第70話
「ホムンクルスの生成……それが、『ルシファー・プロジェクト』の実態……!?」
「……っ……!」
隣に座るなっちゃんの、息をのむ声が聞こえる。私もまた人道に背き、生命の尊厳を著しく軽侮するとしか思えない忌まわしき単語を聞かされて、思わずおぞましさから震えと同時に吐き気を覚えてしまった。
ホムンクルス――生化学的あるいは魔術的に生み出され、本来の自然の摂理から外れた歪な生命体。その遺伝子や外見などは人間に「近い」ものとされているが、様々な外的要素や干渉を加えられることでその能力や成長度には飛躍的な変化が起こり、人間の常識では推し量ることができない存在になるという。
ただ、それは人類の錬金術と科学の歴史において研究を重ねられてきたものの、成功例はどの文献にも全く残されていない。だからこそ、実際には空想上でしか存在しえないモノとみなされ、もはや誰からも顧みることなく闇に葬り去られた『虚構』というのが現代科学の出した結論だと私は聞き及んでいた。
それがいったい、何をもって覆ったというのか……? それが私には信じがたく、いくらジュデッカさまの言であっても素直に受け入れることができなかった。
「ま、まさか……! いくらダークロマイアとはいえ、人間の肉体を生成するならともかくその思考や感情、そして人格をつかさどる「魂」の部分だけはどんなに優れた理論、技術をもってしても解析すらできないはずです! ましてつくり出すことなど、ありえない……いえ、あってはならないものではありませんか!?」
「ええ、確かに。生物における「魂」の生成は、まさに神が神ゆえんの超然たる秘術。人間ごときがおいそれと手を出して、自在に行えるものでは決してない。……でも」
「でも……?」
「……テスラ、ナイン。さっき報告してくれたでしょう? 決戦の前にエリュシオンの城であなたたちが見たものは、何だった?」
「っ……!?」
ジュデッカさまの指摘を受けて、私はあっ、と声を上げて「それ」を頭に思い浮かべる。
人格を有し、かつ融合や憑依を可能とした物質……それは――。
「『エリュシオン・メダル』……? まさかお父様は、それを使って……!?」
「そういうことよ。器が出来上がり、そこに注ぎ込む「魂」が揃えば全てこと足りる。……『エリュシオン・メダル』が手に入れば、もはやホムンクルスは想像上の存在ではなく現実として成立可能な代物となる……」
「なっ……!」
愕然と、全身から血の気が失せるような感覚が駆け巡って意識が遠のきそうになる。
……ジュデッカさまは話をする直前、くれぐれも覚悟するように、と念押しした。だから私も自らを律し、固い決意をもって身構えた――つもりだった。
だけど、……今の話を聞いて全くの後悔がなかったかと問われると、正直に言って即答はできない。あまりにも予想を超えた、衝撃的すぎる内容だったからだ。
「つまり、お父様……ダークトレーダーが『聖杯のカケラ』を収集し続けていたのは、その波動エネルギーを用いてエリュシオンへの入口を開くためだった。そして、そこでメダルを手に入れたのちに『ルシファー・プロジェクト』を遂行――それが、私たちの知らなかった真実というわけですか?」
「…………」
ジュデッカさまはその問いに対して、何も答えない。ただまっすぐに光を失った目を、私たちに向けて黙ったままだ。
……視線を落とすと、膝の上に置かれた彼女の両手には爪が食い込むくらいの力が込められている。ただ、その仕草にどんな感情が入り交じっているのか考えを巡らせられるほど、今の私にはとても余裕がなかった。
「……ひとつだけ、確認させて。その研究ルームの中で、円柱の水槽みたいなものがあったと思うけど……その中身を、あなたたちは「見た」?」
「……。はい」
ためらいながらも、私は正直に答える。するとジュデッカさまは大きくため息をついて、組んでいた両手を口元に寄せた。
……何か小さな声で呟いていたようだけど、よく聞こえない。ただその眉間に険しく皺が刻まれているのを見る限り、決して好意的なものではないことは確かだった。
「あれは、水槽ではなくてホムンクルスを生成する……いわゆる、培養ポッドだったのですね。だから、あの中には……私たちの……っ」
「……。おそらく、あなたたちの遺伝子情報をもとに錬成を行ったのだと思う。あなたたちの持つ能力は『天ノ遣』のそれに匹敵するほどだから、万が一成功して実戦に投入をされていたら、大魔王ゼルシファーとの戦いはもっと悲惨で、さらにおぞましいものになっていたかもしれない……」
「……っ……」
自分たちの姿をした「人形」たちが、当時の『天ノ遣』であった遥さんたちに襲いかかる――想像しただけでも恐ろしく、全身の血の気が引くほどの戦慄を覚える。もしも、それが現実に起こり、……万一彼女たちが傷を負うような事態になっていたとしたら私はお父様を死ぬほど憎み、自らさえも消し去りたくなるほどの絶望を抱いたことだろう。
……もっとも、今ですらそれに近い感情に襲われて眩暈を覚える。覚悟をしていたつもりでも、父と慕った男が自分たちと同じ姿をした『バケモノ』を作り出そうとしていた真実はそれ以上の衝撃となって私たちの心を苛み……胸が苦しい。
『これを聞けば、あなたたちが父と慕っていたダークトレーダーのことを憎むことになるかもしれない。……それでも、聞く?』
ジュデッカさまが私たちを気遣って言ってくれた忠告が、今さらになって脳裏に蘇ってくる。やはり、聞くべきではなかったのか――と、そんな後悔を抱きかけたその時だった。
「……だからこそ、ダークトレーダーはあの研究ルームを決戦の、そして終焉の場所にしたんだと思うわ。自らの計画を悪用し、愛する娘たちを戦闘兵器にしようとしたゼルシファーへの意趣返しとして――ね」
「えっ……?」
マッティーアさんのその言葉を耳にして、私は思わず顔をあげて彼女に視線を向ける。隣で肩を落としていたなっちゃんも驚いた表情を浮かべながら、目を大きく見開いていた。
「……意趣返しとは、どういう意味ですか?」
「つかさからの命令で、あの場所は私が直々に見分したのよ。そしてわかったことは、どうやらあの場所を管理していたのはダークトレーダーではなく、別の誰かだったということ。そして彼はむしろ、あの部屋の一切合切を破壊するつもりだったようね」
「あっ……」
そういえば、……今になって思うと、違和感がある。もしあれがお父様の野心的な研究を具現化する場所だったとしたら、彼は私たちをあんな場所で待ち構えただろうか。明らかに戦いには不向きである上、重要な機器や設備が激戦によって傷つくどころか全て無に帰す可能性が高く……事実そうなって、研究ルームはほぼ完全に崩壊してしまったのだ。
「(ううん……それだけじゃない)」
お父様は私たちと戦った時、室内にもかかわらず銃火器を惜しみなく使ってきた。そして、その砲撃や爆発の煽りを受けて機材や設備のことごとくが破壊されても、彼は意に介さず攻撃の手を緩めることがなかった。
あの時は、私たちを葬るために手段を選ばないという不退転の覚悟ゆえだと思っていた。だけど、もしもそのつもりだったらあの部屋を移動して戦闘に持ち込んでもよかったはず……。
「つまりお父様は、最初からあの部屋を破壊し……自らとともに葬り去るために、決戦場に選んだと……?」
「もちろん、これは調査を行ったティアと私の見解よ。あなたたちが聞けば慰めのようにも感じるかもしれないし、真実はまるで反対で、あれこそがダークトレーダーの狂気の実態という可能性もある。でも……」
「でも?」
「私も、同じように科学に携わる者として……信じたいの。仮にも家族同然に生活を営んできた娘たちと同じ「人形」を作ろうと考えるほど狂気に陥った男が、果たしてその娘たちを守るために自らを犠牲にしようと考えるかしら、ってね」
「…………」
そのジュデッカさまの言葉に、私は少しだけ救われた思いを抱く。
最期になって私たちを守ることを選び、そして「生きろ」と命令を残して爆炎の向こうに消えたダークトレーダー……いえ、お父様。全てに背き、憎しみと絶望を抱きながら狂気の果てにたどり着いた先が自らの研究の「否定」であったのだとしたら、……彼は今わの際になってようやく「人」としての心を取り戻すことができたのかもしれない――。
私はそれを信じ、そして祈りたい思いできゅっ、と胸のあたりをつかんで瞑目した。
「ただ、話はそれで終わったわけじゃないの。……いえ、ひょっとしたらここからが本題になる。続けてもいい?」
「は、はい……」
これ以上、私たちが驚きと衝撃を感じるほどのものがあるというのか?……そんな思いを抱きながら私となっちゃんは顔を見合わせ、それから恐る恐る頷く。それを確かめてからマッティーアさんはそばにあった端末機を操作し、近くに立ち上がった立体スクリーンにグラフと数値の映像を投影していった。
「培養ポッドと、冷凍棚から発見されたホムンクルスの幼体と成体の数は合計して192体あった。でも、端末内に登録されていた個体数を確認したところ、実際には200以上……明らかに数が合わないわ。そして棚には、そこに置かれていたはずのカプセルのいくつかが持ち出された痕跡があった。……どういうことか、わかる?」
「っ!? それを、別の場所で培養させようとたくらむ輩がまだいるということですかっ?」
「そういうこと。これについては、私の指揮下にある親衛隊が秘密裏に調査を行っていた。その結果、浮上した重要参考人が――こいつよ」
「なっ……!?」
その顔を見て、私となっちゃんは目をむいて言葉を失う。
見覚えがある……なんて、そんなものじゃない。まさか、これが……!?
「私たちが掴んでいるのは、これが全てよ。この件については引き続いて調査を進めるから、あとのことは私たちに任せて――なんて言っても、無駄でしょうね」
「――はい」
ジュデッカさまの苦笑交じりの言葉に、私は当然だ、と言外に含めながらはっきりとした口調で応える。
正直、私たちが求めていた「真実」には予想を超えるほどの驚きと衝撃があった。だから、これ以上深く介入することが怖くない、と言えばうそになるだろう。だけど――。
「……姉さん」
「うん……わかってる」
なっちゃんの呼びかけに、私は短く答えて頷く。
お父様が立ち上げ……最終的に誤りを認めて否定しようとした、禁忌の計画。それが邪な存在の手で再び始動させられようとしているのであれば、遺志を引き継いだ私たちこそが阻止するべきであり……そして、誰の関与も許したくはなかった。
「――それではテスラ、ナイン。あなたたち二人に、新たな依頼を行います」
私たちの決意を感じたのか、毅然とした態度でジュデッカさまは居住まいを正す。それに応えてこちらも背筋を伸ばし、次に続く言葉を待ち受けた。
「『ルシファー・プロジェクト』によって生み出されたホムンクルスをすべて排除し、その首謀者を逮捕、ないしは無力化させてください。……手段は問いません」
「――はい」
最後に添えられた一言の重みを感じて、私は生唾を飲み込む。……最悪の場合、敵と刺し違えてでも倒せ、ということだろうか。
いや、違う。おそらくジュデッカさまのことだ、生き残るためのあらゆる手を打つ努力をしろ、という意味でそう言ったのだと私は理解する。
「(だとしたら……)」
私は以前、遥さんたちと話した「メダル」によるパワーアップのことを思い出し……意を決してジュデッカさまに向き直っていった。
「ジュデッカさま、お願いがあります」
「? なにかしら。私にできることだったら、何でも言って」
「……お恥ずかしい話になりますが、現在の私たちの力では今後の敵と戦うにあたり、限界を感じているのです。エリュシオンでも、結局のところめぐるさんとすみれさんの力がなければ、きっと……」
「……確かにね。敵が『エリュシオン・メダル』を攻撃の源に使ってくる以上、それに対抗できるだけの力が必要になる。……あなたたちの髪飾りにあるアスタリウム結晶だけでは、苦戦は避けられないでしょうね」
ジュデッカさまは口元に手を当てて、考えあぐねるように黙り込む。そして、何かを思いついたのか顔をあげると、隣のマッティーアさんに振り向いていった。
「……ティア。あっちのデスクの横にある金庫の中から、「あれ」を持ってきて頂戴」
「「あれ」?……ってまさか、正気なのつかさ!?」
それを聞いたマッティーアさんはぎょっ、と目を見開いて、言葉を失う。その驚きの理由は私たちにはわからなかったけれど、ジュデッカさまは笑みを消した真剣な表情のまま、「……お願い」と頷いて続けた。
「責任は、私が取ります。クルミたちにもきっと怒られる……いえ、簡単には許してもらえそうにないでしょうけど、これからの2人の戦いにはぜひとも必要になるものよ」
「……わかったわ」
ティアさんはソファから立ち上がり、部屋の奥にある執務用の机へと近づく。そして右足で床を軽く小突くと、中から頑丈そうな金庫が浮かび上がってきた。
扉を開けると、中には剣の柄と……ブレスレット。その中央部には何かをはめ込むような丸いくぼみがあり、その形状はめぐるさんとすみれさんが持つコンパクトと少し似ているようにも見えた。
「これは……?」
「エンジェルスーツの高機動形態――通称『アクセラモード』発動用ブースターキットよ。これをナインの大剣、テスラの腕につけてメダルを使用することで、あなたたちは一時的とはいえ『天ノ遣』が持つ波動エネルギーを凌駕するほどの力を手に入れることができるわ」
「アクセラ、モード……」
その名前を口ずさんで、……なぜか、頭に響くものを感じる。
初めて伝えられた言葉のはずなのに、なぜか頼もしく思えて……どこかでそれを聞いた気がする。でも、どこで……?
「それと、さっき出来上がったばかりのメダルが、ちょうど2つある。明日の元老院の閣議で提出するつもりの完成品だったけど、あなたたちが持っていきなさい」
「い……いいんですか? そんなことをすれば、ジュデッカさまのお立場が……」
「大丈夫よ。それがあなたたちの身を守るものとして機能するんだったら、土下座でもなんでもしてみせる。……使いこなしてみなさい」
「……はい」
私となっちゃんはジュデッカさまから授かったメダルを手に取り、粛然の思いでそれを見つめる。
天使のレリーフが彫られたそれは、どこかあたたかくて……ふつふつと胸の奥からわき上がる力の波動と呼応するように、キラキラと金属特有の光沢で輝いていた。
「ただし、一度使用してから再起動を行う際には3時間以上の間隔をあけること。それと、長時間の継続使用も避けるように。……その2つだけは守ってちょうだい、いいわね?」
「わかりました」
私は力強く頷いて、それを受け取る。
これさえあれば、もっと遥さんたちの力になることができる……そんな高揚した思いを抱きながら、ジュデッカさまの期待に応えてみせることを心に誓っていた。
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