第15話
最初にその物体……いや『生きもの』を目にした時は小動物というよりも、そう……まるで童話に出てくる妖精のように現実と捉えることが難しい、不思議な印象だった。
「…………」
手のひらの上ででふわふわと宙に浮いて、立体映像でも見せられている感覚。思わず視覚どころか、自分の正気までも疑いたくなったけど……。
「(か……可愛い……!)」
つぶらな瞳でにこやかに笑うその愛くるしい表情に、私はさっきまでの緊迫した気分を忘れそうになるくらいに心を奪われてしまった。
「あなたは、誰……?」
懸命に自制心を総動員して話しかけると、彼女は私に合わせるように小さく首を傾げる。……その仕草ひとつをとっても、胸の高まりと顔の火照りを抑えられない。
「ンー、理解デキルヨウニ答エルノハ難シイてん……デモ遥ト葵ハ、天使チャント呼ンデクレテタてん!」
「えっ……!」
だけどその聞き慣れた名前を耳にしたことで、私の思考が冷水を浴びたようにすっ、と現実へと立ち戻っていく。
確かそれは、水無月先輩と神無月先輩の名前……。偶然の一致でないとしたら、この子はあの人たちと何らかの関係があるんだろうか。
そして、その不審を裏付けるように私のすぐ横では、「やはり……」と呟いて息をのむ2人の声が聞こえてきた。
「私たちも、まさかこんなところで会えるとは思ってませんでした……」
「……びっくり」
テスラさんはそう言ってため息をつき、ナインさんは無表情ながらも目を何度もしばたかせている。ということは彼女たちもまた、この子と初対面ではないということがうかがい知れた。
「あの、この子は、いったい……?」
「えぇ、まぁ。……ここに来たばかりの時は、わが目を疑いました」
テスラさんは苦笑交じりに肩をすくめると、気を取り直したように表情を改めていった。
「この子は、天使ちゃんです。遥さんたちはもちろんのこと、私たちとも馴染みが深くて……かつての聖杯戦争では、色々な場面で助けてくれた仲間だったんですよ」
「仲間……ですか?」
「はい。ただ、ここで実際に目にした時は本当にそうなのかを確かめる前に、あなたたちの危機を知らされたので……でも、今ようやく納得ができました」
「ウン! ミンナ無事デヨカッタてん!」
「…………」
『天使ちゃん』――テスラさんがそう呼んだ名前を、私は内心でそっと口ずさんでみる。
柔らかで親しげな響きは、確かにこの子に相応しい。……とはいえ、その姿形はとても人間や、私たちがよく知る動物のたぐいには見えなかった。
「えっと、仲間とはお聞きしましたが……この子の正体は、いったい……?」
「『ポケてん』のことは、聞いたことはありますか? 遥さんと葵さん、それにクルミさんが快盗天使に変身するための聖杯の力を中に封じ込めたアイテム……そこに内蔵されたナビゲーションAIが、彼女なんですよ」
「変身アイテムの、AI……」
その単語を聞いて、私は片方の手にはめられた指輪を目の高さにまであげ、キラリと輝くそれをそっと見つめる。
確かこれは、私たちの変身アイテム――ブレイクメダル内部に封じられた聖杯の力を増幅・制御するために具現化されたものだと聞く。すると天使ちゃんは、いわばこの指輪と同じ存在、ということだろう。
「(だったら、こっちのほうがよかったのに……)」
「……??」
きょとん、と小首を傾げる天使ちゃんと見比べながら、私はほんの少しだけ失望めいた思いを抱いてしまう。開発してくれたみるくちゃんたちには申し訳ないけど、綺麗なアクセサリーよりも可愛らしいマスコットのほうがよっぽど、困難に対して闘志を抱くことができたんじゃないだろうか……。
「(とはいえ、この子みたいなマスコットが変身アイテムの中にいたら、……用もないのに毎日呼び出していたかも……)」
そう考えると、本来の任務を忘れないという意味では正しい判断だったのかもしれない。まぁ、そこまで考えて指輪になったとはさすがに思っていなかったけど……。
そんな、やや場違いな妄想を抱いて思わず笑みがこぼれそうになる。……だけど、その一方でテスラさんはなぜか戸惑いをあらわに、 天使ちゃんに近づいていった。
「やっぱり……あなたは、あの天使ちゃんなんですね?」
「ソウダてん!」
「……だったら、教えてください。どうしてあなたは、この『ワールド・ライブラリ』にいるんですか?」
「モチロンソレハ、てすらトないんヲ助ケルタメダてん!」
「いえ、そういう意味じゃなくて……確かあなたは、遥さんと葵さんの「ポケてん」が機能を停止したと同時に、眠りについてしまったはず……。それなのに、どうしてまた出てくることができたのですか? 」
「アレハボクジャナイてん! ボクハ、ボクダてん!」
「あなたじゃない、あなた? えっと、それは……」
テスラさんはますます困った様子で、小首を傾げている。そんな彼女の前で天使ちゃんは人なつっこく、花が咲くような笑みを浮かべて続けた。
「ココニイルノハ、天使チャンデアッテ天使チャンジャナイ……言ワバ、にゅー天使チャンダてん!」
「にゅ、ニューって……まさか、そんな説明で納得しろとでも……?」
「……問題ない」
そう言ってナインさんは、かみ合わない二人のやりとりを取りなすように口を挟んでいった。
「天使ちゃん、ここにいる。……それだけで、嬉しい」
「ま、まぁ……なっちゃんがそう言うのなら」
「ボクモ、てすらトないんニ会エテ嬉シイてん!」
若干の釈然としない思いを残しつつ、テスラさんも了解した様子。……いずれにせよ、事情を全く理解していない私は一人取り残されたままだった。
「あの……私はそもそも、天使ちゃん自体を初めて見るのですが……ここにこの子がいることが、そんなにもおかしいことなんですか?」
「はい。先ほども言ったとおり、天使ちゃんはポケてんに内蔵されたナビゲーションAIです。ということはポケてんが機能しない今、こうやって姿を現わすことはないはず……それに」
「それに?」
「元々、天使ちゃんの存在には謎がいくつかありました。機械の中の、データ……つまり生き物ではないはずなのに、画面の外に出てきたり、それどころか実体をもって私たちの周りを飛び回ったり……」
「…………」
手のひらの上でちょこんと立っている天使ちゃんは、わずかに浮いているせいか重みは感じられない。……だけど、テスラさんの言う通り映像にしてはリアルな感触で、まるで羽か綿が舞い降りているような印象だった。
「まぁ……そうは言っても、この子が敵ではないことは理解していますよ。彼女が教えてくれなかったら、すみれさんたちの危機に駆けつけることは絶対にできませんでしたから」
「……すみれの場所、教えてくれた。……感謝」
「そうだったんですか……」
あんな、どこに向かっているのかも知れぬ闇に包まれて、自分の居場所すらわからない嵐の中……私たちが漂流していたところまで導いてくれたのは、この子だったんだ……。
「あ、ありがとう……天使、ちゃん?」
「ドウイタシマシテダてん! てすらトないんモ、アリガトダてん!」
「あっ……っ、すみませんテスラさんにナインさん、お礼が遅れてしまって。……助けてくれて、ありがとうございます」
慌てて頭を下げると、二人は顔を見合わせながら肩をすくめ……少しだけ、笑ってくれた。
「本当はもう少し、色々と言いたいことがあるんですけどね……とりあえず、無事だったことを喜びましょう。ね、なっちゃん」
「うん」
「ありがとうございます……」
「ヨカッタネ、スミレ!」
「……う、うん」
ぎこちなく頷く私ににっこりと笑いかけながら、小さな手をパタパタと動かす天使ちゃん。
「(かっ、かわいい……!)」
大きさはハムスターより大きくて、モルモットより少し小さいくらいだろうか。
正直、この子がどういう存在なのかはまだ、よく理解できない。……ただ、くりくりと大きな瞳とパタパタと動く羽と手足がとにかく可愛らしく、こんな状況でもなければきっと写真を撮り続けて、悦に浸りきっていたことだろう。
だけど、そんなことをやっていい空気ではないことも理解していたので、私は内心で自分に喝を入れ、冷静な思考へと自分の意識を呼び戻した。
「――それより、そこの子」
「ですね。……」
「えっ……?」
二人の鋭い視線が、今度は私の背後へと向けられる。そこには横になって、眠っているアインの姿。――だけど、
「……起きるべき」
『っ、……気付いてたのかよ』
ナインさんにそう呼びかけられた彼女は、軽いため息とともに目を開ける。そして、ゆっくりとその身を起こしていった。
髪はすっかり乱れて、艶を失っている。きっと私も似たような状態だろう……とはいえ、外見を気遣えるのも命あってこそだと思い直し、アインのそばに歩み寄っていった。
「……アイン、大丈夫?」
『あぁ平気だ、気にすんな』
ひらひらと手を振った彼女の調子は軽い。強がっているだけかもしれないが、少なくともそれができる程度には回復したようだ。
『なんか、ボクの知らない連中と盛り上がってるようだったから……ちょっと様子見をさせてもらってた。盗み聞きするような真似して、悪かったよ』
「そう。……このお二人は、テスラさんとナインさん。私たちを助けてくれたのよ」
『そりゃどーも。……助けてくれた礼は言っておいた方がいいのか?』
「いえ、お気になさらず。あなたはどちらかと言えば、すみれさんのついでみたいなものでしたから」
『……はっきり言ってくれるな』
冷たくそう返されて、アインは苦笑いを浮かべて肩をすくめる。そしてテスラさんは、私や天使ちゃんに対する時とは違った険しい表情で彼女に向き直っていった。
「……あなたが、すみれさんをここまで連れてきたのですか?」
『まぁ、な』
好意的……とはとても思えないテスラさんの鋭い視線が、彼女を射貫く。気付けばナインさんも、静かに様子を窺うように身構えていた。
「…………」
そんな二人のことを、アインも無言で見返していたが、……やがて憮然とした様子で水のベッドからひらりと飛び降り、ポリポリと頬をかいていった。
『そんな目で見るなよ。不可抗力で仕方なくというか……ボクだって、はじめからこんなつもりじゃなかったんだからな』
「通ってきたのは、やはり如月神社の奥社にあるゲートですか? それとも……」
『いや……緊急手段を使って、強制的にエリュシオンへのゲートを開いた。追手がしつこかったから、振り切るにはそれしか方法がなかったんだよ』
「やっぱり……そのせいですか」
「……困ッタてん。オカゲデ魔界ヘノ道ハ、完全ニ閉ザサレテシマッタてん」
『……は?』
あまりにも唐突に口を挟んだ天使ちゃんの声に、アインは唖然とする。もちろん私も意味が理解できず、思わず声を失った。
『ど……どういうことだよ!?』
「ココカラハ、魔界ニハ行ケナイてん。……空間ガ、壊レテシマッタてん」
『う、嘘だろ……!? たった一度、しかも通ったのは二人だけだぞ?』
「タッタ一度ダトシテモ、たいみんぐガ最悪ダッタてん」
「この子の言うとおりです。あなたたちを連れて戻って、通過に使う予定だったゲートを調べてみたのですが……」
そう言ってテスラさんは、やるせなくため息をつきながら背後へと振り返る。
……少し離れた奥の方にある、澄みわたるように綺麗な青の壁。その一部分が、紫……いや、漆黒で濁ったようになってなんとも形容しがたい模様を渦巻かせていた。
「あれが……魔界ヘのゲート……」
「でした、と言うべきでしょうか。……ここに来て、時間をかけてようやく見つけ出したあれが使えなくなった以上、『ワールド・ライブラリ』から直接魔界へ行くことは現状、難しい……いえ、不可能と思った方が良さそうですね」
「ど……どういう、ことですか?」
さすがにそこまでの深刻な事態が起きているとは想定外だったので、思わず問い返す。するとテスラさんは天使ちゃんにちらり、と顔を向け、そして頷き合ってから口を開いていった。
「私はあらかじめ、キャピタル・ノアのジュデッカ司祭から『ワールド・ライブラリ』のこと、そして魔界ヘと向かう方法について説明を受けていました。聖杯の力の研究者として、この空間についての知識を持っている方は今のところ、……あの方ただお一人ですので」
「……確かそのお方が、テスラさんたちに調査依頼を行なったというお話ですよね」
「ええ。平行世界の移動は非常に繊細で、危険が伴います。まして、今では封印などで断絶された魔界……『エリュシオン』に向かうともなれば、その航路は慎重に選んで、そして世界観に存在する次元断層を傷つけないように……と、厳しく注意を受けてきたのです。……なのに」
そこでテスラさんは、やや怒り……は行き過ぎとしても、咎める思いをにじませながらアインに目を向けていった。
「魔界から人間界に向かうために、そういった一切の手順や準備を無視して次元断層に穴を開ける……それは、平行世界の全構造に干渉する、極めて乱暴な 手段なんです。もし一歩間違えれば――いえ、すでに現状でも空間均衡が崩れて、『ワールド・ライブラリ』からつながっている全ての平行世界が、 大変なことになっているんですよ……?」
『おっ、大げさに言うなよ……! あんなちっちゃな風穴程度で、この世界が崩れるはずないだろーが!』
「平行世界の構造は、とても壊れやすいんです。次元断層を移動する技術をもっている魔界の方なら、そのことを当然ご存じだと思っていたのですが……?」
「っ……!」
信じられない、と怒鳴るアインだったが、そう切り返されてうっ、と押し黙る。そしてテスラさんは、はぁ、と大きく息をついて気持ちを整えてから、さらに言葉をつないでいった。
「……あるいは、少し前であればそれも可能だったのかもしれません。ただ、『ワールド・ライブラリ』は、少し前に起こった大事件のせい でかなりのダメージを負ったそうです」
「……それは、メアリたちが大魔王を復活させようとした儀式のことですか?」
思い当たることがあったので、私はそう口を挟む。それに対してテスラさんは「ええ」と頷き、話を続けた。
「詳しい経緯は私たちもよく知らないので、省略をさせてもらいますが……異世界との扉を開こうとしたことで、どうやら全ての平行世界の構造が崩壊寸前になるほど、激しいものだった――そう、私は聞いています」
「そんなことが……?」
「ソノ修復ヲ、今急ぴっちデ進メテルトコロダッタてん。……ダケド」
「先ほども申し上げたように、次元断層への乱暴な干渉で……ようやく開いたゲートが、完全に使用不可能になってしまいました。それに、これ以上空間に連鎖的に刺激を与えてしまえば、全体の構造も修復が難しくなり……その結果、他の平行世界に甚大な悪影響を及ぼす可能性がありますので、別のゲートを開くことは断念せざるを得ませんね……」
「それって、つまり……?」
ぶるっ、と全身に冷たいものが走り抜けたような感覚。私たちはここに来るまで、嵐の中を突っ切ってきたのだけど……あれは、世界の終わる寸前の様相だったのかもしれない……。
「その、もう一度傷ついて崩壊しかけたところって、……直すことはできるの?」
「……時間ガカカルてん。トリアエズ今ハ、えり……仲間ガ、必死ニ世界ノ傷ヲ支エナガラ修復シテイルカラ、ナントカ保ッテイルトコロダてん」
『そ、そんな……! 世界が壊れかけてるのって、ボクのせいだって言うのか!?』
「ソノトオリダてん」
『うぐっ!? いや、だって……追われてて……仕方なく……』
「…………」
『……ごめん。ボクのせいでそんなことになるなんて……予想外だった』
そう言って悄然とするアインに、私は気遣ってその肩に手を乗せる。……どんな状況でも強気に振舞っていた彼女だけど、よほどショックだったのか今にも泣き出しそうな表情だった。
「あなた……魔界ヘの移動が、空間にダメージを与えるって知らなかったの?」
『知ってたら、強制ゲートなんて開かないって! くそっ……往路は正規ルートを通ったから、気づかなかったのか……!』
そう言ってアインは、悔しそうに歯噛みする。……その様子を見てテスラさんとナインさんは、私に目配せを送ってきた。
これは演技か?……そう問われている気がして、私はすぐさま首を横に振る。そもそもそんな器用な性格だったら、私を魔界ヘ連れて行くことを是とはしなかっただろう。
そう思って顔を戻した……その時。
「……あれ……?」
アインの横顔を見つめているうち、ふと違和感を抱く。その正体に気づいた私は、彼女に尋ねかけていった。
「アイン。胸元の宝石、……どこに行ったの?」
『え、あ……あれ?』
彼女も指摘されてようやく気づいたのか、胸元をのぞき込んで声を上げる。
病院で変身した時、そこにあったはずの薄紅色の石。……キラキラと輝きを放っていたそれが、台座の金を残して跡形もなく失われていたのだ。
『ど……どこで落としたんだ? ゲートを開いた時には、確かにあったのに……』
「スミレタチを見ツケラレタノハ、ソコニアッタ宝石ノオカゲてん。ソノ輝キガ、時空嵐ノ中デモ二人ノ居場所ヲ、ボクタチニ教エテクレタンダてん」
『じゃあ、ここにあった宝石は……?』
「二人ヲ助ケタ後、砕ケテシマッタてん。キット二人ヲ守ルタメニ、力ヲ使イ果タシタてん」
『…………』
天使ちゃんの指摘を受け、アインは空の台座をそっとなぞる。大切なものだったのだろうか。素直に助かったと喜ぶことを躊躇わせるほどに、今の彼女は複雑な顔をしていた。
「っ、そうだ……めぐる!」
そして私も、つられるように大切なあの子のことを思い出した。
「めぐるも、この世界にいるの!?」
「メグル……?」
「私と同じ年の女の子で、特徴は……」
首を傾げる天使ちゃんに、私はありったけの外見特徴を伝える。
といっても失踪当時の服装はわからないので髪型程度しか伝えられなかったが、天使ちゃんはうーんと腕組みをしてうなり声をあげた。
「てすらトないんノ他ニモ、次元ノ空間ヲ移動シタ気配ハアッタてん。ソレガメグルナラ、今頃ハタブン魔界ニ着イテルハズてん」
「……そう」
どうやら、めぐるが空間移動をした時は次元嵐が吹き荒れるほど荒れてはいなかったようだ。それを聞いて、少しだけほっとする。
『……安心するのはまだ早いぞ、すみれ。おい、そいつと一緒に誰かいなかったか?』
「魔界へ向かった存在は二人いたテン。片方がめぐるだとしたら……」
『やっぱりか……っ、!?』
怒りを露わにした次の瞬間、アインが後方へ飛び退く。
まるで、兎が敵から攻撃を避けるような仕草。そして彼女の視線を辿ると、その先にはテスラさんとナインさんが身構えて殺気を放っていた。
二人は、まだ素手状態……だけどその目は鋭くて、油断なくアインの様子を探っている……。
『な……なんだよ?』
「質問です。めぐるさんと一緒にいる人のこと、あなたはご存じなんですか?」
『……。あぁ、知ってる』
「……そいつが、如月神社襲撃の犯人ですか?」
『可能性はゼロ……とは言えないな。だけど、正確なところは知らないよ。アンタたちが知っている通り、ボクは人間界についた途端に瓦礫の下敷きだったんだからさ』
どうやら、二人はめぐると一緒にいる(と思われる)存在をアインが知っていることを警戒して、敵かどうかを推し量っているようだ。
……無理もない。二人とも、如月神社の惨状と負傷した人々の姿を見ている。私ですらめぐる救出という最優先事項がなければ、アインのことをもっと疑って、距離を取ったかもしれない。
今は……どうだろう。少なくとも、彼女が嘘をついているようには見えなかった。
「あなたは、その人とどういう関係なのですか?」
『……ま、家族みたいなものだ。血は繋がってないけどさ』
「…………」
家族、と言葉が出た瞬間……テスラさんたちの表情に変化が現れる。驚くような、迷うような……それでいて、少し懐かしんでいるような雰囲気にも映った。
「……。あなたの目的は?」
『決まってるだろ。その家族が、アンタたちに迷惑をかけた犯人かどうか、確かめるんだよ。そして――』
胸元にある、少し前まで宝石があった金の台座に目を向けてから、アインは顔を上げていった。
『……もし、事実そうだったとしたら、巻き込んじまっためぐるを人間界に返した後……そいつをぶん殴る。そのために、ボクはここに来たんだ』
「家族を、……殴る?」
『そりゃそうだろ。家族が馬鹿なことをやったら、止めるのは家族しかいないしな』
「…………」
アインの単純明快な答えを聞いたテスラさんとナインさんは、互いに視線を絡ませる。
彼女を信じるかどうか、判断しかねているのだろうか。……そう思いながら黙って様子をうかがっていると、少しだけ緊張をゆるめたテスラさんが口を開いていった。
「……すぐに信じられる、とは言えませんね。なにしろあなたは、世界を崩壊に追い込みかけたとんでもない人ですから」
『っ、……反省してるっていっただろ? んなこといっても、意味がないってわかってるけど……』
「とはいえ、今のところはひとまず、保留としておきます。けど、妙な動きをしたら……」
『わかってる。お互い、ここでゴチャゴチャ言い合ってる時間は無いみたいだしな』
……そう。ここにいる四人の目的は、全員同じ。
正直、私がアインに無理矢理ついて来なければこんなことにはならなかったような気もするが……後悔しても遅い。今は先に進む方法を探すことが先決だろう。
「あの……天使ちゃん。本当にもう魔界に行く手段は、私たちに残されてないの?」
『ンー、少シ遠回リニナルカモシレナイケド、……一応、方法ハマダアルてん』
「えっ? で、でもさっきはもう、ここから魔界ヘは行けなくなったって……」
「直接ハムリダケド、迂回スレバ問題ナイてん!」
そう言って私たちのことを安心させるように、天使ちゃんは小さな手で自分の胸をポンと叩いた。
「『わーるど・らいぶらり』カラ、可能性世界ノ分岐点ヘ行クコトハ可能ダてん。ダカラ、魔界ガ生マレル分岐点ニ行ッテ、ソコカラ魔界ヘ向カウてん!」
「……えっと、ちょっと待って。それって、どういうことなの?」
せっかく代案を提示しているようだけど、……『可能性世界の分岐点』という言葉が、まず理解できない。そして原理がわからなければ、不安がつきまとうのは当然のことだ。
そんな疑問と懸念を抱いた私に対してテスラさんが、天使ちゃんの言葉を引き継ぐかたちで説明をしてくれた。
「歴史には必ず、未来を決める大きな事件があります。革命に、英雄の出現……そして、戦争。それが成功したか否かによって、その先に向かう展開は無数の可能性からひとつに固定されます。……では、選ばれなかった未来はどうなると思いますか?」
「えっと……それは当然、仮定として理論的には存在しますが、現実にはなかったことになると思います」
「確かに。……ですが、平行世界の考え方だと「仮定としての未来」も分岐点を境目として、全て存在していることになるんです。誰かと出会った未来と、出会わなかった未来。あるいは生き残った可能性と、そうでない可能性……それらにつながっている場所が、この『ワールド・ライブラリ』というわけです」
「…………」
なんとなくだけど、理解する。……そして戦慄を覚えて、ぞっとなる。
つまり、ここを経由することでたとえば、……私がめぐると出会わなかった「可能性世界」にも行くことができるということだ。
……そんな世界、行きたくない。存在を認めることすら、私には恐怖にも等しいことだった。
「ソユコト! コノ『わーるど・らいぶらり』ハ、アラユル可能性ヲ超エテ、ドンナ世界ニモ行クコトガデキルてん! ソシテ、時間ヲ遡ルコトデ、過去ニモ――」
そう言って天使ちゃんは、空を仰ぐように両手を天へと伸ばす。
水のような流れと清浄の世界に浮かぶ、無数の球体。おそらくはそのひとつひとつが、様々な可能性に分岐した未来のカタチなんだろう。
……その中には、ひょっとしたら自分でない自分がいるのではないかと想像して、……思わず身震いにも似た感覚を覚えずにはいられなかった。
「アラユル過去、現在、未来ニ存在スル選択。ソレニヨッテ生マレル世界ヲ観測シ、保存スル……ソレガ『わーるど・らいぶらり』ダてん!」
「……。じゃあ、魔界が生まれる分岐点というのは……?」
「ソノ言葉ノ通リてん。『えりゅしおん』ガ生マレル前ノ、過去……ソコニアル分岐点ヲ使ッテ、魔界ニ入レバ問題ナイてん!」
「確かに、それなら……って、『エリュシオン』が生まれる前の、過去……っ?」
だけど、少しずつ平行世界の概念と構成について理解しつつあった私は、今の天使ちゃんの言葉を受けてさらなる疑問と驚愕の事実を突きつけられていった。
「ちょ、ちょっと待って! 魔界って、昔からあったんじゃないの!?」
唐突に提示された情報を前にしてテスラさんたちはもちろん、アインですら驚愕で固まっている。それほどに、今天使ちゃんが言ったことはコレまでの常識を覆すものだった。
「私が、つかさ……ジュデッカ様から聞いたお話によると、『エリュシオン』……つまり魔界は、人間界とは神話の時代から対立していて……ある時大魔王ゼルシファーが現れて魔界を支配し、力を集結させて人間界に侵略した……。そう言い伝えられているとお聞きしました。それは、間違っていたということですか?」
「間違ッテハナイてん。デモ、全部正シイトモイエナイてん」
「また、そんな言い方を……」
要領を得ない返答にはぁ、とため息をついて、テスラさんは頭を抱える。そして考えを整理するためか、今度はアインに向き直って訊ねた。
「……アインさん。あなたたち魔界の方々はどうなんですか?」
『え? えっと……ボクが知ってる話とも違うかな……けど、『エリュシオン』と人間界が元は一つだったなんて話は、聞いたことがないぞ』
テスラさんの問いに、アインは強ばった表情で返す。……そして重い沈黙が立ちこめる中、全員が固唾を飲んで天使ちゃんの言葉を待った。
「行ッテミレバワカルてん!」
「……っ……」
相変わらず爽やかな晴天を思わせる天使ちゃんの声。だけど私の心は、まるで夕立間際の雨雲を彷彿とさせるように暗く、重い感じに沈んでいた。
……自分の知らなかった事実にひそむ不穏な気配に、思わず背筋が震えそうになる。
遠い過去にどんな光景が待っているのか、今はまだわからない。だがそれが明るい光に満ちたものでないことは、その様子を見ていればすぐに理解できた。
「(でも、めぐるを助けるためには……行くしか無い)」
私は顔を上げ、テスラさん、ナインさん……そしてアインの顔を見る。
それぞれ目的は違うけれど……今、この瞬間だけは心が一つだった。
「わかったわ。天使ちゃん……私たちを、過去に連れて行って」
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