第32話

 エンデさんと一緒に部屋の外に出たあたしは、そこからまっすぐに伸びる薄暗い廊下を進んでいった。


「…………」


 二人分の足音が、静かな回廊内に響いている。ろうそくの明かりに照らされて、両側の壁に彫り込まれた女の人や動物絵がぼんやりと浮かぶ光景はなんだか幻想的で、まるで絵の中に入っちゃったような気分だった。

 ……なんて感じるのは、着慣れてないドレスのせいかもしれない。しかも、これはあたしが部活の時に見せてもらったサンプル品とかじゃなくて、本物だし。

おまけに手袋をつけ、ヒールのある靴まではいていると、……本当に自分がお姫さまになったような錯覚すら感じずにはいられなかった。


「わっ、と……!」

『っ、……大丈夫ですか?』


 ただ、それはあくまで気分だけ。中身まで変わるわけじゃない。……おかげで慣れない足下でふらついてしまい、そんなあたしをエンデさんはそっと支えてくれた。


『よろしければ、お手をどうぞ。この床は滑りやすくて、足を挫く恐れもございます』

「す……すみません。ヒールのある靴って、初めてで……」


 差し出された手を握りながら、あたしは慎重に……そろそろと足を進めていく。

 なんだか、氷の上を歩いているように感じてしまうのは、エンデさんの手が少し冷たいせいだろうか。

 もちろん、だからといって心までもがそうだとは思わない。そう……まるで如月神社であたしの面倒をずっと見てくれていた、あの人みたいに――。


「あっ……!」


 その瞬間、脳裏に濡れた三つ編み姿の女性が浮かびあがり、あたしは思わず声を上げて立ち止まった。


『どうされました?』

「あの、エンデさん……! 雫さんたちは、大丈夫ですか!?」

『……雫さん?』

「如月神社で、あたしがお世話になってた女の人です。他にもあそこには、たくさん人がいたんですけど……!」

『大丈夫ですよ』


 あたしが言い終わるよりも早くそう口にしたエンデさんは、一拍置いてからにっこりと笑っていった。


『私は、めぐるさまをお連れするのに精一杯でしたが……あの付近には別の気配が、近隣まで到着しておりました。おそらくは彼らの味方と思われますので、今頃は無事に救出されているかと』

「そうなんですか? よかったー……っとっとっと!」


 ほっと胸をなで下ろした瞬間、足元がまたしてもふらりと揺れる。エンデさんがあたしの体をしっかりと支えてくれてなかったら、そのまま転んでしまっていただろう。


『大丈夫ですか?』

「えへへ……ごめんなさい。安心したら、つい足が」

『謁見の間まで、もうすぐです。その後で、歩きやすい靴をご用意しますね』


 そんなことを話しながら時間をかけて長い廊下をゆっくり進んでいくと、ふいに大きく開けた場所に出た。

 広さは、……体育館くらいかな。部屋の奥には大きな石造りの階段があって、その手前まで赤い絨毯がまっすぐに敷かれている。その左右にたくさんのろうそくが並んだ光景は、まるで夜の滑走路みたいだった。

 そして階段の先には、天井から吊された何枚もの薄い布のカーテン。その向こう側に、豪華な椅子が置かれているのが見える。

 金と赤で彩られたそれは、外国の偉い人が座る玉座にも似たかたち。……そこに、黒いドレスを着た誰かが腰を下ろしていた。

 顔は、カーテンの向こう側に隠れてよく見えないけど……あたしたちを見ていることはなんとなく理解できて、自然と背中が伸びてしまう。


「あの人が……」

『えぇ。私たちの女王、ディスパーザさまです』

「…………」


 顔は見えないけれど、その人がすごい人だって雰囲気はなんとなく伝わってくる。

 確か、日本でも平安時代の頃とかは御簾っていう、昔のカーテン越しに偉い人とお話をしてたって教科書に載ってたけど……昔の人って、今のあたしみたいな気分だったのかもしれない。


『……ディスパーザさま。エリューセラをお連れしました』

『ご苦労でした』


 広い石造りの部屋の中に、エンデさんとディスパーザさま、と呼ばれた人の威厳ある声が重々しく響き渡る。

 魔界の女王さま、って言ってたけど……声を聞いた限り、結構お年を召したおばあさんのようにも感じた。そして、


『……天月めぐる殿、でしたか』

「は、はい! はじめまして、天月めぐるです!」

『私は、ディスパーザ。このエリュシオンをとりまとめている者です』


 カチコチに緊張したあたしに、ディスパーザさまはエンデさんに向けたものよりも柔らかい声で語りかけてくれた。


『……めぐる殿。あなたに、頼みたいことがあるのです』

「えっと……エンデさんから聞きました。この世界が、危ないんですよね?」

『そうです』


 そういってカーテン越しに、女王さまが頷くのが見える。そしてしばらく沈黙が続いてから、ゆっくりと落ち着いた口調であたしに訊ねかけていった。


『めぐる殿。……あなたは、エリュシオンについてどれほどご存じですか?』

「あの……ごめんなさい。ほとんど……ううん、なにも知らないです」

『いえ、謝ることはありません。おそらくは、ほとんどのイデアの民が知らぬまま死んでいくことでしょう』

「…………」


 ちらっとエンデさんに視線を送ると、私と少し離れた場所に立ったまま手を組み、軽く目を伏せている。

 あたしとディスパーザさま、二人で話をしてくださいってことなんだろうか……?


「そもそも、イデア……? えっと、あたしが住んでる世界とこの世界って、どう違うんですか?」

『この世界は、あなたが住むイデアの歴史に存在する……とある地点より分岐した可能性世界の一つです』

「可能性世界……?」

『……では、たとえ話をしましょう。あなたは赤い実と緑の実を目の前に差し出されたら、どちらを選びますか?』

「一つだけですか?」

『そうです』

「じゃあ……赤い実を選びます」


 赤い実と緑の実だったら、赤い実のほうが甘くておいしそうに見えるから。……そんな理由は、ちょっと単純すぎるだろうか。


『結構です。……ならば、あなたが赤い実を選んだ結果として、世界はイデアへ向かいました。ですがその一方で、もしあなたが緑の実を選んだ場合……世界は、エリュシオンへと分岐したことでしょう』

「……? は、はい」

『本来ならば、その二つの可能性は共存しないものとされてきました。ですが、何らかのきっかけを境にして二つが現実として存在しうるものとなった概念が、「可能性の世界」ということです。……わかりましたか?』

「う、うーん……」


 なんとなく、女王さまの言っている意味がわかるような、わからないような……。


「あっ……そうか! つまり、お肉と野菜を焼いて煮たお鍋に、カレーのルーを入れるかシチューのルーを入れるか……みたいな感じですか!?」


 うん、それならわかるかも! だって、カレーのルーとシチューのルーを一つのお鍋に一緒に入れることはできないし……。

そう思っていたら、カーテン越しにふふっ、と笑う気配がした。


『……あなたは、とてもおもしろい子ですね』

「そ、そうですか? えへへへ……」

『あなたの認識は、正しい。我らの世界とあなた方の世界は、元は同じ場所から繋がっていたのです。イデアとエリュシオン……交わることは無くとも、二つの世界は同じ可能性世界の一つとして存在していました……ですが、世界を存続させるためには必要なものがあります』

「必要なもの……?」

『えぇ。それが、波動エネルギーです』


 さっき、エンデさんがあたしに教えてくれたものだ。

 車を動かすにはガソリンが必要みたいに、ツインエンジェルも変身するためになくてはならないもの……それが、波動エネルギーだったっけ。


『そして、あなた方の世界に流入している波動エネルギーは、元をただせばエリュシオンのものだったのです』

「……はい。さっき、教えてもらいました」

『ですが……我らの世界に存在する波動エネルギーがイデアへ流出し続けた結果として、源泉は枯渇。……この世界を維持するだけの力が、失われようとしています』

「じゃ、じゃあその流れを、止めないと……!」

『……それはできないのです。どうあがいても、波動エネルギーの流出は、エリュシオン側ではもちろん、イデア側にも止められない。……世界が分岐した際に生まれた、欠陥のようなものなのです』


 そういってディスパーザさまは、カーテン越しに背を伸ばして立ち上がる。そして胸の前で手を組み、祈りを捧げるような仕草をしていった。


『その欠陥を修復し、世界を保つためには……魔族の盟主であり、我らが女王たるアストレアさまのご帰還しかありません。長きにわたり世界の維持を模索し続けた結果、我々はその結論に辿り着きました』

「女王……アストレア、さま……?」


 アストレアさまが……この魔界の、女王? だけどエンデさんは、ディスパーザさまが女王だって言ってたと思うんだけど……?


「あの……ディスパーザさまは、女王さまじゃないんですか?」

『えぇ……今では私を、女王と呼ぶ者もおります。ですが、私は単なる仮の王……アストレアさまがこの世界を去ってから、流出する波動エネルギーの量を減らすことが精一杯の非力な身代わりです……』

「…………」

『1000年の間、なんとか皆の暮らしを守るべく力を尽くしてきました。……ですが、私の力ではアストレアさまのように、このエリュシオンの衰退を食い止めることが出来ませんでした……』

「せ、せんねんっ……!?」


 カーテン越しだから、顔はよく見えないけど……七十歳か八十歳くらいかな? なんて思ってただけに、桁違いの年数に思わずぎょっとしてしまう。

 すると、それまで黙っていたエンデさんがそっと口を開き、あたしの疑問に答えるように補足してくれた。


『……エリュシオンの民は、イデアの民と比べて少しばかり長生きなのです』

「せ、1000年は少しじゃない気が……って、じゃあエンデさんも……?」

『いえ、私はまだ二十にも届かぬ若輩者です。私たちはある程度、イデアの民と同じように成長しますが……適齢期を迎えた以降はそれがゆるやかになります。もっともその分、生まれる数は多くありませんが……』

「そうなんだ……」


 少し前、300歳を越えてる「彼女」を目の当たりにしたことがあったから、あたしは疑うよりも納得してしまう。

 そしてディスパーザさまは椅子に再び腰を下ろすと、どこか寂しげな口調で呟くように言った。


『……思い返せば私は、恥をさらすほどに長く生きてきました。イデアの民と同じくらいの寿命であれば、この苦しみも少しは和らいだのかもしれませんね』

「…………」

『……ですが、そろそろ終わりが見えようとしています。このままでは私の寿命が尽きるとともに、このエリュシオンの波動エネルギーは完全にイデアへ流出し、この世界は終焉を迎えるでしょう』

「えっ? そ、それって……どういうことですか?」

『ディスパーザさまがお亡くなりになれば、もって数日以内に地表は崩れ落ちて……この世界は文字通り、消滅してしまうでしょう』

「消滅っ……!?」


 あまりにも衝撃的すぎる言葉を聞いたあたしは、思わず振り返ってエンデさんに目を向ける。

彼女の表情は硬く、まっすぐに引き結ばれた口元。……冗談とか、いい加減な危惧とかで語ったものでないことはそれを見ても明らかだった。


「(この世界が、消える……?)」


 あまりにも非現実的というか、……想像をはるかに超えるものだったのであたしは声もなくその場に固まる。

 世界が、消滅する……ということはもちろん、ここで生きている人たちもみんな崩壊に巻き込まれて、そして――?


「エンデさんたちは、……どうなるんですか?」

『――覚悟は、できています』


 おそるおそる投げかけたあたしの問いに、彼女ははっきりとした声で答える。……その表情には悲しみではなく、力強いと感じるような決意が秘められていた。


『ただ……この世界にはイデアよりも数は少ないものの、エリュシオンの民が数多く暮らしています。それに……』

「……それに?」

『私は、彼女たちを守りたい。そのためには、どんなことでもするつもりです……でも、私では駄目なのです。エリューセラ、あなたでなければ』

「あ、あたしですか?」

『はい。エリューセラ、どうか我々に力をお貸しいただけませんか? 我らには、あなたの存在が必要なのです』

「…………」


 エンデさんに真正面から見つめられ、思わず息を飲む。そして階段の上からも、ディスパーザさまがあたしたちの様子を見つめる気配がしていた。

 正直言って二人のことは、たった今知り合ったばかりでよくわからない。だけど、彼女たちは真剣で、緊張して……心の底からあたしを必要としているのがすごく伝わってきていた。


「……。それで、エンデさん。あたしは、何をすればいいんですか?」

『今から、1000年前……大規模な敵襲によって、アストレアさまが崩御されました』


 そういってあたしの問いに答えてくれたのは、エンデさんではなく壇上のディスパーザさまだった。


『ですから、あなたには過去に行ってもらい……お命を落とす直前のアストレアさまを、このエリュシオンへ連れてきていただきたいのです』

「過去へ、行く……? そんなことができるんですか?」

『エリュシオンには神話の頃より、時間の壁を越える秘術が残されています。それを用いることで、イデアの民であるあなたも過去に向かうことが可能になるでしょう』

「そうなんですか!? じゃあ……」

『ですが……過去に戻ることができるのは、たった一度だけです。ゆえにやり直すことは不可能と思ってください』

「……っ……」


 一瞬、頭の中に浮かんだ考えを先に否定され、……あたしは口をつぐんで肩を落とす。


「(ヴェイルちゃん……ヌイくん)」


 その秘術が使えば、あの時助けられなかった友達を助けることができるかもしれない。……なんてことを思ってしまったのは、あたしの心が弱すぎるせいだろうか。


『どうでしょうか。あなたには重い荷を背負わせることになってしまいますが……どうか、この世界のために引き受けてはいただけませんか?』

「…………」

『……エリューセラ?』

「あっ……は、はい! もちろんですが……それと、提案があります!」

『提案……?』

「すみれちゃんと、あと快盗天使の先輩たちにも声をかけて……お手伝いしてもらうってのはどうでしょうか!」

『すみれ……?』

「はいっ! あたしのパートナーなんです! あとみるくちゃんと、遥先輩と葵先輩……みんなすっごく強くて頭もいいから、手伝ってくれたらきっと、もっともっと上手くいくと思うんです!」


 この世界を、助けたい。……でも、一度しか過去に戻れないんだったら、あたしだけが過去に行くよりもみんなの力を借りて、確率を少しでも上げたほうがいい。

 そう考えて脳裏に蘇ってくるのは、メアリに捕らわれたあたしを助けてくれた……快盗天使の先輩たちとみるくちゃんの姿だ。

そして、すみれちゃんと心を通わせ合った時にわき上がった、あの力……それがあれば、きっとこの世界だって救えるはずだ!


「それに、もしかしたらこの世界を救うための、もっといい方法を見つけられるかもしれません! だから――」

『……ありません』

「えっ……?」


 最初、怒ったような声が聞こえた時……誰が言ったのか、わからなかった。でもあたしがおそるおそる振り返ると……そこには、エンデさんがいた。


「……っ……!?」


 さっきまで、あたしに優しく笑いかけてくれたエンデさんはなぜか怒っているような、悲しいような……たくさんの複雑な感情を押し込むようにして、冷たく、固い表情をしている。それを目の当たりにしてあたしは、まるで冷水を浴びせられたような気分で言葉を失ってしまった。


『私たちも、安易にあなたを頼る道を選んだわけではありません。それこそ何年も、何度も色んな方法を試みて……! でも、全てが失敗に終わって、それでっ……!』

『エンデ。……そのくらいにしておきなさい』

『っ……?』


 ディスパーザさまがそういって、優しい口調でたしなめる。それを聞いたエンデさんはまるで魔法が解けたかのようにはっ、と息をのみ、怯えるあたしに気づいたのか慌てて頭を下げていった。


『も……申し訳ございません、エリューセラ! ご無礼をお許し下さいっ!』

「あ……い、いえ! 全然大丈夫です! というか、なんにも知らないのに勝手なことをいって……あたしこそ、すみませんでした!」

『いえ、エリューセラが謝罪することなど何も……!』


 そういいながら、二人でぺこぺこと謝り合う。……そして、しばらくしてそれが落ち着いた後、あたしはおそるおそる尋ねていった。


「……でも、本当に他の方法って無いんですか?」

『はい。私はこの年になるまで、この世界を救う方法を探し続けてきました。ですが……アストレアさまをお連れする以外、確実な方法が残っていないのです』

「そうなんですか……」

『あと、エリューセラのお仲間をという案につきましては……現在、イデアから人間を連れてくることはできませんので、こちらも不可能となります』

「えっ……?」

『あなたを連れてイデアからエリュシオンに移動した際、二つの世界を繋ぐルートに異変が起こっていることに気付きました。私の見立てでは、おそらくルートは崩壊していると思われます。……連絡手段も、今頃は閉ざされていることでしょう』

「ええっ!?」

『あ……でも、ご安心ください。少し時間はかかりますが、イデアとエリュシオンを繋ぐルートは自動的に修復されます。ですから私たちが全てを終えた頃には、元通りになっているかと』

「……そ、そうなんですか? よかったー」


 その説明を受けて、あたしは胸をなで下ろす。……もし元の世界に帰れなかったらどうしようかと思ってたから、一安心だった。

 でも……今頃きっと、すみれちゃんは心配してるよね。

 みんなに無事だって伝える方法も無くて、時間が経たないと帰れない。……だとしたら、今のあたしにできることは一つだけだった。


「わかりました! あたし、行ってきます!」

『……引き受けてくれるのですか?』

「はいっ!」


 壇上からの問いかけに、元気に返事をする。不安な気持ちを振り払うために、少しだけ空元気も入っていたけど……決意と想いに、嘘はなかった。


「あ……でもあたし、アストレアさまがどんな方なのか知らないんですけど、どうやって会えば……?」

『それなら、ご安心ください。エンデを同行させますので、彼女に従ってください』

「エンデさんが?」

『はい。若輩者ながら、お供をさせていただきます。どうぞ、手足のようにお使いくださいませ』

「こ、こちらこそ……よろしくお願いします!」


 よかった、エンデさんも一緒なんだ! だったら安心だ……と思いかけたけど、ふいに疑問があたしの頭をかすめていった。


「ディスパーザさま。あの……どうして、あたしなんですか?」

『……どういう意味でしょうか』

「エンデさんも過去に行けるんだったら、あたしは特に必要ないんじゃないかなーって、一瞬思って、その……」

『それは、……』

「……あっ、行きたくないとか、そういうのじゃないんです! ただ、ちょっと不思議だなって……」

『……資格の問題です』

「資格……?」


 ますます疑問が大きくなって怪訝な思いを抱くあたしに、エンデさんは寂しげな苦笑いを交えていった。


『エリュシオンの民である私は、過去に行くことができても……アストレアさまをここへ連れてくることはエリューセラ、あなたにしかできないのです』

「…………」

『1000年の間、エリュシオン、イデア……あらゆる過去と未来で、資格を持つ存在を探し続けました。そして、ようやくあなたという小さな星を見つけました。アストレアさまを迎え入れる資格を持つ者は、天月めぐる……あなただけなのです』

「えっと……細かいことは、よくわからないですけど」


 たくさん説明してもらったけど、……あまりにも今までからは想像もできない話の連続で、ちょっと理解が追いついてこない。

 それに、可能性世界とか、あたしが今いるこの世界が崩壊するとか、魔界と人間界とか……正直に言って頭の中はごちゃごちゃで、もしもこれがテスト勉強だったら熱が出てたような気がする。

 だけど――。


「あたしがアストレアさまを助ければ、エリュシオンを……エンデさんを助けられるんですよね?」

『私?』

「だってエンデさん、あたしのこと助けてくれましたから! あ……ごめんなさい。あたし、まだちゃんとお礼を言ってませんでしたね」


 驚いたように目を見開くエンデさんに、あたしは改めて向き直る。そして深々と頭をさげながらにっこりと笑っていった。


「エンデさん。……さっきは助けてくれて、ありがとうございました」

『……。私は、その……』


 お礼をいったあたしに、彼女は戸惑ったような表情を浮かべる。そして気まずそうに顔を背けながら、やっと聞こえるほどの小さな声で呟いた。


『私は、あなたにエリュシオンを救ってもらうために……助けただけです。ですから、礼など』

「でも、あのままだったらあたしも、みんなもどうなってたかわからないし……」


 如月神社で一人で戦って、力尽きて倒れてしまった時のこと。……今なら、はっきりと思い出すことができる。

 あのまま、誰も助けられずにすみれちゃんとの約束も守れないんじゃないか……そう、絶望しかけたあたしを、エンデさんは助けてくれた。

 そして、彼女はこの世界を、……大切な誰かを助けようとしている。だから、あたしも彼女を守ってあげたいし、力になりたい。

それが今のあたしの、偽りのない本心からの想いだった。


「エンデさんに助けてもらった分、あたしも頑張ります! だから、よろしくお願いします!」

『……。ありがとう、ございます』


 そう答えて、エンデさんは深々と頭を下げる。世界は違っても、守りたい気持ちはどこも同じなんだな……と思って、少し胸が熱くなった。


「あ、そうだ。……あの、エリュシオンって魔界なんですよね」

『えぇ。イデアの民は、そう呼んでいます』

「じゃあ、その……」


 あたしは息を吸って吐き出し、軽く呼吸を整える。……そして、訊ねた。


「大魔王、ゼルシファー……って、知ってますか?」

『っ……!』


 あたしの質問を聞いた瞬間、エンデさんが顔をあげる。……これまでで一番驚いた表情をしているようにも見えるけど、そんなにも衝撃的なものだったのだろうか。


「あの……エンデさんは、何か知ってるんですか?」

『え、えぇ……』


 ぎこちなく頷きながら、エンデさんは忌々しげに顔をしかめる。そして気を静めるように大きく、深いため息をついてから顔を上げた。


『……エリューセラは、どこでその名を?』

「それは、荻野目先……」


 先生、と言いかけて慌てて止める。

 あの人は、もう先生じゃない。ううん、先生ではあったけど……今のあたしにとっては、もっと違う意味を持つ存在だ。


「あたしを利用して、ゼルシファーを復活させようとした人がいたんです。すみれちゃんたちが助けに来てくれたおかげで、なんとか阻止することができたんですけど……。そのあと自分の命と引き換えにして、世界を……っ……」


 説明をしようとしたその時、また頭の中にヴェイルちゃんとヌイ君の顔が浮かんでくる。そして、


『めぐるー!』 


 ……ヴェイルちゃんが、あたしを呼ぶ声が聞こえた気がした。

 空耳だって、わかってる。だって、二人はあたしたちを助けるために、宇宙で……。

なのに、あたしは二人を助けられなくて……結局……。


「……っ……!」


 声が上手く出ない。目が熱くなって、目の前がぐにゃりと歪んでいく。……と、そこへ冷たい何かが現れて、目元に浮かんだ涙をすっ、と拭っていった。


「えっ?」

『あっ、……し、失礼しました』


 顔をあげると、そこには指を差し出すようなポーズで固まっているエンデさん。

 それを見て、エンデさんがあたしの涙を拭いてくれたのだと気付くと同時に彼女は慌てて頭を下げた。


『も、申し訳ございません。重ね重ね無礼を……!』

「い……いえ、大丈夫です! あたしこそ、こんなところで泣いちゃって……! だから謝らないでください!」


 またしても謝るエンデさんと、慌てるあたし。すると頭の上から、違うため息が聞こえてきた。


『……いつになっても、あの者の力に魅せられる者が絶えぬようですね』

「えっ……?」

『イデアの民はどうして、魔の力に憧れを抱くのでしょうか。彼の本当の願いは、世界を支配することでも……まして、滅ぼすことでもなかったはずなのに……』

「…………」


 見上げると、そこには相変わらずカーテンの向こう側に座るディスパーザさま。

 ……やっぱり、顔は見えない。でもその声には、どこか感慨深げというか……悲しげな響きがあり、言葉では表せない複雑な感情が込められている気がした。


「あの……」

『ディスパーザさま。これより、出立の準備に移らせていだきます』


 ディスパーザさまは、ゼルシファーを知っているんですか?……そう聞こうとしたけど、それよりも早くエンデさんが切り出す。それに対して女王さまは静かに頷きながら、「わかりました」と答えていった。


『エンデ。後のことは、あなたに任せます。……期待してますよ』

『かしこまりました。ではエリューセラ、こちらにどうぞ』

「あ、はい。……それじゃ失礼します、ディスパーザさま」


 あたしは頭を下げて、エンデさんに促されて謁見の間を後にする。

……だけど、胸の中に沸き上がった疑問はとうとう解決することは無かった。


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