第52話

「もう、止めてください……カシウス……」

「なっ……!?」


 さっきまでとは明らかに異なる口調と、弱々しいながらも威厳に満ちた声色。その気配を感じた私は、呼吸が止まるかと思うほどに息をのむ。

 「彼女」と実際に会話をしたのは、イスカーナでたった一度だけ……しかも、ほんの短い時間の邂逅だった。だから、ただの錯覚と願望で認識を誤っている可能性も否定できない。

でも……だとしたら今、私が目の当たりにしているものは、いったい……っ?


「ど、どういうことだ……っ!?」


さらに、クラウディウスもまた同様の反応を示して、愕然とした表情でその場に固まっている。脅威的に私たちを圧倒していたはずの狂暴な戦意がなりを潜め、その手に握られた『天使の涙』からは輝きが消えて――。

そこに、一瞬の隙が生まれた。


「っ、――アインっ!」


 我に返った私は、とっさに闇の渦の中から背後へと顔を向けて、視界に映りこんだ彼女に呼びかける。

 ……困惑はいまだに残り、真偽を確かめたい欲求がなかったわけじゃない。だけど、今はこの窮地から逃れることが先決だと思考が感情を急き立て、私はほとんど無意識に叫んでいた。


「あなたの魔法で、ここに浮かんでいるメダルを撃って! できるでしょう!?」

『よ……よしきたっ!――『レイ・ミーティア』っ!!』


 その咆哮とともに、鋭く振りかざしたアインの両手から無数の光線が迸って――渦巻きながら魔法陣を描き出していた大量のメダルを、次々に撃ち落していく。

ばらばらと、焼けただれたように黒くなった状態で地面へと散らばるメダルの残骸。それによって動きを封じられていた四肢にも力が戻るのを感じた私は、やや強引に身をよじりながら電撃の網の中から抜け出すことに成功した。


「だ……大丈夫、すみれちゃん!?」

「な、なんとか……っ……」


 荒い息をついて全身の激痛をこらえながら、私は駆け寄ってきためぐるに対して精一杯の笑顔を返してみせる。

幸いなことに魔王のドレスに身を包んでいためぐるは、変身が解けている状態の私より手際よく脱出できたらしい。それに表情を見る限りは、ダメージもさほど受けていない様子だった。


「……っ……」


 そして、めぐるの無事がわかった今……私の意識は再び、目の前に映る不可思議な光景の把握へと向けられる。

 おぼつかない足取りのまま、クラウディウスのもとに一歩、また一歩と近づいていくアストレア。その顔は血色を失って青白く、今にも倒れそうなほどに衰弱しているようにも見えたけれど、……瞳には暗がりでもわかるほどの強い輝きがあり、その進む先で立ち尽くす「彼」は射すくめられたように呆然と動けない様子だった。


「(これは……どういうことなの……?)」


 奇しくもクラウディウスと同じ言葉を内心で呟きながら、私はふいに視界の中に入ってきたエンデの姿を見とがめる。

 ひょっとしてこれは、アストレアの身体に入り込んでいた彼女の自演なのか――そんな疑いも一瞬、浮かんだりもした。ただ、頑なまでの使命感に燃えていたあの言動を鑑みてもその可能性は、限りなくゼロに等しいものだと思う。

それに――。


『あ……アストレア、さまっ……!?』


 なにより、この状況が理解できない……と言いたげに口元を震わせるその表情は、演技によるものでは決してない、という確信を抱くに十分すぎるものだった。


「(だとしたら……死者が、生き返った……?)」


そんな奇跡的な希望にすがってしまいたくなるくらいに、今の光景には整合性を見出すことができない。しかも、それが事態の好転を示すのか……それとも全く逆の意味をはらんでいるのかさえ、私は判断するすべを持ち合わせていなかった。


「す、すみれちゃん……あれって、まさか……!?」

「……。ええ……」

「アストレアさま……生きてたの……? で、でも……っ!」


 信じたいけど、信じられない……そんなめぐるの心中を察しつつも、私は何も返すことができず押し黙る。

 あの時――めぐるは血みどろになって動かなくなったアストレアの姿を、誰よりも間近で見ていた。だから、その鮮血の感触と臭いの記憶を色濃く残す彼女にとって、その生還は何よりも望むことであると同時に、「ありえない」と否定できてしまうものなんだと思う。

 しかし、そんな私たち以上に混乱して、こちらの存在に意識が回らないほど狼狽していたのは……やはり、敵であるクラウディウスだった。


「な、なぜだ……っ? あなたはどうして、今になって俺の前に現れたのだ!?」

「あなたを……説得するためです。カシウス・アロンダイト……」


 そう言ってアストレアは、クラウディウスの前で立ち止まり……憂いを含んだ穏やかな目でまっすぐに彼の顔を見つめる。

 エリュシオンの支配階級として生きてきたアストレアと、その従者であるカシウス――いや、クラウディウス。歳月をどれほどに重ねたところで、二人の間には容易に覆すことができない立場と格の違いがあることを感じずにはいられない。

 だから私たちも、彼らがつくり出している緊迫した空気の中に割って入ることができず……ただ固唾をのんで、その経緯を見守ることしかできなかった。


「せ、説得だと……っ?」

「えぇ。カシウス……たとえイデアとエリュシオンを混沌に陥れても、あなたの望むものは手に入らない。そのことを、わかってもらいたいのです」

「――っ……!?」


 かっ、と目をむいて鋭い視線をぶつけながらも、クラウディウスはそれを叫びとして吐き出すことができずに押し黙る。

 彼にとってアストレアは、拒絶することが許されない相手。それに対し傲慢にも、冷酷にもなりきれないところは……やはり、彼がかつて持っていた誠実さの裏返しなのかもしれないと、私は信じたかった。


「な、何をバカなことを……! そもそも、俺の世界のアストレアさまは、悪しき者どもの手にかかって死んだはずだ! 今さら現れるわけがない……幽鬼のようにのこのこと姿を見せて、この俺を惑わせるな!!」

「…………」

「っ?……そうか! つまりお前は、別の平行世界からやって来たアストレアだな!? ここにいる天ノ遣どもと同様に、俺を止めるためにやって来たということか! だが、俺はそんな小細工になど――」

「……。いいえ、カシウス。それは違います」


 決めつけることで自らを無理やり納得させようとしたクラウディウスの退路を奪うように、アストレアは憂いの色をさらに深く表情ににじませながら、静かに首を振っていった。


「私は……私です。あなたに想いを寄せられて、そして私もあなたを愛した……他の誰でもない、正真正銘のアストレア・フィン・アースガルズです……」

「そ、そんなっ……!?」


 クラウディウスは信じられない、とばかりに呻きながら、後ずさってたたらを踏む。と、そこへおもむろに差しのべられた白い手を彼は乱暴に払いのけようとしたが、彼女はなおも震えるその手を両方の手のひらでそっと包み込み……寂しそうな笑顔を浮かべて続けた。


「カシウス……あなたは私のために狂気に身を染め、悪魔とのそしりを受けてもなお、私を愛し、求めてくれた……。その気持ちは、本当に嬉しい……そこまで想ってもらえた私は、この上もなく果報な女でした……」

「……っ……!」

「でも……カシウス。あなたはやはり、間違っています。私たちのいた世界は消え、もはやエリュシオンを維持するための力――マナの一部となりました。私たちはもう、生存を抹消された存在なのです……」


 淡々とした口調で、アストレアは残酷な現実を突きつける。そして、その言葉を拒むこともできず押し黙るクラウディウスを至近から見つめ、さらに言い募っていった。


「だから、カシウス……お願いです。この上は運命を受け入れて、せめて心穏やかに生きる道を探してください。それが、優しいあなた自身にとって一番良いことだと……私は信じています」

「受け入れろ、だとっ……? 自らの死の運命を認めろというのか、あなたは!?」

「そうです。それが、平行世界を構築するイデアにおける不変の理……あなたもそのことを理解して、私につき従ってくれたはず。……『鼓動を止めた世界』の私たちにできることは、分岐した先で未来へとつながった『私たち』の幸せをただ願うことなのです――」


 ……私たちの世界には、エリュシオンと違って『時』の概念が存在する。それによって、可能性という名の無数の分岐が生まれ……枝分かれをした先には、無数の平行世界が構築されている――そう教えてくれたのは、天使ちゃんだった。

 だから、きっと……こんなふうに堕天してしまったクラウディウスとは別に、あの誠実な「カシウス」のまま生き続けている世界も存在しているのだろう。

もっとも、それはここにいる「彼」と同一なのか、それとも別の存在なのかは私にも確信を持つことができなかったけれど……。


「だ、だが……俺はこのとおり、生きている! それは、あなたも同じだ! なのになぜ、自らを否定しなければならない!? 理不尽ではないか!?」

「…………」

「確かに、俺たちには運に恵まれなかったかもしれない……あるいは選択を誤った可能性もある! それは認めよう! だ、だがっ――、っ!?」


 その時、突然何かに気づいたようにクラウディウスは、はっと息をのんで弾かれたように顔をあげる。……そして、その目を大きく見開きながら、尋ねかけていった。


「アストレアさま……いや、あえてこう呼ばせてもらおう。アストレアよ……ならば、俺の問いに答えてくれ」

「……なんでしょう」

「あなたは、こうなることを……俺が、このような未来と手段を選ぶことを、最初から承知の上だったのか?」

「…………」


 アストレアは、答えない。だけど、その固く引き結んだ口元と……わずかに視線を逸らす伏し目がちな表情が全てを物語り、またクラウディウスにも伝わってしまっていた。


「な、なぜだ……っ? あなたがエリュシオンを離れてイデアへ向かったのは、かの世界を救うためであったはず! ならば、目的に反してイデアに仇なし、あまつさえエリュシオンに叛逆を選ぶ可能性があった俺をどうして、同行の一員に加えた!? いったいあなたは、この二つの世界で何を実現しようとしていたのだ!?」

「……っ……」


 その疑問は、私の思考と記憶の中に落ち込んだ影にも伝わって、……じわじわとその容積を広げていく。

確かにクラウディウスの言うとおり、アストレアの行動には明らかな『矛盾』があった。 イデアを救うためと言いながら、『悪しきマナ』によって穢された魂を持つカシウスを同行させ……彼の暴走、そして狂気の発端をもたらした。それが可能性の分岐によって生まれた『鼓動の止まった世界』のひとつであったとしても、……ならば最初からカシウスをイデアに同行させなければ、このような事態が引き起こされることはなかっただろう。


「(アストレアは、私たちの世界に聖杯の力をもたらした救世主……だけど……)」


 その思惑には、まだ謎として理解できないところが存在する。少なくとも、私たちが伝説や言い伝えなどで聞き及んでいた知識だけでは推し量ることができないものを感じずにはいられなかった。

アストレアは本当に、救国の女神だったのか……それとも、あるいは――。


「なぜ黙っている……アストレア! あなたは、この俺をどうするつもりだったのだ!? あなたの考えが、俺にはわからないっ……!」

「……私はただ、あなたを救いたかっただけです。魔王と化し、この世界を滅ぼそうとするその可能性を消すために――」

「っ、……魔王、魔王……だとっ……? っ、……く、くくっ……」


 その言葉を受けてクラウディウスは、一瞬激しい衝撃を受けたように言葉を失ってから、……にわかに笑い、そして嗤い出す。その暗い響きを聞いて、私はぞっとした戦慄が胸の内から込み上がり、血の気が引くのを感じていた。

 何に気づいたのか……わからない。だけどそこには、深い悲しいと絶望……そして、闇にどす黒く染まった憎悪があった。


「く、くくっ……やはり、そうか……そうだったのか、アストレアよ!」

「……っ……?」

「結局、お前も裏切った……この俺のことを、魔王と呼ぶか……! あの評議会の爺どもと同じ結論に至り、この俺を世界から否定することを選んだというわけか!?」

「カシウス……」

「いいだろう……ならば、俺はどこまでもあがいてやる……! そして正真正銘の魔王となり、この世界の理自体を否定して……滅びの末路を築き上げてみせようッ!!」


 そう吐き捨てるや、クラウディウスは私たちに顔を向けてかっ、と目を見開く。そして、思わず怯んで身を固くした隙を逃すことなく突進し、一気に間合いを詰めてきた――!


「っ、――危ない、めぐるっ!?」

「きゃぁぁぁっっ!?」


 私はとっさに身体ごと彼女を突き飛ばし、クラウディウスからの直撃を間一髪でかわす。

 ……幸か不幸か、彼女が身にまとっていたドレスの結界が緩衝材となってくれたおかげで二人とも傷を負わず、すぐに立ち上がることができた。だけど――。


「なっ……!?」


 改めて目を向けると、クラウディウスの手にはめぐるの持っていたあの魔王のメダルが握られていた。おそらく攻撃によって注意がそれた隙をついて、彼女の手から奪い取ったのだろう。


「イデアと、エリュシオン……人間も魔も、くそくらえだ! 俺は、俺自身の信じる心に従って生きる! それがたとえ、破滅の未来であってもだ!!」


 そう叫ぶと、クラウディウスはメダルを自らの胸元へと押し付ける。それは、汚泥の中に沈むように漆黒の体内へと吸い込まれていき、やがて――。


「ぐっ……!?」

「こ、これは……!?」


 周囲で渦巻いていた強大な『闇』の力が、クラウディウスへと流れ込んでいく。……そのエネルギーを受けて彼の身体は大きく、そして醜く変貌していった。


「あれは、なに……っ?」

「お、お父様っ……!?」


 呆然と言葉を失うテスラさんとナインさんの目前で巨大な羽根を広げ、おぞましい姿をさらしている……まさにそれは、悪魔そのものだった。


『くくっ……くくくくっ……あははははっっ!!』


 地の底から深く、鈍く響き渡るような怒声交じりの哄笑。……それは人ではなく、もはや獣の咆哮にも近いものだった。


『何が理だ……何が因果だ、運命だ! 俺の運命と存在は、俺自身が決めてやる! 俺は、何者にも従わない……それがたとえ、アストレア……お前の意思であってもだ!』

「カシウス……」

『さぁ、消えるがいい……俺を拒絶し、認めない世界の化身どもよッッ!!』

「危ない――アストレアさまっ!」


 巨大な腕を振り下ろして襲いかかる悪魔の攻撃をかわしながら、めぐるは一人無防備にたたずむアストレアの手を引き、安全な場所まで後退する。

……半ばわかっていたことだけど、もはや話し合いの余地はない。こうなると、私たちの取るべき道はたった一つだけだった。


「めぐる……っ!」

「……うんっ!」


 めぐるはすべてを理解したようにうなずくと、アストレアをテスラさんに託して私のもとへと駆け寄ってくる。

そして、二人同時にブレイクメダルを出現させ――。


「ラブリー☆くりすた――うぐっ!?」


 いつもの文言を高らかに唱えかけたその時、めぐるの身体が突然びくんっ、と跳ね上がる。そして苦悶の表情を浮かべたまま、彼女はその場にうずくまってしまった。


「めぐるっ……!?」

「……っ……!」


 慌てて駆け寄ると、めぐるの額には脂汗が浮かんでいる。その肩を掴んで彼女を抱き起こし、ふいにドレスの布生地に触れた途端……私の手に、電気の火花が弾けるような衝撃が伝わってきた。


「(そうか……このドレスが、彼女の動きをっ……?)」


 さっきまでめぐるの自由を奪っていたものの正体を理解して、私は紅のドレスを忌々しく見つめる。

よく見ると、生地の表面が周囲の黒い力を吸い込んで鈍く、怪しく輝いている。おそらく聖なる力が発動すると、それを抑え込むような仕組みになっているのだろう。

……実に手の込んだ細工だ。これほどに強い力を持つ「拘束」を受けていたのだったら、一時的とはいえめぐるがクラウディウスたちに操られてしまったのも無理はない。

だけど――。


「っ……? す、すみれちゃん……?」

「……大丈夫。私が、ついてるから。もう一度――」

「……っ……!」


 めぐるは力強くうなずき、再びブレイクメダルを手に取る。そしてすうっ、と大きく息をついてメダルを宙に放り投げると、呼吸を合わせて片手にコンパクトを掲げ――さらに空いた片手をつなぎ合わせ、変身の言葉を続けた。


「ラブリー☆くりすたる!」

「ジュエリー☆えんじぇる!」


 その瞬間、身体の内側から力が解放されるようないつもの感覚に加えて、……それを相殺するべく押さえつけてくる圧迫の衝動が、めぐるの手を通じて私にも伝わってくる。

 ……そう。ひとりだったら、これだけの力を前にしては屈するしかなかっただろう。

 でも、……今はめぐると、私がいる――!!


「「っ、……うぅ、うぁぁぁあぁっっ!!!」」


 気合を言葉に、そして叫びに代えて、私たちはその力に抗う。すると、ドレスを形成していた魔力の生地に無数の裂け目が入り、やがてそれらは大小のかけらとなってめぐるの身体の周囲に散らばっていった。


『なっ……き、貴様らっ……!?』


 苛立ちをにじませた怪物を前にして、私とめぐるは二人並んで対峙する。

……肌になじんだスーツ。全身にみなぎる力。そして――。


「暁に射す、まばゆい朝陽! エンジェルローズ!」

「黄昏に煌めく、一番星! エンジェルサファイア!」


隣には、久しぶりに心が満たされる最強、そして最良のパートナーの姿があった……!

 

「「輝く未来を切り拓く! ツインエンジェルBREAK!」」

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