第16話

「OKてん! ソレジャ、イックヨー……!」


 天使ちゃんが小さな右手をかわいらしく、それでいて厳かさを感じさせるような動きですっ、と持ちあげる。すると、それに吸い寄せられるかのように空で瞬いていた光の玉がひとつ、ふわりと舞い降りてきた。

 その光が、差し出された先端に触れて弾け……無数の粒へと変わる。そして、まるで霧のようにゆっくりと広がって、私たちのいる場所を包み込んでいった。


「……っ……!?」


 まばゆさとともに、白く塗りつぶされてゆく視界。……だけど、不思議と恐怖は感じなかった。まるで天使の羽に守られているような、そんな安心感すら覚える。

 そして、光が少しずつ弱まって消えた後、……私たちの目の前に広がっていたのは見たこともない、広大な荒野だった。


「…………」


 吹き荒れる砂塵に思わず顔をしかめながら、私は周囲を見渡す。半ば崩れかけた石壁があちこちに点在していたけど……それはおそらく、住居らしき建物の一部が荒廃したなれの果てだろう。

ということは、……ここにはかつて、集落が存在したということ。ただ、今となっては 人影はおろか、動物の気配すらも感じられない。動くものは風にあおられてなびく背丈の高い雑草くらいで、まさに殺風景の言葉がそのまま当てはまる様相をなしていた。


「ここは、……いつの時代の場所?」

「ウーン……ダイタイ、1000年ホド前ノよーろっぱダてん」

「ずいぶん、荒れていますね……」


 テスラさんの言う通りだった。

 歴史や美術の教科書に掲載された華やかな絵画にあるのような、私が知識として持っているヨーロッパとは明らかに違った、荒廃しきった世界。

そんな中でなかば茫然と立ち尽くし、他に何か目につくものはないかと視線を巡らせていると、……すっと音をたてずにテスラさんが近づいてきて、振り返りかけた私の肩に手をそっと乗せた。


「ど、どうしました……?」

「――すみれさん、振り返らないで」

「えっ……」

「あまり、見ない方がいいかと……」

「……はい」


 テスラさんの様子から、彼女が私を気遣っていることを理解してこくん、と頷く。

 ……でも、実を言うと少しだけ遅かった。枯れた草むらの影に隠れるようにして転がる白い塊が、骨と思しきものだと目に焼き付いてしまっていたからだ。


「っ……」


 時折鼻先をかすめる異臭の正体をおぼろげに想像して、……背筋に悪寒が走る。喉の奥から気持ち悪いものがせり上がってきたが、私はなんとかこらえ大きく、ため息をついた。


「……大丈夫?」

「はい。……平気です」

「何か、争い事があったみたいですね……もう、かなり時間が経っているようですが」


 テスラさんとナインさんはそう言って私を気遣いつつ、周囲に警戒して視線を走らせる。そんな中アインは、天使ちゃんをまじまじと眺めながら首を傾げていった。


『……おい、ちっこいの』

「? 何カ用てん?」

『そもそもお前、ボクたちと一緒にこんなところまで来ていいのか? 『ワールド・ライブラリ』は崩れかけてて、お前の仲間が一人で支えてる、って言ってただろ』

「修復ハアノ子一人に任セテ、大丈夫ダてん。ソレヨリ、ミンナニハ注意シテモライタイコトガアルてん……」


 天使ちゃんは砂糖菓子のように甘い声をひそめ、表情を真剣なものへと変える。そしてしばらく目を閉じてから、ゆっくりと口を開いていった。


「……この世界は、文字通り過去の世界です。今のあなた方は、あらかじめ用意しておいた結界によってこの世界の人々に認識されにくくなっていますが……あまり過剰な行動は控えるよう、気をつけてください」

「っ!? て、天使ちゃん……?」

「……普通に喋ってる」


テスラさんとナインさんはぎょっ、と大きく目を見開いて、天使ちゃんに顔を向けながら固まっている。

私も、突然その口調が変わったことに違和感と戸惑いを覚えたけど、……そんなにも驚くようなことなんだろうか?


「驚かせてすみません。馴染みのある話し方で接したほうが信用してもらえると考えて、先代の口調を使わせていただきましたが……この先の説明を行なうには、このままだと少々聞きづらくなりそうだったので」

「…………」

「……ただ、信用してください。私は今こういう姿をしていますが、先代の天使ちゃんをつとめていた方とは深い関わりがあった者です。ですから言うとおりに従って、この時代の存在にはあまり関わったりしないよう、慎重に行動してください」

「う、うん……」


そう頷くしかない。それは、テスラさんとナインさんも同様だ。いずれにせよ私たちは、彼女の力添えがなければなにもできないだから。


「……かかわったら、どうなるの?」

「みなさんは、この時代にあってはならない存在です。ですから、本来のこの時代にない行動に出ると、平行世界の自浄作用に巻き込まれて……最悪の場合、存在そのものが消えてしまう可能性すらあります」

「未来が変わる……では、ないのですか?」


 驚いたようにテスラさんが尋ねる。

その、何かの知識に基づくような口調にわずかな違和感を覚えたけど、天使ちゃんは特に気にした様子もなく言葉を続けていった。


「多少の変化であれば世界自体が自己修復を行ない、取り込んで元通りにすることができます。ここは正確に言うと、みなさんの世界から過去に遡った世界ではなく、可能性世界……『ワールド・ライブラリ』に保存された過去のひとつ。つまり、地続きになっている過去ではなく別の世界の過去なのです」

「別の、……世界……?」

「えっと、それはですね――」


 ナインさんが尋ねると、天使ちゃんはふわふわと浮かんで無邪気な仕草をみせながら、口調だけは丁寧に言葉を選ぶように説明していった。


「例えるなら……みなさんが存在していた未来は、お花が咲いた世界です。つまり、そのまま過去にさかのぼるというのは、花が咲いた世界から種を植えた直後の世界まで戻るということです。……ここまでは、わかってもらえますか?」

「う……うん」

「ですが、『ワールド・ライブラリ』を経由して向かう種植え直後の世界は、すでに事実として確定した可能性世界……例えるなら、過去に花の種を植えた……という事実が書かれた本を読んでいるようなものなのです」

「確定した過去……ようするに、完成した本を書き換えることは出来ない、ということですか」

「そうです。にもかかわらず、現状にある未来の展開と結びついている流れを別のものに置き換えようとすると、その空いた場所を埋めようとして平行世界のあちこちで組み替えが連鎖的に発生します。……その結果、どうなると思いますか?」

「うまい具合に整理されていれば、問題ないでしょうけど……複雑な流れであれば、絡み合ってもつれることもあるかもしれませんね。そして、最悪の場合は――」

『流れが停滞するか、分断されて未来への道が途絶えちまう。……平行世界が崩壊するってのは、そういう事態を指してるってわけか』

「はい。無数にある平行世界を維持することに注意を払い、無用かつ過剰な改変を避けるのは、そういう理由なのです。だから――」

『……とりあえず、理解したよ』


 なおも言葉を続けようとする天使ちゃんの言葉をさえぎるように、アインはため息をつくと自分の頭をガリガリとかいていった。


『早い話が誰にも見つからず、確かめることだけを確かめて、あとは大人しくしてろってことだろ? なら簡単だ、最初からそう言えよ』

「……身も蓋もないわね」


 確かにアインの言う通りなのだけど、あまりのばっさりと割り切ったセリフに、思わず呆れとも感嘆とも取れない声がこぼれた。


『それにしても、荒れてるな。ここで何があったんだ?』

「この一帯は、国家同士でも激しい勢力争いがあった場所です。そこに魔族からの侵略も加わったことで、元々栄えていた街が完全に廃墟となってしまいました……」

『侵略、ねぇ……』


 ぼそり、とアインが呟く。その横顔はどこか釈然としてないように見えたけれど、そんな彼女にテスラさんが尋ねた。


「あなたの……魔界の方が知っている歴史とは、違うのですか?」

『……そうだとしても、関係ないだろ。それにここは過去……もう終わった世界の本を読んでるようなものだからな』

「………」


 アインの口はぶっきらぼうだけど、どこか投げやりな言葉。

 「関係ない」――それを言葉通りに受け取ることに躊躇いを覚えるくらいに、そこには今までと違うニュアンスが含まれているような気がする。少なくとも、私にはそう感じられた。


「…………」


 テスラさんの言う通り、アインは――魔界側の住人は、私たちとは違う歴史を伝え聞いていたのかもしれない。でもそれは彼女の言う通り、この世界も戦争も私たちが生まれる遠い過去で、しかも改変したところで未来は変わらない。

 荒廃した世界。破壊された建物。草むらに転がる人の骨。おぞましい光景が広がっているけれど、私たちがここに連れて来られたのには理由がある……。


「天使ちゃん。この世界のどこかに、魔界への入口があるのよね」

「はい。ただ、あなた方の世界では完全に封印されて、通り抜けることは不可能になっていますが」

「……いったい、何があったの? 魔界と人間界が繋がるようなことがどうしてこの時代に起きたのか、教えてもらえる?」


 世界が完成した時から二つの世界が繋がっていたのではなく、個々の世界が完成した後に繋がったのならば、何か原因があったはずだ。

 二つの異なる世界が繋がるという大きな出来事に繋がる何かが――。


「それは――」

「うぉおおおおおおおおおおおおお!!」


 天使ちゃんが何か言おうと口を開きかけたその時。遠くから絶叫が聞こえてきた。大勢の人間と、そして獣の咆哮が入り混じったようなそれに全員が音が聞こえてきた方向に顔を向ける。


「なんだ……?」

「行ってみましょう!」


 音の方角へ向けて走り出す間も、絶叫は続いていた。

 近づくにつれて、声の主らしき影が増えてゆく。どうやら何かと戦っているのは人の軍勢と……巨大な四肢を持つ影のような獣だった。

シルエットは一見すると熊によく似ているけれど、移動速度があまりにも――速い!

 二メートル超の巨体をものともせずに二本脚で立ち上がり、丸太に爪の生えた腕を軽く振るだけで人が吹き飛ばされてゆく。


「つえええええええい!」

「おらぁあああああああ!」

「行けーっ! 進めーっ!」


 剣と剣を叩き合わせる甲高い金属音。自分と仲間を鼓舞するための叫び声。


「ぎゃあっ!」

「腕が、俺の腕がっ……」


 ……悲鳴と叫び声が砂埃の中で交錯し、土埃と血煙が交ざり合って乱れ散る有様だ。


「負傷者は下がれ! 他の者は私に続け! ……はぁああああっ!」


 その渦中に立っていたのは、金髪を振りながら大きな剣を振るう甲冑姿の女騎士だった。

彼女は勇ましい叫び声とともにバケモノに立ち向かっている。だけど、相手の攻撃をかいくぐりながらの反撃は相手の腕や足を剣の表面で切りつけるのが精一杯。

 その間も兵は一人、また一人と倒れてゆき、刻一刻と劣勢に追い込まれていることは明らかだった。


「くっ……! カシウスの増援はまだか?」

「ま、まだ見えませんっ! このままだとわが隊は全滅――ぐわっ!?」

「ジャン! くそぉっ!」


 吹き飛ばされた仲間の巻き添えを食らう形で地面へ倒れた部下に背を向け、女騎士は巨大な怪物に斬りかかる。

 少しずつ追わせる傷は深くなってきた、だけど致命傷には至らない。


「ぎゃあっ!」

「うわぁあああっ!」


 そして小さな切り傷を増やすのが精一杯な中、彼女の部下は次々に倒れ伏していった。

 ……傷が深いのか、流れ出る血の量はおびただしい。このままだと、あの人たちは全員死んでしまう。


「っ、……助けないと!」

「だ、だめです!」


 走り出した私の腕を掴んだのは、テスラさんだった。


「さっきの天使ちゃんの話、聞いたでしょう! あの人たちを助けるということは、過去に干渉するということ……このままだと、あなたは消えてしまうかもしれないんですよ!」

「でもっ……!」

「はぁああああっ!」


 一人、また一人と倒れてゆく兵士をかばいながら、怪物に立ち向かう金髪の女騎士。その鬼気迫る姿が、めぐると重なる。

 ……あの子がここにいたら、例え誰が止めたとしても助けに向かって走るはずだろう。それがわかるからこそ、私は今ここで彼女の腕を振り切って駆けつけたい。

 いや、ツインエンジェルBREAKを名乗るなら、そうするべきなのに……!


「私たちは未来から来た存在です! 過去の出来事に干渉するべきではありません……今ここで助けられとしても、それがどんな不幸を引き起こすかわかりません!」

『わかれよ……すみれ! 本来の目的を忘れるなって!』

「でもっ……!」


 めぐるを助けたい。

 でも、彼女を助けるためにはめぐるが私に教えてくれた、どんなこんな状況でも誰かの笑顔を……みんなを守りたいという信念を、捨てなければいけない。

 捨てたくない。でも、捨てなければ自分が消えて……めぐるを助けることができない。


「(どうすれば、どうすればいいの……!?)」


 二つの願いの狭間で揺れる間も、人々はまた一人と倒れていく。女騎士の剣を振るう腕も、少しずつ精彩を欠いている。

 ……と、その時だった。


「……えっ……?」


 思わず握りしめてしまっていたこぶしの中から、光があふれてくる。

 いったい何、と思って広げると、それは私の変身アイテムである指輪から放たれたものだった。


「これは、……なに?」

「っ?……まさか、それは――」


 驚いて目を見開く私の横で、天使ちゃんはじっとそれを見つめている。そして、


「……わかりました、すみれ。行ってください」

「てっ、天使ちゃん!?」


 ぎょっ、となった表情でテスラさんは、身を乗り出すようにしていった。


「待ってください、あなたは世界の次元構造を維持する『ワールド・ライブラリ』の管理人なのでしょう? そのあなたがどうして歴史に干渉なんて……」


 その問いを、私は最後まで聞かなかった。


「――行きますっ!」

「っ? すみれさん、待って……!」


 天使ちゃんの言葉に動揺したテスラさんの手が緩んだ隙をつくかたちで、私はほとんど反射的に怪物の方へ向けて走り出していた。


「待って!」

『おい待て……くそっ!』


 背後から誰かが追ってくる気配がする。でも私の足はもう止まらない。そして、手にはサファイア・ブルームを握りしめ、倒れた人の合間をすり抜けるように走った。

 自分の長所と短所は理解している。だからスタミナが尽きる前に、速攻で決める――!


「はぁっ……」

「なっ……!」


 金髪の女騎士の隣を走り抜け、破壊された家屋の壁を駆けあがる。

 空中に飛んだ理由は、怪物の頭上から攻撃を仕掛けるためだ。いくら相手の動きが速くとも、その巨体ゆえの死角にさえ潜りこめれば……


「エンジェルローリングサンダー……黄昏ッッ!!」

「ギャアアアアアアア!!」


 首への急襲に身もだえた怪物は、私を振り払おうと巨大な腕を叩きつけてくる。


「はぁっ!」


しかし、私は飛びあがると逆に怪物の腕を足場にして飛びあがり、大きくサファイア・ブルームを振り上げた。


「もう一撃……くらいなさいっ!!」

「グギャアアアアアアアア!!」


 勢いと体重を乗せた、渾身の斬撃。それを繰り出すと、怪物の体は両断されて……耳障りな咆哮とともにその身体が少しずつ消えていった。


「な、何が……お前は……?」

「…………」


 地面に着地すると、金髪の女騎士と目があった。

 よく見ると、彼女は私と同じか少し上くらいの年のようだった。大きな青い瞳を更に丸くしている彼女と見つめあっていると。


『すげぇな、お前……っ!』

「きゃっ!?」


 背後から背中を強く叩かれた。


『ここまでとは思わなかったって。結構やるなぁ……』

「あ、アイン……」


 背中に走るひりひりとした痛みを感じながら周囲を見渡すと、金髪の女騎士の背後で茫然とした表情のテスラさんとナインさんが見えた。


「すみれ……」

「…………」


 彼女たちは、まるで信じられないものを見るかのように目を大きく見開いている。……だけどその思いは、実のところ私も同じだった。


『てっきり大した強さじゃねぇと思ってたけど、なんだよ! お前、結構強いんじゃねぇか!』


 どこか呆けたような空気が満ちた周囲で、アインだけが子供のように目を輝かせながら笑みを浮かべていたけれど、やがて不思議そうに首を傾げた。


『どした? なんか怪我でもしたか?』

「…………違う」

『違う? って、何がだ?』


 何が、と聞かれてもうまく言えない。だけど、たった一つ確かなことがあるとすれば。


「力が……以前よりも強くなってる……?」


 私の一撃はめぐると比べても、軽いのが欠点だった。それを補うための必殺技……瞬時に突きを繰り返す『エンジェルローリングサンダー・黄昏』だったのに。

 でも、あの怪物を真っ二つにした時……ただ振り下ろしただけなのにまるでバターを切り分けるようにあっさりと攻撃が通った――。


「どうして……」


 喜ぶべきことかもしれない。だけど私は急激に増した自分の力を前にした感情はむしろ戸惑いで。

 信じられない思いで自分の手の平を見つめていると、目の前にふわりと天使ちゃんが降り立ち……一人ごとのように呟いた。


「……思った通りですね、すみれ。あなたなら、きっと――」

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