第5話
昼食時に屋上への階段を上り、扉を開くとそこには灰色の空が広がっていた。
決して天気がいいとはいえないけれど、雨が降りそうなほどに重苦しいわけでもない。……にもかかわらず広がる景色を見ていると心が沈んでしまうのは、きっと私の気持ちがそう見せているのだろう。
「……はぁ……」
これで今日何度目かわからないため息をついて、私は風呂敷包みの結びを解く。
とりあえず、ここでは食事以外にすることもない。早くご飯を食べて、その後は図書室にでも行こう。
そう思って私はお弁当箱を開き、手を合わせた。
「……いただきます」
入寮後、私のお弁当は大半の寮生たちと同じく寮母さんが作ってくれるようになった。 部屋にはミニキッチンが備え付けられているので、自分で作る生徒もいるらしい。ただ、備え付けの冷蔵庫では私が必要な量の食材を到底収められそうになく、早々にお願いすることにした。
……そもそもの問題として、私の料理が苦手なことはあえて語るまでもないか。
「…………」
実家のからあげは生姜がよく利いたけれど、寮のそれは醤油がベースだ。冷めてもしっかりと味がしみているから、噛みしめるたびにじゅわり、と肉汁が広がっておいしい。
ご飯とおかずの量や質も、今までと遜色ない。……だけど、一口お昼ご飯を噛みしめるたびに物足りなさが胸の内に広がっていった。
「めぐるが旅立ってから、今日で一週間……か」
そろそろ、ひとりでお昼を食べるのにも慣れてきていい頃だろう。だって私は、彼女が来るまではこうして、ひとりで食べていたのだから。
……などと言い聞かせている時点で、自分の気持ちが暗く沈んでいるという事実を認めざるを得なくなるのだけど。
「時々、うるさいと思うこともあったけど……居ないとこんなにも、静かなんだ……」
表向き、めぐるの休学は『病気の疑いがあるため、専門の病院で検査入院』ということになっている。
そして、彼女がいないことでひとりになった私を心配してか、伊院さんたちから何度かお昼を一緒に食べようと誘われたりもした。……だけど私はそれを丁重に辞退し、こうして屋上にひとり、黙々とお昼を口にしている。
別に、一緒にいることが嫌なわけじゃない。以前と違って、私のことを心配してくれている彼女たちの優しさは、よくわかっているつもりだった。
……だけど、どうしてもそんな気分になれなかった。彼女たちと一緒にいると、めぐるが居ない違和感がいっそう強まる気がしたから……。
「屋上って、こんなに広かったんだ……」
お弁当を食べ終わった私は、水筒に入れたお茶を飲みながらぼんやりと目の前の光景を見つめて……ぽつり、と呟く。
めぐるが来る前のお昼は、おいしいお弁当さえあればそれなりに幸せだった。
だけど、彼女と一緒に食べるようになってからはおかずを交換したり、話をしたりしているうちにお昼の時間が過ぎて……あっという間のひとときのように楽しくて、満ち足りていた。
それだけに今は、こんなにも屋上が広くて……時間が経つのが、遅いと感じてしまう。
贅沢になったとは思わない。だけど馴染んでしまったものが急になくなってしまうと、元通りの気分には戻れないことも確かだった。
「……図書室、行こうかな」
そこでペット雑誌でも読もうと思い、私はお弁当箱を片付ける。すると、軋んだ金属音を立てながら屋上と階段をつなぐ扉が開かれて、小さな人影が姿を見せた。
「あ、いたいた。やっぱりここにいたのね」
「みるくちゃん……」
なにか用でも、と尋ねようとしたその時、彼女の背後から二人の女の子が姿を見せる。
誰、と聞くまでもなかった。だって、その人たちは――
「すみれちゃん、やっほ~!」
「お邪魔いたします」
「水無月先輩、神無月先輩……」
先代のツインエンジェルの来訪に、私はお弁当箱と水筒を手に立ち上がる。
ひょっとして、高等部の彼女たちがわざわざここへ来たということは……?
「めぐるの修行、もう終わったんでしょうか?」
「残念ながら、その知らせはまだ届いてないわ」
「そう……」
みるくちゃんのその返答に、淡い期待が小さく萎んでいくのを感じる。
まぁ、そんなに早く戻ってこられるだなんて思っていなかったけれど……やはり、それなりに時間がかかるものなのだろうか。
「お昼ご飯、もう食べ終わりましたか?」
「え、えぇ……」
穏やかな神無月先輩の問いに頷きながら、彼女の顔を見つめる。
こうして見るとやっぱり、親子だけあって彼女は『先生』に似ている。……口を開くとまるで正反対だから、あちらの方が「黙っていれば」という条件付きだけど。
「あの……私になにか、ご用でしょうか?」
「あのね、すみれちゃん。ちょっと提案があって……高等部の生徒会室に来てもらえないかな? おいしい紅茶があるんだっ!」
そう言って水無月先輩は、ニコニコと笑いながら私に同行を持ちかけてきた。
高等部の生徒会室、と聞いてさすがに身構えかけてしまったが、続けてのおいしい紅茶という言葉に、その躊躇いは少しだけ和らいだように感じる。
……とはいえ人を説得する時に、自分のテリトリーに相手を呼ぶのは基本的な手段だ。あるいは何か、私に相談事でもあるのかもしれない。
一見ふわふわとした印象のようでも、この先輩はお兄様の後を継ぐかたちで生徒会長に就任したほどの方だと聞く。もしかすると、実は意外に策士という可能性もある……なんて、考えすぎだろうか。
「では、いただきます」
「よかったぁ~。じゃあ、行こっ♪」
「はい」
もとより予定もない。私は立ち上がると、お弁当箱を片手に先輩たちと肩を並べて歩き出した。
「あっ、そうそう! あのね、おいしいしましまクッキーがあるんだ! あと、しましまキャンディーに、この前街で見つけたしましまチョコもあってね~?」
「……アンタってほんと、しましまばっかりね」
「もちろんっ! しましまは万国共通、みんな大好きな国民的シンボルだよ!」
「そ、そうなんですか……?」
策士……よね? しましまがそんな偉大な代物だったなんて、初耳なんだけど。
若干の不安を抱えながら、彼女たちの後をついて高等部へと向かう。
高等部の敷地は中等部と隣同士なので、それほど歩いた感覚もなくたどり着いた。そして階段を上がると、すぐに生徒会室が見えてくる。
「(あ、そうだ。高等部の生徒会、といえば……!?)」
あるいは、いえもしかして……と期待しながら、生徒会室に入室する。すると、
「っ、……お兄様っ!」
「のはっ!?」
「やぁ、すみれ」
「まさか、こんなところでお会いできるとは思いませんでした。お元気ですか? お昼は食べられましたか? 朝ご飯はどうですか?」
「ははは、ちゃんと食べているさ」
「っていうか、アンタは誰かを突き飛ばさないと勢いよく走れないのっ? 特に私を!」
「まぁまぁ、その辺で。……さぁ、座ってくれ」
「はいっ!」
お兄様に椅子を引いていただき、ちょこんと腰掛ける。
不思議だ……こうやって促されて座ると、なんの変哲も無いパイプ椅子もまるで革張りの高級椅子のように感じてくる。
「お待たせいたしました」
「あ……ありがとうございます」
そうしているうちに、神無月先輩が温かい紅茶を持ってきてくれた。一口含むと、ほんのりとあまい香りにほっとする。
その後はしばらく各々で紅茶を楽しみ……安らいだ気分で緊張が適度にほぐれてから、水無月先輩が本題を切り出してきた。
「実はね、すみれちゃんに相談があるんだ」
「相談……ですか?」
「うん。もうすぐ文化祭の時期だけど……今年から、中等部と高等部合同で行うことは知ってる?」
「なんとなく……」
聖チェリーヌ学院における文化祭は、高等部と中等部の間で極端な差があった。
高等部の文化祭は例年、周辺の住人の方々などを呼び込んで盛大に行われる。その反面、中等部では外部のお客さんは基本立入禁止で出店も制限を設けられ、わりと地味な印象になっていた。
だけど、それは去年までの話。今年は高等部の水無月会長が陣頭に立つ形で、高等部と中等部が協力して盛大に行う……という話を、伊院さんがHRで話していたような気がする。
「ただ、初めての合同文化祭だから、中等部と高等部で相談することがすごく多くてね。それで、高等部と中等部の架け橋になってくれる人が欲しいなって思って……それで、すみれちゃんにそのお手伝いをお願いしたいの」
「でも私、クラス委員とかの経験が無いので……向いているとは思えませんが」
「大丈夫だよ! すみれちゃん、しっかり者だから!」
「いえ、でも……」
妙に自信満々な水無月先輩を前に、私はたじろいでしまう。めぐるならともかくとして……最近になってようやくクラスメイトたちと話をしはじめた私などが、中等部と高等部の架け橋なんて大役を務められるわけがない。
「申し訳ありませんが、こういうことはめぐるの方が向いていると思います。ですから、戻ってきた後に改めて彼女に……」
「お願い~! お願い聞いてくれたら、お礼にしまパンをプレゼントするからっ! 前からすみれちゃんは紺と白のマリンカラーなしまパンが似合うと思ってたんだ~! ねっ、どう?」
「……断固辞退させていただきます」
「逆効果じゃないのおバカっ!!」
「あだっ!」
みるくちゃんが即座に水無月先輩の頭を叩く。教科書に載せたいほどに、鮮やかな突っ込みだった。
「うぅ~っ。もしかして、すみれちゃんは水玉パンツ派……?」
「そういう意味じゃ無いわよ! いい加減自覚しなさい、しまパンで買収できるのは世の中にアンタくらいしかいないってことに!」
「遥さん。お願いの際にプレゼントをお贈りする時は、相手の好きな物にする方がご理解を得られやすいそうですよ。……というわけですみれさん、カレーはお好きですか?」
「ストップ・ザ・お姉様!!」
水無月先輩と神無月先輩、そしてみるくちゃんのにぎやかなやりとりを眺めて、思わずくすっと笑ってしまう。……ハリネズミになった彼女が先代ツインエンジェルを救おうとしていた本当の理由が、今になって少しだけわかった気がした。
「でも……」
やはり私には、人と人を繋ぐ役割は重すぎる。力にはなりたい、とは思うけれども……もし失敗した時、迷惑を被るのは彼女たちなのだから。
「あの、申し訳ありません。お気持ちは嬉しいのですが、私には……」
「俺からも頼む。彼女たちだけでなく、俺をはじめとした旧生徒会も手伝っているんだが……やはり中等部のとりまとめは、そこに所属している人間の力を借りた方が効率的だと思うからな」
「……お兄様も、手伝われているのですか?」
その言葉を聞いて私は、わかりやすいほどに後ろ向きだった気持ちが前のめりになっていくのを感じる。
お兄様も、この企画を手伝っている……ということは当然、参加すれば毎日でもお兄様に会う機会ができるということだ……!
「――やります」
「えっ?」
「やります、お兄様! いえぜひやらせてください! お兄様からの直々のお願い、このすみれはしっかりと承りました!」
「あの……ちょっと? お願いしてるのは唯人お兄様じゃなくて、私たちなんだけど……」
みるくちゃんが汗ジト顔でこちらに目を向けているようだが、全く気にもならずに私はお兄様の言葉を脳内でリフレインする。
少し自信が無かったとはいえ、嫌なことを頼まれたとは最初から思っていない。それに、お兄様との接点が増えて放課後の一時をご一緒できる……その甘美に勝るものなど皆無、いや絶無だ。
まして、お兄様からの頼まれごとを断るなんて選択肢は私の思考と感情には存在すらも許されない、ありえないものだった。
「お任せください! 他に希望者がおられるのでしたら、私が直接腕ずく……いえ言葉を尽した上で辞退してもらってきますからっ!」
「……今アンタ、さらっとすごいこと言おうとしなかった?」
「一緒に頑張りましょうね、お兄様っ!」
「いやだから、手伝ってもらうのはこっちだっての! 手を貸してくれる分はありがたいけど、先が思いやられるわ……」
そして、そんな私たちの会話を聞いて水無月先輩は満面の笑顔で「やったぁ~!」と喜び、私の手を取ってくれた。
「ありがとう、すみれちゃんっ。お礼に明日はすみれちゃん専用のとっておきのしまパンを持ってくるからねっ!」
「アンタもう準備してたの!?」
「よろしくお願いいたします! ですがしまパンは結構です!」
「なんでっ!?」
「むしろなんで喜ぶと思っていたのよ……」
水無月先輩とみるくちゃんの会話を眺めながら、私は神無月先輩とお話をしているお兄様をちらっ、と盗み見る。
私だけなら無理だと思っていたけれど、お兄様がいるなら出来る気がする。特に根拠は無いけれど、なんだかそんな気がする。
それに、もし夜遅くなったらお兄様が送ってくださったり、夕飯に誘ってくださったり、そんな展開があるかも……!
「……うまくお誘いできましたね」
「ああ。これで、少しはあの子の気も紛れるだろう。悪いな」
「いえ。こちらも大変だったのは事実ですから……」
私から少し離れた場所で、お二人が小声で会話を交わしている。だけど期待とやる気に燃える私には、何を話しているのかよく聞こえていなかった……。
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