第115話
まるで感応波のように、私たちの頭の中へと直接送られてくる言葉。それが巨大蜘蛛から発せられたものだと気づいた私たちは、床に伏した状態のままで赤い複数の目を輝かせる「そいつ」に目を向けた。
「先輩の……罪……? それって、どういうこと……?」
『ほう……どうやら、そこの赤いやつは知らないようだな。ならば、教えてやろう。あのアンドロイドの姉妹が手に入れてきた、お前たち『天ノ遣』に関する秘密とやらを……!』
「それって、なにを――、!?」
泣きはらした顔を上げた遥が思わず聞き返そうとしたその時、その真横を一条の閃光が迸る。それはアリアドネの頭部へと直撃して爆発したが、巨大蜘蛛はほんの少しその身体を揺るがしただけで悲鳴も上げず、さほど効いた様子も見られない。
だとしても、今の攻撃はいったい誰が……? それを確かめようと顔を振り向けるよりも早く、私と遥の間を抜けるようにして前に進み出たのは葵お姉さまだった。
「……えっ……?」
ただ、すれ違った瞬間葵お姉さまの横顔にあった表情を目にした私は、……それが現実のものだと受け止めることができなかった。
だって、彼女は今まで見たことが無いほどにまなじりを吊り上げて、激しい怒りをあらわにしていたからだ――。
「……それ以上は許しませんよ、ブラックカーテン。くだらぬ戯言で遥さんを惑わせようというのなら、この私があなたを――殺します」
「お姉、さまっ……!?」
底冷えするような酷薄な響きと、まるで刃物のごとき鋭さをはらんだ葵その言葉を耳にして、むしろ私がぞっとした戦慄を覚えてしまう。
どんなに厳しい状況であっても、常に私たちへの気遣いを欠かさずに丁寧な口調で語りかけてくれる――それが、私の知る葵お姉さまだ。それは敵に対しても同様で、少なくとも私の知る限り、彼女が相手に対して「殺す」とはっきり言葉にしたことは絶対になかった。
なのに、その葵お姉さまがその禁忌を口にするほどに激怒している……? 背中越しで表情こそ見えないが、私はこれまで抱いたことのない違和感に戸惑って、その場から動けなかった。
ただ、巨大蜘蛛はそんな彼女をあざ笑うような感情を波動に伝えてくる。そして、エリスの攻撃によって負傷し動かなくなった肢のひとつをばきっ、と自ら切り離しながら、さらに言葉を繋いでいった。
『……なるほど。本人にはずっと伝えないまま、墓場にまで持っていくつもりだったというわけか。ははっ、実に泣かせる話だ……だが、この私ですら簡単に手に入れることができたような真実を、ずっと隠し通せると本気で思ってたのか?』
「……、まれ……!」
『あぁ、そうか! 言わなかったのではなく、言えなかったということだな。それを告げることで、己自身の不実と背信と向き合うだけの勇気がなかった、と。いやいや、『天ノ遣』ともあろう者が大したお覚悟で――』
「黙れぇぇぇぇッッ!!!」
恐ろしいまでの怒声で吠えながら、葵お姉さまは鬼気迫る形相でアローをつがえて無数の矢を放つ。だけどその攻撃はことごとく出現した障壁によってはじき返され、あまつさえ巨大蜘蛛が反撃に吐き出した粘液は、弱って回避すらできない彼女を軽々と弾き飛ばしていった。
「ぐっ……ぅ……!!」
『……最後まで言わせろよ。これは、他の誰でもねぇ……貴様自身がまいた種を放置した上、逃げ続けたことによって生まれた因果なのだからな』
「っ、アリアドネ……っ!!」
粘液によって身動きが取れなくなった葵お姉さまをかばうように、駆けつけたエリスが追撃に備えるべくその前に立ちふさがって剣を構える。だけど、巨大蜘蛛は攻撃の意思を見せず、呆然とした表情の遥に再び向き直ると思念を送っていった。
『そもそも、奇妙だとは思わなかったのか? そこで死にそうになっている男は、如月家の長男。なのに、次期当主の資格を得ているのは、なぜか妹……。『天ノ遣』は女限定の聖職とはいえ、肝心の当主に関してはその限りではない。その意味を考えれば、おのずと答えが出てくるというもの……』
「なっ……!?」
『つまり、そういうことだ。資格を持たない事実こそが、如月唯人が現当主である如月静の血を引いていないということの、なによりの証……。そいつは他所の家からやってきて家門の名前だけを借りている、いうなればただの居候だ』
「じゃ、じゃあ……如月先輩は、いったい……!?」
『ははっ、ここまで言ってまだ気づかないのか? そいつの本当の名は『水無月唯人』――水無月遥、お前の兄だよ』
「……っ……!?」
その驚愕の事実は、私から全ての思考と余裕を奪って……頭の中を真っ白にしてしまう。
まして、遥に至っては……。
「――――」
その表情を確かめる勇気は、情けないけれど私には……なかった。
『……さて、お喋りの時間はこれでおしまいだ。私には、最後の仕事が残っている……そろそろ移動させてもらうとしよう』
その言葉と同時に、空間を切り裂いて黒い歪みが出現する。それは周囲の空気を吸い込みながら乱気流のような渦を生み出して、瞬く間に巨大蜘蛛の身体を包み込んでいった。
「くっ……な、なんなのこれは……、っ!?」
『まぁ、思っていたよりも歯ごたえがあったおかげで、いい時間潰しになった。……だが、やはりお前たちでは役者不足だったようだ――』
「っ? 待ちなさい、ブラックカーテン!!」
闇の空間へと消え去ろうとする巨大蜘蛛を追いかけるべく、私は足を踏み出す。だけど、それを制するようにエリスがその前に割って入りながら手を広げ、背中越しに顔を向けていった。
「あいつは、私に任せて……! 行先はわかってる、あなたたちはその人のことを!」
そう言い残してエリスは、なかば塞がりかけた空間の裂け目へと飛び込んでいく。そして彼女の姿がその中に収まった次の瞬間、それは現れた時と同じように余韻すら残さず、唐突に消滅してしまった……。
「…………」
あとには、しんと静まり返って敵の姿もなくなった大広間。取り残された私たちはそこで、無力感をかみしめながらただ呆然と巨大蜘蛛の消えた空間を見つめるだけだった……。
× × × ×
「…………」
驚きすぎて頭が働かなくなる感覚って、もしかするとこんな状態のことを言うんだろうか。
がっくりと肩を落として立ち尽くすクルミちゃんの後ろ姿を見つめながら、私はどこか他人事みたいに……自分とは違う人の記憶を追いかけているような気分のまま、ブラックカーテンが残していった言葉を頭の中で繰り返していた。
「……。先輩が、……私の、お兄ちゃん……?」
なにもかもが真っ白に染まって、感情と思考がうまく働いてくれない。だから、その言葉の意味を……私はまだ、しっかりと理解することができなかった。
「…………」
ぼんやりと、腕の中に抱えている如月先輩の顔をのぞき込む。
……ひどい怪我だ。たくさんの血が傷口からとめどなく流れ出ていて、苦しそうにあえぐ彼の顔は真っ青になっている。
すぐにでも、治療をしなければいけない。早く病院に連れて行ってお医者さんに見せなければ、大変なことになってしまう。
――そう、頭ではそうわかっているのに、私はその場から動くことができなかった。
「如月……先輩……」
「初めて」会った時から、私にとって如月先輩は憧れの人だった。こんな人になりたいといつも夢見ていた。
『よっ、水無月。今日も元気だな』
学院で会った時は、気さくに声をかけてくれた。私は照れくさくて、いつもちゃんとした返事ができなかったけど……それでも先輩はにこやかに笑ってくれたり、時には頭を撫でてくれたりもした。
……嬉しかった。ほんの少しの時間でも、それがあるだけでその日が明るく、楽しいものに感じられるほどだった。
次期生徒会長に推薦された時は、その期待に応えたいと思って必死に頑張った。葵ちゃんやクルミちゃんにはいっぱい助けてもらって、全然一人前どころの働きもできてないけど……「頑張ってるな」と労ってもらった時は、本当に幸せな気分だった。
「…………」
でも……まさか……。
誰よりも尊敬していた人が、私のお兄ちゃん……!?
嬉しいとか嬉しくないとか、そんな感情がわいてくる前に、……信じられない思いが強くなりすぎて、現実として受け止めることができない。
そしてっ、……そして!
葵ちゃんがあれほど我を失うくらいに激昂して、ブラックカーテンに真実を語らせようとしなかったということは、つまり――。
「……葵ちゃん。あいつが言ってたことって、本当……? 私だけが、知らなかったって……」
「……っ……」
振り返った先で、ブラックカーテンの放った粘液の戒めから何とか抜け出した葵ちゃんは、そんな問いかけを聞くや息をのんで動きを止め、今にも泣き出しそうな表情を浮かべながらうなだれる。
……その反応だけで、言葉は必要なかった。そして、これまでずっと抱いてきた違和感の正体を知った私は、納得と同時に失望にも似た気持ちが胸の内に押し寄せてくるようにも思えて、……再び、目から涙がこぼれ落ちるのを感じていた。
「そう……だったんだ。葵ちゃんはずっと、如月先輩のことを知ってたんだね……」
「……申し訳ありません、遥さん。なんと言われても……どれだけ謝ったところで許されるものではないと、よくわかっています。ですがっ――」
「聞きたくないよっ!!」
消え入りそうなほど小さな声を震わせながら、それでも精一杯言葉を紡ぎ出そうとしてくれている葵ちゃんに対して、私は怒声をぶつけてしまう。そして、それを聞いたクルミちゃんが「遥……」と言ってとりなそうと差し伸べてくれた手までも、私は思わず払いのけてしまった。
……わかってる。葵ちゃんが言えなかったのは、私のことを気遣ってのことだって。秘密にしていることをずっと悔やんで、苦しんでいたことも……よくわかってた。
でも……悔しかった。寂しかった。
何でも話し合える……誰よりも大切な親友だと思っていたのに、隠し事をされていたという事実が、……どうしても、許せなかったんだ……。
「……、はる、か……」
だけどそんな中、床に横たわっていた如月先輩が、咳がまじる息とともに私の名前を呼んでくる。そして、はっと顔を戻す私に向かってかすかに首を横に振ると、辛そうに私の手を握りながら言葉を繋いでいった。
「……葵を、責めないで、やってくれ……。俺が、彼女に……頼んだことだ……。ミスティナイトとして……お前のサポートをすると決めた時に、な……」
「私の……ため……?」
「そうだ……。如月家の、秘術……によって、俺は……『天ノ遣』としての力を、取り戻し……己の内に潜んだ『闇』も制御が、できるように……なった……。だが……その反動で、俺の目は、……こう、なってしまった……」
「なっ……!?」
そう言って如月先輩は割れて半分になった仮面を外し、隠れていた目のあたりをさらけ出す。すると、そこにあった片方の目は本来白い部分が黒く、対照的に瞳は黒ではなく血のような赤に染まっていた。
「き……如月先輩、それは!?」
「……汚染された『マナ』を持つ者が、……聖なる波動エネルギーを行使しようとする際に、こうなるらしい……。自分の弱さと過ちのために、母と妹を傷つけてしまった……愚か者の、末路というヤツかもな……」
「……っ……!」
母、という言葉を聞いて、私の脳裏にとある光景が思い浮かぶ。それは、葵ちゃんが一時行方不明になったことでその消息を求めて、『聖杯の力』――波動エネルギーの源泉である『ワールド・ライブラリ』に行った時のことだ。
その時、私たちは過去の記憶に触れて……私のお母さんが行方不明になった事件の内容を知ることになった。確かその時、お母さんは誰かを助けようとして『魔』の存在に捕まり、そして――?
「じゃあ、あの時……お母さんが取り戻そうとしたのは……!?」
「あぁ……そうだ、俺だ……。母さんは、……『闇』に汚染されて、操られた俺を助けようとして……『魔』に取り込まれて、しまったんだ……」
「…………」
「俺は、その後……神無月家の当主たちの提案で、如月家に入り……闇に打ち勝つ力を手に入れた……。だが、遥……お前は俺のことを、覚えていなかった……なぜだか、わかるか……?」
「っ、それは……」
そのことは、ずっと私の中で疑問に思っていたことだった。お母さんのことはしっかりと覚え続けていたのに、……お兄ちゃんの存在は『ワールド・ライブラリ』で真実を知るまで、私の記憶から完全に抜け落ちていた。いくら子供の頃だったとはいえ、どうしてそんなことになってしまったのだろう。
問いかけに対しての答えがすぐには思いつかず、私は無言で首を横に振る。すると先輩はそうだろうな、と言いたげに頷いてから、苦しげな表情でむせこみながら必死に言葉を紡ぐように続けていった。
「……闇の世界……『エリュシオン』の瘴気によって、魂の中の『マナ』を傷つけられた者は……人間界における、因果律を失って……生きながらにして、死人となる……。そして、……その周囲にいる人々の記憶からも、消え去り……最初から存在していなかったようになってしまう……。遥……お前も以前、似たようなことがあったはずだ……」
「……っ……」
如月先輩の説明を受けて、私は少し前にあった事件のことを思い出す。
そうだ、確か葵ちゃんの時も……波動エネルギーを回復させる「人柱」として『ワールド・ライブラリ』の源泉の内部に取り込まれたことで、学院の友達だけでなく実家の神無月家の人たちまでもが彼女のことを「存在しない」ものとして、記憶を書き換えられてしまったんだった。
つまり、如月先輩も葵ちゃんの身に起こったことと同じように、幼い頃に存在を消されたことがあったんだろう。だから私は、「お兄ちゃん」を忘れてしまったんだ……。
「そして、俺は……卑怯にも、それを……利用した……。俺の、記憶を……呼び起こせば、……母さんを失ったことで、っ……悲しんでいるお前の心と記憶に、……余計な負担をかけることになる……。俺のせいで……お前をこれ以上、苦しめたくなかった……」
「……っ……」
「母と妹を不幸にした、兄貴ではなく……まったく別の人間……如月唯人として、……お前たちの力に……なりたいと思った……。葵は、そんな俺に、……不本意ながらも、協力してくれたんだ……。だから、彼女は悪くない……。悪いのは、……俺だけ、だ……」
「如月、先輩……葵ちゃん……っ」
それを聞いた私は、さっきまでの自分が情けなくて……後悔をかみしめる。
落ち着いて考えれば、葵ちゃんが私を騙そうとするなんてありえないことくらい、すぐにわかる話だった。それなのに、感情のままに怒って……あろうことか、一番の親友を疑ってしまった。
本当に……心の底から恥ずかしくて、本当に申し訳ない。そんな思いを抱きながら私は、すぐ横で肩を落としている葵ちゃんに視線を向けて口を開きかけた――けど、それよりも早く如月先輩の激しくむせこむ音を感じて、反射的に顔を戻す。
先輩の口から、……大量の血。私の手を掴んでいたその手は力なく離れ、荒く乱れた息は徐々に弱く、そして細くなっていて……その意味を悟った私は、全身の血が凍りついて意識が遠のいてしまいそうな戦慄を覚えた。
「っ、如月先輩!? しっかりして、お願い……!」
懸命に私は、如月先輩に向かって呼び掛ける。だけど、その顔色はもう血の気を感じさせないほど真っ白になり、その目の焦点はもう……こちらにも合わず虚ろなものに変わっていた。
「クルミちゃん……お願い! そのメダルで先輩を助けて……早くっ!!」
「やってるわよ、さっきから! でも、なんでっ……? めぐるの時はちゃんと発動したのに、なんでお兄様を治してくれないのよ、このポンコツっ!!」
クルミちゃんは泣きじゃくりながら、必死にメダルを如月先輩の傷口にあてがって治療を試みようとしてくれている。
端末を操作して、何度も、何度も……。でも、……メダルは光ってくれない。
彼女がどれだけコードを入力しても立体スクリーンに表示されるメッセージは『Refused(起動拒否)』で、そのたびに鳴り響く警告音が私たちの絶望をかき立てるだけだった。
「……遥……」
と、その時……如月先輩の手がゆっくりと持ち上がり、私の頬へと触れる。
柔らかくて、優しい感覚……なのに、今は、それが……とても、冷たい……!
「お前には、辛い思いをさせてしまった……。葵にも、……すまなかった……。優しいお前の心を傷つけて……だが、最後に妹を守ることができて……俺は……」
「いや……いやだっ! 死なないで、如月先輩!! 必ず……必ず、連れて帰るからっ! お願い……お兄ちゃん……!」
「ははっ……そう呼ばれるのは、何年ぶり……かな……。……母さんにも会って、……伝え……」
囁くように細くて、小さな声が口元からかすかに聞こえてきたと感じたその瞬間、ぱたり……と私の顔に触れていた手が、ゆっくりと滑り落ちていく。
瞼は両方とも、閉じられて……もう……。
「お……お兄ちゃん……!?」
何度呼びかけても、……もう一度、動いて、……開けては、くれなかった……。
「お兄ちゃん……お兄ちゃん、お兄ちゃんっ!! お兄ちゃ――」
…………。
「うっ……うわぁぁぁああぁぁぁ……っっ!! お兄ちゃん……お兄ちゃぁぁぁぁん……!!」
やっと、逢えた……やっと思い出すことができた、私のお兄ちゃん。
だけど、その会話は本当に、短すぎて……そして、悲しすぎるほどあっけなく、終わってしまった……。
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