第27話
「魔物の、大攻勢だと……!?」
「バカな……! その知らせ、まことなのかっ?」
「は、はい……! 王都から早馬で駆けつけてきた者の報告によると、一刻も早くあなた方を呼び戻すように、と国王が……っ!!」
まなじりをつり上げて詰め寄るフェリシアとカシウスに、レオーラは息せき切って時々むせ込むようにしながら、懸命に言葉を尽くして注進に及んでいる。
強敵をかろうじて退けることに成功し、ようやく息をつきかけた私たちだったが……その深刻すぎる内容を聞いて、再び慄然とその場に立ち尽くすこととなってしまった。
「ど、どういうことだ……?」
「そんなはずがない! アストレアさまは、我々が城を離れても数日の間ならば魔物の襲撃はない、と仰っていたのだぞ! お前も聞いていただろう、フェリシアっ?」
「……あぁ、そうだ! あのお言葉に、嘘などはなかった……なのに……っ!!」
怒りすらにじませて問いかけるカシウスに、フェリシアは平静を保つようにしながら……それでも震えまでは隠せないのか、苦しげに声を絞り出す。
私たちの護衛のために、守るべき主君を置いて城を離れる――不安もなくその任務を引き受けることができたのは、アストレアの『予知』の力に対する信頼があってのことだ。それが完全に裏目に働くことになったのだから、彼らの動揺は聞いて確かめるまでもなく明らかなことだった。
「……それで、アストレアさまはなんと?」
「はっ……?」
「あのお方からのご命令はなかったのか、と聞いている! 王都からのその伝令は、アストレアさまのお言葉を何か預かっていなかったのか!?」
「い、いえ……! 使者は王家直属の兵で、アストレアさまの状況もよくわからない、と……!」
「っ……アストレア!!」
「カシウスさまっ!!」
呼び止める間もなく、カシウスは神殿から飛び出して駆けていく。その背中はあっという間に遠ざかり、夜の帳の中へと消え去ってしまった。
「とにかく、戻るしかない……! すぐに出立の準備を!」
「は、はいっ……! しかし、すでに夜明け間近……今から最速で戻ったとしても、到着はおそらく正午を過ぎて――」
「わかっているっ!!」
レオーラの言葉を遮り、フェリシアは声を荒げて吐き捨てる。
……指摘されるまでもなく、このアースガルズの集落へ到着するまでにかかった時間は半日少々。騎馬を潰すほどの勢いで走らせたとしても、短縮できるのはせいぜい数時間がいいところだろう。
それに……万が一途中で魔物の襲撃などの妨害があれば、その速度はさらに落ち込む。急いで王都に駆けつけたところで間に合うはずなどなく、それが彼女たちの絶望をさらに深く陥れていた。
「…………」
そんな彼女たちの様子を見つめながら、私はどうしても納得できないひとつの違和感に思いを馳せる。それはもちろん、アストレアについてだった。
「(どうしてアストレアは、魔物が襲撃してくることを『予知』の力で予想できなかったのだろう……?)」
どういう原理なのかはわからないけど、彼女の『予知』の能力は間違いなく本物だった。私たちがこの世界に現れることはもちろん……テスラさんたちの名前すら、訊ねることもなく彼女は知っていた。
にもかかわらず、今回のことを予知することができなかったのは、なぜか?……私たちですら怪訝に感じるのだから、身近な人々であるフェリシアたちが信じられずに動揺を抱くのも仕方のないことだろう。
テスラさんとナインさんもまた、義父と一戦交えた後の衝撃もあってか急転した事態についていけない様子で、呆然とした表情のまま口をつぐんでいる。……そんな中でふいに視線を横に向けると、考え込むようにうつむいているアインの横顔が目に映った。
『……。まさか……』
「どうしたの、アイン?」
『いや、……ひょっとすると、あの人は――、?』
そう前置きしてアインが話しかけたところへ、近づく気配を感じた私たちは顔をそちらへ向ける。するとそこには、暗がりの中でも憔悴した様子がはっきりとわかるフェリシアが立っていた。
「……異界からの旅の者たちよ。すまないが、ここでお別れのようだ」
『えっ……?』
「エリュシオンへつながるゲートが開くのは、明日の夜だ。……だが、さっきからの話を聞いての通り、我々は今からでも王都に戻らなければならない」
「……っ……」
「恩人たちの見送りもできぬとは、非礼の限りで済まないと思っている。……だが、緊急事態だ。わかってもらいたい」
なんとか取り繕った振る舞いで表情を殺しながら、そう言ってフェリシアは神殿の奥に目を向ける。
この扉は、明日にならなければ開かない。……あるいは、アストレアから預かったペンダントを『鍵』に使えば開くことができるのかもしれないが、全員で揃ってアースガルズへ安全に向かうためにはやはり事前に聞いていたとおり、明日の夜まで待つのが一番だと思う。
ただ、その選択はすなわち……その時が来るまで、ここから移動できないということを意味していた。
「……行くぞ、レオーラ。おそらくあの様子だと、カシウスはすでにここを発っただろう。我々も、早く追いつかねば――」
「お……お待ちください、フェリシアさま……っ!」
踵を返しかけたフェリシアに向かって、レオーラはやや躊躇いながらも声をかけて呼び止める。そして私にちらっ、と視線を一瞬向けてから、口を開いていった。
「報告から察する限り、王都に襲撃をかけた魔物の戦力は未知数に加え、かなりの脅威と思われます! 急ぎ駆けつけて私たちが加勢したところで、事態が好転するかは……!」
「……。何が言いたい?」
「すみれさまたちに、助力を請うべきです! あの魔物を一撃のもとに斬り伏せた、この方々のお力添えがあれば――!」
「……っ……」
レオーラに促されて、フェリシアもまた私に顔を向ける。……一瞬、彼女の瞳が揺れて何か言葉にしようとしたが、すぐに目を伏せて口をつぐみ、首を横に振っていった。
「……それは、だめだ」
「な……何故ですか!?」
「アストレア様は我々に、彼女たちが無事にエリュシオンへと行けるようアースガルズに送り届けよ、と仰られたのだ。その命に、背くわけにはいかない……」
「し、しかし……!」
「……あのお方のご判断によって、我々はこれまで生き永らえてきた。その言に従うが我々の義務であり、……矜持だ」
静かに、……いっそ大仰にすら感じるほどの厳めしい口調で、フェリシアは淡々とそう語ってみせる。でも、……その目は眉間に深いしわが寄るほどにきつく閉じられて、吹き出しそうになる感情を抑え込むことに苦しんでいる様子だった。
「(アストレア……)」
そんな二人のやりとりを見ながら、私は出立前にあの女神のような女性が口にしていた言葉を思い返す。
『――いずれ、あなた方は真実を知るでしょう。……ですが、それは別の誰かの口を介してのことになります。……私ではありません』
ひょっとして、彼女は王城が襲撃されることを予知していた……? だとしたら、あの人が言っていた「時間が無い」って……まさかっ……!?
「……っ……」
ゾクリ、と背中に悪寒が走る。
でも、アストレアはこうも言っていた。自分も、フェリシアを欺くことは出来ない、と。……だとしたら、アストレアも襲撃は知らなかったということになる。
でも、それならなぜ彼女の『予知』は、この襲撃を察知することができなかった……?
「(とにかく……その疑問を考えるのは、あとだ)」
私たちを快く受け入れてくれた女神のような女性が、今まさに危機に瀕している。……だとしたらとるべき手段は、もう――。
「あの、フェリシアさん。わた――」
『……待てよ、すみれ』
私も、行きます。……そう返そうとした瞬間、右腕を引っ張られる。はっと振り返ると、アインの透きとおった瞳が私を射貫くように見据えていた。
『変な気を起こすなよ、すみれ。……ボクたちの目的、忘れたわけじゃないよな?』
「……っ……!」
私たちの目的は、魔界――エリュシオンに行って、めぐるを取り戻すこと……もちろん、忘れたわけじゃない。
それに、今から王都に向かったところで間に合わない可能性が高く……いや、万が一に間に合ったとしても、明日の夜までにここへ戻ることは不可能だった。
「(アストレアは、言っていた。間に合わなければ手遅れになる、と……)」
その予言をもし信じるならば、この機会を逃すとエリュシオンに行くことが難しくなり……それはすなわち、めぐる救出の可能性を著しく下げることにもつながりかねない。
そう、わかっていた。だけど頭で理解しても、心が理解してくれなかった……。
「私……私は……っ!」
こんな時、めぐるならどうするだろうか。……迷った時はいつもそうするように、彼女の判断を思い描いてみる。
もし、めぐるが私の立場だったら……どうするだろう。そして私がめぐるの立場だったら、……私はめぐるに対して、何を望むか――。
――すみれちゃん。
「……っ……!」
めぐるの愛くるしく、眩しい笑顔が脳裏に浮かんでくる。
躍動と生気に満ちあふれていて、見る人すべてを温かく照らすようなその表情。それがもう一度見たくて、私はここまで来たのだ。
だから、――わかりきった答えだったけれど、私はそれを選ぶための勇気を奮い立たせながら口を開いていった。
「……私も、王都に行きます。協力させてください」
『って、おいっ!!』
「ごめんなさい、アイン。でも、私……あの人を、死なせたくないの」
アストレアの命令だったとしても、フェリシアたちはここまで私たちを導いてくれた。そんな彼女たちを見捨てて、めぐると再会を果たしたとしても……あの子はきっと、喜ばないだろう。
そんな思いを固めながら私は、自分にも言い聞かせるつもりでその台詞をかみしめるようにいった。
「私は、ツインエンジェルBREAK……エンジェルサファイアだから。誰かを助ける役目を放り投げたりしたら、正義の味方なんて言えない……!」
『……っ……!?』
「お願い、アイン。私だけでいい……助けに行かせて!」
『……すみれ……』
「……すまない、すみれ殿。感謝する」
困惑した表情で絶句するアインにそう返すと、視界の端でフェリシアの長い金髪がさらりと揺れる。
……彼女が頭を下げているのだと理解するまでに、少しだけ時間がかかった。
「フェリシア、さん……?」
「本当は、頼みたかったんだ……一緒に来てほしい、と。……非力な我々を、許してくれ……!」
そう言って彼女は私の手をとって、少し痛いほど強く握りしめる。
私たちを託されたという責任を思うあまり、迷惑をかけてはならない……と願いを押し殺していたのだろう。震えるこぶしが、彼女の揺らぐ心を表しているようだった。
「行きましょう、フェリシアさん。時間がありません」
「あぁ……あぁ!」
そして頷いたフェリシアとともに、馬舎へ向かおうとして――。
「……すみれさん」
私の前に、テスラさんとナインさんが立ちふさがった。
二人は険しい表情を浮かべながら、じっと無言で私を見つめてくる。……その鋭い眼光にやや怯みを覚えかけたが、それでも視線をそらさず、私はもう一度自分の決意を繰り返していった。
「……ごめんなさい。私は、行きます」
「…………」
「お二人は、先に魔界へ行ってください。鍵はあなた方に託しますので、どうか――」
「……それは、すみれのもの」
そう言ってナインさんは、私の言葉を優しい口調で遮る。そしてテスラさんは軽くため息をついてから、にっこりと微笑んでいった。
「ご一緒させてください。きっと、お役に立てると思いますから」
「えっ……?」
予想外の返事に、思わず目を丸くする。てっきり彼女たちは、魔界に行くことを選ぶと思っていたからだ。
「いいんですか? だってあなた方の目的は、魔界に――」
「いいんですよ。遥さんたちなら、きっとこうするはずです」
「……。でも、明日を逃したらせっかくの機会が……」
「違う方法、探せばいい」
「ええ、なっちゃんの言う通りです。生きてさえいれば、きっと他に道を見つけられます」
「…………」
生きてさえいれば、見つけられる。……テスラさんたちの過去を知った今、その言葉が持つ重みはどんなものとも比較にならなかった。
「……すみれ」
「て、天使ちゃん……」
そんな、甘い声が聞こえた次の瞬間……目の前に小さな天使が舞い降りる。その手には私がアストレアから託された『鍵』――涙色の宝石がしっかりと握られていた。
「……やはりあなたは、その選択をしたのですね」
「うん。……ごめんなさい、天使ちゃん」
「謝らなくてもいいんですよ。……あなたが私の期待通りの人で、よかったです」
そして彼女は、にっこりと天使の微笑みを浮かべると励ますように明るい声で言った。
「サァ、あすとれあヲ助ケニ行クてん!」
「……うんっ!」
『――あーっ、もう! 何があっても知らないからな!!』
と、その時背後で叫び声があがる。振り返ると、アインが両手で自分の髪をぐちゃぐちゃにかき乱しながら、ぐりっと首を回してフェリシアをにらみつけているのが見えた。
『おい、フェリシア! 今度こっちに戻る時は、お前の権限で国一番の駿馬を調達しろよ! 人数分だぞ!?』
「あ、アイン?――きゃっ……!?」
反射的に悲鳴を上げてしまったのは、その瞬間に突風が吹いたからだろう。目も開けていられないようなその空気の流れは半透明な球体を作り上げて、やや乱暴にこの場にいた全員を飲み込んでいく。
そして足が地面を離れたかと思うと、私たちの身体はふわり、と宙に浮き始めた。
『ぐっ、重……! さすがにこれだけの数、運ぶのは……!!』
「なっ! こ、これはいったい……!」
『決まってるだろ! お前たちのよく知ってる『魔法』だよ!』
戸惑うフェリシアに対して、アインは歯を食いしばりながら苦しげな表情でそう答える。そしてその視線を地平線の遥か彼方へと向けると、その身体にまとうマントを翻しながら言った。
『馬なんかで、悠長に戻ってる時間なんかあるか! カシウスの野郎も途中で拾ってやるから、このままいくぞっ!』
「アイン、あなた……」
『とっとと終わらせて戻るぞ! いいな!?』
突然の事態にほぼ全員が状況を読み込めないまま、少しずつ地面が離れていく。私だけはアインの飛行術を体験済みだけど、……それ以上に意外だったのは、彼女が私たちに力を貸してくれたことだった。
「……いいの? あなただけでも、魔界に――」
『うるせぇ黙ってろ! 気が散る!』
「……っ……」
鬼気迫る勢いのアインに声をかけようとして、私は口を閉じた。その間も少しずつ星空は背後に流れ、神殿が遠ざかっていく。
その速度は、ここに来た時よりもはるかに鋭く……まさに、風のような勢いだった。
「…………」
小さくなっていく、魔界ヘの門。そこへの未練を立ち切るように神殿に背を向け、私は前を見据えた。
「(必ず……もう一度、戻ってくるから……)」
その言葉は……ここに居ないにもかかわらず今の私に力と勇気を与えてくれた、満面の笑顔を浮かべるあの子に対しての誓いだった――。
長い夜の向こう側、地平線の向こう側に白い光の帯が見えた。
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