第2話

 そして、翌日の昼休み。私とめぐるは屋上で待ち合わせて、お互いに持ち寄った昼食をとっていた。


「いっただっきまーす!」

「……いただきます」


 二人揃って合掌し、弁当箱に手をかける。

 ……入学してからしばらくの間、この場所は私だけのプライベート領域だった。だけど、転校してきためぐるが足を運びはじめて以来、こうして並んで昼食をとることもおなじみの光景になっている。

 それに、夏休みが明けて以降は伊院さんや川流美さんたちと一緒にご飯を食べる機会も増えた。……大人数で過ごすことは苦手だったはずなのに、今ではそんな賑やかさも少しだけ楽しく感じられつつあった。


「(本当に……不思議な子だ)」


 この屋上に来た生徒は、実はめぐるが来る前にも何人かいた。だけど、先にこの場所で昼食をとっていた私が一瞥すると、居心地悪そうにこそこそと去っていった。

 ……愛想は決して良くなかったと思う。正直、話しかけられても楽しくなかったから良くて無視、機嫌が悪い時は睨むこともあったくらいだ。

 でも、彼女だけはなぜか私の反応なんて気にすることなく、それどころかマイペースに話しかけてきた……。

 そんなめぐるに私は最初の頃、煩わしさを感じていた。冷たくあしらったり、拒絶を言葉や態度で示したことも一度二度のことではない。

 にもかかわらず、彼女はめげるどころか強引なまでに私との距離を詰めていき、根負けするかたちで放置しているうちにいつの間にか……こうなっていた。

 これって慣れなんだろうか。妥協ではない、と思う。たぶん。

 そんな自身の変化にかけがえのない心地よさを覚えつつも、私はお弁当のフタを開ける。


「……ふふっ」


 四段のお重箱の一段目はからあげ、とんかつ、エビフライをメインとした多種多彩な揚げ物料理。二段目は野菜の肉巻きや生姜焼き炒め、青椒肉絲などの副菜たち。そして三段目には白米、四段目はちょっと豪華に炊き込みご飯。

 見ているだけで思わず頬が緩んでしまうほど、食欲をそそる彩りだった。


「うわぁ~っ! すみれちゃんのお弁当、今日もおいしそうだね~!」

「…………」


 ふと顔を横に向けると、めぐるがキラキラと目を輝かせながら私のお弁当をのぞき込んでいる姿が目に映る。

 少し前までの私だったら、そんな反応を気にすることなく食事に没頭していたものだ。だけど、


「……ひとつ、食べる?」

「えっ、いいの? ありがとう!」


 ぱっと花が開いたかと思いたくなるくらいの、満面の笑顔でめぐるが私に迫ってくる。

 ……この子はずるい。こんなふうに喜ばれると、こっちまで顔がほころびそうになってしまうじゃないか。


「じゃあ、唐揚げ貰ってもいい? すみれちゃん家のからあげって、前にももらったけどすっごくおいしいよね~!」

「そうかしら……はい、これでいいわね」


 私はお弁当の中から、唐揚げをひとつ箸でつまみ上げる。無意識のうちに大きなものを選んでしまった自分の動作に内心で苦笑を覚えつつ、それを彼女に差し出そうとして――


「……めぐる、今日はサンドイッチなんだ」


 どこに置けばいいのかわからず、箸を持った手を上げたまま固まってしまった。

 いつもならめぐるの弁当の上に載せるだけでいいのだけど、サンドイッチは袋に入った状態だ。この場合どうやって渡せばいいのだろうか。

 いや、それ以前に今日のめぐるはお箸がないから、食べる手段は手づかみか、あるいは……?


「あーん!」


 そんなことを考えていると、笑顔のめぐるが大きく口を開けてみせた。


「…………」


 これは、からあげを口の中に入れろってことなのだろうか? 確かに、自分の箸がない状態でめぐるが手を汚さずからあげを食べるには、それが一番早いけど。


「あーんっ!」

「…………」


 餌を催促する小鳥のようだ、と思いながらおそるおそる唐揚げを口元に運んであげる。すると彼女はぱくりっ、とそれに食いついた。

 ……小鳥は訂正。どちらかというと、池の鯉にご飯をあげているような感じだ。


「んんっ、おいひ~! すみれちゃん家のからあげ、今日も最高だねーっ!」

「そ、そう……?」

「じゃあ、おかえしっ! はい、サンドイッチ。いっこあげる!」

「……ありがとう」


 差し出された四つ切りの小さなサンドイッチを受け取り、口に運ぶ。具はツナだった。

 確かにおいしい。ただ、ご飯を主食にしてまとめたお弁当にパンはどうなんだろうか。それに――


「今日は、お弁当じゃないのね」

「うん! 冷蔵庫がからっぽになってるの、うっかり忘れちゃって~」

「……そうなの」


 サンドイッチを食べ終えた私は話を聞きながら、おかずと交互に大きくすくった白米を口に運んでいく。そしてちらっ、と視線を横に向けると、隣に座っためぐるは無邪気に笑いながらサンドイッチをついばむように食べているのが見えた。

 ……私も、サンドイッチは嫌いじゃない。ただ、少し気になるのはその量だ。

 私だったら、あんな少量ではとても足りないだろう。……まぁ確かに、私の弁当は他の子から見ても少し多すぎるということだが。

 というか、この子……ここまで小食だったかな。もう少しくらいしっかりと食べていた気がするんだけど。


「それで、足りる?」

「うんっ! すみれちゃんから唐揚げももらったしね~」

「……そう」


 こんなことだったら、思い切って3個ぐらいあげればよかったかな。……あ、でもそのたびに「あーん」はちょっと恥ずかしいから、やっぱり1個が限界だったか。

 そんなことを考えながらお弁当のおかずが半分くらいになった頃、一足早く食べ終えためぐるはふいに私に顔を向けていった。


「ねぇ、すみれちゃん。週末暇? 一緒にお出かけしない?」

「お出かけ……?」

「うん! 駅前のお店で、週末から期間限定のマステフェアをやるんだって!」

「マステ、フェア……?」

「あ、マステっていうのはマスキングテープのことなの! 何度でも張り替えられるテープで写真とか、ノートとかを綺麗にデコったりするんだよ~!」

「……ふぅん」


 めぐるの趣味は、かわいい物やキラキラしたものを手作りすること。だから、そういう手作り用の道具が好きなのは当然だろう。

 だけど、あいにく私にはそういう趣味が無い。というかそれ以前に、デコレーションのやり方がわからない。

 ……限定フェアということは、きっと沢山の人が押し寄せるはずだ。そんな中に素人の私を連れて行くのは、負担にしかならないだろう。


「私……マステのこと知らないから」

「大丈夫だよ、あたしが全部教えるから! それこそ手取り足取りで、すみれちゃんが好きになってくれるまで楽しいやり方を説明してあげるねっ!」

「で、でも私はそういうの、得意じゃないけど……いいの?」

「もっちろんっ! それにそれに! 今度のフェア限定で動物のマステが発売されるんだけどね、その中にルンルンとリンリンにそっくりな、犬のマステもあるんだって~! とっても可愛いデザインなんだよ、ほらっ」

「……っ!」


 そう言ってチラシに掲載されていたグッズの写真を見た瞬間、思わず箸が止まってしまう。ちなみにルンルンとリンリンは、二人で飼い始めた犬の名前だ。

 個人的に、動物は動いている姿と鳴き声が一番だと思っているので、静止画にはあまり興味がない。……それでも愛着がわいてしまったせいか、最近では同じ犬種のグッズを見るとつい立ち止まってしまうほどになっていた。


「あと、このお店の近くにおいしいアイスクリーム屋さんもあるんだって! ねぇねぇ、一緒に行こうよ~?」

「…………」


 お重の一段目に詰めたおかずを空にし、私は二段目に手を伸ばしながら頬張ったエビフライを飲み込みながら考える。

 アイスクリームはまぁ、それほど食べたいわけじゃない。だけど犬グッズには大いに惹かれるものがある。ルンルンたちにそっくりだというのなら、尚更だ。


「……そうね。敵が出ないようなら、考えておくわ」

「ホント? やったぁ~、週末はすみれちゃんとお出かけだーっ!」

「敵が出なければ、よ」

「あははっ、今から週末が待ち遠しいなぁー! すみれちゃんも、お気に入りのマステが見つかるといいねっ! えへへ、せっかくだからマステたっくさん買っちゃおうかな~」

「…………」


 万一の用心を怠らないように釘は刺しておいたつもりだったが、すでに私の話は届いていないらしい。……とはいえ、


「……ふふっ」


 エビフライを平らげてから思わずこぼれ出たため息に、苦笑がまじってしまうのを自覚する。こんなにも嬉しそうにはしゃいでいる様子を見せられては、私も嫌な気分になんてなれるはずがなかった。

 とりあえず、もし敵襲があった場合は『あの人』たちに任せよう。それに『彼女』であれば多少の敵が相手でも、後れをとることはないはずだ。

 そう考えながら最後に残ったハンバーグを口に運びかけたその時、ぎぃ、と屋上の扉が音を立てて開かれた。

 

「やっぱりここにいたのね」


 その向こうにいた人は紺色のブレザーに、胸元に光る金色のベル。

 イタリアにある聖チェリーヌ学院の姉妹校、ベルナルディ学院初等部の制服だ。それを身にまとった『彼女』は勝ち気な性格をうかがわせるように背筋をピンと伸ばし、黒く長い髪を風にたなびかせながら立っていた。

 

「あ、みるくちゃん!」

「みるくじゃなくてクルミよ、葉月クルミ! まったく、何度言えばわかるのよ!」


 怒ったように目をつり上げながら、みるくちゃん……もとい、クルミさんがこちらに向かって歩いてくる。

 説明が遅れたけど、彼女は葉月クルミさん。昨晩私たちと一緒に戦ったあの、ハリネズミのみるくちゃん――彼女が人になった姿だった。

 ……あ、違った。むしろ葉月クルミさんが、ハリネズミのみるくちゃんに変身したといった方が正しいのか。

 とはいえ、私たちはみるくちゃんとして接した時間の方が長かったせいか、クルミさんと呼ぶのは正直しっくりこない。呼び名を統一するなら私は、「みるくちゃん」に一票を投じると思う。

 ちなみに、みるくちゃんはこの学院の高等部に通う上級生だが、年齢は私たちよりも下らしい。なんでも彼女は、海外で飛び級をした上で日本に転校してきたそうだ。

 にもかかわらず、前の学院の制服(しかも初等部)を今もなお着続けている理由は……なんだろう。セーラーよりブレザーの方が落ち着くからだろうか。

 

「あっ、みるくちゃんもお昼? それじゃあ、あたしたちと一緒にお弁当……はもう食べ終わりそうだから、一緒にお茶しない?」

「そうね、私もそのつもりできたのよ。……めぐる」


 そう言ってみるくちゃんはすたすたと大股でめぐるに近づく。そして、その顔をじろじろと様々な角度から観察するように眺めていった。


「な、なになに? 私の顔に、何かついてるの?」

「……。あんた、かなり消耗してるわね」

「えっ、……消耗?」


 なんのことだろうかと思いながら、私もめぐるの顔を見る。

 彼女はいつもどおり、健康そうに見えるけれど……みるくちゃんには、私には見えない何かが見えているのだろうか。


「あたし、すっごく元気だよ? ほらほら、ご飯もちゃんと食べてるし! よく寝てよく遊んで、病気なんて全然してないから!」

「……そういうことじゃないわよ」

「じゃあ、どういうこと……?」


 私もその真意がつかみかねていたので、みるくちゃんに問い質す。すると彼女は私にちらっ、と視線を向けてから、ため息交じりに言った。


「昨日の戦いを見てから、ずっと考えていたのよ。すみれはともかく、めぐるの動きが最近、おかしいんじゃないかって」

「そ、そう? でも、昨日は上手くいったよね……?」


 うーん、とうなりながら、めぐるは昨晩のことを思い返すように首を傾げる。そんな彼女を見て、みるくちゃんはますます顔をしかめていった。


「違和感があったのは、ローズ・クラッシャーをあのフクロウ男に直撃させた時よ。いつもの威力なら、あんな感じでガードされることもなかったはず。結果的にすみれがとどめを刺したから、目立たなかったけどね」

「そ、それは……」

「だから私は、まだブレイクメダルの力を制御できていないのかと最初は疑って……昨日の戦闘映像を見直して検証したのよ。んで、その分析結果を見たら、メダルのエネルギーがアンタの身体から漏れて……力にうまく変換されていないことがわかったわ」

「映像なんて、いつ撮影していたの?」

「戦いの間中、ずっとよ。己を知れば、なんとやらっていうでしょ? 撮影を始めたのは最近だけど……それより、問題はめぐるよ。メダルのエネルギーがうまく身体に浸透していない分、自分でも気づかないうちに疲労が溜まってきているはずだわ」

「うー、あたしは元気なんだけどな~」


 そう言ってめぐるは、まだ納得できないのか不満そうに口をとがらせる。

 ……ただ、いわれてみれば思い当たることがあった。アジトの内部に突入した時、めぐるを包囲していた敵の戦闘員たちを私が一掃したのだが……本来の力があれば、あの程度は彼女一人でも十分だったはず。相手が複数だったからとはいえ、苦戦を強いられたことは確かに違和感があった。


「やっぱり……メアリに闇の力を強制的に発動させられた影響かしら」

「……っ……」


 その名前が出た瞬間、めぐるの顔色が青ざめる。

 メアリ……荻野目亜里。中等部の保健室の先生、というのは偽の姿。

 その正体は、かつて先代ツインエンジェルが倒した悪の大魔王――ゼルシファーを復活させるために暗躍していた悪党で、倒すのに苦労させられた難敵だった。

 メアリは、とある事情で落ち込んでいためぐるをそそのかして拉致し、その体内に巡る闇のエネルギーを元にして、『メダル』と私たちが呼んでいるエネルギーの塊を大量に作り出そうとしていた。

 どうやってめぐるのその力の源に気づいたのか、そしてなぜメダル生成に利用することを考えたのか……その理由は、わからない。だけど、その反動で彼女が一時危険な状況に陥るほどに衰弱してしまったのは、確かな事実だった。

とはいえ、今ではすっかり回復して――むしろ元気すぎるくらいだったので、私もそこまで深刻には考えていなかったのだけど……。


「おそらく、体内のチャクラが傷ついて、波動エネルギーが正常に循環できなくなってる可能性が高いわね」

「……チャクラ? 波動エネルギー?」

「そうね……例えるなら、チャクラは血管、波動エネルギーは血液ね。全身に一定速度で血が回っている状態が正常なのに、めぐるの場合は血管が傷ついているせいで上手く血が流れなくなってるの」

「……そうなると、どうなるの?」

「今はまだ、上手く扱えない程度でとどまっているけれど、波動エネルギーが暴発すればチャクラそのものに致命傷に至る可能性も考えられる。このまま放置してたら最悪の場合、ツインエンジェルを続けるのは難しくなるわ」

「ええっ、そんなのいやだよ!」

「なにいってるのよ! 嫌だって言っても命が危うくなるんだから、しっかり状況を理解しなさい!」

「で、でも……!」


 ツインエンジェルでいられなくなる、と聞かされためぐるは、さっきまでの怪訝そうな態度をかなぐり捨ててうろたえる。

 当然だろう。めぐるにとって、ツインエンジェル……正義の味方を続けられなくなることは、ある意味自分の夢を奪われるに等しい絶望だ。

 もちろん、みるくちゃんもそのことは重々承知の上だろう。だからこそ多少厳しい言い方になっても、それを回避させたいという気遣いが言葉の端々ににじんでいた。


「みるくちゃん、あたしはどうしたらいいの!? えっと……お薬とか飲んだら治るかな!? 苦いのちょっと苦手だけど、頑張って飲むから!」

「薬でどうにかなるなら、とっくに投与してるわよ……とりあえず、放課後になったら高等部の生徒会室に来なさい。そこで今後のことを話し合いましょう」

「高等部の、生徒会室……?」

「えぇ。こういう場合、唯人お兄様に聞くのが一番だと思うから。そこに来てもらえるよう、お願いしてみるわ」

「……お兄様が、そこに来られるのっ!?」


 お兄様のことが話題に上がった瞬間、思わず頬が赤くなる。

 私の兄、如月唯人はまだ私が聖チェリーヌ学院の初等部に入学する前に、如月の家を出てひとりで生活をされていた。

 自立が目的とのことだったが、家にはめったに戻って来ない。最近中等部と高等部の校舎が合併したため物理的な距離は前よりぐっと近づいたけれど、校舎間に距離があるのでお会いすることもなかった。

 だけど、高等部の校舎に行けば会える可能性は大きくなる。まして呼び出してもらえるのだから、確実に……!?


「来てくださるのねっ? 放課後、高等部の生徒会室に行けばお兄様と確実に、絶対に、間違いなく、お会いすることができるのね!?」

「え? まあ、朝にちょっと前振りに話しておいたから、多分大丈夫だと思うけど……」

「――私も行く。いいよね、いいわよね? まさかダメだなんていわないわよねっ!?」

「ちょっ、近い近い、目が怖いっ! さ、最初からそのつもりだったんだから、そんなに念を押さなくてもいいってば!?」


 ぐいぐいと迫っていくと、みるくちゃんはじりじりと後退しながら身をのけぞらせる。だけど私はかまっていられない。お兄様と会えるか否かはお弁当におかずが山盛りでつくか白米だけか、それくらいの大きな違いがあった。


「じゃあ、放課後は高等部だねっ! わぁ、高等部に行くのは初めてかも~っ!」

「そうとなったら、こうしてはいられない! すぐに髪のセットを……いえ、シャワーで身を清めなくては! あぁ、お兄様お兄様お兄様お兄様っ! すみれはこの日を待ち望んでおりましたぁぁぁっっ!!!」

「ちょ、ちょっとすみれ、もうすぐ午後の授業でしょっ!? めぐる、アンタもすみれを止めなさい!!」


 久しぶりに会えるお兄様のことを思いながら、私は放課後に思いをはせた……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る