第一部 第四章
第38話
「ど、どうして……? なんでめぐるが、ここに……!?」
「……っ……」
すみれちゃんからの問いかけに、あたしは何も返すことができないまま呆然とその場に立ち尽くす。
……ずっと、会いたかった。見送られて学院を発った時から、すみれちゃんのことを忘れたことなんてほんの一瞬もない。
だから、伝えたい言葉……訊きたいことは山ほどあった。
「(すみれちゃんこそ、どうしてこんなところに……!?)」
すぐさまに浮かんだ疑問の言葉が、真っ白になった頭の中に文字として刻み込まれる。
そもそも、すみれちゃんはどうやってここに来たんだろう?
それに、側にいる人たちは誰……?
そうだ……! 雫さんや如月神社のみんなは、あの後どうなったのか知ってる?
あとは、それから、それからっ……!
「ぁ……あ……」
頭の中に次々と、たくさんの言葉が積みあがっていく。
なのに、……思考が止まってなにひとつ、口から出てこない。それどころか息もうまくできないくらい、喉がひきつったように震えて動かなかった。
「あたし……あたしは……っ」
それでも、何とか絞り出したその声が音になった途端、……瞳の奥にじわっと熱いものがこみあがってくる。
――あなたは、間違っていない。
思い出す。チイチ島で、すみれちゃんが言ってくれた言葉……。
あたしが余計なことをして、ヴェイルちゃんとヌイ君を迷わせてしまったせいで二人が死んだ……そう思って絶望に落ちかけたあたしを救ってくれたのが、彼女だった。
――あなたが正義の味方になろうとしたから。
――人を笑顔にしようとしたから。
――私も、あの子たちも救われた。
『だから、何も間違ってない。……自信をもって』
『っ、……う、うぅっ……!!』
そんな優しい言葉と、暖かくて柔らかい微笑みが記憶とともに蘇ってきて……とうとう、あたしの目から大粒の涙が零れ落ちていく。
――もしあなたが自分を信じられないのなら、代わりに私が信じる。
――めぐるが正しいって、何度でも言う。
すみれちゃんがそう言ってくれたおかげで、あたしはもう一度立ち上がろうと思った。自分を信じる勇気を持つことができたんだ。
だから、そんな想いに少しでも応えたかった。その言葉が正しいと証明したかった。
――めぐるは私の……正義の味方だよ。
そして、これからもずっと大好きなすみれちゃんと、正義の味方を続けたい……それが、あたしの願いだった。
「あ、ぁ……」
エリュシオンも、この世界も、アストレアさまも……みんなみんな助けたいと強く思うことができたのは、すみれちゃんの支えと励ましがあったからだ。
でも、あたしは……。
「あ、た……し」
アストレアさまを、守れなかった。
あたしのことを信じてくれたこの人を、死なせてしまった。
そして、あたしのことを大切に気遣ってくれたエンデちゃんの期待にも、応えることができなかった……。
「あたし…………は……」
すみれちゃんは、あたしを正義の味方って言ってくれた。
でも、それならどうしてこんな状況になってしまったんだろう……? 助けなきゃいけない人を助けることが正義だったら、今のあたしは……っ。
――ヴェイルとヌイは、あなたのせいで死んでしまったのよねぇ。
「……っ!」
どろりとしたメアリの声が、嘲り笑いの表情とともにまた浮かんでくる。
ヴェイルちゃんとヌイ君を失って、すみれちゃんと喧嘩して……耐え切れずに逃げ出してしまったあたしの目の前に現れた彼女は、その後――。
「(……あぁ、そっか)」
どうして、あたしはあの妖しい笑みを見ると怖気がするのか……やっとわかった。
あの笑いは、……あたしが一番見たくない記憶の表れなんだ。あの時のことを思い出すと、自分の弱さと、情けなさと、ふがいなさと向き合うことになるから……。
――あなたがいると、みんな 不幸になる。
「(……違うっ!)」
そうじゃない……そうじゃないって、すみれちゃんは言ってくれた! でもっ……!
「っ……!」
否定したい。否定しなきゃいけない。……でも、否定するたびに胸が苦しくなる。
胸の奥が焼け焦げていくように……痛くて、辛いものが呼吸とともに広がって……。
―――あなたは、ここにいるべきじゃないわ。
そんな、あたしを絶望へと追いやる言葉を残して……メアリの幻が、目の前から消える。そしてあたしの思考は現実へと立ち返って、むせ返るような血の臭いとともに、こちらの様子を遠巻きに伺うすみれちゃんたちの姿が視界の中に戻ってきた。
「……っ……」
言わなきゃ……でも、なんて言えば……何を言えば、あたしは――。
「……。お前が、そうなのか……?」
と、その時。風の音だけがうるさいくらいに聞こえていた世界に、低く、重い……まるで、猛獣の咆哮のような声が響く。それに気づいて視点をずらすと、すみれちゃんの少し後ろに黒い甲冑に身を包んだ騎士らしき男の人が立っていて――。
「――っ……!!」
次の瞬間、視界から消えた。
「よくも……よくもアストレアをぉぉぉっっ!!」
その叫びとともに、まるで限界まで引き絞った弓矢が放たれたかのようにその人が突進してくるのが見える。そして烈風のごとき勢いと、殺意を宿した大剣を振り上げて私の方へと向かってきた。
「ま、待ってっ!?」
「おい、カシウスっ!」
すみれちゃんの声が聞こえる。
知らない誰かの声が聞こえる。
だけど、……あたしの身体は動かない。ううん、動けなかった。
「(……あたし)」
そんな中で時間と空間が、スローモーションのようにゆっくりと過ぎていくのを感じる。
床に散らばったステンドグラスの欠片を踏み砕きながら、間近まで迫った黒い騎士。彼はうなりとともに私の頭上に大剣をかざすと、それを勢いよく振り下ろした――。
「(……ここで、死ぬんだ)」
そんな漠然とした思いが、泡のように浮かんで……消える。
「(――ごめんなさい)」
何に謝っているのか、自分でもわからない。ただその間も、月明かりを反射した大剣があたしに迫って――。
『――させないっ! はぁぁぁっっ!!』
すると、ぼんやりとした視界の中――割れた天井のステンドグラスの穴から、何かが落ちてくるのが見えた。
光に包まれたそれは、真昼のような輝きを持って暗い部屋の中をまばゆく照らし出す。そして――!
『レイ・シールドっっ!!』
「なっ?――がぁっ!?」
その剣の一撃があたしを斬り裂かんばかりに放たれた直前、天井から降ってきたそれが光の壁を広げ、騎士の斬撃を受け止めた。
『っ……!』
白いマントがひらめき、あたしと騎士の間に立ち塞がるように着地したのは……。
「え、エンデちゃんっ……?」
『クラスター・レイっっ!!』
「がぁああぁっっ!!」
続いて名前を呼ぶよりも早く、エンデちゃんの攻撃が炸裂して黒い騎士を弾き飛ばす。そして、
「めぐるっ……、ぐっっ?」
「あぶないっ、下がれ!」
「っ……なっちゃん!」
「姉さん……!」
凄まじい攻撃の余波は、部屋の入口に立ち尽くしていたすみれちゃんや他の人たちをも吹き飛ばすほどの勢いで襲いかかっていった。
『……浅いっ、もう一度――』
「や、やめて……!」
さらに攻撃をかけようと両手を振り上げる彼女の動きを見て、あたしはとっさにエンデちゃんの足下にすがりつく。一瞬、殺気走った鋭い眼光があたしを射すくめるように弾け飛んだけど、それでも彼女は放とうとした光の矢を手の中に収めてくれた。
「あれは、すみれちゃんなの! あたしの、友達……だからっ!」
『――っ……!』
「敵じゃない……攻撃しないで! お願いっ……!」
『向こうも、そう思っているとは限りません!』
懸命に言い募るその訴えを、彼女は厳しい表情のままで遮る。その形相に思わず怯んだあたしは、つかんでいた手を放してしまった。
『っ、アストレアさま……っ!』
そしてエンデちゃんは振り返り、血まみれのあたしと息絶えたアストレアさまを交互に見る。そして唇を噛みしめながら、苦しげな表情で叫んだ。
『めぐるさま……! こうなってはもう、最後の手段です! アストレアさまをこのまま、エリュシオンへお連れします!』
「で、でもっ……! アストレアさまは、もう……」
『わかってます!』
そう言ってエンデちゃんは何か呪文のような言葉をささやいて、目の前に光の壁を展開する。それはうっすらと透きとおるベールのようにも見えて、無数の火花を散らしながら空間を遮断していた。
「なっ……こ、これは!?」
「魔術の結界か……くそっ!!」
立ち上る土煙の向こう側には、揺れる人影が見える。激しい衝突音が断続的に聞こえてきたけど、見た目よりも堅固なのか破られる気配は感じられない。
「エンデちゃん、どうするの!?」
『お下がりください、めぐるさま! 今ならまだ、私がこのお方とっ……!』
エンデちゃんは血まみれのアストレアさまの側に膝をつくと、白い服や手が血に染まるのもかまわず彼女に触れていく。そして――。
「-・-・・ -- ・・- ・-・・ ・- -・-・ ・・-・・ -・-- -・--・ -・・-・ ・・-- ---- ・・-・・ ---- ・・-- -・-・- ・-・・ ・- ・--・ ・-・ -・-・・ ・・ ・・-・・ -・・・- -・--・ -・・-・ ・・-- --・- ・-・・ ・・ ・- -・ -・・-・ ・・- ・- ・・-- --・ -・ -・・-・ ・・- 」
まるで歌うような、祈るような聞き慣れぬ言葉で紡がれる声。
それが、天井の高いこの室内でも甲高く反響し……言葉では聞き取れない何かを紡ぎだしていった。
「えっ……?」
すると、口ずさむほどにエンデちゃんの身体が薄くなっていくことに気付く。
「-・- --- -・・・ ・・・- -・-・- --・・- ・・ ・-・ --・ 」
最後にその言葉を口にした直後、エンデちゃんの体が霧のように崩れ落ち、跡形もなく消えて……その直後――。
「…………」
お腹を真っ赤に染めたまま、アストレアさまがぱちり、と目を開けた。
「なっ……え、えええっ!?」
驚いて飛びのきそうになるあたしの目の前で、血まみれの身体がむくり、と起き上がる。
ど……どういうこと? ひょっとしてアストレアさまが、生き返った……!?
「アストレア、さま……!?」
『いえ、違います!』
だけど、その口から飛び出した声は、アストレアさまとは明らかに違う。……というかこの声って、まさか――。
「……え、エンデちゃん?」
『はい……一時的にこのお方と『融合』して、このお身体を借りています!』
見た目と違い、エンデちゃんの声を持つアストレアさま。すると彼女はむせ返るような血の臭いの中で立ち上がり、呆然と立ち尽くすあたしの手を強引に掴んだ。
「……っ!?」
ひやりとした、まるで氷のような感触にぞわりと背筋に悪寒が走る。
「(やっぱり、アストレアさまは……)」
アストレアさまがあたしの手を握った時の、優しい体温はもう欠片も残っていない。その事実が、今この身体を動かしているのがエンデちゃんであることをいやでも理解させるようで、胸が締め付けられるような思いだった。
『時間がありません……めぐるさま、移動しますっ!』
そういってアストレアさま……ううん、エンデちゃんはどこからか小さな黒い石を取り出す。続いて呪文を口ずさみ……かっ、と目を見開いて石を持った手を高く振り上げた。
「あ、アストレアさま……!? いや、違う! お前たち、何を……!?」
「……っ……!?」
光の障壁の向こう側で、長い金髪の騎士らしい人がこちらに向かって手を伸ばしているのが見える。さらにその背後には、まだ呆然とした表情のすみれちゃんの姿もあった。
『……恨むなら、いくらでも恨めばいい!』
アストレアさまの姿をしたエンデちゃんが、叫びながら手にした宝石を砕く。その破片の一つ一つが大きく膨らみ、あたしたちを光の壁ごと飲み込んでいった。
『私は、エリュシオン復興のためなら悪魔にでも魂を売ると決めたんです……! だからアストレアさまさえお連れすることができれば……この世界に、もう用はない!』
その言葉と同時に、……世界が揺れる。
……この感覚は知ってる。あたしたちがこの世界に来た時と同じだ。ということは――。
「(戻るんだ、エリュシオンに……、!?)」
世界が歪み出していくのを見て取ったあたしは、その事実を理解してはっ、と息をのむ。
やっと会えたすみれちゃん……! なのに、このまま離れ離れになるなんて――。
「ま……待って、エンデちゃん! あたし、すみれちゃんに――」
『っ……待て、エンデっ!』
と、その時だった。鋭い叫び声がこだまして、障壁の向こう側に新たな人影が現れる。
薄い紫の髪を、ショートカットにした女の子。
こちらを真っ直ぐに見つめるその面立ちは……どこか、エンデちゃんに似ているような気がした。
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