第53話

「よーしっ! 行こう、すみれちゃん!」

「えぇっ……!」


 あたしの送った呼びかけに、すみれちゃんは頷く。だけどそこへ、「――待ってください」と声がかけられて、思わず駆けだしかけた足を止めて振り返った。


「……あの、あなたは?」

「テスラ・ヴァイオレットです。こちらは妹の――」

「ナイン。……よろしく」

「こ、こちらこそ。あたしは……」


 思わず頭を下げて、あたしも名前を伝えようと口を開きかける。でも、長髪の女の人――テスラさんは苦笑交じりに手をあげ、「知ってます」と答えていった。


「ご挨拶は改めて、あとで行いましょう。……それよりも、すみれさんとめぐるさんはあれだけの質量の敵を相手にして、何か策がおありですか?」

「え、えっと……」


 落ち着いた口調でそう指摘を受けたあたしは、意気込むあまりに肝心な備えを怠っていたことに気づかされて、思わずしまった、と内心で呟く。

 テスラさんの言うとおり……怪物と化したクラウディウスの巨体からは圧倒的なパワーと、波動の放出をひしひしと感じる。ただ攻撃を仕掛けるだけでは、こちらの体力と気力がとても持たないだろう。


「……それに仕方がなかったとはいえ、ここに至るまでにずいぶん時間を消費してしまいました。すみれさん、天使ちゃんと約束した残り時間あとどれくらいですか?」

「っ……!?」


 それを聞いて、はっ、とすみれちゃんは何かを思い出したのか、胸元から一枚のメダルを取り出す。そして、その表面にかたどられた砂時計のような模様を見つめ、……息をのんで愕然とした表情を浮かべた。


「もう、ほとんど時間がない……! 強制転送まで、あと少しっ……!」

「え……時間って、どういうこと? それに、強制転送って――」

「……この空間にとどまっていられる、時間のことです。私たちはエリュシオンの人間ではありませんから、天使ちゃん――平行世界の管理者に無理を言って、時間制限の条件付きでここに来ることができたんです」

「そ、それじゃ……予想以上に時間がかかっちゃったのは、あたしのせい……!?」


 自分でも意図していなかった致命的なミスをここで思い知らされて、あたしは全身から血の気が引くのを感じる。だけどすみれちゃんはそんなあたしの手を握り、「……大丈夫よ」と励ますように明るく、そして力強く頷いてくれた。


「私たちの一番の目的は、あなたを取り戻すこと……だから、最低ラインは達成してるの。あとは、あのクラウディウスを倒すだけ……!」

「すみれちゃん……っ」

「やりましょう、めぐる。――テスラさん、どうやってあの怪物と戦えばいいのか、教えてください」


 そう言ってすみれちゃんは、油断なくクラウディウスの動きを窺いながらテスラさんに尋ねかける。それに対して彼女は「……確かに」と呟いてから、怪物のある部分を指さしてみせた。


「……? クラウディウスの、頭……?」

「額部分に、装飾具のようなものが見えますよね。あれは、『天使の涙』……おそらくあの宝具にある結晶体が、膨大な魔力の供給と制御をつかさどっているのだと思います」

「……あれが、狙うべき場所。二人で、攻撃っ……!」


 テスラさんの説明に続いて、短い髪のほうのナインさんはぼそり、と呟きながら目で促す。それを確かめてからあたしたちはお互いの顔を見つめると、無言で頷き合ってそれぞれの手に武器を出現させた。


「上と下から行くわ……めぐる、お願い!」

「わかったっ!」


あたしが応えると同時に、すみれちゃんはその綺麗な長髪を振り流しながらダッシュをかける。そして、残像が浮かぶほどの速さで怪物と化したクラウディウスの目前へと迫ると、手に持ったサファイア・ブルームを薙刀状にして勢いよく振りかぶった――!


「エンジェルローリングサンダー・黄昏ッッ!!」


 矢継ぎ早に繰り出された刺突の連撃が無数の閃きとなって、怪物の巨躯へと襲いかかる。そして、決め手とばかりに放たれた渾身の突きによってぐらり、と体勢が崩れて――それを見やりながらあたしは、すみれちゃんが注意を引き付けてくれた隙に死角へと素早く移動をかけて高く跳躍すると、ハンマー状に変えたローズ・クラッシャーを怪物の頭部目がけて振り下ろした。


「エンジェルタイフーン・暁ぃぃッッ!!」


旋風をまとった大槌の一撃は、巨岩をも粉々に砕く必殺の技だ。力が不安定な時は、反動が大きくて使いこなすことが難しかったけど……雫さんたちとの修行を重ねた今だったら、絶対に外したりはしない――!

 そう、会心の手ごたえを感じながらさらに力を込めた、――次の瞬間だった。


『っ、……ふんッッ!!』

「えっ?――ぐっ……!?」


 怪物の目が鈍く光ったかと思うと、突然その前に漆黒の壁が出現し……ハンマーの渾身の一撃がそれに阻まれてしまう。

 激しい勢いで空中に飛散する、熱と光を伴ったスパーク。痺れるような衝撃と圧迫が全身を駆け巡り、手足の関節がきしむように悲鳴を上げた――と、そこへ!


『――落ちろッッ!!』

「きゃ、きゃぁぁぁっっ!?」


 視界を覆いつくすくらいに巨大な腕が轟音をあげて迫り、あたしの身体をハンマーごと吹き飛ばす。辛うじて直撃だけは防いだものの、その衝撃をまともに受けたあたしは、そのまま広間の奥の壁に向かって激突――。


「……めぐるっ!!」


 だけど、壁に叩きつけられる寸前であたしの身体は、ふいに優しくて柔らかな感触に包まれて動きを止める。とっさに身を竦ませていたあたしは反射的に顔をあげて、……それが、いつの間に回り込んだのかすみれちゃんが抱きとめてくれたおかげだということに、少し遅れて気が付いた。


「大丈夫、めぐる……?」

「あ、ありがとう……すみれちゃん」


 安堵と頼もしさ、そして嬉しさをかみしめながら床の上に降り立ったあたしは、心からの感謝を込めてすみれちゃんに笑いかける。それに対してにこっ、と微笑みを浮かべた彼女は小さく頷くと、すぐに険しい表情に変わってあたしから距離を取り……クラウディウスに向き直って武器を構え直した。


『……にしてもあの速さで、バリアを展開かよ。ってことは、ひょっとして――』


 そこへ駆けつけてきた女の子が、何かに気づいたように訝しげな表情で眉間にしわを寄せる。

 確か彼女は、エンデちゃんのパートナー……名前は、アインちゃんだったっけ。


「? どういうこと、アインちゃん?」

『「ちゃん」……? お前なぁ、口の利き方に気をつけろよ。お前とボクは初対面――、!?』


 その言葉は、ふいに襲いかかってきた嵐のような衝撃波によって遮られる。あたしたちは瞬時に左右へと分かれて、轟く爆音と焼け焦げたにおいを感じながら体勢を立て直すべくクラウディウスから離れた場所で呼吸を整えた。


「っ、……これじゃ、簡単に近づけない……!」

「ならば、これなら……なっちゃん!」

「ファントム・アウトレイジ――『スティンガー』!!」


 テスラさんの電撃を受けて、ナインさんが全身を輝かせながら、怪物に向かって突進する。その動きと連携の見事さは、あたしたちよりも戦いに慣れているという熟練の冴えを感じさせた。――だけど、


『この程度で――まだ、己の分を理解できんのかッッ!!』

「きゃぁぁあっっ!」

「っ、ぅぐっ……!」


 さっきあたしの攻撃を受け止めた闇の障壁が再び現れて、ナインさんの一撃を身体ごと跳ね返す。すぐさま、テスラさんがそれを受け止めようとしたけど……その勢いまではとてもその場に踏みとどまることができるものではなく、二人はもんどりうって広間奥の壁面へと叩きつけられた。


『っ……やっぱりか……!』

「何かわかったの、アインちゃん?」

『だから……っ、まぁいい。あのクラウディウスは、ボクたちの考えを読んでバリアを展開してる。でなきゃ、あれだけ強固な魔法障壁を即時に、かつピンポイントで出現させることなんてできないはずだからな』

「考えを、読む……? それって、予知ってこと?」

「……いいえ、違います」


 すると、背後に立っていたアストレアさまがそう言って、その推測を否定する。そして、振り返ったあたしを見つめながら、悲しげな表情を浮かべていった。


「あの障壁を生み出しているのは、先ほどまであなたと同化していた『魔王のメダル』……。カシウスは、ディスパーザが本来持っていた力を使ってあなたたちの考えを読んでいるのです」

「こちらの考えを、読む……?」

「正確には、心の動きを。敵意や気迫、緊張……そして、恐れを。その感情のベクトルを読み取ることで、彼はいち早くあなたたちの攻撃に対処し、その盲点を突くことができるのです」

「……っ……」


 それを聞いてあたしは、はたと気づく。

 そういえばさっき、意図に反してすみれちゃんと戦った時……あたしは彼女の考えていること、そして気持ちがダイレクトに伝わってくるのを感じていた。だからこそ、その攻撃に敵意がなく、それどころか自分の命を犠牲にすることもいとわない覚悟までも理解したことで――あたしは懸命に力を振り絞って、自分の動きを「止める」ことができたんだ。

 つまり……その能力をクラウディウスが手に入れたということは、こちらの考えることが今だと、筒抜けに――?


『……くく、くくくっ。その通りだ、暁と黄昏の『天ノ遣』よ……』

「っ……!?」


 すると、それに応えるように醜く裂け、大きな牙をむき出しにしたその口から、怪物の声が聞こえてきた。


『伝わってくるぞ……貴様らの困惑、そして恐怖の心がな。アストレアの予知には及ばぬが、この力さえあれば貴様らなど赤子同然……恐るるに足りぬ……!』

「っ、クラウディウス……!」

『悔しいか? 腹立たしいか……? だがそんな嘆きも、もはやわが悦びだ。さぁ、その心を絶望へと彩って、この俺の手で討ち果たされるがいい――!』

『っ? 来るぞ、よけろっ!!』


 アインちゃんの叫びの意味を理解するか否や、あたしたちは左右へと飛びのく。――衝撃。ほんの少しの差で、さっきまで立っていた場所には無数の光弾が降り注がれ、床は無残にも破壊されて瓦礫の山を築き上げていた。


『くくくっ……この魔王の力と、『天使の涙』があれば……マナの充填を待つことなく攻撃を繰り出すことも可能…………もはや貴様らに勝機など、万に一つもあり得ぬわ……』

「っ、やってみなければ、わからないわ……! アインっ!」

『よし来た!――ゲイボルグっ!!』


 そう言って、すみれちゃんが手を差し伸べるのを受けて、アインちゃんはその手をつかみ……にやりと笑ってから、目を閉じる。すると次の瞬間、彼女の身体は光に包まれると霧のように消え……その代わりにすみれちゃんの手元には、鋭くて美しい矛が収められていた。


「すみれちゃん、それは――!?」

「アインのもう一つの姿よ。これなら、やつにも少しは抗えるはず……!」


 そしてすみれちゃんはクラウディウスに注意を向けたまま、あたしに声をかけていった。


「めぐる……アストレアさまのことをお願い。私とアインは、やつに攻撃をかけてみるからっ……!」

「っ? だ、だったらあたしも一緒に――」

『……気持ちはわかるけど、無理だ。お前の今の力じゃ、やつに動きを読まれて反撃を食らうだけだ』

「……っ……」


 頭の中に響いてくるアインちゃんの冷静な言葉に、あたしは反論できず押し黙る。

 悔しいけど……その通りだ。今のあたしだと、自分とアストレアさまをクラウディウスの攻撃から守るくらいが精いっぱいだろう。そして――


『ふん……まだ抵抗するか……? ならば、自分の無力さを思い知るがいい――!』


 その時、憐れむように傲慢な声が響き渡ったかと思うと、四方から禍々しい力が急激に高まって、こちらへと集まってくるのを感じる。反射的にあたしたちはその場を離れ、間一髪で襲いかかった光弾から難を逃れた。だけど――。


「っ……!?」


 その、でたらめ闇雲に放たれた弾のひとつが瓦礫の一部を吹き飛ばし、それによって生み出された大きな塊がぐらり、と山から崩れていく。それは、まだ打ちひしがれて悄然と床にへたり込んだままの「彼女」の頭上へと転がり落ちて――。


「危ないっ、エンデちゃん!!」


 あたしはとっさにダッシュをしかけ、エンデちゃんのもとへと駆け寄る。そして、かばうようにその目前に降り立つと身を翻し、その勢いで手に持ったローズ・クラッシャーを渾身の力を込めて振り上げたっ――!


「っ、たぁぁぁあぁっっ!!」


 大槌の殴撃と、それによって生み出された衝撃波を受け、爆音とともに瓦礫は粉々に砕け散る。だけど、その反動の大きさにはさすがに踏みとどまることができず、あたしは思わずもつれるようにしてエンデちゃんの胸元に飛び込んでしまった。


『め、めぐる……さまっ……!?』

「だ、大丈夫だった? エンデちゃん……」


 あたしは背中越しに振り返りながらそう呼びかけて、間近に迫ったエンデちゃんの顔をのぞき込む。

 その面立ちにはまだ生気がなく、瞳の光は弱々しい感じだったけど……見たところどこにも怪我がないようで、とりあえずホッと胸をなでおろした。


『な、なぜです……? あなたを裏切った上、あんなにもひどいことをした私を、どうして守ってくださったのですかっ?』

「なぜって……」


 そんなの、答えは決まっている。だからあたしは迷いもなく、困惑をあらわにしたエンデちゃんを見つめ返し、にっこりと笑ってった。


「そんなの、当然だよ。だってエンデちゃんは……あたしが守りたいものの一つ、友達だもん」

『……っ……!?』


 その言葉を聞いて……エンデちゃんは大きく目を見開く。そして、つぅっ、とその瞳から一筋の涙をこぼしながら、震えるような響きをあたしの頭の中に伝えてきた。


『こんな……こんな私のことを、まだあなたは……友と呼んでくださるのですか……? エリューセラ……っ!』

「エンデ……ちゃん……?」


 すると、突然。

 あたしの身体を包むように、エンデちゃんがその細くてきれいな両腕で抱きしめてくる。その瞳には、初めて出会った時に見たあの、意志と力に満ちあふれた輝きが宿っていて――ううん、それどころかその身体全体が、あたたかくてまばゆいほどの光に包まれていくのがはっきりと目に映っていた。


『もはや、片身の友を失い……生きる意味も、存在の価値すらなくして薄汚れたわが身ですが……この力、あなた様に捧げます。どうか、存分にお使いください――』


 そう言って、エンデちゃんはあたしの身体に腕を回したまま立ち上がる。そして、決意を固めたような表情で天を仰ぎ、凛と響く厳かな声を高らかに張り上げていった。


『――幾百幾千の、わが同胞たちに告げる! われは長き旅路の果て、ここに安住の地と身命を捧ぐ主を見つけたり!』

『なっ……エンデ? まさか、お前っ――!?』

『お告げ下さい……今こそ、わが名を! エリューセラ……いえ、わが友にして親愛なる主、めぐるさま!』

「え、えっと……!?」


 戸惑うあたしに、エンデちゃんは小声でひとつの名前をささやいてくれる。それをおそるおそる復唱すると、彼女は再び顔を上げていった。


『われは『エンデ・エクスカリバー』!! 勝利と栄光をもたらす、世界の最後にして最強の『王者の剣』ッッ!!』

「―――、え……こ、これは……!?」


 その声とともに、エンデちゃんの両腕が、そして顔が……全身が光の粒子となって、輪郭を失う。それと同時に、自分の手の中に違和感を覚えたあたしは――その正体を確かめて、思わず声を失った。

だって、そこには今まで見たことがないほどに美しく、そして勇壮に光輝く剣が収められていたからだ――。

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