第69話
……浮遊城に乗り込む、少し前のこと。
魔界――エリュシオンでの世界の存亡をかけた激闘の後、私となっちゃんは『ワールド・ライブラリ』に戻ってから、「ある目的」のためにすみれさんたちとは異なる出口を使って元の世界へと帰還することにした。
そして今回の依頼主に報告を行うべく、キャピタル・ノアの中心部にある元老院へと向かったのだけど、……運悪く途中の交通機関のトラブルもあって、到着したのはほぼ真夜中の遅い時刻になってしまった。
「(さすがに、面会は難しいかな……)」
常識的に考えて、この時間の訪問では不在か、あるいは翌日以降に出直すよう追い返されても仕方がない――そう思いつつ念のために連絡を入れてみると、応対に出た司祭秘書のマッティーアさんは意外にも嫌な顔ひとつせず面会の許可を取りつけて、私たちを応接室へと招き入れてくれた。
「すみません、マッティーアさん。こんな夜遅くに押しかけて、面会の取次ぎをお願いしてしまって」
「気にしないで。つかさ……いえ、ジュデッカさまもあなたたちの報告を心待ちにしていたのよ。まだちょっと手が離せないみたいだから、少し待ってもらうことになるけどね」
そう言ってマッティーアさんはにこやかに笑いながら、ソファに座った私たちの前の卓に紅茶のカップをそっと置いて、自らも対面のソファに腰を下ろす。
若くして元老院の筆頭司祭を務める、ジュデッカ・ジェナイオさま。その片腕であるマッティーア・アプリーレさんは見るからにとても優秀な秘書とわかるが、それ以上に彼女から感じるのは武芸の達人によくある、隙のない身のこなしだ。
伝え聞いた話によると、彼女はこのキャピタル・ノアの親衛隊をも指揮する立場にあるというが、こうして向かい合ってみると「……確かに」と納得させられるものを感じる。私となっちゃんが二人がかりで挑んでも、勝てるかどうか怪しいところだ。
「…………」
ただ、どうしてだろう? 知り合ってからそれほど日が経ってないはずなのに、この人を見ているとなぜか、以前に会ったような既視感がこみ上げてくる。
まるで、そう……遥さんたちと同じように、何かしらの危機と困難を乗り越えてきた仲間意識のような――。
「……どうしたの、テスラ? 私の顔をじっと見て」
「あ、いえ。なんでもないです」
どうやら無意識のうちに、マッティーアさんのことを観察してしまっていたようだ。私はその無礼をごまかすつもりで目の前のカップを手に取り、軽くあおる。
……あたたかな湯気に乗って、ほのかに爽やかなミントの香り。癒される感覚がすぅっ、とお腹の下に通り抜けていくようで、気持ちが落ち着いていくのを感じた。
「ジュデッカさまは、こんな時間でもまだお仕事中なのですか?」
「ええ。日本で新しく『天ノ遣』になった子たちが活躍をしたおかげで、ブレイクメダルの構成物質である『アスタリウム』の注目度が元老院内部でも急激に上がってね。『聖杯』に代わる新たな力を一刻も早く確立してアスタディール家と、その当主であるリリカさまのお立場を守るべき、ってお偉方がさかんに言い始めたものだから、その責任者として研究と開発の真っ最中なの」
「……すごいですね。元老院のトップの方って指示を大まかに行うだけで、現場にはあまり顔を出さないものと勝手に思ってました」
「というより、あれはただの貧乏性よ。腕のいい研究員が揃っているんだから、彼らに任せて自分はのんびりしたって誰も文句を言ったりしないのにね」
「は、はぁ……」
「それに、本人は絶対否定するでしょうけど……姪のクルミにブレイクメダルの実用化を先に成功されたものだから、自分はもっと上を、ってムキになってるところもあると思うわ。もう若くもないんだし、あんまり無理すると身体壊すよ、って何度も言ってるのに、全っ然聞かなくて……スケジュールの調整とかで、あちこちに頭を下げるこっちの身にもなれっての」
「……。あ、あははっ」
何をどう返していいのかわからなくて、とりあえず私は笑ってごまかすことにする。……なんとなく雰囲気を変えようと思って切り出した話題だったが、どうやら藪をつついて、とんでもない大蛇を引き出してしまったらしい。
ちなみに、マッティーアさんの言葉にもあった通りジュデッカさまの本名は『葉月つかさ』で、クルミさんの伯母にあたるのだそうだ。それがどういう経緯で今の地位に就いたのかは私も知らないけど、さすがは天才の家系だと改めて感服させられる。
『――つかさおばさまに比べたら、私なんてまだまだよ。頭もよくて、優しくて、それでいて努力家で……私、あの方を本当に心から尊敬してるの』
以前、ジュデッカさまの人となりを尋ねた時……クルミさんが目を輝かせながらそう語ってくれたことを思い出す。気の強い彼女がそこまで慕う人なのだから、失礼のないように――そう思って最初は緊張もしていたのだけど、実際には想像以上に気さくな方で、なっちゃんともども安堵を覚えたものだ。
「(それにしても……)」
これまで、このマッティーアさんと話す時はたいてい他の人がいたこともあって、事務的というか雑談めいた話はしない印象を持っていたが……今夜はざっくばらんに話をされて、驚きと同時に戸惑いを覚えてしまう。ちらりと横を見ると、なっちゃんも目を丸くしていたのでおそらく同じことを思っているのだろう。
だけど……不快さは微塵も感じない。それどころか、まるで心を許し合った昔からの仲間と話しているような、あたたかくて楽しい気持ちを抱いていた。
「あ……ごめんなさい。私ったらつい、気安く喋りすぎちゃって……深夜のせいで、気分が高まってるせいかしらね」
「いえ、お構いなく。……でもマッティーアさんは、ジュデッカさまのことをとても大切に思ってるんですね」
「……まぁ、ね。つかさは私の自慢で、誰よりも守りたい人だから。あっちはどう思ってるかはわかんないけど」
そう言ってマッティーアさんは、やれやれと肩をすくめながら少し冷たくなった紅茶を飲み干す。
最後は照れ隠しにわざと憎まれ口を叩いてみせたのだろうけど、実際にジュデッカさまが彼女のことをどう思っているかなんて、普段の二人のやり取りを見ていれば一目瞭然だ。とはいえ、その会話内容は少々毒気が強くて……うっかり喧嘩に発展しないものかと、私となっちゃんは時々はらはらしながら見ているのだけど。
と、その時――。
「おかえりなさいテスラ、ナイン。遅くなってしまってごめんなさいね」
扉ががちゃり、と開いて司祭服姿の女性が姿を現し、開口一番私たちに向けて労いと謝罪の言葉を伝えてくれる。よほど急いできたのか息は少し荒く、頬は上気したように赤く染まっていた。
「……って、つかさ。まさかバイザーもつけずにここまで走ってきたの? 作業が終わったら迎えに行くって、あれだけ言っておいたのに」
「大丈夫よ。もう慣れたし、勝手知ったる道筋なんだから目をつぶっててもたどり着けるわ」
「いや、笑えないから。なにその下品なジョーク、他の人が聞いたらドン引き間違いなしよ。ねぇ?」
「い、いえその……」
だから私に振らないで、と内心で非難の声をあげながら、私は言葉を濁してジュデッカさまに目を向ける。
彼女はその優しげな顔に笑みをたたえていたが、両の目は今も開かれない。……この方は過去の事故で視力を失っているのだ。
「(盲目なんて研究者、そして為政者としても最大級のハンデのはずなのに……)」
さすがに研究中は、波動エネルギーを応用したという視力補正バイザー(皮肉にも、お父様がつけていたものと同じデザインだ)をつけているので困ることは無いそうだが、この方は身体上の問題を乗り越え、両方の立場で卓越した才能を発揮している。たとえ周囲のサポートがあったとしても、そこに至るまでにどれだけの努力と苦労を重ねてきたのか……私たちにはうかがい知れないけれども、間違いなく傑物と呼んで然るべき御仁だった。
「もう、そうやって私の世話を焼きたがるのはやめてよ。まったく、どっちが年上なのやら……あぁ、ごめんなさいね。あなたたちも長旅で疲れてるのに、見苦しいところを見せちゃったかしら」
「いえ、ジュデッカさま。むしろ、アポもなくお邪魔したのにお会いする時間をいただきまして、ありがとうございます」
「どういたしまして。だけど前から言ってるように、そう畏まらなくてもいいのよ? 私とティアだけの時は気軽に「つかさ」って呼んでくれて構わないんだから」
「そ、それはさすがに……」
いたずらっぽく笑うジュデッカさまに対し、私は恐縮して首を振る。『キャピタル・ノア』の筆頭司祭は、どこかの国でいえば首相にも等しい地位の殿上人だ。そんな方を本名で呼ぶなんて、恐れ多いにもほどがあるだろう。
「…………」
「? どうかしましたか」
「うぅん。とりあえずあなたたちも疲れているでしょうから、話は手早く済ませましょう。それじゃ、聞かせてくれる?」
「あ、はい」
お疲れなのは、むしろジュデッカさまのほうではないだろうか。……なんて苦笑を押し隠しながら、私は椅子に座り直す。彼女もやや覚束ない動きながらもソファを探り当て、私たちと向き合って腰を下ろした。
× × × ×
「……報告は、以上になります」
「なるほど……考えていた以上に大変だったみたいね。あの子たちのサポート、お疲れ様」
「いえ。むしろ最後はすみれさん、めぐるさんの活躍にずいぶん助けられました。偉そうな言い方になってしまいそうですが、とても将来が楽しみです」
「そうね。……できれば何事もなく、まっすぐに育ってもらいたいのだけど」
そう言ってジュデッカさまは複雑そうに苦笑を浮かべながら、マッティーアさんの淹れた紅茶を両手持ちで啜る。その表情に含まれるものに私はやや怪訝な思いを抱いたけれど……すぐに彼女は顔をあげ、明るい口調に戻って私たちに応えていった。
「とりあえず、今日はゆっくり休んでね。今後もあなたたちにお願いしたいことはいくつかあるのだけど……それは明日にしましょう。――ティア」
「了解。この近くのキャッスルホテルでよかったのよね? 支配人には前もって話をつけてあるから、今から連絡すればすぐにチェックインできるはずよ」
そう言ってマッティーアさんは、すぐさま立ち上がって部屋の隅にある電話へと向かいかける。
ここを訪れた直後に、私たちの宿を手配してくれていたのだろう。その気遣いはとてもありがたかったのだけど、……私たちにはもう一つ、大事な目的が残っていた。
「あの、ジュデッカさま。……お聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「あら、なにかしら。私に答えられることだったら、なんでも聞いて頂戴」
「…………」
にこやかに小首をかしげるジュデッカさまの顔を見て、……思わず心が挫ける。
この人なら、おそらく私たちの疑問に対する「答え」を持っているはず。だけど、ここで本当に聞いてもよいものか……そんな恐怖にも似た逡巡が駆け巡って、私はしばらく口をつぐんでしまった。
「どうしたの、テスラ?……ティア、電話は少し待って」
「……わかったわ」
私の様子に不穏なものを感じたのか、ジュデッカさまはマッティーアさんに声をかける。それを受けて彼女も受話器を置き、そばにあったポットにスイッチを入れお代わりのお茶の準備をし始めた。
「……っ……」
血の気が引くような感覚。緊張が全身を駆け巡る。
魔王城でお父様――ダークトレーダーと戦った時から、ずっと確かめたかったこと。……だけど本能的に、聞いてはいけないものと感じて胸の中に封印してきたこと――。
それでも、あの若き日のお父様の野望……そして絶望を聞いてしまった以上は、知らずにはいられない。そう思い直すと私は顔をあげ、意を決してそれを口にしていった。
「……『ルシファー・プロジェクト』とは、いったい何のことですか?」
「――っ……!!」
直後、甲高い音が聞こえて反射的にそちらへ顔を向ける。するとそこには、お茶を入れる途中でカップを取り落とし、愕然とした形相で私たちを見つめるマッティーアさんの姿があった。そして――。
「……その言葉、誰から聞いたの?」
先ほどの優しい、気安い口調から一変した硬い響き。顔を戻すとジュデッカさまは厳しい表情で、見えないはずの目を開いて私たちをまっすぐに見据えていた。
「……っ……」
光を失った深淵の瞳に吸い込まれるような錯覚を覚えて、ごくっ、と生唾を飲み込む。
覚悟はしていた。……だけど正直言って、これほどの強烈な反応が返ってくるとは思ってもみなかったので、激しい後悔が心をせめぎたてる。
「(そこまで禁忌、あるいは嫌悪をもたらすものだったの……?)」
だけど、口に出してしまったからには取り消すわけにもいかず、私は自分を励まして言葉を繋いでいった。
「お父様……いえ、ダークトレーダーです。以前魔王城に乗り込んだ時、あの人と研究施設のようなところで戦って……そこで……」
「……そっか。やっぱり、あれを見てしまってたのね。ゼルシファーとの戦いの後、あなたたちの報告にはそこに関する言及がなかったから、実を言うと安堵してたのだけど」
「…………」
その言葉から、私はすべてを理解する。やはりこの人は、「知っている」のだと。そして、この聡明で優しい心の彼女があえて言わなかったということは……つまり――。
「……報告から漏れていたことは、お詫びします。ただ、私たちもそれがいったい何なのか、そしてお父様が何をしようとしていたのか、納得のいくところまで調べたかったのです」
「うん、わかってる。……勘違いしないでほしいんだけど、別にあなたたちを責めるつもりで言ってるんじゃないの。ただ……」
「ただ?」
「できれば、あなたたちには一生知ってもらいたくなかった。きつい言葉を許してもらえるのなら、ある意味でダークトレーダーが遺した人類史上最悪の汚点とも呼べる研究成果だったからね」
「……っ……」
淡々とした口調の中に不穏な言葉が含まれているのを悟った私は、まるで稲妻にでも打たれたような衝撃を全身に覚えてはっ、と顔をあげる。
これまでジュデッカさまは、おそらく私たちのことを慮ってかお父様に対しての誹謗や中傷めいた言葉を使うことがなかった。
そんな方がここまで言うことに、どれだけの意味と重みを持つのか……それを感じれば感じるほど、私は自分がパンドラの箱に近づいていることを理解せずにはいられなかった。
「これを聞けば、あなたたちが父と慕っていたダークトレーダーのことを憎むことになるかもしれない。……それでも、聞く?」
「…………」
「世の中には、知らなくてもいいことがある。また、知るには早すぎることも。それを知らずにいることは決して臆病ではないし、愚かとも思わない。誰もあなたたちを責める権利、そして資格はないのだからね」
「それでも……」
私はそこでいったん言葉を切り、隣のなっちゃんに顔を向ける。
その表情を確かめる限り、彼女にも少し迷いがあるようにも映ったけど……私のことをまっすぐに見据え、しっかりと頷いてくれた。
……そうだ。これまで私たちは、たくさんの勇気を見てきた。困難を乗り越えて、不可能を可能にする熱い想いに何度も触れてきた。
だから、……ここで引くわけにはいかない。「傷」を知るからこその優しさはとてもありがたいものだけど、かけがえのない友や後輩たちに恥ずかしくない自分であるためにも、目を背けるわけにはいかない――。そう心を奮い立たせて私はなっちゃんに頷き返し、顔を戻していった。
「見てしまった以上、知らないままではいられません。……お願いです、せめて私たちに話せる範囲だけでも教えていただけませんか?」
「…………」
沈黙が流れる。ジュデッカさまは再び目を閉じて、考えを巡らせているようにも見えた。
やがて、……長いような、それとも一瞬なのか感覚の覚束ない時間が流れてから、彼女は大きく息を吐く。そして、私たちにやっと聞こえるくらいの小さな声で、誰に言うでもなく呟きを漏らした。
「……そうね。あなたたちが「彼」の娘である以上、避けては通れない道か」
「つかさ……」
気遣うように口を挟もうとするマッティーアさんに、ジュデッカさまは手をあげてそれを制する。そしてお茶のお代わりを彼女に頼んでから、険しい表情のまま私たちに向き直っていった。
「長い話になるわ。その覚悟はできてるのね?」
「……はい」
私たちはゆっくりと、できるだけ力を込めて頷く。それを確かめてからジュデッカさまは、おもむろにその言葉を紡ぎ出した――。
「『ルシファー・プロジェクト』とは、人造人間――いわゆる『ホムンクルス』を作り出す、対『天ノ遣』を目的とした忌まわしき計画の名前よ」
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