第4話

 よく晴れた、休日の午後。私は家具がほとんどない部屋の中でひとり、引っ越しの荷物整理をするために忙しく手を動かしていた。


「……ふぅ」


 先に組み立てておいたベッドの上に腰を下ろして一呼吸をつき、まだ開けてすらいない段ボールの山に目を向けて、……今度はややげんなりとしたため息を吐き出す。へばったわけではないが、さすがにこれだけの物量を前にすると食傷にもなってきた。

 今日中に片付けたいとは思っていたけれど、私の初めての引っ越しに対する見積もりはかなり甘かったらしい。……気分転換のつもりでそばに置いてあったペットボトルを手に取り、中のレモンティーで喉を潤す。甘みを含んだそれはすとんとお腹に落ちて広がり、爽快な涼しさをもたらしてくれた。


「……今ごろ、どうしてるかな」


 小休止がてら窓の外に広がる青空へ目を向けながら、私はめぐるのことに思いを馳せる。彼女が力の回復のためにここを旅立ったのは、ほんの数日前のことだった。


 × × × ×


「それじゃすみれちゃん、すぐに戻ってくるから待っててねっ!」

「すぐに戻ることよりも、確実に戻ることが優先だって言わなかった?」

「そ、そうだけど……でもでもっ、ちゃんと頑張れば少しくらいは短縮もできるかなー? なーんてその決意を込めてっ!」

「……はいはい」


 学院の前に止まった黒塗りの高級外車の前で、こぶしをぐっと構えるめぐるのその姿を見た私は、呆れ半分でため息をつく。

 お兄様たちの説得を受けて、めぐるはしばらく聖チェリーヌ学院を離れて、『天ノ遣』としての力を制御するための療養……修行に出ることを決めた。

 詳しい場所は、私とめぐるも聞かされていない。というのも、彼女がこれから向かおうとする場所は秘匿された聖地なので、容易に知らせることは出来ないとのことだった。

 それを聞いた私は、正直若干の不安を感じた。……ただ、めぐるは違った。


『なるほど! どこに向かうかは、行ってからのお楽しみってことだね!』


 ……実にポジティブな発言。まぁ、身体の異変を聞かされて不安になっていた時と比べて、前向きになってくれたのはとてもいいことだと思うけど。


「ねー、すみれちゃん……本当に大丈夫? ひとりで寂しくない? 敵が出てきても怖くない?」

「大丈夫。みるくちゃんも、先輩たちもいるから」

「そ、そっか……うん、そうだよね」


 少しガッカリしたように、めぐるは寂しげに笑う。だけど私は、彼女を送り出すためにわざとつれない態度をとり続けた。

 あまり優しい言葉をかけたり、世話を焼きすぎたりすればかえって、めぐるは私に注意を向けていろいろと考えすぎてしまう。それは、嬉しいことではあったけど……今だけは彼女のためにも、自分の身体のことに専念してもらいたかったのだ。


「私は、一人でも大丈夫」

「……うん」

「マスキングテープも、ちゃんと買ってくる。……約束するわ」

「……うん!」


 それを聞いて、めぐるは嬉しそうに大きく頷く。すると、外車のトランクに荷物を詰め込んでいた老執事……長月平之丞さんが車の影から顔を出してきた。


「めぐる様。準備が整いました 、いつでも出発可能でございます 」

「わかりました!」


 めぐるの修行場には、長月さんが送り届けてくれるとのことだった。見知らぬ土地に行くということで迷わないか少し不安だったが、彼なら問題はないだろう。


「じゃあ、行ってくるね! あんまり危ないことしちゃダメだよ~?」

「ちょっ……わ、わかったから、早く窓を閉めなさない……!」


 車に乗り込んでからも、めぐるは窓を開けて身を乗り出してくる。そんな彼女をたしなめているうちに、ゆっくりと車が走り出していった。


「すぐ戻るからねーっ! 風邪引かないように気をつけてね~!!」


 あれだけ注意したのに窓から顔を出し続けて、ぶんぶんと手を振るめぐるの姿がやがて遠のき、……道の向こうへと見えなくなる。


「…………」


 私はそれを見送り、ポケットから愛用のスマホ を取り出し時間を確認した。


「……帰って、準備をしないと」


 そのなにげない言葉がふとわいてきた寂しさをごまかすためのものだったことに、私は言ってみてから気づいていた……。


 × × × ×


「はぁ……」


 その時の戸惑いと空虚感を思い出し、私はベッドの上にごろりと寝転びながらため息をつく。

 疲れたわけじゃない……不思議なほど、身体は軽い。これまでなら体育の時間に少し走っただけで も息を切らしていたけど、最近は絶好調、といってもいいくらいだ。

 ツインエンジェルになってから、少しずつ……といっても元が低すぎたから本当に少しずつだけど、体幹を鍛えてきた成果がようやく実を結んだのかもしれない。

 学院寮への引っ越しについて、最初は自分でも少し不安だったけれど……この調子なら大丈夫だ。めぐるが戻ってくる頃には寮での生活にも慣れて、面倒をかけたりすることもゼロ、とは言わなくてもかなり減っていることだと思う。


「まぁ、色々聞いて教わるのも、それはそれで……」


 ふと、めぐるに寮生活のことを聞いた時のことを頭に思い浮かべて、……思わずくすっ、と吹き出してしまう。

 おそらくは彼女のことだ。こちらが聞かなくてもあれこれ世話を焼いて、しつこくつきまとってくるに違いない。荷物の整理だって、頼みもしてないのにこの部屋に押しかけて忙しく走り回り、やかましく話をしながら手伝ってくれたりして……。


「…………」

 

 やめよう。今さらそんなことを考えても、詮無いことだ。そう内心で呟きながらベッドから起き上がり、目の前の段ボールに手を伸ばそうとしたその時、


「……?」


 コンコン、と扉の向こうからノックの音が聞こえてきた。


「はい、どうぞ」


 ひょっとして寮長さんだろうか、そう思いながら返事をすると、扉が開かれる。そして中に入ってきたのは――


「やぁ、すみれ。引っ越しの作業中に、すまない」

「お兄様っ!?」


 驚きのあまり、私はベッドから立ち上がる。その勢い余って、足下の段ボールを蹴っ飛ばしてしまった。


「ああっ!」

「すまない、驚かせたかな。大丈夫か?」

「あ、ありがとうございますお兄様! あぁ、でも大丈夫ですから……」

「いや、急に声をかけて悪かった。水無月から、お前に学院寮についての書類を預かってきてな……それを渡しに来たんだ」


 そしてお兄様は、散らばったペンやノートを拾ってくれる。その優しさに感激しながら、私は渡される一つ一つを愛おしい思いで受け取っていった。


「これで、全部か?」

「は、はいっ! ありがとうございます、お兄様」

「どうだ。寮生活は、上手くいきそうか?」

「えぇ。寮長さんもとても優しい方ですし、みるくちゃんもいますし、それに……」


 めぐるも、と言いかけて口を閉じる。

 彼女がしばらく戻って来ないことは覚えていたはずなのに、どうしてこんなことを言いかけてしまったのだろう。


「そうだな。天月君が戻ってくれば、同じ寮になるわけだしな」

「……寮生活を決めたのは、めぐるだけを当てにしたわけではありません。そもそも私がこの寮に入ったのはきちんとした生活技術を身につけ、健康的で自立した大人になるための勉強をするためですから。それに、」

「ははは、強がらなくてもいいぞ。 どんな時も頼れる友達がいるというのはなによりもありがたいことだからな」

「……。はい」


 やはり、この人に嘘は通じない。……それにこの人の言葉は、たとえどんなに耳の痛いことでも素直に聞くことができるのだ。


「……もっとも、寮生活に慣れてきたら私のほうが、あの子の面倒を見る羽目になりそうですけどね」

「はは、そうだな。二人は本当に、いいコンビだと思うよ」

「……ま、まぁそれはともかくとして。本当のことを申し上げると私は、もし実家を出て生活をするならお兄様と一緒が良かったです。とはいえ、それだけはお母様も許してくれなくて……」


 そこまで口にして、ふと疑問が湧いた。


「そういえば、どうしてお兄様は寮では無くお一人で暮らされているのですか?」


 ずっと前から疑問に思っていたが、いざ学院寮に入ってみてからはその疑問がますます深まった。

 寮の設備は採算を度外視しているらしく、最新設備が整っている。寮長さんは男子寮・女子寮を兼ねて、めぐるの話だと優しい人らしい。

 学生生活を送るためには、絶好の条件を揃えていると言ってもいいだろう。それなのにお兄様がここに入らないのは……もしかしてご飯がおいしくなかったり、量が少なかったりするのだろうか?

 そんな不安を抱えていると、お兄様は苦笑しながら肩をすくめていった。


「……深い理由じゃないさ。この寮だと門限があって、アルバイトをするにしても色々な人に迷惑をかけるから。……それだけだよ」

「そうなの、ですか……?」

「あと……俺は、可能な限り自立した生活を送りたいんだ。もっとも毎月生活費を稼ぐのが精一杯で、未熟な自分をふがいなく思う日々だけどね」

「そんな……! お兄様は立派に自立されておられます!」

「はは。その言葉はありがたいが、俺なんてまだまだだよ。それに……」


 背後で何かが倒れるような物音がして私たちは、反射的に振り返る。すると小さな影が二つ、段ボールの影から飛び出してくるのが見えた。


「ワンワン!」

「キャンキャン!!」

「ルンルン、リンリン!」


 それは、オスとメスの子犬だった。

 二匹の名前はルンルンとリンリン。ルンルンはめぐるが拾い、リンリンはみるくちゃんが連れてきた子だ。そして今では、私が飼い主となって面倒を見ている。

 実家に置いてくることも一瞬は考えたけど……それだとこの子たちが寂しがりそうだと考えた私は、思い切って連れてくることにしたのだ。


「どうやってサークルを出たの…… ? 引っ越しが終わるまで大人しくしててって言ったでしょ?」


 私がちょっと強めにたしなめても、子犬たちは赤い舌をぺろりと出しながらへっへっ、と呼吸するだけ。でもそんな顔がとってもかわいくて……


「も、もう……そんな顔をしても、ダメなものはダメなんだから……」


 思わず頬まで緩んでしまいそうになるのを必死でこらえていると、リンリンとルンルンはトトト、と足音を立ててお兄様のもとへと駆け寄る。そしてつぶらな瞳でお兄様を見上げながら、機嫌良さそうに尻尾を揺らした。


「……もう」


 ただ、動物は人間の本性がわかるという。きっと二匹とも、お兄様の気高く高貴な匂いを嗅ぎつけたのだろう。


「ははっ、ずいぶん人なつっこいな。……しかし学院寮でペットは ……」

「先生が話をつけてくださって、特別に許可をいただいたんです」

「先生……寮長が?」

「あ、いえ。私の、薙刀の『先生』です」

「……あぁ、なるほど。ちひろさんか」


 ちひろさん……お兄様と両親は、その人のことをそう呼ぶ。だけど、私だけはずっと前から『先生』と呼んで慕っていた。

 もっとも、私がそう呼び始めたのは小学校に上がってからだ。それまでの呼び名は、『お菓子のお姉さん』だった。

 ほぼ半年に一度の周期で、ふらりと我が家を訪れては美味しいお菓子をたくさん持ってきてくれるお姉さん。だから私にとって彼女の来訪は、お菓子をいっぱいごちそうになる楽しみな日だった。

 ……それが変わったのは、実家の道場でお兄様が『お菓子のお姉さん』の手であっさり放り投げられる姿を見てからだ。


『えっ……!?』


 初めて見た時は、とても信じられなかった。なぜなら、お兄様は私にとって絶対に負けない至上の人だったからだ。

 なにかの武道の試合に出た時でも、同年代はおろか年上でもお兄様に勝てる者は皆無。だから、その勇姿をのぞき見ていた私はその姿に胸を躍らせ、彼の妹として生まれたことを誇りに感じていたほどだ。

 そのお兄様が、年上とはいえ女性にやすやすと黒星を譲った光景は……今も脳裏に焼き付いて離れない。だけど、私がいっそうお兄様の「凄さ」を感じたのは、その後だった。


『あ……あぁっ……!!』


 お兄様は、力の限りその人に立ち向かっていった。何度床に叩きつけられても、絶対に弱音を吐かずに。

 何度投げられても、何度倒されても、何度痛い思いをしても……そのたびに立ち上がるお兄様。……すごかった。目を離せなかった。そして――


『……っ……』


 お兄様は本当に強い人なんだと、……私はこの時初めて、実感した――。


『お……お兄様っ!?』


 ……その後、用事があるからと言ってお姉さんが道場を出ていってから、私はお兄様に駆け寄った。そして怪我の具合を尋ねながら、どうしてここまでやるのか、と涙ながらに訊ねる私に、お兄様はこう言ったのだ。


『……俺は、あの人に強くなったところを見せないといけないんだ』

『えっ……?」

『俺は、あの人の競争相手だからな。……あの人を超えなければ、俺は資格を手に入れることすらできないんだ……』


 今でも、その言葉の意味はよくわからない。だけどその後、私はお兄様に怪我をさせたお姉さんを泣きながら詰め寄って、抗議して……気づけば、彼女に弟子入りしていた。


『すみれちゃんは体が弱いんだって? じゃあ、鍛えるついでに、薙刀覚えない? 護身用にさっ!』


 そんな経緯から、私は『先生』に薙刀の基礎を教わることになった。

 とはいえ、彼女が我が家にやってくるのは半年に一度。だから、ほとんどが我流の練習になったけど、体力の無い私がめぐると出会うまで一人戦い続けることが出来たのはそこで基礎が確立していたからだと思う。


「すみれは、ちひろさんのことを慕っていたからな」

「あ、いえっ。私が尊敬しているのは、お兄様ただお一人です! 『先生』は、尊敬というよりも目標というか……」

「はは、目標か。とはいえ、ちひろさんがこの子たちと一緒に寮に住めるようにしてくれたんだから、感謝しないとな」

「そ、それはもちろんです。……ただ、つい先日に突然連絡を受けた時は、驚きました」


 しかも、その第一声が――


『すみれちゃん、お久しぶり~! うちの娘助けてくれたんだって? ありがとーっ! お礼に何でも願いをかなえちゃうよ~』


 ……などと、電話口でまくしたてられた時はいったい何事かと思った。その直後、犬を連れて寮に入りたいと言い出した自分にも正直、びっくりしたものだけど……。

 それでも、私の願いを叶えてくれた『先生』が私の想像以上にすごい人であったことを改めて知った。それと同時に、ツインエンジェルの先輩でもある神無月葵さんが あの人の娘である事実を知らされた時は、自分の因縁の深さに呆れすら感じてしまった……。


「そういえば、先生は今どちらにおられるのでしょうか」

「ちひろさんは今、フィンランドだそうだ。前はイタリアからクルミ君をバックアップしていたが、無事に遥と葵の二人 が戻ってきたからな」

「そうなんですか。この前お電話した時は、ご友人に……その、シバかれながら? たまっていたお仕事を片付けているとおっしゃっていましたが」

「……ふふっ。相変わらずのようだな、二人とも」


 「シバく」という言葉の意味が浅学な私には理解できなかったけど、お兄様からすると安心材料になるらしい。……「仲良くする」の変形なんだろうか?

 そうしていると、トントンと部屋の扉が叩かれた。


「あ、はい……?」


 誰だろう、今度こそ寮母さんだろうか。そう思いながら返事をすると即座に扉が開き、小さな影がひょこりと顔を出す。


「片付けは終わった?」


 黒く長い髪を揺らしながら入ってきたのは、みるくちゃんだった。

 彼女もこの寮で暮らしている上に『先生』とも面識があるらしく、私の入寮に際しては驚きながらも色々と世話を焼いてくれたものだ。


「やぁ、クルミくん 」

「あら、お兄様。ちょうどよかった、もうすぐパーティーがあるのですがお兄様もご一緒に参加されとぼふぇ!?」


 そんな言葉の途中で、ドス、ドス、という音を立ててルンルンがみるくちゃんのみぞおちに向かって大きくジャンピングアタック。

 小型犬とはいえど、小さな身体にとっては尻餅をつく程度の衝撃がある。そして転んだ彼女が起き上がるよりも早く、リンリンがその顔をぺろぺろと嘗め始めた。


「ちょっと、なにす……うひゃぁっ! ちょ、ちょっとやめなさい! あぁ、ルンルンまで! もう、私はあんたたちの玩具じゃな……ふぶぁっ!?」


 いつの間にかルンルンも加わって、二匹に全身を嘗め回された みるくちゃんは床に寝転がるとばたばたと暴れる。

 人間の姿でもハリネズミの姿でも、二匹にとっては同じことらしい。めぐるもそうだけれど、生来動物に好かれやすい人というのは非常に羨ましい。


「大丈夫か、クルミ君……っと」


 見かねたお兄様がルンルンとリンリンを片腕で一匹ずつ優しく抱えて、みるくちゃんから引き離す。そして、ようやく自由になった彼女はふらふらと、おぼつかない足取りで立ち上がった。


「あ、ありがとうございますお兄様……。ちょっとすみれ! ペットOKになったのはわかったけど、 ちゃんと躾けないとダメじゃない!」

「みるくちゃん以外には飛びつかないから、大丈夫……多分」

「尚更ダメじゃない! もう!」

「はは。犬は元気すぎるくらいがちょうどいいさ」


 そんな会話をよそに、二匹は遊んでもらって?満足したのか、お気に入りのクッションでくつろぎはじめる。その穏やかな顔を見ていると、私たちはもちろんみるくちゃんも怒る気持ちをなくして、肩をすくめながら苦笑を浮かべてしまった。


「それで、唯人お兄様はどうしてこちらに?」

「水無月からクルミ君宛ての書類を預かってきたんだ」

「あ、ありがとうございます……お兄様がここにいると思わなかったので、少しびっくりしました」

「なに、もう出て行くさ。親族とはいえ、男子生徒が女子寮に出入りするのはあまり褒められたことでは無いからな」

「そんな、私はお兄様とご一緒でも、まったく問題は……!」

「そういう意味じゃないわよ……ったく。ほら、行くわよすみれ」

「行くって、どこに?」

「夕方から時間空けておいてって言ったでしょ? ほら、急いで」


 みるくちゃんにせかされ、私は慌てて開きかけの荷物を閉じてスカートについた埃を払う。そして部屋を出て一階に降り、お兄様とは玄関先で別れてからみるくちゃんとともに奥へと向かってその突き当たりの扉を開けた。

 すると――


「……あっ……!」


 そこは、食堂だった。去年改装されたというそこの壁はガラス張りになっていて、よく晴れた日は太陽の光を浴びながらピクニック気分で朝ご飯を食べられるという。

 そして、中等部・高等部の女子生徒が一堂に集まって食事が取れる大きなその部屋で私を出迎えてくれたのは、カラフルな風船や折り紙の飾りに加えて……ずらりと並んだごちそうと、勢揃いした寮生たちだった。


「待たせたわねっ。みんな、主役のご登場よ!」


 華やかな光景に私があっけに取られていると、割れんばかりの拍手が鳴り響く。中等部も高等部も関係なく、そこにいる全員が笑顔で私を囲んでくれていた。


「ようこそ~、チェリーヌ女子寮へっ!」

「それじゃあ、乾杯しよっか~」

「何飲む? オレンジジュース? ネーブル? それとも、バ・レ・ン・シ・ア?」

「柑橘系オンリー!? もっと色々あるでしょ、色々」

「えっと、その……」

「ちょっと静かにしなさいっ! 乾杯の前に、新入り の挨拶が先でしょっ!」


 一斉に寮生たちから話しかけられ、気圧される私を見かねてみるくちゃんが一喝すると、食堂内がしんと静まりかえる。

 幼い彼女にみんなが素直に従っている。なんだか面白い。


「それじゃすみれ、一言どうぞ」

「えっと……」


 さらりと発言を求められ、何を言えばいいか一瞬ためらう。

 そういえば、めぐるもこの寮に入った時にこの歓迎を受けたのだろうか。そしてその時、彼女はなんて言っただろう。

 もし、この場にいたとしたら……。


「ちょっとすみれ、大丈夫?」

「……大丈夫」


 首を振って、気持ちを切り替える。めぐるのことを考えるのは、終わってからでもいい。今、自分が出来ることをするだけだ。

 小さく息を吸い込み、私は背筋を伸ばす。そして食堂を見渡しながら、できる限り声を張っていった。


「中等部三年楓組 、如月すみれです。この度、こちらの寮にお世話になることになりました。事情があって部屋に犬がいますが、温かい目で見てもらえると嬉しいです。ですが、ご迷惑をおかけするようなことがあった時は、遠慮なく言ってください。……どうぞ、よろしくお願いします」


 一息で必要なことを言い切った後、ぺこりと頭を下げる。

 目を伏せると静かな時が続き、何か失礼なことを言ってしまったかと恐る恐る顔を上げると……頬にひやりとしたものが触れる。


「ひゃっ……?」


 一瞬驚いて声が出そうになったけれど、よくよく見るとそれはみるくちゃんが差し出したブドウジュース入りのグラスだった。それを反射的に受け取ると、全員が手にしたグラスをにこやかに持ち上げるのが見える。そして、


「それじゃ、いくわよ……乾杯!」


 かんぱーい、と明るい声が上がる。

 戸惑う私に、色々な生徒たちがグラスを片手にやってきた。


「めぐるちゃんのお友達なんだよね。わんちゃんって、どんな種類?」

「なんかすごい人と知り合いって聞いたけど、誰?」

「葉月副会長と すみれさんはどのようなご関係で!?」

「お肉好きだって聞いたから、今日はお肉沢山用意してもらったよ」

「これおいしいよ。はいっ、如月さんの 分!」


 ……などと、矢継ぎ早で思わず目が回りそうになる。

 そんなふうに、言葉の洪水に飲み込まれそうになった私がグラスを片手に立ちすくんでいると、みるくちゃんが生徒たちを紹介がてら次々と押し寄せる質問をさばいていく。

 慣れた様子で応対をするこなれた彼女の姿を前に、私は羨望すら覚えつつあった。


「とりあえず、一通り紹介は終わったわね」

「……みるくちゃん、みんなの名前覚えてるの?」

「人数はそう多くないからね。……ま、どうせならあの子たちも紹介してあげたかったんだけど」

「あの子たち……?」

「テスラと、ナイン。遥や葵お姉様と同じ学年でね、私たちの友達なの」

「友達……」

「もちろん、私たちのもう一つの「顔」のことも知ってる。あなたたちがここにくる前は、力を合わせて敵と戦ってきたからね」

「……どういう人?」

「一言でいうのは難しいけど……そうね。あえていうなら、どっちも生真面目な優しい子よ」


 そうして、みるくちゃんはグラスを片手にゆっくりと語り始めた。

 テスラ・ヴァイオレットとナイン・ヴァイオレット。その二人は双子の姉妹で、最初は彼女たちの敵として出会ったのだという。

 その後、二人が所属していた組織が壊滅し……先代ツインエンジェルが彼女たちを仲間として迎え入れたとのことだった。

 

「私は、反対したんだけどね。いつ裏切るかわからない、その時傷つくのはアンタだって。けど、その後色々あって……わかりあって、仲良くなって。それからは、心強い仲間よ」


 懐かしそうに目を細めながら、みるくちゃんがふふっと笑う。それだけで、二人が彼女にとってどれだけ大切な存在なのか、理解することができた。


「その方々は、今どこに?」

「今は、フィンランドにいるわ。遥と葵お姉様が捕まった後、連絡を取りながら裏で色々働いてもらってた関係でね。表だって動くと、あの子たちもお姉様たちと同じように囚われかねなかったから」

「そうだったの……」

「なに意外そうな顔をしてるのよ。アンタたちが持ってるコンパクトは、テスラとナインがイタリアから運んできてくれたものなのよ。それこそいろんな危険を冒して、命がけでね」

「命がけで……」


 コンパクト、という言葉に思わず腰に手を当てる。

 卵形のコンパクトとメダル無しには、私はツインエンジェル……エンジェルサファイアにはなれない。

 つまり、彼女たちのおかげで今の私があり、今ではめぐると一緒にツインエンジェルを務めることができている……そう思うと、不思議な感慨が湧いてきた。


「わかり合って、仲良く……か。あの子たちとも、そういう未来があったのかな……」


 そんな話を聞いて脳裏に浮かぶのは、白銀の髪を持つ双子の顔。

 ヴェイルとヌイ。私たちを助けるため、メアリの戦艦と共に宇宙で散った優しくも悲しいアンドロイドたちのことだった。

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