第23話

「それが、ダークトレーダー――いえ、私たちのお父様の……最期でした」

「…………」


 語り終えたテスラさんは、そっと息をついて湖面の彼方へと目を向ける。……私はその横顔を見つめながら、何も言葉を発することができなかった。

口調こそ淡々としたものだったけれど、それまで父同然に慕ってきた存在との決別に加えて、その後ようやく和解して喜びを抱きかけた直後に起きた、理不尽な別れ――。

ヴェイルとヌイを失った時のめぐるを見てきたからこそ、悲しみと絶望の深さを思わずにはいられない。自分が同じ立場に立たされたら、ここまで冷静を保ちながら誰かに話すことができただろうか……?


「(……。でも……)」


 テスラさんは、そんな悲しみを乗り越えた上で前を向こうとしている。そしておそらく、ナインさんも。そんな彼女たちに対し私は改めて尊敬の念を抱き、その姿はとても美しいと心の底から思った。


「その後、私たちは遥さんたちと合流し……激戦の末、ゼルシファーを封印しました。そのあたりのことは、少し前にお話ししたとおりです」

「……はい」


 ただ、テスラさんたちと私たちとでは、その意味合いは大きく異なる。……彼女たちにとっては一つの「区切り」であり、私たちにとっては新たな「始まり」だった。

 大魔王ゼルシファーの復活を企む、メアリとの戦い……そして、ヴェイル・ヌイとの二度目の「別れ」。

 こうして、めぐるの行方を追って異世界に足を踏み入れることになったのも、全てはそこから始まったことだ……。


「そして、テスラさんたちはブラックカーテンの存在を知り、キャピタル・ノアの依頼を受けて大魔王復活をもくろむ悪しき連中の動きを探っていた……でしたよね?」

「えぇ。……とはいえ、実はすみれさんにはまだお伝えしていなかったのですが、私たちが調査を開始したのはもうひとつ、別のきっかけがあったのです」

「別の、きっかけ……?」


 怪訝な思いで小首を傾げた私に「はい」と頷きながら、テスラさんはゆっくりと私に顔を戻して続けた。


「ゼルシファーとの戦いを終えて、少し周辺が落ち着いてから……私たちはフィンランドに向かいました。私となっちゃんは以前、お父様と一緒にその国で暮らしていたことがあったんです 」

「フィンランドに? それはどうして……」

「私たちが例の組織に所属して、お父様の命令で任務にあたっていたことはすでにお話をしましたよね。その一環として現地に潜伏し、とある調査を行なっていたんです。そして地元の方には怪しまれないよう、家族として活動を続けていました」

「家族……ですか」


 どう感想を伝えていいのかわからず、私は複雑な気分で口をつぐむ。ただ、その意図はテスラさんにも伝わったようで、彼女も肩をすくめながら苦笑を返していった。


「もっとも、調査を始めてからすぐ別の有力情報が入ったので、そこはすぐに引き払ったのですけどね。……ただ、偽りの家族生活とはよく理解しているつもりだったのですが、あの人のことを「父」と呼んで暮らすのは新鮮で、照れくさくて……だけど、なんだか素敵な時間でした」

「…………」

「そんな思い出があった場所だから、もう一度見ておきたくなったんです。……あいにく、元の住居は老朽化のために取り壊されていましたが、近くにあった古い教会がまだ残っているとお聞きして。……それと」

「……?」

「お父様は最期、私たちに言ったんです。全てが終わったらそこへ行け、と。あるいは、私たちに託したいものがあるのでは、と……」

「……。それで、何か見つけたのですか?」

「はい。祭壇の裏側の、死角になった場所に……地下へとつながる階段がありました」


 × × × × 


「……姉さん」

「こんなものがあったなんて、全然知らなかった……」


 暗がりの中へと続く階段の先を見つめながら、私たちは唖然とした思いで立ち尽くす。

 古びたつくりと積もった土埃から察する限り、最近に設けられたものではない。少なくとも私たちがこの近辺で暮らしていた頃か、それよりも以前からあったものだろう。

 しかも、入口は巧妙にダミーの壁などで隠されていたため、一般人だったらまず気づくことができないと思う。私たちですら、たまたまナポレオンがなっちゃんの腕の中から抜け出して、ガリガリと壁の一部に爪を立てたりしなければ……おそらく、見逃していただろう。


「にゃーん」

「…………」


 生意気そうな面立ちに似合わない可愛らしい鳴き声を上げて、ナポレオンが振り返ってくる。

 ゼルシファーとの戦いの末に聖杯の力が失われたことで、彼は以前と異なり言葉が話せないただの猫になってしまった……はずだ。ただ、壁に前足を当てながら向けてきたその目は私たちをじっと見つめ、何かを訴えかけているようにも感じられた。

 それに促される格好で、私は少しだけ階段を下りると奥の様子をうかがう。

……嫌な気配は感じない。むしろ……気のせいかもしれないけど、少しだけあたたかい空気をほのかに感じ取ることができた。


「……なっちゃんも、いい?」

「了解」


 そして私たちは、慎重にその階段を下りていくことにした。

 階段はかなり深いところまで続いて、行き着いた先には並んで2人が通れるくらいの道がまっすぐに伸びている。怪しい気配は特に感じられないものの、何かあった時にはすぐに対応ができるよう私たちは身構え、四方に注意を払いつつ進んでいった。

 洞窟……いや、鍾乳洞を利用したものだろうか。壁は岩がむき出しになって、地下水でも湧き出ているのか時々せせらぎのような音が聞こえる。何より不思議なのは、どういう原理なのか岩肌がぼんやりと発光して、灯りがなくても足場がはっきりと見えていることだった。


「…………」


進めば進むほど、どういうわけか私の中にわだかまる違和感は少しずつ、大きくなっていく。

 危険を感じて、ではない。むしろ逆で、……安堵というか、懐かしさを覚えることに対してのものというべきだろうか。


「ここ、……なんだか、落ち着く」

「そうね。一度も来たことはなかったはずなんだけど……」


 やがて通路は突き当たりに達して、そこに小さなドアが見えてくる。私となっちゃんは左右に分かれて重心をわずかに落とし、息を潜めて無言で頷き合ってからそれを開け放った。


「…………」


……何かが飛び出してくる気配はない。それでも、中の様子を確かめてからゆっくりと足を踏み入れると、そこには――。


「えっ? これは……!?」

「……姉さんっ……」


 なっちゃんが服の袖を引いてきたが、私はろくな言葉を返すこともできずにただ立ち尽くす。

 それほど広くない、小ぢんまりとした部屋だった。古い住居のような造りをしていて、そして――。


「これ、……私たちの、家……!?」


 そう……見間違えるはずがない。ここは私たちが以前フィンランドにいた時に暮らしていた、既に取り壊されたはずの家のリビングだった。


「…………」


記憶にあったものより、少しだけ部屋そのものが小さく感じる。それは、私たちが成長したせいだろうか。

でも、違うといえばそれだけだ。長年の放置で多少埃と湿気が空気中に含まれていたが、家具や調度品、その他にも見覚えのあるものがほとんど記憶通りの配置で並んでいた。


「いったい、誰が……」


 そんな疑問を抱いたけれど、その答えは明白だった。

こんなところにわざわざ思い出の場所をつくるのは、考えただけでも一人しかいない。それは……。


「……久しぶりだな。テスラ、ナイン」

「えっ……?」


 ……その時、もう二度と聞こえないと思っていた懐かしい声が部屋の中に響き渡る。空耳かと思ったが、隣のなっちゃんも目を見開いたまま私を見返していた。

 ということは、幻聴じゃない。だからこの声は、間違いなく……!


「お……お父さまっ?」

「ど、どこにっ……!?」

「ここだ」

「ですから、どこに……、っ?」


 周囲を見渡しても、人の姿はおろか気配すらもない。ただ、目の前には小さなネズミがテーブルの上にちょこんと腰掛けながら、じっと私たちを見つめているだけだった。


「…………」


 いや、……こんなところにネズミがいること自体、違和感がある。しかもそれは、私たちを見ても逃げる素振りすらなく、それどころか――。


「ここだ、テスラ、ナイン」

「なっ――」


 やがて、そのネズミはお父様と同じ声と口調で語りかけてきた……。


 × × × × 


「…………」


 しゃべるネズミ、という点で驚くべきかもしれない。ただ、ナポレオンという言葉を理解する猫が存在するのだから、実際にいたとしてもそこまで不思議なことではないだろう。

 とはいえ、……その仕組みというか経緯は、いったい……?


「ダークトレーダーが、どうしてネズミに……?」

「聖杯の力……もっと言うと波動エネルギーを内包したアスタリウムの力で、お父さまはデータ化した自分の人格の一部を端末に移していました。そこにネズミがたまたま紛れ込んで、その波長と同調して一時的に乗り移った……と私は考えています」

「そんなことが、可能なんですか……?」

「自らの身体をサイボーグ化した、お父様だからこその技術でしょうね。……おそらく、彼は生きて戻れないことも想定して、そんな備えをしていたんだと思います」

「っ……」


 そこまでの覚悟をしてまで自分の野心に身を焦がし、命さえも投げ出した男の強い信念。……すごいと、私は本心からそう思う。

ただ……その一方でなぜ、その揺るぎのない意志を大切に思う人のために使えなかったのだろう。私はそのことが、……どうしようもなく悲しかった。

 すると、その時――。


「……ふふっ」

「えっ……?」


 なぜか、テスラさんが私の顔を見て吹き出したので、……理由がわからず困惑する。

 今の話で、笑うようなところなんてあっただろうか。めぐるほど誰かの話を聞くことが上手くないことは自覚していたけれど、笑われるような反応はしていない……はずだ。


「あの、私……」

「ふふっ、すみません。すみれさんがあまりにも悲しそうな顔をされているのが、なんだか不思議で……つい」

「……?」


 そんなにも、露骨に気持ちが顔に出てしまっていたのだろうか。テスラさんの話に聞き入るあまり、全く意識していなかった。


「……そんなに、悲しそうな顔をしていましたか?」

「えぇ、まるで自分のことみたいに」

「…………」


 そう言われて思わず、頬が熱くなる。テスラさんの話を聞いているうちに自分なら、といつの間にか立場を置き換えて考えてしまっていたのかもしれない。

決して安っぽい同情ではないつもりだったけれど、出過ぎた思いだったかなと申し訳なさがこみ上げてくる。だけど、


「……すみれさんは、優しいですね」

「やさ、しい……?」

「えぇ。そうやって、我が事のように思うことができるのは、優しい心の持ち主のゆえんですよ」

「……いえ、私なんて」


 小声で否定するけれど、謙遜ではなく本気だった。

 めぐるも、私のことを何度か、そう褒めてくれたことがあった。ただ、それを言うなら困っている人に真っ先に手を差し伸べることが出来る彼女の方が、よっぽど優しいだろう。

 それに比べて、私は……。


「優しくなんか……ありません。誰に対しても冷たい言い方をして、自分のことばかり考えている……自分勝手な性格だと思っています」

「そうでしょうか? 自分勝手な人だったら、めぐるさんを助けるために異世界へ行こうとは考えないと思いますが」

「それは……」

「それに、あなたはフェリシアさんたちが襲われている時、我先に助けに向かいました。心の冷たい人は、あんなふうに動いたりはしません」

「……っ……」


 あれは、勝手に身体が動いただけ……なんて、みっともない言い訳が喉元あたりにまで出かかって、とっさに口をつぐむ。

 あの時私は、誰かのために何かをしようとしたわけじゃない。ただ、何もできない自分が嫌だったから――たったそれだけの理由だ。

 そしてなにより、あの子……めぐるだったらどうしていただろう、と考えてのことだったから、優しさなんかじゃないと自分が一番よくわかっていた。

 ……だけど、そんな私のことを、テスラさんはにこやかに慈しむような笑顔で見つめてくれる。それが気恥ずかしくて思わず、ぷい、と顔をそらしてしまった。


「……話がそれましたね。その後ピエールはお父様が残した本心、そして真意を私たちに話してくれました。この髪飾りはその時、彼がお父様からの最期の贈り物として渡してくれたものなんです」

「ピエール……?」

「えぇ。お父様の人格を継承した、そのネズミの名前です。……もっとも、先ほども推論を申し上げたように記憶データを継承したのは一時的なものだったようで、用が済んだ後はただのネズミに戻って、どこかへ行ってしまいましたけどね」


 そう言ってテスラさんは前髪につけた髪飾りを外すと、私に見せるようにしてそれを差し出してくれる。

白い花弁を模したそれは、メダルと変身機能を掛け合わせてつくられた簡易変身装置。……確かエリュシオンへ旅立つ前に、彼女はそう説明してくれた。


「その髪飾り、ダークトレーダーのつくったものだったんですね」

「はい。そしてこの髪飾りには、……実はもう一つの機能があるんです」

「もう一つの、機能?」

「真実へ至るための鍵です」

「――――」


 その言葉を受けて私は、再びその髪飾りに視線を落とす。

 月明かりを反射し、淡い輝きを放つ白い花弁。……そこに宿る光は消えてしまいそうなほどに小さく、だけど旅人の行く末を示す導きの星のように強く輝いていた。


「お父様は若い頃、聖杯の力の根源を探していたそうです。そして、長年の研究と調査の結果、その大本が魔界……『エリュシオン』にあるという仮説を立てました」

「……魔界に、聖杯の力の源が?」

「少なくとも、お父様はそう考えたようです」

「…………」


 聖杯やメダルによってもたらされる、波動エネルギー。

メアリたちが求めた悪しき力。

そして、アインが見せてくれた魔法……魔界の力……。

その全ての起源が魔界にあると考えることは、別に荒唐無稽な妄想ではない。理屈としても筋が通っている上、それはある意味一番真実に近いと言えるだろう。

 ……だけど、まだ腑に落ちない。自分たちの力が『魔』に由来するという嫌悪感がそう思わせている可能性はあるが、何か大事なことを見落としている気がするのだ。

 ただ、その足りないかけらが何かと問われても、答えられるものは何もないのだけど……。


「その仮説を確かめるため、お父様は魔界へ向かうことを考えました。ただ、人間界と魔界を繋ぐ手段は天ノ遣とその一族によって、厳重に秘匿されていたそうです」

「……はい。私もそう聞いています」

「そのため、彼は考えました。手段や方法が見つからないならば……自らの手でゲートを作り上げればいい、と」

「……っ、それってアインがやってみせた、あの……!?」

「その通りです。『ワールド・ライブラリ』であなたたちの話を聞いて、私もようやく理解できました。お父様が行おうとしていたのは、おそらくアインさんが取った行動と非常に酷似していたのでしょう」


 アインは宝石を使ってゲートを作ることで、如月神社を介さず魔界へ向かおうとした。 『ワールド・ライブラリ』の不安定な状況が原因で失敗に終わったけれど、それがなければ今頃私とアインは、魔界へ辿り着いていただろう。


「(そうだ、あのペンダント……!)」


 はっ、と思いだして私は、アストレアから渡された小さな紐付きの石を取り出す。月明かりの下でほのかに輝く宝石を、女神とあがめられていた女性は『鍵』と呼んでいた。

 ということは、テスラさんがさっき見せてくれた髪飾りはこれと同じか、よく似たものでできている……?


「……。おそらく、お察しの通りだと思います」


 宝石を取り出したことで私の考えていることを先読みしたのか、テスラさんはそう言って話を続けていった。


「お父様も、その宝石と似たようなものを作り上げたのでしょう。そして人間界から魔界へ向かうゲートを開こうと、実験を試みたようです。……ただ、それは結局失敗に終わりました」

「失敗……」

「その代償として、何か大切なものとほとんどの視力を失ったそうです。私となっちゃんがお父様と出会った時、彼は視界の確保のためにバイザーを手放すことが出来なくなっていました」

「……。あの、その大切なものって……?」

「それが、私にもわからないのです。お父様は実験で視力を失ったことはともかく、そのことについては語ってくれなかったので…… 」

「……思い出したくなかったから、でしょうか?」

「かもしれませんね。……いずれにしても、これに関しての真相は闇の中です」


 そう言ってテスラさんは、外した髪飾りを再び前髪に付ける。そして大きく息を吐いてから、髪をくしけずって整えながら言った。


「実験に失敗したお父様は、考え方を変えたそうです。自ら莫大なエネルギーを作り上げるよりも、既に存在しているものを利用するべきではないか……そのためにうってつけのものが存在しているのに、それを利用しない手はないと」

「もしかして……」

「えぇ。彼は長い時間をかけて強大な権力と財を蓄え……やがて、高純度の波動エネルギーの塊である『セブン・アミュレット』を見つけ、その中でも特に強い力を持つ『天使の涙』という宝石を手に入れました。そして彼は、時空を超えるほどの莫大な力を得て……かつての雪辱を晴らそうと 動き始めたのです」

「それが、あの……」

「はい。遥さんに葵さん、そしてクルミさんと私たちが戦った以前の聖杯戦争……さらにいいますと、ゼルシファーとの戦いの真実です」

「…………」

 

 そこまで説明を聞いて私は、テスラさんたちが積極的な姿勢で魔界へ行こうと考えているのか、そのわけをようやく理解する。……ただその一方で、別の疑問もふとわいて出てくるのを感じていた。


「……。ひとつだけ、聞いてもいいでしょうか」

「はい。なんでしょうか?」

「もしかして、テスラさんは……聖杯の力で、ダークトレーダーを救うつもりなんですか?」


 波動エネルギーがもたらす力がどれだけ強大か、メアリの作った戦艦を破壊したあの身体中の血が沸き立つようなエネルギーをこの身をもって体感したからこそ言える。

 莫大な波動エネルギーを手に入れることが出来れば、なんでもできる。ひょっとすると死者を蘇らせることや……時を遡り、死に瀕したダークトレーダーを救うことも夢物語ではないかもしれない。

 もし、それをテスラさんたちが考えているのだとしたら、私は……。


「いえ……それはできないことです。可能だとしても、してはならないことです」


 だけど、テスラさんは緩く笑みを浮かべながら、力無く首を左右に振る。その表情は弱々しいながらも、確かに力がこもっていた。


「ピエール……お父様は、こう言ってました。『許す必要などない。ただ、自分の真実を知ってもらいたい。その上で、私たちがこれからなすべきことを見つけてもらいたい』と」

「…………」

「ですから、私となっちゃんたちは魔界を目指すことを決めました。あの人がなぜ魔界を求め、そしてある時を境にそれを拒絶するようになったのかを……」

「……テスラさん」


 迷い無く断言したテスラさんを前に、私は勘ぐってしまった気まずさと居心地の悪さを覚える。

 もう一度、愛する人と会えるかもしれない可能性。それを明示されながらも、彼女はその選択を選ばないと断言した。


「(自分だったら、どうだろうか……)」


 たとえば、……考えたくもないことだけど、もしめぐるを失ってしまったら。

 その上で、もう一度あの子と会えるという可能性を目の前に差し出されたら。

 ……本人がそんなことを望んでいないと理解しながらも、彼女を蘇らせるために禁忌に手を染めてしまうかもしれない。


「(……正義の味方には、ほど遠いかな……)」


 そんな、自らの浅はかさに呆れすら抱きそうになったその瞬間――。


ドガァァアァンンッ!!


 激しい爆発音に、私の意識は一気に引き戻された。


「っ、何?!」

「爆発……? っ、すみれさん! あれを!」


 テスラさんが指さす先を目で追うと、そこには夜空でもはっきりとわかるほどに巨大な火の柱と白い煙を立ち昇っていた。

 そして、あの方向は……まさかっ!


「っ、神殿!?」

「急ぎましょう!!」


 テスラさんが走り出し、私は慌ててその背中を追いかける。

火の明るい方へ走り続けている間にも、断続的に鳴り響く爆発音。時折熱風が頬を撫でていく感覚に、火の手が近いことを嫌でも理解させられた。


「……襲撃っ?」

「でも、いったい誰が……!?」


 お互いに疑問を抱きながらも、その答えなどわかるはずもない。

だが、このタイミングでの襲撃……狙いはおそらく、いや間違いなく一つだけだろう。


「っ!? すみれさん、止まって!」

「……っ?」


 テスラさんの制止の声に驚いて足を止めた瞬間、目の前に大きな塊が振ってくる。一瞬身構えるが、猫のように優雅な仕草で地面に着地したのはナインさんだった。


「なっちゃん!」

「――姉さん、無事っ……!?」

「えぇ、私たちは……でも、どうしてなっちゃんは空から……?」

『お前ら、何してんだ!』


 いつも通りのぶっきらぼうな口調に僅かな焦燥をにじませながら、羽のようなマントを炎の赤に染め上げたアインが続いて地面に降り立つ。どうやら彼女が、ナインさんをここまで運んできてくれたようだ。


『どこ行ってたんだ!? つーか、なんだこの爆発は!』

「今から、それを調べに行くところです。すぐに、っ……」


 そう言って、神殿の方向へ駆けだそうとした二人の足が、……ふいに止まる。それに続こうとしていた私たちは危うくその背中にぶつかりそうになり、何かあったのかとその顔を後ろからのぞき見た。


「どうしました、テスラさん?」

「い、いえ……」


 なぜだろう……表情が硬い。あるいは、この先に待ち構えている何かを感じ取ったのだろうか。


「姉さん……っ」

「……大丈夫ですよ、なっちゃん。とにかく、急ぎましょう!」

「……了解!」


 短い会話だけを交わし、二人の姉妹は燃える森の中へと走って行く。その背中を追いかけて、私とアインも走り出した。


 やがて森を抜け、開けた場所に出る。そこには、神殿の一部を構築していたと思しき岩石の塊が地面のあちこちに散乱して、壁に這うように生えていた草が爆発の火の粉を受けながら燃え上がっていた。

 その火は壁だけではなく神殿周囲の木々に燃え移り、さながら地獄めいた炎の世界 を作り上げている。到着した私たちが見えたのは、今もなお破壊されつつある神殿と……立ち尽くすテスラさんとナインさんの後ろ姿だった。


「テスラさん、ナインさん……っ!」

「…………」

「……? どうしたんですか、二人とも――」

『……待て、すみれっ』

「えっ……?」

『神殿の前に、誰かいる……!』


 そう言って、二人に駆け寄ろうとした私の前に、アインが立ち塞がる。

 破壊された建物と燃え上がる森に意識を奪われていた私は、彼女の指摘を受けてようやくその人影に気付いた。


「男……?」


 燃え上がる神殿を背負い、炎の光りを受けて赤く染まるマントを翻しながら、漆黒の衣装に身を包んだ男――。

 逆光のせいか、ほとんど表情は見えない。おまけに両目を覆うようにバイザーをかけているせいで感情を読み取ることも出来なかった。


「(バイザー……って……!)」


 はっ、と息をのむ。

 両目を覆うバイザーが失われた視力を補うためのものであることを知っている。だって、ついさっき……そんな話を聞いたからだ。


「…………」


 やがて、その衣装と長い髪を赤く染めたテスラさんが炎上する神殿の前に立つ男に向けて愕然と呟いた。


「お父……様?」

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