらった張本人という不信と嫌悪がぬぐい切れない。

ただ、まだ敵と断定するには早計のようにも思えたので、私は矛を構えない直立の姿勢のまま言葉をつないでいった。


「めぐるは、どこにいるの? あの子を返してもらいに来たわ」

『――――』

「聞こえてるんでしょう……? 答えて、女王っ!」


 苛立ちと焦りから言葉が荒くなりそうになるのを懸命にこらえながら、私は繰り返して話しかける。……だけど、女王は返事どころか玉座に座ったままで、まるで私のことを無視するかのような傲然とした態度だった。


「(これが……アインがお仕えしているという、女王ディスパーザ……?)」


 ……なんだか、おかしい。

 女王の命令に従い、アインが私たちの世界へやって来たという経緯を聞いている。だから、まさか歓迎はされないとしても……めぐるを連れ戻しに来た私をこうして目にした時は、何らかの反応があって当然だと勝手に想像していたのだ。

 だけど、……その女王は何も言わず、何も返さない。凛とした威厳のような気配は確かに伝わってきたものの、そこにはある意味でさっき対峙したメアリにも似た無機質な冷たさがあるだけだ。


『あ、あの……ディスパーザさま?』


 そしてまた、アインも同様の感想を抱いたのか……彼女は矛の形態をとったまま、困惑をあらわにした思念を玉座に向けて送ってみせる。

 ……でも結果は、同じだった。アインに対して労いも、あるいは詰りをかけるような言葉さえ一切ない。これ以上の反応のない会話は無意味だと思い、私は仕方なく玉座のもとへとさらに近づこうと一歩踏み出しかけた――その時だった。


「えっ……?」


 玉座に腰を下ろして私たちを見下ろす「女王」の前方に垂れ下がっていたカーテンが、ゆっくりと左右に開かれていく。そして、隠れていた顔と身体の大部分が薄暗がりの中であらわになり――。


「……っ……!!」


 その、真っ赤な血で染まったようなドレス姿の「彼女」を見て、……言葉を失い、呼吸すらも忘れてしまう。

 ……これほどまでに、私は驚愕の思いを抱いたことがあっただろうか。

 ……こんなにも深くて黒い、気を失いそうなほどの絶望を味わったことがあっただろうか。

 否定したかった。

 信じたくなかった。

 今、自分が目にしているものが夢か幻だったとしたら……私は少しの間、怒りと悲しみで震えたとしても、やがて現実ではなかったと理解することで安堵を覚えて、この光景を忘れ去ることもできるはずなのに……っ!


「ぁ、……あぁっ……!?」


 だけど、……これは、現実。

 どんなに認めたくなくても、受け入れることを必死に拒んだとしても……私をあざ笑うかのように厳然と存在する、最悪の事態だった――!


「……め、ぐる……っ!?」

「…………」


 見間違える……はずがない。

 キラキラとした星のように光が満ち溢れていたその瞳は、ガラス玉のように光を失って。

太陽のごとく活力と熱をはらんでいたその顔は虚ろに固まって、冷たい彩りをしていたけれど……。

それは、私がずっと会いたくて追い求めていた一番の親友、天月めぐるっ……!?


「めぐるが、……なんで、そこに……っ!?」


 ありえない場所で、ありえない人物を目にしてしまったことで、私の思考がパニック状態に陥ってしまう。

 ……嘘だ。こんなの、ありえない。

 きっと魔界の誰かが魔法か何かで姿を変え、あの子の偽者としてここにいるだけ……。

 そんな、逃避的な妄想にすがりたくて私は……ふらふらとめぐるのもとへと歩み寄ってしまう。そこへ、


『――来るぞっ、すみれ!!』

「――――」

『こんな時にボケてんじゃねぇ! あいつはっ――』


 その言葉は、最後まで続かなかった。赤いドレスの「彼女」はおもむろに立ち上がるや右手を頭上へとかざすと、その手のひらの中に闇の波動を生み出し……まるで綿あめを紡いで集めるように力をため込んでいく。

だけど、こちらに向けてそれが放たれた瞬間も――思考が止まっていた私はぼんやりと他人事のように見つめ、動くことすらもできなかった。


『くそっ……!!』


 すると、その罵声とともに私の掴んでいた矛が自分の意志で動き……迫ってきた闇の光球に目がけて鋭く突きを繰り出す。そして切っ先が触れた途端、光球はおびただしい力の圧迫だけを残しつつ、跡形もなく消え去った。


『……危ねぇ……! ギリギリのタイミングだったぜ……』

「っ……ご、ごめんなさい、アイン……!」

『……戻ってきたか。無理はないと思うけど、……わかってるよな?』

「う、うん……」


 その戒めを胸に刻みつつ、私は改めて破邪の矛を両手持ちに構え直す。

 覚悟を決めてここに臨んだつもりだったけれど、……完全に不意を突かれてしまった。アインの機転がなければ、とても無事では済まなかっただろう。


『あいつが、お前の探していた天月めぐる……で、間違いないんだよな?』

「ええ。イスカーナの城で、一度顔を見たでしょう? あの子よ」

『悪ぃ。エンデのことばっかり考えてて、そこまで気が回らなかった。……動転して注意が行き届いてなかったのは、お互い様だな』


 アインはそう言って、ほろ苦さをかみしめるようにして私の意識の中で小さく笑い声をあげる。……それが彼女なりの気遣いだとはわかっていたけれど、さすがに今の私には何かを返すことができるほどの余裕はなかった。


『……にしても、どうしてその天月めぐるがディスパーザさまの玉座に座ってるんだ? これって、いったい何が――』


「知れたこと。この娘こそが、新たなエリュシオンの王だからだ。そしてもうすぐ、全ての世界を統べる支配者となる……!」


「……なっ!?」


 その低く響く声とともに、玉座の後ろから現れた2つの人影が姿を見せる。

 ひとりは、その声で分かった。……ダークトレーダーの過去の存在、クラウディウスだ。そして、もうひとりは――。


『……お、お前っ!?』

「あなたはっ……!!」


 それを見て私とアインは、同時にうめき声をあげてその場に固まる。もうひとりは、アストレア――の姿をしたアインのパートナー、エンデだった。


『エンデっ……まさかお前、そいつと共謀してたのか!?』

『……。もう、そう思われても仕方ないよね。……だから、好きに想像してくれて構わないわ』

『なにぃっ……!』


 捨て鉢に突き放すような返答を聞いて、私の持つ矛が震え出す。そして、そのまま元の姿に戻って飛びかからんばかりの気配を感じた私は、懸命にアインに対して「待って!」と呼び掛けた。


「あんなふうに頑ななのは、何か理由があるはず。……なのに、話も聞かずに畳みかけてもかえって追い詰めるだけよ」

『っ、……あぁ、そうだな。悪い、今度はボクが我を失うところだった』


 アインのそんな思念が伝わると同時に、私の手元の震えが収まる。それを確かめてから私はクラウディウスとエンデ、そしてめぐるの顔を見比べながら詰め寄っていった。


「あなたたち……めぐるに、何をしたの?」

「エリュシオンの民は他者と同化して、融合する能力を持つ……それを使わせてもらったまでのことだ」

『っ? ま、まさかお前ら……ディスパーザさまを、天月めぐるにっ!?』


 それを聞いたアインは愕然とした口調で叫ぶような思念を発し、そして私の胸のうちが燃え上がったかと思うほどの怒りを弾けさせる。……その激しい反応に不安を感じた私は、「……どういうこと?」と彼女に尋ねかけていった。


『……そのままの意味だ。ボクがこうして、お前と融合してるのと同じように……あの天月めぐるの身体に、女王さまの力と意思が宿ってる……!』

「っ! そ、それって……っ?」

『あぁ、そうさ。……あれはもう、ディスパーザさまそのものだ』

「なっ……!?」


 ……最悪の展開だ。めぐるがエンデか、ディスパーザに操られることは覚悟していたけど、まさか女王と融合するなんてっ……!


「(これじゃ……もう、選択肢はっ……!)」


 アインと同じように、錯乱して叫びたくなるほどの怒りを抑えつけながら、私はまなじりに血が遡るのを感じてクラウディウス、そしてエンデを睨みつける。

 ……私はこれまで、誰かに対して怒りを抱くことはあっても、憎しみまでを感じたりはしなかった。 それは慈悲の心がけではなく、それぞれに事情があって然るべきというある意味で冷めた意識を持っていたからかもしれない。

それに、クラウディウスはテスラさんとナインさんの父親的な存在で、エンデはアインの大切なパートナーだからなんとか折り合えるところがあるはず、……という期待を心の中で抱いてもいた。

 だけど、……もうそれも、ここで捨てる。そう決めた。

 私のかけがえのない親友、めぐるを自分たちの野望のために操ろうなど、許せない……誰が許したとしても、この私が、絶対にっ……!!


「……教えて。どうしてめぐるなの? あなたたちはめぐるをこの魔界の王にして、なにをしようというの!?」

「決まっている……隠され、抹殺されてきた真の歴史……そして世界の復活だ! それができるのは、ここにいる『アカシック・レコーダー』しかいない……!」

「『アカシック・レコーダー』……っ?」


 そういえば、天使ちゃんも私のことを以前『アカシック・レコーダー』だと言っていた。

 『アカシック・レコード』……世界の万物における事象や時間が記録されているという、伝説上のオーパーツをそう呼ぶと聞いていたけれど、何か関係があるというのだろうか。


「『アカシック・レコーダー』って、なんのこと? それがあなたたちのやろうとすることに、どんな関係が――!?」

「もはや、語る意味を持たず!――さぁ、やれ! 新たな女王よ!!」

「――――」


 クラウディウスに促されて、めぐるは再び右手を高々と上げて先ほどと同じ光球を生み出す。続いて腕を勢いよく振り抜くと、それは私に目がけて勢いよく向かってきた――!


『っ……すみれ!』

「わかってるわ! はぁっ……!!」


 今度こそ迷うことなく私は自分の意志で破邪の矛を振るい、光球を目の前で真っ二つに切り裂く。半球になった一対はその勢いを失わないまま左右へと分かれて、それぞれが瓦礫に激突するや轟音を立てて激しく爆発した。


「――――」


 だけど、ほっと息をつく暇もなかった。めぐるは次々に光球を生み出し、私に向けて矢継ぎ早に放ってくる――!


「はぁっ! たぁっ、……てやぁぁっっ!!」


 左、右へと巧みにかわしつつ、私は光球を斬り、あるいは弾きながら、爆風の中をかいくぐっていく。そのたびに受け止める腕が、踏みとどまる足がしびれ、全身に殴りつけられたような衝撃が迸った。


「(っ、……強い……!)」


 ディスパーザの魔力なのか、それともめぐるの潜在能力によるものかはわからない。だけど、アインと融合したこの力をもってしても圧倒的な力の差を感じずにはいられなかった。


『っ? よけろ、すみれっ!!』

「えっ……きゃぁぁぁあぁっっ!!」


 視界を遮る爆炎に気を取られた一瞬の隙に、めぐるの放った光弾が私に襲いかかる。とっさに弾くことはできたものの、その衝撃波までは受け止めることができず……私の身体は軽々と壁際近くまで吹き飛ばされてしまった。


「ぐっ、……ぅ……!」

『大丈夫か、すみれっ!』

「……え、えぇっ……、まだ、これくらいっ……!」


瓦礫の中、埋もれそうになった身体を引き起こして立ち上がりながら、私は口元から流れ出てきた血を拭う。そして私はすう、と深呼吸をひとつ、ふたつとついて瞑目し、唇をかみしめて矛を構え直した。


「――――」


その時、対峙していためぐるがぎらりとその凶悪な瞳を輝かせながら、私に向かってずい、と一歩踏み出す。

床に着地した部分からじゅっ、と石が焼け焦げるような音と、鼻をつく嫌な臭い。

それを見た私は、悲愴な思いはともかく絶望に落ちひしがれかけた気持ちを、なんとか奮い起こすことができた。


『……全身のチャクラから、体内のマナがあふれ出している。まだ、完全には融合ができていないってことか。……チャンスだ、すみれ』

「っ、……えぇ、そうね……!」


それは、私たちに残された最後の希望……魔王の力が安定していない今なら、まだ勝機は残されているということだろう。

……そのために喪わなければならないものについて、私は意図的に思考から除外した。


「(心を決めろ、如月すみれ……! 優しさを捨てて、鬼に……っ!!)」


私に託されているのは、私だけの運命じゃない。私たちの世界と、数多くの人々が生きている『もうひとつの世界』の存亡がかかっているのだから……。


「……。でも、私は」


唇をかみ、理不尽に向かってあらん限りの恨みをぶつけたくなるほどの嘆きを、私はそっと言葉にして呟く。

……その瞬間、目尻からこぼれ落ちていく一筋の涙。

それは、未練を捨てて『天ノ遣』としての使命を受け入れると決めた、私の人間としての……そして、友としての最後の執着だった。


「あのマステで、一度くらい……お揃いの小物を作ってみたかったな……」


その、弱々しくて情けない、もはや叶わぬ願いとともに。

私は自分の中に残っていたあらゆる感情、そして何かにすがる甘えの心を全て消し去る。そして破邪の矛を構え、この体内に残されていた力全てをその鋭い刃の先へと注ぎ込んでいった。


「ここで、私はあなたを斬る……覚悟しなさい、魔王ディスパーザ! いいえっ……!」


叫びとともに、私はその名前を口にした。おそらく、生きて帰ったら生涯ずっと忘れず、そして二度と言葉にすることはないと神にすら誓える「それ」を――。


「……天月めぐる! 私は、あなたを……倒すッッ!!」

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