第48話

 ……視界が、暗い。

無意識のうちに目を閉じてしまっていたと今さら気づいた私は、……こんな状況なのについ、笑ってしまった。


「(ずっと、あの子を見ているつもりだったのに……)」


 死と向き合う覚悟を決めたはずなのに、意気地なしだ……そう思って、ため息が口元からこぼれ出る。

恐怖はなかった。だけど、「あの子」――凶気に彩られためぐるから目をそらしたことがやっぱり心残りというか、情けない思いだった。

 直前に聞こえたテスラさんの叫び声は、……もう聞こえない。胸の内で怒鳴り続けていたアインも今は、沈黙したままだ。

 静止した空間の中で、自分の思考だけが動いている。まるで私の周りの空間が、世界から切り取られたように――。


「(……。あれ……?)」


 なんだか、おかしい。ふいにわき上がったその不審な思いは徐々に大きくなって、自分の認識とのずれを伝えてくる。

 確か、最後に視界に映ったのは……大剣を振り上げた、めぐるの姿だ。そして私は、あの子に刃を向けることを捨て、その苛烈で致命的な斬撃をこの身に受けることを選んだ……はずだった。

 なのに、全身に襲いかかってくるであろう衝撃と、それに伴う痛みのような感触が、……ない。どういうことだろう。


「(私はもう、死んだってこと……?)」


 もしそうだとしたら、何も感じないままでいることにも納得ができる。……それにしても死とは、こんなにもあっさりとして間抜けにも思えるほど実感がこもらないものなのか。

…………。

 いや、違う。静かすぎて耳が痛いほどだけど……身体の奥から心臓の鼓動と、きぃん、と全身の血がめぐる音が聞こえてくる。

 私は……まだ、生きている。その実感は、おぼろげながらも徐々に形となって私の思考の中に組み上がっていった。


「(だったら、どうして私は、助かったの……?)」


 あの至近距離で、攻撃が外れたのか?

 誰かが、私を守ってくれたのか?

 それとも、……他の何か、奇跡のようなものが――?


「……っ……」


 暗闇の中に、弱くて小さな光が一つだけ見えたような……淡い期待が浮かんでくる。

どうしよう。目を開けて、確かめたい。

……でも、怖い。やっと諦めて捨てたはずの希望にすがってしまったら、せっかくの覚悟がくじけるかもしれない。だから私は首を振って、その光を打ち消そうと再び闇の中へ押し込もうとした。

 すると、その時――。


「……そんなの、だめだよ」

「っ……!?」


 その声が聞こえてきた途端に、さっきまでの逡巡はあっさりと打ち破られる。そして、私がはっと息をのみながら大きく目を見開くと、……そこにはっ……!


「あたしは……全部、守りたい。あたしの世界も、友達も……。そしてこの世界と、エンデちゃんたちのことも、みんな……でも……」

「……あ、あぁ……っ……!」

「一番、真っ先に守りたいのは……すみれちゃんだよ。だって、あたしが正義の味方でいたいのは、すみれちゃんの一番の友達だってことの、証みたいなものだから……」


 そう、言って。

笑顔を浮かべるめぐるの両の瞳はうるんで、光をはらんだまなざしで私のことを見つめ返している。

……戻っていた。戻ってきて、くれた……!

それを見て私も、自分の目からボロボロと涙がとめどなくこぼれ落ちていることを感じながら、……感極まった思いで、彼女の胸に飛び込んでいった。


「めぐる……めぐるっ……!!」

「呼びかけてくれて、ありがとう。信じてくれて、ありがとう……戻ってこれたよ、すみれちゃんっ……!!」

「う……うぅぅっっ……!!」


 さっきまでの不安や恐怖は全て消え去り、私はただ、腕の中に伝わる優しい感触にすがりつく。

めぐるが魔王の呪縛から逃れて、戻ってきてくれた。……それだけで私には、十分すぎることだった……!


「よかった……本当に……! ここに来るまで、ずっと……もうあなたには会えないかと思って、辛くて、悲しくてっ……!」

「……ごめんね。すみれちゃんのことは一度だって忘れたことがなかったんだけど、ディスパーザさまと思考が混ざり合ったせいで、お互いの心が真っ白になっちゃって……」

「お互いの心が、真っ白に……? ということは、さっきまでの凶行は魔王自身の意志じゃなかったの……?」


 私の疑問に対して、めぐるは「うん」と優しい笑顔で頷く。そしてわずかに私から離れると、握った両方のこぶしのひとつを広げてみせた。


「それは、……メダル……?」

「ディスパーザさまが言ってたの。このメダルに取り込まれた時、自分の意思が封印されて別の魂に乗っ取られてしまったから……力を貸してもらいたいって。だから、あたしたちは2人でその『意思』を抑えつけようとしたんだけど、逆にこっちが飲み込まれそうになって……でも」


 そう言ってめぐるは、もう一方の手を広げると……「それ」を私に差し出す。


「あっ……」


 思わず、声をあげる。それは、私が肌身離さず持ち続けていたあのマステだった。

……そして私は、自分の格好が聖チェリーヌ学院の制服に戻っていることに気づく。死の覚悟を決めた時に意識の集中が切れたせいか、変身が解除されてしまったのだろう。


「もうだめかも、と思った時に、地面にこれが落ちているのが見えて……すみれちゃんは、あたしとの約束を守ってくれてた。だったらあたしも頑張らなきゃ――そう考えたら、力と勇気が湧いてきて……元のあたしを取り戻すことができたんだよ……!」

「っ、……めぐる……!」


 照れくささと、それ以上の嬉しさが込み上がってきて、また涙がこぼれ落ちてくる。

 なんてことはない、どこにでも売っているような既製品のマステ。……でも確かに、それは私とめぐるの絆を象徴するものだった……!


「よかったですね、すみれさん……」

「……一件、落着」

『ったく……一時はどうなるかと思ったぜ』


 その様子を見守っていたテスラさんとナインさんが、安堵の表情を浮かべながら私たちを囲んで喜んでくれる。そして、矛の形状から元の姿へと戻ったアインもまた肩をすくめて歩み寄り、……その顔を見ためぐるはあっ、と声をあげて尋ねかけた。


「えっと、あなたが……アイン、ちゃん?」

『? ボクのこと……エンデから聞いたのか?』

「ううん。でも……そっか。エンデちゃんが言ってたパートナーって、あなたのことだったんだね」

『……?』


 要領を得ない、と言いたげにアインは首をかしげる。だけど、そこへ――。


「……ふん、茶番だな」


 冷たく、辛辣な嘲りを含んだ声が響き渡り、せっかくの和やかな空気を切り裂く。それを耳にして、その場の全員が壇上へと顔を振り向けたけれど……誰の言葉なのかは、わざわざ確かめるまでもなかった。


「クラウディウス・ヌッラ……っ!」

「魔王ディスパーザの支配から逃れたその力は、確かに称賛に値するものだろう。……だが、よりにもよって世界ではなく友というものにすがるとは、愚かしい限りだ。アカシック・レコーダーの資格を持ちながら、なんとも情けないものだ」

「っ、あなたは……!!」


 テスラさんは怒りでかっ、と目をむきながら、クラウディウスに向かって足を踏み出す。ナインさんも同様の表情でまなじりを吊り上げ、大剣を構えると戦闘態勢をとった。


「あなたには、人の心がないのですかっ? 姿かたちは同じでも、私の知るお父様はそんな人ではなかった!」

「やっぱり、……別人。似てる、だけっ……!」

「まだ、くだらぬことをほざくのか、小娘どもっ……!」


 苛立ちもあらわに言葉を吐き捨てて、クラウディウスは壇上から身を乗り出す。そして、その手に持ったあの『天使の涙』を掲げ、テスラさんたちを牽制するように凄んでいった。


「貴様らが誰と同一視するのかは、もはや知ろうと思わぬ……だが! これを奪った時に私は誓ったのだ! わが命さえも捨てて、全てを破壊し……滅ぼしてみせると! そして、世界の全てを敵に回してでも、この本懐を遂げることをな!――エンデっ!」

『――全員、動かないでください』


 気がつくと、アストレアの姿をしたエンデが両手を構え、険しい表情で私たちを見据えている。

 その頭上には……無数の光の槍の影。彼女が一声告げただけでそれは、私たちを貫かんとその刃をぎらつかせていた。


「や……やめて、エンデちゃん! もうこれ以上、酷いことをしないで!」

『……どいてください、エリューセラ。アストレアさまを失い、ディスパーザさまもなき今となっては……もはや私が選ぶべき道は、これしかないんですっ……!』

「っ……!」


 かばうように立ちふさがるめぐるの背中を見つめながら、私は再び血の気が引くような戦慄に唇をかむ。

 無意識の不可抗力だとはいえ、変身を解いてしまったことが悔やまれた。めぐるやテスラさんたち、アインならともかく……ほとんど無防備に近い私では、彼女の攻撃を防ぐことは不可能だろう。


『いい加減にしろよ……エンデ! 本当は、お前だってそれが間違ってるってわかってるくせに!』

『……っ!?』

『なぁ……もう、いいだろう? たとえこの世界を救うためでも、お前ひとりが犠牲になる必要なんて――』

『それでも……それでもっ!』


 アインの説得を払いのけるように、エンデはそう言って首を振り続ける。……だけどその表情は頑なというよりも、意固地に自分を信じ込ませようとしているようにも映って、痛々しかった。


『私は、ディスパーザさまから託されたのよ……! このエリュシオンを復活させて、眠りにつく大勢の民を守るようにって! だから、だからっ……』


「――違うよ、エンデちゃん」


 ふいに。

 しん、と落ち着いた口調で声がする。それを発したのは、予想外にも私の隣に立つめぐるだった。


「ディスパーザさまは、ずっとエンデちゃんに反対だったんだよ。たとえそれが、エリュシオンを救う唯一の手段だったとしても、……そのために他の、なにも悪いことをしていない世界を壊すわけにはいかない、ってね……」

『なっ……何を言い出すのですか、エリューセラ!?』


 戸惑いをあらわに、エンデはめぐるに向かって言葉を返す。その動揺が伝わったのか、宙に浮かんでいた光の槍がいくつかぐにゃり、とゆがんだかと思うと、弾けるように霧散して消えた。


「ディスパーザさまと融合した時に……教えてもらったの。エンデちゃんはこのままだと思い詰めて、取り返しのつかないことをしてしまう。……だから、アインちゃんに別の命令を出して、すみれちゃんをここに連れてこさせようとしたんだよ。そうすることで、エンデちゃんが暴走した時に一緒に止めてほしい、ってね……」


 × × × ×


 融合した時に、ディスパーザさまはあたしにいろんなことを教えてくれたの。このエリュシオンの成り立ちとか、今迫ってきている危機の正体とか……。

 そして、……崩壊しつつあるこの世界をどう感じて、何をしたいと思っているのかも……。


『平行世界の中で未来を失った、いわゆる『鼓動の止まった』世界。……そこに内包されたマナを受け入れる場所としてこのエリュシオンは生まれ、存在を維持していました。そして、この地で浄化されたマナはめぐりめぐって他の世界へとたどり着き、そこに生きる者たちの力となる流れが構築されていたのです。……ですが』

『……ですが?』

『未来を失い、『時』の概念のなくなった世界に含まれていた人々の怒り、悲しみ、嘆き、そして絶望……『黒い感情』は容易に霧散するものではありませんでした。それらは瘴気、あるいは淀みとなってとどまり……その影響を受け続けたエリュシオンの民の中から、姿を異形――あなたがたが言うところの『魔物』へと変化する者が現れたのです』


 誰かが、悪かったわけじゃない。……ほら、エリュシオンの民って他の人と融合する力があるんだってね? それが悪い影響につながったって、ディスパーザさまは言ってたよ。

 それでも、このまま『鼓動の止まった』世界のエネルギーを継続して受け入れていたら、エリュシオンに住んでいる人たちが完全におかしくなっちゃうかもしれない。

だからアストレアさまは、そうなる前にイデア――あたしたちの世界にみんなを移住させ、エリュシオンを無人の空間にしようと考えた……。


『それが、アストレアさまがあなたたちのいる世界に、異能の力を持つ民の暮らす場所――『アースガルズ』を作り上げた理由だったのです。その一部は、やがて『聖杯』と呼ばれるアスタディール一族、そして『天ノ遣』の始祖となったと聞きます……』

『…………』

『ですが……それ以外の移住計画は、大半が失敗に終わりました。イデアの人々は私たちが持つマナの力……魔力を持て余して狂気と欲望に染まっていき、協力を求めたイスカーナ王国を滅ぼす結果となってしまったのです。ゆえに、私たちは悪しきマナの影響を受けた者たちをメダルへと変えて眠らせ、エリュシオンとイデアの関係を断つことにしました……』

『っ……! で、でもそれじゃ……このエリュシオンの人々は、誰もっ……!?』

『悠久の時を、メダルの状態で過ごすことになるでしょう。……そして、この世界が滅ぶのとともにいずれ緩やかな終焉を迎えると思います』

『そ、そんなのって……だめだよっ! だってそれじゃ、この世界の人たちは救われないっ……!』

『……エンデもおそらく、同じ考えだったのでしょう。だから、この世界を救うために奔走する気持ちも……わかるのです。でも、これはすでに決まっている結末。そして定められた運命に従うことが、私たちエリュシオンの民に課せられた使命なのです――』


 × × × ×


『うそ……そんなの、嘘ですっ!』


 めぐるのそんな説明を、悲鳴にも近い声で遮りながら……エンデは、愕然とした表情で激しくかぶりを振る。そして、自分の記憶にすがるように額へ手を当てていった。


『だってディスパーザさまは、賛成してくださいました! 確かに、提案した時は何度も説得されましたが、私が、エリュシオンを救うためにこれしか手段がない……そう言ってお願いしたら、任せる、って頷いてくれてっ……!』

「……そうしなきゃ、エンデちゃんはひとりでも計画を進めていたよね? そして、あなたは成功の可能性をあげるために、もっと残酷な手段も選ぶかもしれない。……そこまで追い詰める前に、ディスパーザさまは自分の力で止めるつもりだったの」

『っ……!!』

『じゃ……じゃあ、ボクとエンデが受けた命令の中身がそれぞれ違っていたのは、そういう理由で……?』

「うん。……でも、ディスパーザさまはもう限界だった。長い間、アストレアさまの代わりにこの世界を支えるために、力を使い果たして……」


 そう言ってめぐるは、胸の前でそっと包み込むように両手をかざす。するとその中に、大きくてきれいな金色のメダルがぼうっ、と姿を現した。


「だから、エンデちゃんを止めるために協力をしてほしい……そう頼まれてあたしは、この身体を貸してあげたの。エンデちゃんの術を破るのに時間がかかっちゃって、危ないところだったけど、……すみれちゃんが信じてくれたから、なんとか間に合ったんだよ」

「めぐる……っ」


 とっさの判断で、何の根拠もなかったけれど……改めてあの時、めぐるに攻撃をしかけることを止めてよかったと、心から思う。もし真実を後から知っていたら、私は身がつぶれんばかりに悲嘆して、後悔して……間違いなくそこで、自分の命を絶っていただろう。


『っ……じゃあ、私は……ディスパーザさまの御心も知らず、何てことを……っ!』

「……ディスパーザさまは、助けたかったんだよ。エンデちゃんと、アインちゃん……エリュシオンで最後に生き残った二人のことを、ずっと気にしていたから……」

『っ、う……うぅっ……!!』

『エンデ……』


 がっくりとうなだれ、エンデは崩れ落ちるようにその場に膝をつく。光の槍はすべて消え、駆け寄ったアインがその小さく震える身体をそっと抱き寄せた。

 と、その時だった。


「……っ、お前まで、私を裏切るのか……、っ……!」

「え……?」


 壇上から聞こえてきたクラウディウスの呻くような呟きに、私は顔をあげて目を向ける。

 ……今、彼は誰かの名前を、言った……? それも私が知っている……「あの人」の名前に聞こえたような――。


「同じ次元の狭間に落ちて、彷徨い、ようやくたどり着いて……同じ苦しみと絶望の未来を見た者同士だからこそ、わかりあえていたものだと思っていたのに……貴様もまた、終焉を選ぶというのかっ……!」

「次元の狭間、……絶望の、未来……っ?」


 その時、ふと、

 私は、クラウディウスを最初に見た時に抱いた奇妙な違和感の正体を悟って、……一つの仮定、いや結論を導き出す。

 ……そうだ。この胸の内にわいたものは「違和感」じゃない。むしろ、既視感だ。

 私は、「彼」と会っている。それも、私の時間を基準に考えるのであれば、ほんの数時間前に……っ!


「……不器用なのは、歳をどれだけ重ねても変わらないのね。クラウディウス……いえ」


 そして私は、確信を込めながら正面を見据えて……その「名前」を呼び掛けた。


「久しぶりね。……カシウス・アロンダイト」

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