第28話
夜明けの空は徐々に明るさを広げていき、赤みがかってたなびく雲の姿が遠くにはっきりと見えるようになる。
そんな中を、アインの飛翔の力を使って王都へと急ぐ私たちは、ほどなく街道で騎馬を走らせるカシウスを発見した。
「アイン、あそこにっ……!」
『また一人追加か……! ええい、くそっ!』
苛立たしげに罵声を吐き捨てながらも彼女は速度を緩めて手を地面へとかざし、何か聞き取れない言葉を呟く。すると、馬の背中からカシウスの身体がふわり、と浮かんで、瞬く間に私たちのもとへと吸い寄せられてきた。
「なっ……こ、これはっ!?」
『説明してる暇はねぇ! 急ぎたきゃ大人しくしてろ!』
状況が理解できず、狼狽した様子で左右を見回すカシウスに向かってそれ以上の反論を封じると、アインは顔を前に戻す。それを合図に飛翔の速さは勢いを増し、再び王都へと突き進んでいった。
「……っ……」
ちら、と後ろを振り返る。神殿ははるか彼方へと遠ざかって、すでに見えない。私たちが半日をかけて進んだ荒野が、まるで倍速映像のように前方から後方へ流れていく。
感覚的には、長月さんが操縦する飛行機でチイチ島に向かった時くらいの速さだろうか。これほどの超常をやってのけるアインの底知れない魔力の凄さに、改めて感嘆の思いを抱かずにはいられない
……ただ、彼女一人の力に頼らざるを得ない状況だから仕方がないとしても、乗り心地は予想以上に最悪だった。
「っ、姉さ……っ……?」
「なっちゃん、しっかり……!」
この速度で飛び続ける代償として、私たちは荒れた気流と叩きつけるような向かい風に翻弄されて、体勢の維持もままならない。
以前、魔界ヘ直接行こうとした時に巻き込まれた乱気流と比べれば若干ましなようにも感じられるが、……あの時はアインにしがみついていた分だけ、まだ「飛んでいる」気分でいられたような気がする。いずれにしても、空を飛ぶ能力を持たない私たちにはなにも手段がなく、ただこの苦しさと気持ち悪さに耐えるだけだった。
「ぐっ、ぅぁ……っ!」
「大丈夫か、レオーラ……っ?」
姿勢を上手く維持できない様子のレオーラの手を掴みながら、フェリシアは気丈にも声をかけて励ましている。そんな彼女も長い髪を乱しながら顔をしかめ、苦しげな表情だ。
テスラさんとナインさんはお互いの手を握って、辛うじて安定を保っているようにも見える。そして、カシウスは……。
「――っ……!!」
その鬼気迫る眼光の鋭さに、私は恐怖を抱いて思わず、目をそらしてしまった。
でも……なんだろう、この感覚。あるいは勘違いなのかもしれないけれど、私はこれと近いものを、どこかで――。
そんな怪訝さを覚えながらふと目を前に戻すと、たなびく白い二又のマントが見える。……言わずと知れた、アインのものだ。彼女はたった一人で立ち塞がる空気の壁を切り裂き、先頭を突き進んでいた。
「あ、アイン……大丈、夫っ……?」
『………!』
荒れ狂う嵐の中で声を張り上げてみたけれど、返事は無い。むしろ、彼女の耳に私の声が届いているのかどうかもあやしいところだ。
だから、私も……アインを信じてただ前を向き、その背中を無言で励まし続けていた。
× × × ×
やがて前を進むアインの背中越しに、地平線から放たれた白い光に浮かび上がるように建物が見えてきた。
王城だ。その輪郭や周囲にある壁、そこから突き出した特徴的な卵状の建造物にも覚えがある。
おそらく東であろう方角に目を向けると、太陽はまだ、完全にその姿を見せていない。……あくまでも勝手な私の推測でしかないけれど、アースガルズからここに来るまでに経過したのは、およそ数時間ほどだろうか。
『っ、……もう、限界……降りるぞっ!』
「なっ……? ま、待ってくれ! あと少しで王城……にっ!?」
そう言ってカシウスがアインに呼びかけたが、その直後に私たちを翻弄していた突風の勢いが弱まり、……途端、横に飛ぶ動きが地上へと落下するものに急変化する。
まるで、エレベーターで味わうような浮遊感を数百倍に増幅させたような気分。そして一気に迫りくる地上に目を向けて戦慄を覚えかけたけれど、……最悪の予想とは異なり、私たちは城壁の数メートル手前の荒野にゆっくりと降り立った。
「っ、……着いた、のか……?」
「…………」
ようやく取り戻した地上の感触に、私はほっと安堵を覚える。……だけど、それは本当に一瞬のことでしかなかった。
「な……っ?」
「こ、これは……どういうことだ!?」
城壁の向こう側では無数の火の手があがり、焦げた風に乗って吐き気を催すような異臭を感じる。
それが意味するものが何か、……わかっていても理解したくはなかった。それは、数日前まで平和そのものだったこの城壁の中で多くの人々が傷つき、あるいは命を失っている事実をむせ返るようなきな臭さとともに証明していたからだ……。
「……ぐっ……」
と、その時。アインがうめき声とともに力なく、その場へと崩れ落ちた。
「アイン!?」
慌てて駆け寄り、その身体を仰向けにする。砂の付いた頬からは表情と血の気が失せていて、額にはびっしょりと大粒の汗がいくつも浮かんでいた。
「アイン、しっかりして! アイン!」
『-・--- ・-・-・ ・-・-- ・・ ・・-- -・・・ ・・ ・-・・』
懸命に呼びかけると、アインは最初に出会った時のように、甲高く澄んだ声で私の知らない言語を口にする。……そしてわずかに目を開いてから、がっくりと意識を失ってしまった。
「アイン……」
ここに最短で戻るために、相当の無理をさせてしまったのだろう。彼女への感謝と申し訳なさに胸が痛み、思わず唇をかみしめる。
そして、アインほどではないけれど私たちもまた、乱気流の中を飛び続けてきたおかげで相当の疲労を全身に感じている。……でもそんな中、力を振り絞るように立ち上がったのはカシウスだった。
「アストレアさま……アストレアっ!!」
「ま……待て、カシウス!」
叫びながらカシウスは王城の中へと駆け込み、フェリシア もその後へと続く。私もすぐさま立ち上がり、……走り出そうとしてはっ、と息をのんでその場に立ち止まった。
「すみれさん、私たちも……!」
「は、はい……でもっ」
テスラさんに促されて一応頷き返したものの、私は足下で横たわるアインに目を向ける。
命の危険はない……と、思いたい。だけど、気絶している彼女を一人残していくなんて、私には……。
「行ってください、すみれ様!」
「っ……!?」
その声に顔を上げると、レオーラがそこにいた。やはり彼女も慣れない飛翔がかなりの負担だったのか、その顔は青ざめている。……だけど、懸命に力を振り絞るようにして私に向き直り、そして言った。
「彼女は、私が必ずお守りします! ですから、みなさんは早く、王宮へ……!」
「っ……はいっ!」
そうだ。もし間に合わなければ、アインがここまで無茶をした意味がなくなってしまう……! そう意を決した私は、踵を返して彼女たちに背を向け走り出した。
「必ず、迎えにきます! だから……」
「……約束」
「お願いします! どうか、アストレアさまを……!!」
レオーラの悲痛な訴えを背中で受け止めながら、私はテスラさんたちとともに王城の中へと駆け込んでいった。
× × × ×
早く王宮へ向おうと破壊されかけた城門の穴をくぐり、私たちは城下街の大通りを進む。……目の前に広がる惨い光景に息をのみ、胸の中がずきずきと痛むのを止められなかった。
「……っ……」
私たちが数日前にこの都市を訪れた時、確かこのあたりにはたくさんの商店や小さな家々が立ち並んでいた。
……だけど今はもう、見る影も無い。綺麗なつくりの家屋は破壊されて瓦礫と化し、商店の軒先では潰れた果実が壊れた木材の下からはみ出している。
整地されていた石畳にも瓦礫の残骸があちこち転がり、どこかで焚いていた火が残骸に燃え移ったのか周囲には焦げた匂い。……そして、周囲で倒れ伏した兵士たちから流れた血の臭いが入り交じり、私の五感に激しい戦闘の爪痕をまざまざと訴えかけていた。
「う、ぐっ……!」
「痛てぇ、痛てぇよ……!」
近くで倒れた兵士たちがあらぬ方向へ曲がった腕や足、腹部を押さえながらうめき声をあげている。その声に耐えきれず、思わず足を止めてしまったその時――。
「――っ? この気配、やっぱり……!」
「……天使ちゃん?」
何かに気づいたのか、天使ちゃんの息をのむ声が聞こえる。そして訝しげにその意味を尋ねようとする私を制して、似つかわしくないほど鋭い声が響いた。
「急いで、すみれ! 『あれ』を奪われたら、本当に取り返しがつかない……!!」
「でも、天使ちゃん……! あそこに、人がっ……」
「お願い……今は、王宮に向かってください! あなたが本当に、自分が正義の味方だというのならっ!!」
「っ……!」
その言葉に私は唇を噛み、ぎゅっ、と目をつぶる。そして後ろめたさを振り払うように、脇目も振らずがむしゃらに走り出した。
「(ごめんなさい……ごめんなさい……!)」
耳ではなく、頭の中へと響き渡る人々のうめき声を感じながら、私は謝り続けていた。
誰に対して謝っているのか、自分でもよくわからない。
痛みを訴えているのに見捨てた兵士たちに? それとも――。
「……どうやら、倒れているのは兵士たちだけのようですね」
「他の人は……?」
「わかりません。ですが、街の人らしき子供、女性、老人……怪我を負っている人の中にそれらの人は見当たりません」
「…………」
あるいはこの戦いを予測、あるいは予知していた誰かによって避難していたということだろうか。そのおかげで、被害に遭わなかった……。
だけど、今そんなことは何の慰めにもならず、そして感じることもなかった。
「……すみれさん」
横から声をかけられて、私は顔を向ける。いつの間にか、背後にいたはずのテスラさんが隣にまで並んできていた。
「今は、アストレアさんのことだけを考えてください。彼女の無事を確かめてからでも、まだ出来ることはあります」
「でも……」
「……すみれのせいじゃ、無い」
「……っ……」
私の心中を見透かしたようなナインさんの言葉に、私は押し黙ることしかなかった。
王宮へと近づけば近づくほど、破壊の爪痕と倒れている兵士の数が増えていく。それを無視して、私はただ無言で走っている。
この姿が……本当に『正義の味方』と、呼べるものなんだろうか。その疑問と懊悩に、私の心はずっと苛まれていた。
× × × ×
ジリジリと焼け焦げるような焦燥感に突き動かされながら、破壊された城の入り口から中に入る。すると、そこで一度見失ったカシウスとフェリシアの背中が見えてきた。
「アストレア! どこだ、アストレア!」
「アストレアさま! どうかお返事を!」
「ま、待っ……」
二人は追いついた私の声、いや存在すらも届いていないかのように、破壊され尽くした建物の中でアストレアの名前を一心不乱に叫んでいた。
……予想はしていたが、酷い有様だった。私たちがくぐった入口はもちろん、綺麗な絵のかけられた回廊や謁見の間、そこにあったはずのありとあらゆる装飾や調度品が無残なほど破壊し尽くされてしまっている。
……ふいに、アストレアの顔が脳裏をよぎる。
一瞬、最悪の姿が浮かんだことに嫌悪し、私は懸命にそれを振り払った。
「(お願い、どうか無事でいて……!)」
だけど、……そんな私の必死の願いを、……あざ笑うように。
ようやくたどり着いた聖女の間は、……むせ返るような血の臭いに染まっていた。
「……。あ……」
目の前を走っていた、カシウスとフェリシアが立ち止まる。……その背中に追いつこうとした瞬間、靴の下でじゃりっ、と音がした。
ガラスだ。色とりどりの砕けたガラスの破片は、きっと天井を彩っていたステンドグラスの一部が砕けて床に落ちたものだろう。
それは、早朝の太陽の光を受けて、……場違いなほど厳かに、そして美しくきらきらと輝いていた。
そして――。
「あ、アストレア……!?」
差し込み始めた、まるで木漏れ日のような穏やかな光に包まれるようにして彼女が……アストレアが、赤い血の海に沈んでいた。
荘厳な白い装束は紅を通り越して黒く変色し、美しい長い髪も同様に赤く染まっている。
……顔は、見えなかった。
だって……仰向けに倒れた彼女の顔を、そばで座り込むもう一人の「女の子」の背中が隠していたからだ。
「……。なん、で……」
その格好……見覚えがある……ううん。
見間違えるはずもないほど見慣れた、この世界では「絶対にあり得ない」衣装……。
そして……そしてっ!
その髪型は、たとえ後ろから見ても一目でわかる、あの――。
「……なんで……!?」
もう一度……情けないほどに震えた声で問いかける私に答えるように……ゆっくりと、「女の子」が振り返る。
「(……嘘だ……)」
……違う! 違う。違う違う違う違う!!
私は私は知っている!
振り返らなくてもわかってる!
だって、だって……あれは……!
あの「女の子」は、私の……私のっ――!!
「なんで……!?」
だから、それしか言えなかった。
ずっと……会いたかった。たとえ再会の直後に自分が死ぬ運命になったのだとしても、それでも一目会いたかった。
……でも、想像していなかった。
こんな血の臭いと、破壊の渦中で……「彼女」と再び、会うことになるなんて――!
「め……めぐる……」
「……。すみれちゃん……」
もう、……疑う余地は無い。
全身を返り血に染め、泣きながら振り返ったのは――間違いなく私の大切な親友で、パートナー……。
エンジェルローズ、……天月めぐるだった――。
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