第8話

「っ……!!」


 とっさに動けなかった。私だけが逃げると、まだ地面に倒れている女の子を見殺しにすることになる。

 だけど、その一瞬の迷いと鈍った判断は……すなわち、私自身が敵の攻撃に身をさらされることを意味していた。


「(……嫌だ)」


 痛いのは恐ろしい。死ぬのも怖い。……でもそれ以上に私は、めぐるとの約束を破ってしまうことが嫌だった。

 だって、約束したのに。

 あの子が帰ってくるまで、待っているって約束したのに。

 なのに、私はここで、……終わりっ――?


「っ、……めぐ――」

「ファントム・インパルス!!」

「ファントム・スラッシュ!!」


 振り下ろされる凶刃が近づいてくるのを眺めるしか出来なかった私の耳朶を鋭い叫びが震わせて、視界いっぱいに光が満たされていく。

 そして、まるで雷鳴のような衝撃とともに化け物の巨体が吹き飛び……一瞬でその姿が消失した。


「なっ……!?」


 刹那に……見えた。空から振ってきた閃光が化け物を怯ませ、続いてその巨体が斬撃により真っ二つに割れる光景を。

 光による視界の奪取、そして防御の緩んだ瞬間に叩き込まれた的確な攻撃。絶妙なコンビネーション攻撃で化け物を一瞬で無力化したのだ。


「「――――」」


 やがて視界が回復し、長髪の少女と短髪の少女が荒廃した地に降り立つ姿が見える。

 その姿は妖精のように優雅で、風に吹かれた花のように軽やかで――。

 妖精のようだ、と感じたのは二人の背中から生えた薄く透き通った紫の翼。花のよう、と思わせたのは紫と白を基調とした装い。

 そして何より、華麗さを感じさせるその凜とした佇まいには気品があり、何よりも鋼のような強さがその全身にみなぎっていて――。


「撃退。……間に合った」

「うふっ、久しぶりの連携はバッチリでしたね~♪……みなさん、ご無事ですか?」


 そして場に静寂が戻った瞬間、少女たちはその幻想的な空気を壊すような明るい笑顔で私たちに振り返った。


「テスラ! ナイン! どうしてここに……!」

「テスラ……ナイン?」


 みるくちゃんが呼んだ名に、状況も忘れて思わず首を傾げる。なんだろう、最近どこかで聞いたような……と考え、あっと声をあげる。

 思い出した……学院寮の歓迎パーティーで、みるくちゃんから聞かされた名前だ。元々敵同士だったけれど、色々あってわかり合った後は味方になって……!


「命がけで、コンパクトを日本に届けてくれた人たち……」


 呟くと同時に、ポケットに手を当てる。ツインエンジェルになるための道具と同時に、めぐると私を繋ぐ絆の結晶をもたらしてくれたのが、この人たち――


「u…………」

「っ!」


 が、その姿にぼんやりと見とれていた私は少女のうめき声に、慌てて状況を思い出す。そうだ、今は助けなければいけない人と、探さなければいけない人がいる……。


「色々聞きたいことはあるけど、話は後よ! 二人とも、怪我人の救助を手伝って!」

「はいっ!」

「了解。……任せて」


 みるくちゃんの要請を一も二もなく受け入れた二人の少女たちと共に、慌てて怪我人の救助を再開した。

 瓦礫の下敷きになっていた人々を引きずり出して平地に寝かせ、やってきた救助ヘリに重傷者順に次々と搬送する。

 そして最後の救助ヘリが上空に現れた頃、載せ終わった患者を見つめていた私の背後で神無月先輩が平之丞さんと交わす会話が聞こえてきた。


「これで全員ですか?」

「はい。みな怪我は負っていましたが、命に別状は無いとのことです。……ただ」

「……あちらの方のことですね」


 あちらの方、とは私が見つけた薄い藤色の髪をした彼女のことだ。

 大きな怪我は負っていないようだが、私たちが発見してから一度も目を覚まさず、時折小さく呻き声をあげている。

 彼女が神無月家の使者でないこと、その親類縁者で無いこともすでに確認済みだった。……そもそもこの島は、つい最近まで封印されていた場所。外部の人間をやすやすと受け入れるはずがない。

 やがて救助ヘリが降りてきて、ショートカットの少女を乗せると東の空へと飛び去っていく。私は青空に消えて行く鉄の鳥を見送りながら、空っぽの心で呟いた。


「……めぐる……」

 

 ここに配属されていた神無月家、そして如月家の使者は全員見つかったが、肝心の天月めぐるだけはどれだけ探しても見つけることが出来なかったのだ。

 そもそも、破壊されたとはいえ境内はそこまで広くない。見つからないということは、境内の破壊から逃れてどこかへ避難した可能性が高い。

 そう言って、島をもう一度捜索するため水無月先輩とみるくちゃんは走り出していった。……だけど私は彼女たちを追うことも、怪我人を搬送する神無月さんを手伝うこともせず、ただぼんやりと空を眺めていた。


「……すみません。少し、よろしいですか」


 そんな時。聞き慣れぬ声に呼ばれて振り返ると、そこには私と謎の少女を助けてくれた二人の少女が佇んでいた。どうやら声をかけてきたのは長髪の方で、穏やかな笑みを湛えた彼女は遠慮がちに首を傾げながら私を見ていった。


「はじめまして。聖チェリーヌ学院高等部のテスラ・ヴァイオレットです。そしてこの子は、双子の妹の……」

「ナイン・ヴァイオレット。よろしく」

「……如月すみれです」


 とりあえず自分も名乗ったけれど、声に覇気が無いことは自分自身が一番わかっていた。

 めぐるが見つからなかった落胆が胸の内に広がりはじめて、自分でもどうしようもないくらいに身体が、心がまっすぐに立っていられない。今にも世界がぐにゃりと歪んで……潰れてしまいそうだった。


「クルミさんから聞いています。遥さんたちの後を継いだ、新しい天使……ツインエンジェルBREAK……なんですよね」

「…………」


 テスラさんがかけてくれた声に何か言葉を返そうとしたけれど、上手く言葉が出てこない。

 素手で瓦礫を移動させつづけたせいで、ズタズタになった手のひらからしたたる血が涙の代わりに地面へ落ちて、赤い染みを作る。

 痛い……のだと思う、けど。わからない。頭の中はめぐるのことでいっぱいで、痛いと思うことすら出来なくなっているのだろうか。

 本当に、まるで夢の中にいるみたいに現実感が無い。こんなとんでもない悪夢は、一刻も早く覚めてほしい……そんな願いは、何度繰り返しても果たされることがなかった。

 それから、テスラさんとナインさんは色々気遣って声をかけてくれていたようだった。……だけどそれに対して私は、ほとんどまともに応えることすらできずにいた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……! すみれちゃーん! 葵ちゃーん!」


 そうしているうちに、島を探し回っていたみるくちゃんと水無月先輩が息を切らせながら私たちの元へ戻ってきた。


「……探してみたけど、やっぱりこの島にはいないみたい」

「お姉様の方では、なにか情報はありましたか?」

「……すみません。みなさん相当衰弱している上に、混乱しているようでして……とてもそんな状況では」

「泳いで逃げたとか、そういう可能性はないのかな? めぐるちゃん、泳ぐの上手だったよね」

「可不可の話だけなら、可能性はゼロじゃないけど……多分、それは無いわ」


 額に滲んだ汗を袖口で拭いながら、みるくちゃんが苦虫を噛みつぶしたような顔で告げる。


「一人で逃げるくらいなら、勝ち目がないってわかっていても変身して戦う……そういう子でしょ、めぐるは」

「じゃあ……」

「誰かに捕まって、連れ去られた可能性が高いわね。神社が破壊されたのは、それを止めようとした人たちが抵抗したからだと思うわ」

「……っ!」


 みるくちゃんの口から直接的な単語が飛び出した瞬間、世界がぐらりと暗転する。

 私のせいだ。私が、行って来いなんていわなければ……そうしたら、めぐるは浚われたりしなかったのに……

 怒りと嫌悪混じりの感情に心が塗りつぶされ、意識が遠く薄くなっていく。そして地面が近づいて……


「っ!」


 地面に倒れかけた私の身体を、ナインさんが素早く掴み寸前の所で引き戻す。ギッ、と歯を食いしばった彼女は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「ナインさん……?」

「……諦めないで。きっと、手はある」

「えっ……?」


 諦めるな……それは、めぐるを助け出せるということ?


「テスラさんとナインさんは、どうしてこちらに? イタリアから戻られるのは、もう少し先のご予定だとお聞きしておりましたが……」

「はい。そのつもりでしたが……ジュデッカ司祭に頼まれて、帰国を繰り上げたんです」

「ジュデッカ様に?」


 その名前が出た瞬間、みるくちゃんが即座に食いついた。ジュデッカ様……どこかで聞いたことがあるような名前だけど、今の私はすぐに思い出せない。


「あの……ジュデッカ様って、いったい」

「はい。そのお方は、アスタディール家の補佐を務めるキャピタル・ノアの筆頭司祭……私たち快盗天使を、影からずっと応援してくださったお方です」

「あ……そういえば、私たちのコンパクトを開発してくれたのって」

「えぇ、そのジュデッカ様ですよ」


 そっと神無月先輩が付け加えてくれた説明を聞き、無意識のうちに血まみれの手をスカートのポケットに入れていた。

 冷たいはずなのにどこかあたたかい、手のひらの中に伝わる硬質の感覚。私とめぐるがツインエンジェルBREAKに変身するために絶対欠かせないアイテム――それが、このコンパクトだ。

 それを制作者から受け取り、命がけで運んできてくれたのがこのヴァイオレット姉妹だとみるくちゃんは言っていた。その彼女たちが再び、このタイミングで如月神社にやってきた……。

おそらく、偶然ではないと思う。そこに何かの意図があると考えてもおかしくはなかった。


「私たちはコンパクトをクルミさんに届けた後、イタリアに戻ってクルミさんのサポートと平行する形で、敵よりも強大な力を手に入れることができれば、力になれるというジュデッカ様の考えのもと、波動エネルギーの源流にあたる場所……より強い力を手に入れることができる場所を調査していました」

「そうだったんだ……あれっ? そういえば、どうして二人は変身できてるの?」

「これのおかげです」


 水無月先輩の問いに、彼女たちは髪に付けられたおそろいの髪飾りを指さしながら微笑む。白い花を真ん中で二つに割ったようなそれは、二つで一つ……彼女たちが、二人で一つであることを体現しているようだった。


「これはメダルと変身機能を掛け合わせて作られた、簡易変身装置なんです」

「父様が、私たちのために……残してくれた」

「えっ、それって……」

「はい。……説明が長くなりますので、これはあとで」


 水無月先輩たちに対して、意味深な笑顔を浮かべながら肩をすくめるテスラさん。

その会話が何を指すのかは、事情を知らない私の及ぶところではない……だけどそこには、他人の入り込む余地のない緊張のようなものが確かに感じられた。


「変身時間に限りがあるのが難点ですが……何度かこれを使ってピンチを切り抜けることができました。その甲斐あって、探していた場所を見つけることができたのです」

「なにを見つけたの?」

「とある場所への入口です。ただ、私たちがもう少し早く見つけていれば、ここが襲われるのを防ぐことができたのかもしれませんが……」


 そういってテスラさんは、跡形も無く破壊された神社を見渡すと痛ましげに目を伏せる。が、すぐに私たちの方に顔を戻し、努めて落ち着き払った声で続けた。


「私たちは、しばらく調査のためにその場所を観測していました。そして先日、何の前触れもなくデータが異様な数値を叩き出して……ちょうど同じ頃に、天月めぐるさんが聖チェリーヌ学院を離れたと伺いました」

「……めぐるのこと、ご存じだったんですか?」

「はい。残念ですが『例の件』があったために彼女は、キャピタル・ノアにおける監視対象になっておりましたので……」

「……っ……」


 がんっ、と頭を何かで殴られたような衝撃を覚えて、私は全身から血の気が引く音を肌で感じる。

 確かにメアリとの一件は、ひとつ間違えれば大変な事態に陥ってもおかしくない事件だった。でも、もっと上の機関ではそこまで深刻なことになっていたなんて……。


「めぐるさんの動きに従って、その場所にも変化が現れた。当然、何か関係があるのではないかとジュデッカ様が判断されて、私たちが派遣されたというわけです」

「確認、必要。……念のため」

「そういうことだったの。……でも、どうして私たちになにも言わなかったの?」

「できれば穏便、かつ秘密裏に。そして杞憂であればそれで重畳。――それが、ジュデッカ様のお考えでした。……天月めぐるさんの存在は、イタリアでもその扱いに判断が付きかねています。危険な存在なら、処分するべきだという極論も出ているそうで……」

「処分って……めぐるを殺すってこと!?」


 さすがにその言葉には黙っていられず、私はテスラさんに食ってかかっていた。


「じゃあ場合によっては、あなたたちはめぐるを殺すことも考えていたんですかっ!?」

「そ、そんな……! そもそも、そんな命令をジュデッカ様が出すわけが……」

「でも、処分するってのはそういうことじゃない! 冗談じゃない……そんなこと、私が絶対、」

「――させない」


 激高する私を押さえるようにナインさんが声をあげる。

 それまで黙ってテスラさんに説明を任せていた彼女だが、その断固たる声には強い意志をうかがわせた。


「絶対に、させない。めぐる……遥、葵、クルミの、恩人。私が、許さない」

「……なっちゃんのいうとおりです。めぐるさんは遥さんや葵さん、クルミさん。そして私たちにとっても新しい、大切な仲間です。身勝手な憶測で殺させたりはしません」

「…………」


 心の中で燃え上がりかけた怒りの炎が、音を立てて消えてゆく。

 自分の力の無さを嘆いたのは、私だけじゃない……彼女たちもまた、似たような道を辿ってここに辿り着いたんだ。


「話を元に戻します。調査数値の変動とめぐるさんが無関係であることを示すため、私たちはここに来ました。遥さんたちにも黙っていたのは……元老院が遥さんたちの周囲を探っていたからです」

「私たちの行動、知られる……めぐる、危険」

「元老院がめぐるさんを危険視した場合、殺すまではいかずとも、彼女にとって望ましくない展開になる可能性が高く……そのため、私たちは密かに動いていました。もっとも、その配慮のせいで間に合わなかったのは、責められてしかるべきでしょうが……」

「……それは、違います」


 二人が駆けつけてくれなかったら、私とあの少女は今頃どうなっていたか。想像するだけでもぞくりと背筋に悪寒が走る。少なくとも、無傷では済まなかっただろう。


「助けてくれて、ありがとうございます」


 贅沢を言うなら、もっと早く来てくれたらめぐるは……なんて気持ちも少しだけ残っている。でも、あの子だったら……きっと、こうするはずだと思うから。

 そう思い、精一杯の感謝を告げる私にテスラさんとナインさんは互いの顔を見合わせ、くすりと笑う。


「……そう言って貰えると、私たちも救われます」

「大丈夫……めぐる、絶対助ける」

「……。でも、いったいどこに……?」

「そうね……なにか、手がかりがあるといいんだけど」

「ある」


 真っ直ぐに私を見つめながら、ナインさんが口を開く。


「こことは違う世界……長い間、天ノ遣が戦い続けている世界です。おそらくめぐるさんは、そこに……」

「こことは違う世界……? それは、いったい……」

「かつて大魔王ゼルシファーが支配していた世界、つまり……」

「魔界」


 そしてナインさんの言葉にテスラさんは頷くと、破壊された如月神社の奥を睨んでいった。


「『ワールド・ライブラリ』の泉の奥に存在する裏表の世界、『エリュシオン』……いわゆる、魔界です」

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