第120話(最終回)

 広間全体を揺るがす地響きはますます大きくなり、立ち続けることも難しくて床に膝をついてしまう。

それに加えて、全身が上方向に引っ張られるようなこの感覚は……外の様子がわからないので確証はないけれど、おそらくこの浮遊城が海面に向けて下降、もしくは「落下」しているということなのだろう。


「くっ……遥、葵お姉さまっ!」


 私は背後にいる2人に振り返り、葵お姉さまが頷いてくれるのを確かめてから端末を操作して立体スクリーンを立ち上げる。

 これまでに進んできた経路は、猫耳型レシーバーに搭載したカメラとジャイロセンサーを通じて3次元的に記録してある。よってそれをたどれば、ここへ来た時よりも効率よく脱出ルートを進むことができるだろう。

ただ問題は、そのためにどれだけの時間が残されているのかということだ。そして、なによりも深刻なのは……。


「……テスラ、ナイン! あんたたちのスーツの、エネルギー残量はどう?」

「問題ないです。私たちが突入した時点から、この城がどれだけ移動したのかは不明ですが……飛行モードを立ち上げても、近隣の島に到達できる程度の力は残っていると思います。ただ……」


 そこでテスラは言葉を切り、ちらっ、と目だけを動かしてすぐ横に視線を送る。そこには、床に横たわって眠るように動かない唯人お兄様と、そのそばに寄り添ってしゃがみこんだまま悄然と俯いている遥の姿があった。

 涙こそ止まったとはいえ、遥の表情に普段の溌剌とした明るさはどこにもない。瞳は輝きを失って虚ろに濁り、……その顔を見ているだけで胸が痛む。葵お姉さまですら、どう言葉をかければいいのかわからず押し黙っている様子だ。

それでも、私は再びこぼれそうになった嗚咽を必死に飲み込み、無理やり声を張り上げて呼びかけた。


「立って、遥! このままじゃ私たちも危ない……来た道を戻って、脱出しましょう!」

「……。お兄ちゃんは……?」

「唯人お兄様は、……連れていけないわ。私たちだけで、行きましょう」

「クルミさん、それはっ――」


 その言葉に、横にいた葵お姉さまがいち早く反応して私の腕をとる。だけど私は、本当に申し訳ないと思いながらもそれを乱暴に払いのけ、怯みそうになる気持ちを奮い立たせて事実を告げていった。


「私たちのスーツに残っている力だと、それぞれの分だけで飛ぶのが精いっぱいよ。他の人は、……運べない」

「……っ……」

「もう、時間がないわ。急がないと、脱出できるルートもなくなってしまう。だから、……立って」

「……。そんなの……お兄ちゃんを置いていくなんて……。だったら、私っ……」


 肩を落としたまま、遥は消え入りそうな声で答える。ただ、それは予想していた返事であり、その続きにどんな言葉が返ってくるのかも理解できた私は、彼女に駆け寄るとその両肩を掴み、乱暴にその顔を起こすと「聞きなさいっ!」と怒鳴りつけるような勢いでまくしたてた。


「あんたが一緒にここに残ることを、唯人お兄様が望むとでも思うのっ? 私たちは、生きなきゃいけない……絶対に、生きて戻らなきゃいけないのよ! 身を挺して守ってくれたお兄様のためにも、そしてめぐるとすみれを笑って迎えてあげるためにもっ……!」

「……っ……」

「だから……お願い、立ってよ遥! 私のことをどんなに恨んで、憎んでくれてもいい……無事に戻ったら、私にできることは何でもしてあげるから……だから……っ……!」


 懸命に自分の心を奮い立たせて、悪魔に魂を売り渡すくらいの冷酷な態度を貫くつもりだったのに……だんだん涙が喉に絡んでうまく声が出せなくなり、最後には言葉にもならない嗚咽をもらしながら、私はボロボロと泣きじゃくってしまう。

 ……バカみたいだ、私は。本当に泣きたいのは……悲しくて苦しくて、辛いのは絶対に遥のはずなのに。

 でも……私が遥のためにできることなんて、これくらいしか……っ。


「――っ、クルミさん、上っ!!」

「なっ……!?」


 テスラの声に反応して顔を上げると、天井の装飾部分が振動によって崩れ、私たちの頭上めがけて落ちてくるのが目に映る。とっさに私はそれを防ごうと波動フィールドを展開したが、エネルギーが弱まっている状態が災いして完全には受け止めきれず、砕けた石の塊が私と遥を押し潰さんばかりに迫ってきた――。


「危ない、遥っ!」

「――っ、はぁぁぁあっっ!!」


 思わず遥をかばおうと立ち上がった私の目の前を、ナインが疾風のような動きで横切る。そして背中から抜き放った大剣を渾身の力を込めて叩きつけると、巨石は粉々になって私たちの周囲に無数の礫がバラバラと落ちていった。


「な、ナインちゃん……」

「……時間、ない。クルミの言う通り……早く、脱出すべき」

「…………」

「悲しい気持ち、わかる。……お父さまの時の私も、そうだったから」

「……っ……!」


 その淡々とした口調の中に陰りを含ませたナインの言葉を聞いて、私は息をのみ、遥もまた顔を上げて目を見開く。

 そうだ。テスラとナインは以前、魔王城で育ての親であったダークトレーダーと戦い……その亡骸を回収することもできなかったのだ。関わり方が異なる以上、遥の現状と同列に扱うことはできないけれど……それでも立ち上がらなければいけなかった辛さ、そして私たちに対するナインの想いだけはしっかりと胸に伝わってきた。


「……ごめん、ナインちゃん。クルミちゃんも……私――」


 そう言って、遥の瞳にわずかながらも輝きが宿り、口を開きかけた――その時だった。


「えっ?……きゃぁぁぁあっっ!?」


 突然、爆音とともに今までとは比べものにならないほどの激震が私たちに襲いかかって、辛うじて立っていたテスラとナインでさえもその場に倒れ込む。身構えていなかった私と遥に至ってはもつれあうようにして転がり、すんでのところで葵お姉さまが受け止めてくれたおかげで何とか事なきを得ることができた。


「大丈夫ですか、お二人とも?」

「え、えぇ……、?」


 葵お姉さまに頷き返してから、私は顔を上げて周囲を見回す。

 ……振動が、収まった。轟音は跡形もなく消え失せて辺りはしん、と静けさを取り戻している。ばらばらと断続的に落ちてきていた瓦礫の雨も止まり、薄暗かった室内は少しずつ、でも確実に明るく変わっていった。


「な……なに? なにが、どうなったの?」

「わ、わかりません……。これは、いったい……」


 テスラも状況が把握できないのか、困惑をあらわにした表情で首を振る。あの衝撃は海面に着水したせいなのかとも考えたが、それにしては内部の様子がおかしい。

 ともかく、揺れが収まったことは好都合だ。この機を逃さず脱出を……と思って身体を起こした私のもとに、先に立ち上がっていたナインの息をのむ音が聞こえてきた。


「どうしました、なっちゃん?」

「っ……あれ……」


 そう言ってナインが指さす先に目を向けた私たちは、……そこに映った「もの」を見てあっ、と声を上げる。

 さっきまでブラックカーテンが控えていた、壇上の玉座。……そこにはいつの間に現れたのか、ドレス姿の女性が腰を下ろしているのが見えたからだ。


「(だ、誰……?)」


 邪悪なオーラを隠そうともしなかったブラックカーテンとは正反対に、神々しい雰囲気を全身から漂わせた、清楚な容貌。ただ、どこか見覚えがあるというか……誰かによく似た面影を感じる……。

 すると、じっと凝視していたテスラが驚きに目を丸くしながら、「……まさか」と呟いてからその名前を呼んでいった。


「あ……アストレア、さま……!?」

「アストレア……?」


そういえば、めぐるとすみれの報告にそれと同じ名前があった気がする。確か、魔界エリュシオンから人間界へとやってきた移民団『アースガルズ』の盟主にして、めぐるとすみれが魔界に赴く原因となった人物だ。

 そして、なによりも『アストレア』とは『聖杯の一族』アスタディール家の開祖の名前。つまり2人の話が真実だとすれば……それは……。


「じゃ、じゃああれが……アスタディール家の始祖様なの!?」

「い、いえ……正確には平行世界によって生まれたアストレアさまであって、本来のアストレアさまではないもう一人の「アストレアさま」ではないかと思われます。……すみません、私も混乱してうまく説明できません」

「…………」


 申し訳なさそうにうなだれるテスラにどう返していいのかわからず、頭の整理にも苦心した私は仕方なく、再び玉座へ目を向ける。すると、アストレアらしきその人物はこちらへと振り向き、優雅な動作で立ち上がると穏やかな笑みを浮かべながら「声」を伝えてきた。


『驚かせて申し訳ありません、人間界の聖なる使徒の皆さん。……そして久しぶりですね、我が友人の天月めぐると如月すみれとともにいた、テスラ・ヴァイオレットさんにナイン・ヴァイオレットさん』

「なっ……!?」


 その「声」は、感応波のように頭の中へと直接響き渡る。ただ、ブラックカーテンのそれとは明らかに異なり、そこには優しさと知性、そして慈しみに満ちたあたたかさがあった。


「やはり、あなたは……エリュシオンの「アストレアさま」なのですね」

『はい。情けないお話ですが、エリュシオンの再建中に、ブラックカーテン……アリアドネの奸計に陥り、このエリュシオン・パレスに閉じ込められてしまいました。まさか、城中に安置していたエリュシオン・メダルを支配した上で私を封印するとは思わず、不覚を取って……私の失態のせいでご迷惑をおかけしたこと、深くお詫び申し上げます』


 そんな謝罪の意思を、アストレアは私たちの見ている前で頭を下げながら伝えてくる。ただ、それに対してどう返すべきなのかわからず私が戸惑っていたところ……ふいにテスラが一歩前に踏み出し、やや声を張りながら口を開いていった。


「アストレアさま。確かあなたには『サキヨミ』の力があるとのお話でしたが、それで敵の策略を事前に察知することができなかったのですか? あなたの力があれば、失礼ながらブラックカーテンに後れを取ることはなかったと思うのですが」

『えぇ。「生前」の私であれば、そうだったかもしれません。……ですが今の私は、魔界エリュシオンの新たな女王となるために命を一度捨てたことで『アカシック・レコーダー』の能力を失い、平行世界の因果律を掌握せんと暗躍するブラックカーテンの動きを見通すことができなかったのです。それゆえに本来のアストレアにその役目を託して、せめてもの対抗策としてこの城の移動を食い止めていました』

「…………」


 その釈明を受けて、私もなるほど、と合点する。この浮遊城の進行速度がさほど脅威的ではなかったのは、彼女がおさえてくれたということだろう。

 あと……城内にも敵らしき姿が思った以上に少なかった理由は、このアストレアの抵抗があったことでブラックカーテンがこの内部を完全に制御できていなかったということになる。


『しかし……それももう、終わりました。アストレアは目覚めて本来の力を取り戻し、魔獣アリアドネをはじめとした『影』の魔将と魔獣をことごとく討ち果たしてくれたそうです』

「じゃあ……めぐるとすみれは、……」

『ご心配には及びません。彼女たちの活躍のおかげで私も、こうして再び姿を見せることができました。そして――』


 そこでアストレアは言葉を切り、持っていた杖で壇上の床をかつん、と叩く。その響きは波動となってこちらへ伝わり、私たちの身体を包み込んでいった。


「っ、……こ、これは……?」

「傷が、治っていく……?」


 ボロボロになったスーツの傷、手足の無数の怪我が光の粒によってふさがり、疲労とダメージによって重かった身体が嘘のように軽くなっていく。

 いや、それだけじゃなかった。彼女のもたらしてくれた本当の奇蹟は、私たちよりも、むしろ――。


「……お、お兄ちゃん……っ!?」


 驚きと、それ以上の喜びの声を上げた遥に、私たちはいっせいに弾かれたような勢いで振り返る。

 もう、2度と開かれることはないと諦めていた、その瞳。

 どんなに望んでも、聞くことなどできないと覚悟していたその声。

 それが……。

 それが、今……目の前に……っ!


「っ、……はる、か……?」

「お……お兄ちゃんっ! おにいちゃぁぁぁあっんっ!!」


 もう枯れ果てたかと思っていた涙を再びあふれんばかりに流しながら、遥は唯人お兄様にすがりついて泣きじゃくる。そんな彼女をお兄様は、少し戸惑うように複雑な表情を浮かべ……それでも優しい笑みで受け入れて、そっと抱きしめ返していた。


「っ、……良かった……遥さんっ……」


 葵お姉さまの嗚咽まじりのその言葉は、胸が弾けそうなこの思いと同じだ。私はこの瞬間ほど、神に感謝したことはなかっただろう。

 だから、……私たちは、アストレアがぽつりと呟いた「声」を聞き逃してしまっていた。


『……この選択が、あなたの意思でよかったのですね。如月すみれ――』


 × × × ×


『あなたの願いどおりに、平行世界の因果律を操作しました。これで、如月唯人は再び未来を進むことになります』

「……。ありがとうございます、アストレアさま」


 アストレアさまのかざした掌の上に浮かんだ水球の「中身」を無言で見つめていたすみれちゃんは、そこに映し出された光景を確かめると深々と頭を下げる。

 ……ここは、切り離された『ワールド・ライブラリ』の中央の泉の間。すでに自己修復を始めて元の姿を取り戻しつつあり、アストレアさまの話だともうすぐ、『ワールド・ライブラリ』本体への接続と融合が行われるとのことだった。

 ちなみにあたしとすみれちゃんは、本来は同化した状態で「アストレアさま」に変わってしまっているのだけど……そのままだとエンデちゃんやアインちゃんと話がしづらいので、メダルの力を使って一時的に彼女の身体から出してもらっている。そして2人もまた神器の形ではなく、以前の可愛らしい姿であたしたちと向かい合っていた。


「あの浮遊城……やっぱり、『エリュシオン・パレス』だったんだね」

『はい。ブラックカーテンの侵略により、私たちもあの中に閉じ込められていましたが……「アストレアさま」が封印の緩んだ隙を見計らって脱出口をこじ開け、私たちをめぐるさんのもとへ送り出してくれたのです』

『……とはいえ、ボクたちの加勢なんて必要ないくらいに圧倒的だったみたいだけどなー。まぁおかげで、あの野郎に一発ぶちかますことができたから、少しだけせいせいしたぜ』


 そう言ってにかっ、と快活な笑顔を浮かべるアインちゃんと、それをたしなめつつも優しく微笑むエンデちゃん。……2人とこんなふうに会って、また話ができるなんて思ってもみなかったあたしは本当に嬉しくて楽しくて、いつまでもお話を続けていたい気分だった。

 でも……。


「…………」

「……すみれちゃん」

 

 隣でずっと黙っているすみれちゃんに、あたしは呼びかける。アストレアさまにお礼を言ってから彼女は、あたしたちの会話に加わることなく……水球に映る様子をただじっと、静かに見つめ続けていた。


「あの、さ……。すみれちゃんは唯人さんのこと、「知って」たの……?」

「……ええ。あなたと合流する前に天使ちゃんが目覚めさせてくれた『アカシック・レコーダー』の力のおかげで、お兄さまの危機を先に知ることができたのよ。……間に合って、本当によかったわ」

「ううん。そうじゃなくて、……」


 唯人さんが瀕死の重傷を負ってしまうことも、大変な情報には違いない。でも、あたしが確かめたかったのはむしろ、もうひとつのこと――。


『唯人さんは、すみれちゃんの本当のお兄さんじゃない』


 その事実をすみれちゃんがすでに知っていたことの方が、あたしにとっては驚きだった。 そしてなにより、彼女が唯人さんの蘇生と同時に彼と「別れる」道をためらいもなく選んだことはびっくりどころか、口を差し挟める立場じゃないあたしでさえ不安に感じられるほど早すぎる結論に感じられて仕方がなかった……。


「本当に、良かったの? 平行世界を組み替えることができるんだったら、たとえば――」


 あたしの独善的な考えで申し訳ないけれど、その気になれば『アカシック・レコーダー』の能力を使って、「遥先輩が唯人さんとの関係に気づかない世界」を選ぶこともできたはずなんだ。そうすれば元通り、唯人さんはすみれちゃんの「兄」として存在して……遥先輩との関係にも変化はなかっただろう。

……だけど、そんなあたしの問いかけにすみれちゃんは「いいのよ」と呟きながら首を振り、そして淡々とした口調で言葉を紡ぎ出していった。


「これが……本来の正しい流れなの。今までが、夢……そう、いびつな幻想だったのだから。そのために、幸せになるべき人たちがそれを知らずにいるなんて……間違っている。だから、これでよかったのよ」

「…………」

「夢……か……。ふふっ、懐かしいなぁ……」


 そう言ってすみれちゃんは、水球から顔をそむけるとあたしたちに背を向ける。そして、思わず手を差し出そうとしたあたしがその肩に触れる寸前、おもむろに語り始めていった。


「……一番古いお兄様との思い出は、めぐると出会った後だったかしら。如月家の後継者として、厳しい修行と稽古の毎日……なのに身体は強くなるどころか、すぐに調子を崩して倒れたり、病気になったり……。こんなことで後継ぎがつとまるのかって、毎日暗い気分だったわ」

「…………」

「そんなある日に、あの人は言ってくれたの。『焦らなくてもいい。目標さえ見つかれば、人はどこまでも強くなれるのだから。それは与えられたものではなく、自分で探し出すものだ』って。その言葉に私は、本当に救われた思いだったの」

「(すみれちゃん……)」


 その言葉を、あたしは複雑な思いでかみしめる。

 あたしのせいで身体が弱くなったのに、すみれちゃんは誰かのせいにしなかった。それが彼女の偉さであり、凄さなんだと心の底から尊敬の思いでいっぱいになる。

だけど、やっぱりそれだけだと辛くて、悲しくて……そんな時に支えてくれた唯人さんの存在がどれだけ有難かったのか、説明を受けるまでもなかった。


「だから、私は……あの人を信じて、あの人の妹として恥ずかしくない人間になろうって、頑張るようになったの。……でも、本当はわかっていた。お兄様の心には、いつも他の誰かがいたって」

「……もう、いいよ」

「守りたい相手は、私じゃない……わかってた。でも、優しいあの人は私を悲しませまいとその気持ちを押し殺して、甘えることを許してくれた……それもわかってた! そして、そんなふうに心を偽っていることをいつも、申し訳ないと思って罪悪感を持っていたこともみんなみんな、わかってた! だけど、私はっ……それでも私は、あの人を……!」

「もういいよ、すみれちゃん!!」


 たまらずあたしは、背を向けるすみれちゃんに後ろから駆け寄ってその身体を抱きしめる。

 震えと嗚咽の音が、腕と胸を通じて伝わってきて……すみれちゃんが泣いているのだと、見なくても感じることができた。


「(っ、……神様は、ずるいよ……)」


 すぐそばに神様――アストレアさまがいるとわかっていても、そんな恨み言を呟かずにはいられない。

 これだけ、いろんな人たちの期待に応えようと頑張って、歯を食いしばって我慢してきて……今だってこうして、誰かの幸せを願っているすみれちゃんがどうして自分の気持ちを押し込めながら、こんなにも悲しい想いをしなきゃいけないのか。

 そんなの、おかしいよ。不公平だ。頑張ってる人がいい思いをしない、優しい人が幸せになれない世界は、間違ってると思う。

 正義の味方は、見返りを求めてはいけない……そういう言い方だってあるだろう。でも、すみれちゃんは人間で、道具なんかじゃない。ときには報われたりして幸せを感じて、自分のことを好きになる瞬間があってもいいじゃないか。

 みんなの笑顔を守りたい――。

 その思いはあたしも同じだし、そのためならどんなに苦しくて辛いことでも乗り越えてみせる覚悟はある。だけど、その中にすみれちゃんの笑顔がなかったら、あたしは――。


「……っ……!」


 あぁ……そうか。やっと、わかったよ。

 あたしが今、なりたいもの……それはきっと「正義の味方」というより、もっとそれ以上の――。


「……ねぇ、めぐる」


 ふと、すみれちゃんが消え入りそうな小さな声で呼びかけてくるのが耳に届く。あたしはひそかに抱いた決意を胸にしながら、そんな彼女に向かって「なに?」と言葉を返した。


「……。あなたはここに来る前に、この世界から消えたい、いなくなりたいって言っていたわよね。……だったら私も、一緒についていくわ。女神アストレアとして、ね」

「…………」

「いいえ、私も行かせてほしいの。1人だけだと寂しくて悲しくて、すぐに泣いてしまいそうだけど……あなたと一緒なら、たぶん大丈夫だと思う。それに……」

「……それに?」

「元の世界だと、私はお兄様や水無月先輩にとって邪魔になっちゃうでしょ? あの二人の幸せを願う心に、嘘はないけれど……やっぱり……」

「すみれちゃん……」


 ここに来るまで絶望の底にいたあたしにとっては、すごく嬉しい……天使のささやきのように甘やかな誘いだった。

 あたしだって、すみれちゃんと一緒ならどこに行っても構わない。どんなに厳しい環境でも、そして何もない世界でも我慢どころかきっと幸せだと心の底から思って、過ぎ行く時間を楽しむことができるだろう。

 それに、すみれちゃんは……こんなにも悲しい思い、そして覚悟を秘めていながら、それでもあたしを助けようと来てくれたんだ。だったらあたしも、その気持ちに応えるべきじゃないか、という思いも確かにある。


「…………」


 ううん、……やっぱりだめだ。それだとすみれちゃんは、「今」のままで時間を止めてしまうことになる。これ以上の苦しみと悲しみは無くなるかもしれないけれど、……癒されることも、決してないだろう。

 もちろん、そんな彼女をいつまでもずっと支えていく覚悟はある。……だけど、やっぱりあたしは、すみれちゃんにはずっと笑顔でいてほしい。

 そのためにも、やっぱりあたしたちは「未来」を手放してはいけない。だからあたしは、精一杯の元気と力を込めて、すみれちゃんに話しかけていった。


「……戻ろうよ、すみれちゃん。元の世界に、一緒に」

「めぐる……」

「本当のことを知って、自分が嫌いになりかけてたあたしが言える立場じゃないけど……まだあたしたちは、できること、やらなきゃいけないことがいっぱいあると思うんだ。辛くて悲しくて、また泣いちゃったり、いろんな人に迷惑をかけちゃったりすることもあっても……それを乗り越えた先に笑顔があるって、あたしは信じたいの」

「…………」

「すみれちゃんが一緒に来てくれる、戦ってくれるって言った時……あたし、嬉しかった。すごくすごく、幸せだった。そして、あたしのことを大切だっていう気持ちが伝わってきたから、あたしは自分のことを嫌いになりたくない、って思うようになった。だって、そんなにもあたしのことを想ってくれてるのに、あたしが情けないままだったらすみれちゃんにすごく、失礼だもん」

「……っ……」

「あたしは、すみれちゃんが大好き。だから、そんなすみれちゃんが好きでいてくれる自分をもっともっと好きになりたいし、すみれちゃんの想いに応えたい。そのためには……過去や今じゃなく、未来が必要なの」

「……あなたは、それでいいの?」


 ぽつり、とすみれちゃんから投げかけられた問いかけに、あたしは「もちろんっ」と力を込めて頷き返す。

 その決意と覚悟に、嘘なんてない。疑うことなんかしない。だってあたしはあの時、すみれちゃんと一緒ならどこまでも行けるし、なんにでもなれるって信じることができたんだから……!


「行こうよ、すみれちゃん。輝く未来は、水平線の向こうにある……って、チイチ島のお父さんが言ってくれたことだけどね。あたしは、それを確かめたい。そのためにもあたしは、正義の味方のすみれちゃんの、一番の味方でいたい……今、そう決めたの!」

「正義の味方の、……味方……?」

「あはは……ちょっとややこしい言い方になっちゃって、ごめんね。でも、すみれちゃんはあたしにとって誰よりもカッコよくて、素敵な正義の味方なんだから……あたしはそれを、いつまでもどこまでも、どんな時でも支えたい。みんなの笑顔と同じくらいに、すみれちゃんを笑顔にさせたい……それが、あたしのこれからなりたいものと、新しい夢だよ!!」

「……。本当にあなたは、私に楽をさせてくれないのね。めぐる……」


 そこでようやく、すみれちゃんは振り返ってくれる。その目にはまだ涙のあとがいくつも残っていたけれど、その表情はなんとか笑顔だった。


「そう宣言した以上は、弱音なんて吐いたら許さないから。……ちゃんとついてきてよね。これからも、ずっと……!」

「もちろんっ! だってあたしには、大好きな正義の味方がいつも一緒にいるんだから♪」


 あたしとすみれちゃんはそう言って、お互いの手をしっかりと固く握り合いながら誓いをかわす。

 ……そう、これがあたしたちツインエンジェルBREAKの、新しい始まり。

 限界なんてない。終わりなんてまだまだ。だってそれを打ち破って未来を切り拓くのが、あたしたちの使命なんだから――!


『……決まったようですね』


 そう言ってアストレアさまは、微笑みながらあたしたちに手を差し伸べてくる。その掌の中には、2つのメダル……そう、あたしたちのブレイクメダルがあった。


『……まぁ、ボクはこのまますみれたちと一緒なのも悪くない、って思ってるけどな。ただ、2人の未来がどんなものになるのか、興味はあるしさ』

『……ですね。それに、できればお二人には『時』を手に入れた新しいエリュシオンを築き上げてから、改めてお客人としてお越しいただきたいと思っております。その時にはぜひ、私たちの招待を受けてもらえますか?』

「うん、もちろん。今度は無理やりってのは無しだからね」


 そう言ってエンデちゃんとアインちゃんは、笑顔とともに光に包まれてその姿を消していく。それとほとんど同じタイミングで水の壁の一部がカーテンのように開かれ、その向こうから駆けつけてくるエリスさんの姿がはっきりと見てとることができた。


「……じゃあ、行きましょうか」

「うん。それじゃ……」


 私たちの大切な人たちが待っている場所。

 そして、私たちがお互いと初めて出会い、思い出を重ねてきた……そして、これからも重ねていく場所。

 光と闇が混ざり合う、故郷……あの水平線の向こうへ――。

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