第7話

 私たちが把握しているメダルには、二種類ある。

 一つは、人間が持つ気……エネルギーを凝縮・固形化したメダル。

 メアリたちが人間のエネルギーを集めて作ったメダルや、メアリがめぐるを使って精製した『闇のメダル』もこれにあたる。

 二つ目は、かつてこの世界が魔界から侵攻を受けた時に天界から舞い降りた女神・アストレアと地上の錬金術師が共に作り上げた聖なるメダル……『アストレア・メダル』。

 私たちがツインエンジェルBREAKに変身する時に使用しているメダルは、このアストレア・メダルに人工的な加工を施したものだ。一枚のメダルが持つ力はメアリたちのメダルとは比べものにならないほどに強大だが、数が限られているために現在見つかっているものはほぼ全て、厳重な警備のもとで保管されているらしい。

 そして、新たに現れた三つ目のメダル……


「敵を倒した後に現れた、割れたメダル……」


 体内に響くようなクルーザーのエンジン音を聞きながら、私は固く握りしめた手の平をそっと開く。そこには二つに割れた暗褐色のメダルが乗っていた。


「このメダルは、一体なんなの?」


 人間の感情を凝縮したメダルとも、女神の力が込められたメダルとも違う。だとしたら、この第三のメダルは何だというのだろう。

 そして、そんなものを持っていた敵がこの学院に現れた目的はいったい……?


「……めぐる」


 かけがえのない親友の名を呟きながら顔をあげると、朝陽を反射して輝く湖が私の視界いっぱいに広がる。そしてその中心に、ぽつんと浮かぶ小さな孤島が見えた。

 如月神社の分社は各地にいくつかが点在しており、あの島に立っているのもそのうちの一つだ。そして、社の全ては如月家の所有するものであり、後継者を託された私はいずれそれらを統括する役目を受け継ぐ立場にいる。

 もっとも、本来ならお兄様こそが受け継ぐべきだと思っているのだけど……本家である神無月家が女系ということもあり、如月家もそれに倣っている……らしい。

 だけど、あの島の如月神社には私もいまだ一度も足を踏み入れたことがない。なぜならあの場所は、12年前に封印された禁忌の場所であったからだ。


「どうして、あの如月神社は封印されたのかな……」

「これから向かう如月神社は、チイチ島や他の如月神社とは性質が異なるからです」


 波音とエンジン音を従えながら、背後から明瞭とした涼しげな声が聞こえてくる。振り返ると神無月先輩が揺れるクルーザーの甲板の上に立ち、水飛沫を浴びながら佇んでいた。


「どういうことですか?」

「私たちがこれから向かう如月神社は、確かに修行の場としても使われています。ですが本来あの場所の目的は、異界への入口を封じる場所なのです」

「異界……それは、チイチ島にある異界への入口と違うものなのですか?」

「チイチ島にある如月神社の、上位互換された場所だと思ってください。あそこは、魔界だけでなく……世界の根幹とも呼べる場所に繋がっています」


 そこで神無月先輩は口を閉じ、早朝の太陽を背負う小さな島をじっと見つめ……そして緊張で固くこわばった横顔のまま、私に告げていった。


「こういう言い方をすると、悲観が過ぎる表現になるかもしれませんが……もしメアリがチイチ島の如月神社ではなく、あの秘匿された如月神社を手に入れていたら……おそらくゼルシファーの復活は止められなかったでしょう」

「それほどに、チイチ島以上の力を秘めた場所……ということですか?」

「えぇ」

「…………」


 胸を締め付けられるような感覚に襲われながらも、しっかりと甲板を踏みしめる。

 学院で戦闘した相手がメダルになったのか、体内からメダルが出てきたのかは不明だ。だけど、メダルが絡んでいる以上めぐるの身にも何か起こったと考えた方がいいだろう。

 ……そう考えた私たちは、あの戦闘後すぐに彼女が修行をしている如月神社へと向かうことにした。しかし、以前に使ったジェット機では全員乗せられないということで、こうして焦燥に駆られながら船を走らせているところだった。


「葵ちゃん!」

「すみれ!」


 クルーザーの先に立つ私たちのもとへ、水無月先輩とみるくちゃんが歩み寄ってくる。そして、反応を待ちわびて固唾をのむ私に向かって、二人は申し訳なさそうに首を振ってみせた。


「やっぱりダメ。衛星、暗号……色々と試してみたけど、めぐるの修行に付き添っている人たちと連絡が取れないわ」

「どういうこと? それって、めぐるの身になにか……!」

「まだそうと決まったわけじゃないわ。結界のせいで、連絡が取れない……その可能性も残されてるんだから」

「結界って……どういうこと?」

「……アンタたちがツインエンジェルになる前に、あの神社で色々とあったのよ」


 反射的に尋ねた私に対し、みるくちゃんがため息交じりに呟く。そして先輩たちも複雑そうに顔を見合わせ、こくん、とほぼ同時に私に向かって頷いてみせた。


「全てが終わった後、私たちはイタリアのジュデッカ司祭を中心としてかつてない規模の結界を張ったの。封印と浄化を同時に行う、非常に大規模なものをね。……だから、その結界があるっていう安心感もあって、私たちはめぐるをあの如月神社に送り出したのよ」

「はい。結界が設置されるまで、あの如月神社はずっと無人だったのですが……その設置と維持のために人を派遣して、生活基盤も整えました。めぐるさんの修行の場としては、うってつけだったと思います」

「だっとしたら、連絡手段が確保されているはずではないのですか?」


 結界を強化したという話は、確か母から聞かされた気がする。だけどその話と、連絡が取れないというのはどういう関係があるのだろう。


「……すみれ。あんた、めぐるが修行に出てから何通かメールのやりとりがあったって言ってたわよね」

「送った、けど。でも、すぐに返事が来なくなって……」

「たぶん、結界にメールの電波が遮断されたんでしょうね」


 結界に……遮断された? それはどういうことだろう。


「私は、めぐるが修行で忙しくて連絡が来なくなっただけ、って思っていたけど……そうじゃないってことなの?」

「はい。私たちがあの島で新たに設けた結界は、状況に合わせて柔軟に対応する……いわば、学習する生きた結界なのです」

「結界が、生きている……」

「たとえば、小さいながらも外部との連絡を取ろうとする電波を感じ取った結界が、これはよくないものだと判断した場合……メールの電波を吸収・無力化する機能が働くのです」

「じゃあ、ただ連絡が取れないだけで……みんな無事って可能性もあるんだよね!」

「えぇ、もちろんよ。むしろ、そっちのほうがありえると思うわ」


 場の重い空気を払拭しようとしてか、水無月先輩が一際明るい声をあげる。それを受けたみるくちゃんは笑みを浮かべるが、その笑顔にはどこか影がさしていた。


「結界の副作用除けに確保していた有線連絡手段に、何らかの不具合が出て連絡が取れなかった……そういうことなら、ただの心配しすぎの笑い話なんだけどね」


 そうだ。みるくちゃんのいうとおり、笑い話で終わる可能性だってあるんだ。その話をあとで聞いためぐるが「みんな大げさだよ~」なんて言って、苦笑して……。


「…………」


だけど、もし有線での連絡手段が何者かの意図によって「強制的」に遮断されていたとしたら……?


「……っ……」

 

 やめよう。余計なことを考えるのは、事態が確定してからでも遅くないだろう。

 ……やがてクルーザーは島に到着し、浜辺へと停留する。私たちは下船すると、小高い丘に向かって歩き出した。

 なだらかな坂道を駆け上った後に、広がるのどかな景色。……だけど、そう思っていたはずのそこにあったのは、嫌な予感を遥かに上回る最悪の光景だった。


「うっ、ぐっ……!」

「ぐっ……! うぁ……」


 跡形もなく、破壊された社。その残骸の下敷きとなって、袴姿の男女が呻き声をあげていた。


「みんなっ!」


 その光景を前にした瞬間、水無月先輩が走り出す。


「ど、どういうことよこれは……!」

「お嬢様、すぐに救急ヘリを手配いたします!」

「急いでください!」


 にわかに場が騒がしくなり、神無月先輩やみるくちゃんたちも救助のために駆け出す。どうやらここで倒れているのはおそらく、さっきの会話にもあった結界を維持するための人たち……?


「たす、けて……」

「痛い……痛い……っ!」


 うめき声が聞こえる。血が流れている。

 凄惨な苦しみと悲しみで溢れた場所で、だけど私は……目の前で苦しんでいる人よりも、たった一人の姿を探してしまう。


「っ……めぐる……?」


 この場にいるはずの彼女の存在を探すため、棒のように立ち尽くしていた私ははじかれたように走り出す。


「めぐる、どこっ! どこにいるのっ!?」


 瓦礫を踏み、落ちた板を飛び越え、彼女の姿を探す。

 どこにいるの? この瓦礫の下? それとも無傷で湖の方へ逃げ伸びた?

 何かに引火したのだろうか、時折感じる鼻の奥を掠める焦げたような匂いが、嫌な想像を急激にふくらませていく。


「まさか、また奴らの手に落ちたんじゃ……!」


 メアリは自ら命を絶ったと思っていたが、もしかしたらまだ生きているのかもしれない。そして、めぐるが一人になるのを待って……そして……!?


「めぐる、めぐる、めぐるっ……!」


 バカだ……私は大馬鹿だ! 

 なにが留守の間は任せて、だ。本当に危ないのは、めぐるの方だったのに!

 私が一緒にいれば……ツインエンジェルの力を発揮できていれば、こんな地獄のような光景が生まれることも無かったかもしれないのに……!


「…………、a」

「っ!?」


 最悪の想像が頭を過ぎった瞬間、がれきの下からうめき声が聞こえて立ち止まる。走っている間ずっと聞こえていたものとは、少し性質が違ったからだ。

 甲高く、若い、女の子の声……


「めぐる……めぐるなのっ!?」


 私は弾かれたような勢いで声が聞こえてきた方向へと駆け出し、地面を覆い尽くす瓦礫に飛びつく。そして、夢中になったまま割れた瓦を蹴り飛ばして、元は壁だったであろう板に手をかけた。

 力を込めて持ち上げようとすると、強制的に叩き割られたせいで肉食動物の歯のような棘たちが指はおろか手の平全体に食い込んで、切り裂かれるような激痛を走らせる。……だけど、そんなことにかまっていられない!


「めぐる……!」


 めぐるが生きているなら、この程度の傷なんて気にするほどじゃない。

 メアリに攫われためぐるを求めて走り続けたあの時の焦燥、そして絶望……あんな思いは、もう二度とごめんだ……!


「っ、ぐっ、ぅ……! めぐ、る……返事を、してっ!」


 扉だったと思しき木の板を全力で持ち上げ、地面との間に隙間を作る。手の平から流れた血で掴んだ瓦礫が滑りかけたけれど、なんとか人の姿が見えるところまでずらすことができた。


「めぐ、めぐる……っ! ……?」


 肩で息をしながらのぞき込み……目を見開く。


「えっ……」


 最初に入ってきたのは、短く切りそろえられた薄い紫の髪の少女。

 ……めぐるじゃ、ない。


「u、a……」

「あ、あなた……は……?」


 うめき声をあげる少女を見て、思わずその場に呆然と立ち尽くす。

 年齢は見かけから判断して、私やめぐると同じくらいだろうか。

 オフショルダーのシャツに、鮮やかなピンクのタンクトップ。ショートパンツタイプのジーンズからすらりとした足が伸びている。オシャレなショップバック片手に都会の街を闊歩すれば、老若男女問わず人目を惹きつけるような格好だ。

 どう見ても、結界の守り役には見えない……場違いというか、違和感がありすぎる。


「どうして、こんなところに……?」


 陶磁器のように白い肌は汚泥で汚れて、多くの切り傷や擦り傷が刻まれている。ここで他の人と同じく、事故か事件に巻き込まれたのは間違いないだろう。


「とにかく、助け出さないと……」


そう言って気を取り直した私は、痛みに身じろぎをする彼女に手を伸ばそうとして――。


「すみれちゃん!」

「すみれさん!」


 先輩たちの鋭い声が、耳朶に突き刺さった。

 その瞬間、私の頭上を影が覆う。ぽたりと、側に落ちた水滴が地面の色を黒く染めると同時に広がる獣臭。


「グルァアアアアアア…………」


 顔を上げた瞬間、目があってしまう。

 フクロウの面をつけた、両腕だけ酷く膨れ上がった巨大な猿。それは昨日、寮の前で先輩たちが相対していたあの巨大な化け物だった。それが今、私たちの目の前に立っている――。


「なっ……!?」


慌ててポケットに手を伸ばす。だけど、私がコンパクトを掴むよりも早く巨大な腕が、視界を覆うように振り上がってきた。

そして立ち尽くす私と、地面に倒れた少女に向かって――。

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