第39話

 私の見ているこの光景が悪夢だったなら、たとえ寝覚めが沈鬱なものになったとしても、どんなに救われたことだろう。……それくらいに目の前にあるものは残酷で、辛辣で――そして、現実として受け入れがたいものだった。


「……っ……」


 床に倒れ伏して動かなくなった、アストレアさま。そのすぐそばで全身を血に染めて、めぐるが悄然と座り込んでいる。

その姿を見てまさか、という困惑や疑念はほんの少しもなかった。明らかにめぐるは何かに巻き込まれ、この惨状を目の当たりにして我を失っているだけだろう。

だけど……めぐるのことをよく知っている私ですら、混乱に支配されて真っ白になった思考ではそこまでが限界で……。

 まして、あの子のことを当然よく知らない他の人たちが何を感じて、そしてどう反応するのかは想像するまでもなかった。


「よくも……よくもアストレアをぉぉぉっっ!!」

「なっ? 違っ、あの子は――」


 はっ、と我に返った時にはすでに遅かった。雷光が迸るような叫びとともにカシウスが地面を蹴り出し、めぐるに向かって一気に間合いを詰めて襲いかかる。

 その手には、殺意を帯びた愛用の大剣。――疾風のような突進は残像が映るほどに速く、めぐるはまだ思考が追い付いていないのか泣き濡れた顔のまま構えどころか、身じろぎもせずその場に固まっていた。


「ま……待ってっ!」

「おい、カシウス!」


 慌てて駆け寄ろうとしたが、とても止められない。そして怒りに吠える彼の耳に、私の声はもちろんフェリシアの声すら届いていなかった。


「あぁああああああああああああああああ!!」

「――っ……!?」


 全身にぞっとするような戦慄が駆け巡り、音にならない悲鳴が喉から漏れだす。そんな私の目前でカシウスの大剣が、無防備の姿をさらすめぐる目がけて振り下ろされ――!


『――させませんっ!!』

「えっ……!?」


 だけど次の瞬間、誰ともつかない声が頭の中に響いたかと思うと……割れたステンドグラスの天井からのぞく星のきらめきが大きく膨れ上がり、室内へと降り注がれる。


『はぁあああっっ!!』

「なっ――っ!?」


 それが魔法らしき超常の力によるものだとわかったのは、その向こうに立つ人の姿を見たからだ。そして光はそのまま障壁のように広がって、カシウスの渾身の一撃を受け止める……!


「……っ……!?」


 カシウスと対峙していたその人物は、女性……薄い水色の髪を羽のように広げて、白い衣装をはためかせていた。

さらに彼女は、めぐるを守るように割って入ると突き出した左手で障壁を維持しながら、右手を高らかにかざして口元で何かを呟く。そして――。


『クラスター・レイっっ!!』

「がぁああぁっっ!!」


 続けざまに長髪の女性が放ったのは、無数の光の矢。それを至近距離でまともに食らったカシウスは吹き飛ばされ、崩れかけた部屋の壁に叩きつけられてしまった。


「めぐる……ぐっ!?」

「危ない、下がれっ!」


 その声に反応するよりも早く、身を乗り出しかけた私は腕をつかまれ乱暴に元の場所へと引き戻される。そこへ、女性が放った光の矢が流れ弾となって飛来し――轟音とともに床を砕いて、爆風を巻き起こした。


「っ……!」


 私が踏み出しかけたその場所は、えぐれて大きな穴が開いてしまっている。フェリシアがもし腕を引いてくれていなかったら、たとえこのスーツをまとっていたとしても無事では済まなかっただろう。


「攻撃、また来ますっ――なっちゃん!」

「……了解!」


 続けざまに放たれる光の矢の攻撃を、テスラさんとナインさんが電撃の壁、そして大剣で弾き飛ばしながら防いでくれる。

 だけど、これは牽制なんて生易しいレベルじゃない。間違いなくこの光の矢は、私たちを倒すために繰り出されていた。


「くっ……? こうなったら、まずあの相手を沈黙させるしか……!」

「……ひきつけて、接近戦。それから――、っ?」

「ま、待ってくださいっ!!」


 臨戦態勢で表情を改めるテスラさん、ナインさんの殺気を感じた私は、慌ててその前に立ちふさがる。そして動きを止めた二人に対して必死にすがりついていった。


「あの人、めぐるを守ろうとしています! だから、敵じゃないかもしれません!」

「っ、……で、ですが……」


 テスラさんは困惑をあらわに、ちら、と少しだけ顔を動かして瓦礫の中で気絶しているカシウスを見る。

 ……頑強と剛勇を誇る彼が、駆け寄って介抱するフェリシアの呼びかけにも応じないほどの痛手を負ってしまっていた。あの女性はひょっとしたら、直前に戦ったクラウディウスに匹敵……いや凌駕するほどの能力の持ち主かもしれない。

もし誤解だとしたら、戦わずにすませることができれば――と、その時だった。


「っ? 姉さん、あれっ……!?」

「なっ……!?」


 驚いて声をあげたナインさんに反応して、私とテスラさんはその視線の先へ目を向け、……同じように絶句する。

 ほんの少しだけ目を離しただけのはずなのに、そこにはさっきまでいた女性の姿はどこにも見えない。代わりにそこには、もはやこと切れたかと思っていたアストレアさまが、全身を血に染めながら……ゆっくりと起き上がるさまがはっきりと視界に映しだされていた。


「あ、アストレアさま……!?」

「ど、どういうことだ……? お前たち、何を……!?」

『……恨むなら、いくらでも恨めばいい!』

「(えっ……?)」


 戸惑う私、そしてフェリシアの問いに対して返ってきたのは、アストレアさまとは違う知らない声。……いや、思念のような言葉だった。


「(これって、アインと同じ……、!?)」


はっ、と思い当たるものを感じて私は、アストレアさまの口元に目を向ける。言葉は叫びとなって、甲高く私の頭の中に響き――。


『私はエリュシオン復興のためならば、悪魔にでも魂を売ると決めたんです! だから、アストレアさまさえお連れすることができれば……この世界に、もう用はないっ!!』

「――っ……!」


 暗がりの中、その言葉と彼女の口の動きが微妙にずれていた。ということは、ひょっとしてこれは……?


「なっ……!?」


と、その時。突然何かの色をした輝きが私たちの視界を覆い、アストレアさまの姿をした誰かと、めぐるの身体がその中へと包まれていく。

 その光の正体と意味は、私にはわからない――でも、嫌な気配が胸の中で急速に膨らんでいくことだけははっきりと感じていた。


「(あれを、止めなくちゃ……!)」


 止めなければ、もう二度とめぐるに会えない……理屈ではなく、肌を撫でる空気のビリビリとした感覚が全身にそう訴えかけてくる。だけど、


「ま……待ちなさいっ!」

『――邪魔をするなっ!!』


 テスラさんたちが接近を試みようとしても、対峙する相手は光の矢を放ってそれを許さない。そしてその表情は敵意と覚悟に満ち、とても話しかけられる状況ではなかった。


「(だからと言って、このままじゃ……!)」


 そう覚悟を決めて、私が一か八か光の矢の猛攻の中に飛び込もうとした――と、その時だった。


『ま……待てっ!』

『……っ……!?』


 轟音の中でも聞こえるほどの鋭い声が、脳内に木霊する。それと同時に攻撃が止まって光が弱まり、立ちこめる砂埃の中でアストレアさまの姿をした誰かと、座り込んでうなだれるめぐるの姿が見えた。


『なにやってんだよ、お前はっ! これが、お前の信じるやり方だってのか!?』

「あ、アイン……?」


 そう言って、駆け込んできたのはアインだった。

 顔色は相変わらず真っ青で、全身は小刻みに震えて立っているのがやっとの状況だと一目で理解できる。それでも彼女は、今残っている力を振り絞るようにして目の前の相手をきっ、とにらみつけていった。


『やっと会えたと思ったら、アストレアさまと同化だと……? お前、今やってることの意味が分かってるのかよ!?』

『あ、アイン……っ? どうして、ここに!?』


 アストレアさまの姿をした誰かが 、悲鳴のような声をあげる。……その返答が、私の推測を確信へと導いていた。


「(アインは、言ってた。自分たちエリュシオンの民は、宿主と決めた相手と融合することができる、って……)」


 つまり、さっき私たちに攻撃してきた水色の髪の女性がアインと同じエリュシオンの民であったのだとしたら、彼女が私に融合したものと同じ力を持っていてもおかしくはないだろう。

 そして……すなわちそれは、アインが探し求めていたという、あの……!


「……アイン、ひょっとしてあの人は、アストレアさまじゃなくて――」

『あぁ……その通りだよ。エンデのやつ、なんて馬鹿な真似を……っ!』


 そう答えてアインは口惜しさを思念の響きににじませながら、さらに言葉を重ねていった。


『やめろっ、エンデ! お前は間違ってる……! そんなことをしたって、エリュシオンはもう元には戻らないんだ!』

『わかってます!……でももう、ここで止まるわけにはいかない』

『いいから、話を聞けよ! 今ならまだ、やり直すことが――』

『来ないで!』


 だけど次の瞬間、その足下に向けてアストレアさま――エンデは手をかざし、無数の光の矢を放って攻撃をしかけてきた。


「――アインっ!!」


 私の叫び声は、石畳の破砕音にかき消される。床石が砕け散って砂埃が舞い上がり、……その後にあらわになるだろうむごい光景を想像してしまい、私は思わず身をすくめて息をのんだ。だけど、


『…………』


 アインはそのままの姿勢で、立っていた。周囲の地面はえぐれているものの、土埃と泥に汚れながらも彼女は健在だった。


「(どういうこと……?)」


 すると、アインは……いつの間にか前にかざしていた手をゆっくりと下ろす。そして、悲しげにため息をつきながら口を開いていった。


『矛と盾、剣と鎧……ボクたちに与えられた力の意味、忘れたわけじゃないだろ……?』

『……っ……』

『どうしてもというなら……ボクも覚悟を決める。お互いが決めた主に力を託して……だけど、それがお前の望むことなのか?』

『…………』


 その言葉を受けて、エンデはうなだれたように顔を伏せる。

 やっと、話を聞く気になってくれた……? そう思って足を踏み出しかけた――その時だった。


『……。ふふ、ふふふふっ……あははははっっ……!』

「……っ……!?」

『主……? 主だと? あははははははは! 私は……私には、主などっ――!!』

『っ? おい、エンデっ!?』

『私に、主などいないっ!! 友達すらも捨てた!! だから、私に残されているのは――ただ、エリュシオンの復活にかける想いだけよっっ!!!』


 その宣言を合図にして、エンデと呼ばれた彼女と、めぐるを包む光のベールは少しずつ厚みを増す。そして激しい烈風が竜巻のように周囲へと吹き荒れて、土埃だけでなく瓦礫すらも宙へと舞い上げていった。


「っ、ぐぅっ……!?」

『え……エンデ……っ? まさか、お前は……!?』

『あははははははっ! あっはははははははっっ!!』


 吹き飛ばされまいと身をかがめて踏みとどまりながら、私とアインは烈風の中心へと目を向ける。そこには、まるで気がふれたように高らかな笑い声をあげる聖女――いや、堕天使そのものの姿があって……、?


「(……涙……?)」


 見間違いかもしれない……だけどほんの一瞬だけ、アストレアさまの姿をした彼女の目じりに光るものを感じた私は、思わずと息をのむ。そして、そのすぐそばでゆっくりと顔をあげてこちらに視線を向けるめぐるの姿を見て、……矢も楯もたまらず、反射的に駆け出していた。


「めぐる……っ!!」


 めぐる……あなたがどうしてここにいるのか、私は知らない。

 そして、どうしてあなたの身体がアストレアさまの血に塗れているのか、私は知らない。

 ……でも、たったひとつ分かっていることがある。


「(どんな状況でも、何があっても……あなたは、正義の味方だから!)」


 だから、話を聞かなきゃいけない。何があったのか、どうしてここにいるのか。

 だって、私はあの子のパートナーで……親友だから――!


「……っ、ぐ、うぅっ……!!」


 めぐるまでの距離は、あと数メートル。

この調子なら、もうすぐ手が届く……いや、届かせる!


『っ、……え、エンデっ……!!』

『……。さようなら。ごめんなさい、アイン――』


 だけど次の瞬間、急速にめぐるを包む光が強まっていった……!


「めぐるっ……!」


 運よく気流の谷間に入り込み、その間隙をついて私はさらに接近を試みる。そして大切な友達の名前を叫びながら、そのもとへと駆け出した。


「……。すみれ、ちゃ……」


 やがて、めぐるがゆっくりとその手を、……私に向けてさし伸ばしてくれる。

 血染めの頬に涙を伝わせながら、その瞳は絶望の色を濃く浮かべていたけれど……でも、確かに私のことを見てくれていた。


「めぐるっ――!」


 彼女を包む光の眩しさに目を細めながらも、駆け寄る速度は落とさない。

 あと五メートル……四メートル……。


「くっ……このっ……!!」


 力を限りに絞り出しながら、必死に腕を伸ばす。

 この手が……この手さえあの子に届いた後だったら、腕がもぎ取れたって構わない!

 だから、お願い……神様っ……!


「すみれちゃん……っ……!」


 少しずつ姿が見えなくなっていく。だけど、めぐるはしっかりと私に向けて手を伸ばし続けていた。

 あと少し。ほんの少しで、あの子に手が届く……!


「めぐるぅうううううう!」

「すみれちゃ――」


 そして、あと少しで指先が届く直前で。

――私の手は、虚空をすり抜けた。


「っ……きゃぁぁぁっ!?」

「すみれさん!」

「すみれっ!」


 そのまま私の身体は残像を突き抜けて、走り込んだ勢いを止められずに瓦礫の中に突っ込んでしまう。それを見て、慌てて駆け寄ってきたテスラさんとナインさんが瓦礫に半ば埋まったようになった私を引き出してくれた。


「大丈夫ですか? お怪我は……」

「……へ、平気です」


 そう答えてから私は、二人に抱え上げられるようにして立ち上がる。……目の前には、まだ気を失ったままのカシウスと呆然とした表情のフェリシアの姿が見えた。

 そして――。


『…………』


 振り返ると、だだっ広いこの聖女の間の中心には……アインが立ち尽くしていた。

 彼女は背を向けているので、こちらからはその表情をうかがい知れない。……だけど、めぐるたちがいた場所を無言で見つめながらこぶしを震わせるその様子は、何よりもその感情を物語っていた。


「(今のは、まさか……空間移動?)」


 天使ちゃんに連れられて、この世界に来た時のことを思い出す。……つまり、エンデと呼ばれた彼女はその能力を持っているということだろう。

 そして、その向かった先は、おそらく――。


「早く、連れ戻さないと……! このままじゃ、めぐるは……っ……」

「……焦らなくても、いい。落ち着くべき 」

「えぇ、なっちゃんの言うとおりです。まずはこちらの体勢を整えてから……、っ!?」


 その時、ぐらりと足下が揺れる。最初は自分の意識が緩んだ錯覚と思ったけれど、それを否定するようにどこからともなく地鳴りのような音が聞こえてきた。そして――。


「なっ……きゃぁああぁっっ!?」


 あっというまに揺れは拡大して、立っているのが困難なほど苛烈になるまで一瞬のことだった。


「こ、これは……!?」


 すると、まだ覚めない夢の中にいるような私の耳元で、愕然と息をのむ声が響く。……それは、天使ちゃんのものだった。


「……天使ちゃん?」

「どうしましたか!?」

「っ……! このままでは危険です、緊急脱出をかけます!!」

「えっ?」


 テスラさんが再度問いかけた次の瞬間、天使ちゃんの小さな手が輝きだす。その表情には今までにないほどの焦りが浮き出ていた。


「ど……どういうことですか!?」

「限界が、予想以上に早くやってきました……! もうこれ以上、この世界にとどまっていることはできません!」

「っ……ま、待って!」


 その警告にはっと我に返り、慌てて部屋を見渡す。

 倒れたカシウスに、肩を貸すフェリシア……この世界を脱出するということは、彼らを残していくということに――?


「この世界の人たちは、どうするのっ? せめてあの人たちを、逃が――!」

「説明は、あとで必ずします! 今は、私の言う通りにしてください!!」


 だけど天使ちゃんは、私の声を無視してその手の光を強めていく。そして、


「姉さん、あれ……!」

「なっ……!」


 それと同時に、ヒビの入った床の割れ目や崩れかけた壁に裂け目が走る。その隙間から漆黒とも紫ともつかない 、不気味な色がこちらを除いていた。


「っ……!」


 呼吸も出来ないほどの暴風が部屋の中に入り込み、まるで苦しむように暴れながら部屋の中のものが裂け目に向けて吸い込んでいく。

 砂埃、小石、瓦礫……そして。


「う、うわぁああああああああああああああ!!」

「フェリシアさん! カシウスさん!」


 崩れ落ちたカシウスと彼を担いだフェリシアの二人は、壁の近くにいたせいか私たちが駆け寄る間もなく闇の中へ消えていった。

 そして私たち、さらには呆然と立ち尽くすアインの身体も少しずつ、壁の方へ引きずり込まれて――!


「なっちゃん、お願い!」

「――了解っ!」

「っ……!」


 でもその体が闇へ消える前に、テスラさんが走り出す。そして瓦礫の上を飛び越えるとその小さな体を抱きしめたるようにしてとらえ、崩れかけた柱に辛うじてしがみついた。


「転送準備完了……! みんな、構えて!」


 天使ちゃんの宣言が放たれた次の瞬間、私たちの体は一瞬にして光の中に飲み込まれた。

 目に痛いほどの白が、視界を塗りつぶしていく――。


「あ……」


 この世界にはじめて来たと同じ、まるで何かに守られているような感覚を覚えながら、……私たちは、1000年前の世界を脱した。

 まるで、何かに拒絶されるようにして――。

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