第109話
『そうです、如月すみれ。あなたは『アカシック・レコーダー』――全ての平行世界に干渉する力を許された、『天ノ遣』の血を引く者の中でも特別な存在なのです』
「……特別な、存在……」
天使ちゃんから告げられた事実を、私はどこか他人事のようにぼんやりと口の中で繰り返す。
『アカシック・レコーダー』。科学などでは解明できない不可思議な力を持ち、私たちが暮らす人間界(イデア)だけでなく魔界(エリュシオン)においても強い影響を及ぼすほどの存在……とはこれまでにも様々な人から聞かされてきたので、なんとなくだけど理解はできていると思う。そして、その力があれば世界の構造さえも意のままに操ることができるのだとしたら、まさに『神』にも近い能力者といってもいいだろう。
だけど……私自身、その実感はない。まして、どうして私がそんな能力を持つに至ったのかという、そもそもの理由も全く思いつかなかった。
「(どうして、私なの……?)」
『天ノ遣』の本家のひとつである如月家の娘として生まれて以来、幼少期から厳しい稽古と訓練を受けてきた。それは代々の当主が「義務」として課せられたものであり、実際私の母やその上の世代の人たちも、同じ年の頃には似たような稽古を日常的にこなしてきたと聞いている。
しかし、そんなふうに自らを鍛え上げて、厳しく律した日々を送ってきても長らくの間、如月家の人間は『天ノ遣』に選ばれることが無かった。資格者として選ばれるのはほとんどの場合筆頭の神無月家かその分家である水無月家・葉月家であり、如月家はその補佐としての役割が専らだったのだ。
「(だから私は、自分が『天ノ遣』の資格者に選ばれるなんて、「あの時」が来るまで考えもしなかった……)」
……忘れもしない、1年前。当時の『天ノ遣』の資格者であった神無月葵先輩・水無月遥先輩が訪問先の研究所で闇の組織の襲撃を受け、行方不明になった。そして、お二人の捜索が行われている間に代理としてその「務め」を担うように言われたのが、この私だった――。
『――すみれ。あなたはこの如月家、そして私の誇りです……』
着任の要請を神無月家当主から受けた時、母は意外なほどに喜んでくれた。普段は物静かであまり感情をあからさまにしない性格の人だったが、長らく補佐として日陰の存在だった如月家一門からついに、という感慨もあったのかもしれない。
……とはいえ、私自身はあくまで「代理」としての立場でしかないと、ある意味冷ややかに受け止めていた。だから選ばれたことについて特に悲喜など感じず、自分が特別だという意識も全く持っていなかった。
「(私の役目は、本来の『天ノ遣』の人たちが戻るまで「務め」を遂行すること。その後はまた、元のとおり「日陰」に戻る……)」
そんな認識でいたからこそ、その後めぐるが私のパートナーとして選ばれた、と聞いた時は初めこそ反発したものの、「暫定」と思って強く反対せずその決定に従った。今となっては彼女以外の誰かと組むなんて考えられないし、考えたくもないことだが……自分と同じように一時的な立場であれば、そこまで問題ではないと考えていたのだ。
だけど――。
「(私は『アカシック・レコーダー』で、めぐるは『エリュシオンの巫女』……実は2人とも、特別な存在だった……)」
あくまで代理だと思っていた自分が、本当は大役を担っていたという事実。それを改めて心の準備もないまま目の前に突きつけられても、はいそうですか、なんて受け入れることは難しい。もし、めぐるがパートナーだという支えが無ければ、責任の重圧に耐えられなくて理不尽を訴えるか、逃げ出したい思いを抱えつつ自分の殻に閉じこもっていただろう。
それに、なにより……どうして私とめぐるなのか、という疑問が付きまとって離れない。 『天ノ遣』の本流ではないはずの私たちにそれだけの力が宿った理由は、いったい……?
「……教えて、天使ちゃん。『天ノ遣』だとか『アカシック・レコーダー』だとかの前に、私たちはいったい、何者なの……?」
『それは、――』
私の問いに天使ちゃんが口を開きかけたその時、私の視界は光に包まれて全ての彩りと輪郭が消失する。そして目の前に浮かぶ彼女と、足下で横たわるめぐるの姿さえも見えなくなってそのまぶしさに顔を背け、しばらくしてからおそるおそる瞼を開けると――。
「……、……ここは……?」
目を向けた先に見えたものは、はるか遠くに天井らしき構造物。それが、虹色の何か膜のようなものに遮られてぼんやりとかげっている。
そして、背中と後頭部に当たっている冷たくて固い、砂利か小石まじりにざらついた感触は、石か煉瓦でできた床か。その上に自分が寝かされている、と気づいた私はひとまず起き上がるべく両腕を動かし、軽い呼吸とともに上体に力を込めた。
……が、その直後にしびれのような衝撃が全身を駆け巡り、思わずその場で苦悶の悲鳴を上げてしまう。
「っ、ぐっ……ぅ……!!」
『……無理に動かないで。今のあなたはアスタリウム結晶体を失って、対波動エネルギーの中和ができていない状態なのです』
「えっ……?」
お腹のあたりから聞こえてくる、可愛らしい響きの声。なんとか首だけを少し持ち上げて目を向けると、そこには果たして天使ちゃんが宙に浮かんで私を見つめていた。
『あと少しで代替の『核(コア)』が定着して、全身のチャクラが正常化します。今、この周囲の空間に防護フィールドを展開していますので……そのまま目を閉じて、軽く深呼吸しながら「流れ」を受け入れてください』
「わ、わかったわ……」
彼女に言われるがままに目を閉じて、私は胸を上下させながらゆっくりと息を吸い込み……静かに吐き出す。すると、身体の中に鼓動とは違う不思議な気配が広がって、先ほどの痛みが徐々に和らぎ、癒されていくのを感じ取ることができた。
『……これで、ひとまずは安心ですね。一時はどうなることかと思って心配もしましたが、あなたの「力」がブラックカーテンの『闇』に勝ってくれたようです。あと少し安静にしていれば、痛みを感じることはなくなるでしょう』
「ありがとう、天使ちゃん。……ブラックカーテン……『闇』……、っ!?」
痛みが消えた安ど感からつい聞き流しかけたが、その単語の意味を理解したことで私は我に返り、先ほど受けた注意も忘れて勢いよく上体を起こす。その途端、やはり衝撃が全身に襲いかかって思わず前のめりに身を屈めてしまったが、それでも私は額から冷たい汗を流しながら、首を左右に向けて周囲に目を向けた。
「っ、……いない……めぐる……っ?」
感覚を支配する息苦しさと激痛よりもまず、あの子が近くにいないという事実に血の気が引き、めまいがしてその場に突っ伏してしまいそうなほどの悪寒がこみ上げてくる。
そうだ、思い出したっ……! 私はめぐるの制止も聞かずにブラックカーテンの挑発に乗って、その奸計に陥ってやられてしまったのだ。
しかも、意識を失う直前に見た記憶が正しければブラックカーテンは私の体内から、力の源であるブレイクメダルを奪った……!?
いや、そんなことよりもまず、確かめておかなければいけない大事なことがあった。
「て、天使ちゃん……? めぐるは、……どこにっ……!?」
敗北して連れ去られたか、それとも……? 最悪の事態の可能性が脳裏をよぎって目の前が真っ暗になったが、それでも私は一縷の望みを託して祈るような思いで身を乗り出し、天使ちゃんに尋ねかける。そんな様子を彼女は優しげな表情(いや、少し苦笑も入っているようだが)のまま私に笑いかけ、「大丈夫ですよ」と前置きしてから言葉を繋いでいった。
「心配には及びません。めぐるはブラックカーテンの罠を破って、この先へと進みました。順調にいけば、最終決戦の場である謁見の間にたどり着いている頃だと思います」
「っ、最終決戦……っ?」
とんでもなく不穏な言葉を聞いたことで私の心にすぐさま別の緊張が走り、急いで思考を巡らせる。
おそらくめぐるは、ブラックカーテンと雌雄を決する戦いに赴いたのだろう。だとしたら、こんなところで悠長にしているわけにはいかない。急いで彼女に追いついて、加勢しないと……!
「っ、……ぐ……っ!」
私は鉛のように重くなった全身に力を込め、床に手をつきながら立ち上がろうと試みる。その途端に汗がびっしりと肌一面に噴き出し、息苦しさに胸がつぶれそうになって思わず喉の奥からあえぎ声がこぼれたが……痛みが少し引いたこともあって、よろめきながらもその場を両足で踏みしめた。
……血の巡りが足りないのか、視界が急激に暗くなって意識が遠のきかける。それでも足を一歩前に進めると、目の前に天使ちゃんが立ちふさがり「……待ってください!」と強い口調でたしなめるようにいった。
『……落ち着いてください、すみれ。残念ですが今のあなたの状態では、めぐるの力になることはできません。……はっきり言います、むしろ足手まといです』
「なっ……、!?」
可愛らしい口調とは裏腹に、容赦のない宣告。それを聞いた私は頭を殴られたような衝撃を覚えたが、そこでようやく全身の違和感を意識して視線を下に向け、彼女の言葉の意味を理解する。
自分の服装が……聖チェリーヌ学院中等部のものになっている。ここへ連れ去られた時にすぐ私たちは変身したので、意識を失う前はスーツ姿だったはず……?
「あっ……!?」
そうだ、思い出した。ブラックカーテンによってブレイクメダルを奪われた時、その場で変身が解除されてしまったのだ。つまりこの力が入らない倦怠感は、波動エネルギーの加護を失ったためということか……。
「じゃ、じゃあすぐに、変身を……!」
『そのための媒介となるブレイクメダルがないのに、ですか?』
「……っ……!」
わかってはいたことだけど、天使ちゃんに事実として突きつけられた私は言い返すこともできず、そこで押し黙ってうなだれる。
ブレイクメダルは、ツインエンジェルBREAKに変身するための必須アイテムだ。それがなければスーツの装着だけでなく、本来の力を発揮することもできない。彼女の言うとおり年相応の力しか持っていない小娘など、命を賭した真剣勝負には邪魔でしかなかった。
『……安心してください。めぐるは一人で、ブラックカーテンのところへ行ったのではありません。彼女には、ミスティナイトがついています』
「ミスティ、ナイト……?」
あの変態マスク……もとい、自称正義の味方のサポート役だった彼の名前を持ち出されて、私は自分でもわかるほどに苦い気分で顔をしかめる。
……みるくちゃんといい先輩たちといい、謎の信頼度だ。そこまで信頼を置けるものが、彼にあるとでもいうのだろうか。
「(そもそも、あの男はどうやってこの城にやってきたのだろう……?)」
この浮遊城は強力な結界によって周囲を防護され、内部もおぞましいほどの妖気に支配されているため、あのテスラさんやナインさんでも侵入に手間取ったとの話だった。事実、メダルの加護を失った私は少し体を動かすだけでもこの体たらくだというのに、あの男はどう見ても「下手なコスプレ」でしかない恰好にもかかわらず、平然と振る舞っていた……。
いったい彼は、何者なのか。少なくとも敵ではないとはわかっているが、あまりにも謎の要素が多すぎて異様というか、不気味に思えて仕方がなかった。
「ミスティナイトがいたからって、安心できないわ。だって彼は、『天ノ遣』ではないんでしょう?」
『ええ、確かに。……ですが、彼なら大丈夫でしょう。めぐると同じように『闇』に苦しみ……そして、克服してきた人ですから』
「……それ、どういう意味?」
『……。事実を申し上げてもいいのですが、真実と向き合う勇気はありますか?』
「……っ……!」
嫌悪感を隠せないまま反射的に出てしまった問いかけだったが、思いがけず厳しい言葉が返ってきて、私は息をのむ。
真実と向き合う、勇気……? あのミスティナイトの正体をただ知ろうというだけなのに、なぜそれほどの覚悟が必要なんだろう。
わからない。でも……それ以上踏み込むことは私にとって何か良くない真実の扉をこじ開けるような行為に思えて、それ以上の追及はせずに引き下がることにした。
「だったら、これだけは教えて。さっきまで私がいた世界……あれは、いったい何だったの?」
『ブラックカーテンの、平行世界への干渉能力のひとつです。対象者の意識を一時的に過去へと飛ばし、現在に至るまでの因果律を断ち切ることでその存在を抹消する……と言えば、理解してもらえますか?』
「……ごめんなさい。もう少しわかりやすく」
さすがに哲学的というか観念的にも感じられて、私は再度の説明を求める。すると天使ちゃんは「……わかりました」と頷き、言葉を繋いでいった。
『たとえば、すみれ。あなたはご両親が出会い、結ばれたことでこの世に生を受けた。無限に構築された可能性の世界――『平行世界』においても、それは確定した事実です。そして如月すみれはこの世界だけでなく、枝分かれをした全ての『平行世界』に存在するため……『レイヤージャンプ』の能力を持つあなたはたとえ不慮の出来事が起こったとしても、それを渡り歩くことで運命を改変することができます』
「それがさっき言ってた、『アカシック・レコーダー』の力なのね……?」
『その通りです。だからあなたは、先ほど移動した「別の世界」でめぐるの危機を救うことができた。……もっとも、ブラックカーテンの妖術によってあの時のすみれは意識の同化が不十分であったため、私の介入がなければ危ないところでしたが』
「……っ……」
天使ちゃんに言われたことで私は、さっきまでの一連を思い出して思わずぶるっ、と悪寒を全身に覚える。
確かに、あの時……天使ちゃんに促されていなければ『大鏡』の中に飲み込まれためぐるを追いかけることなどできなかっただろう。あるいはただの「悪夢」だと思って、目の前で起きたことを呆然と見過ごしていたかもしれない。
「だ、だけど……! もし私に『未来改変』の力があるのだとしたら、もう一度『レイヤージャンプ』をしてめぐるを救えばいいだけじゃないの?」
『はい、それもひとつの手段でしょう。……ですが、そのためにはあなたの意思が必要です。めぐるを救いたい……つまり、「めぐるは自分の味方であり、大切な人である」という確固たる想いが。しかし、万が一それが失われてしまったとしたら……あなたは、めぐるを助けようと考えますか?』
「えっ……?」
天使ちゃんの質問の意味が分からず、私は怪訝な思いで首をかしげる。
めぐるが、味方ではない……つまりは私が彼女を「敵」だと認識するということだけど、それは絶対にありえないし、想像もできない。確かに以前、めぐるがエリュシオン・パレスに連れ去られて「魔王化」した時は絶望の思いから彼女と戦うことも覚悟したが……あの子を「敵」だとみなす思いは断じて皆無だった。
「私が、めぐると敵対する気持ちになるっていうこと? 冗談じゃないわ! そんなこと、ありえるわけが……!」
『見せてあげますね。あそこでめぐるを救わなかった結果として生まれる、もうひとつの『現在』を――』
そう言って天使ちゃんが私の額に手を当て、何か波のようなエネルギーの動きを伝えてくる。すると、私の周囲の視界は再び光に包まれて……それが収まるやさっきまでいた場所とは違う、別の光景が周囲に広がっていった。
「なっ……!?」
見覚えがある……どころではなかった。私がこれまで生きてきた中でも最低最悪の絶望を味わい、命さえ捨てるほどの覚悟をした、因縁の場所――。
「ここは……『エリュシオン・パレス』の、謁見の間……!?」
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