第9話

 その後、建物の大半が倒壊した如月神社の後始末は神無月家から派遣されてきた職員に任せて、私たちは緊急事態のためヘリを使い、ひとまず神無月先輩の屋敷に集まることになった。


「…………」

 

 ただ、応接間に案内されて腰を落ち着けても……しばらくの間、誰もがため息ばかりをついて押し黙っている。私も沈んだ気持ちを奮いたたせることができず、ただ視線を下に落として何も言葉を発することができなかった。

 神聖で不可侵な存在であったはずの神社が破壊され、そこで働いていた人たちの全員が負傷。おまけに、めぐるの行方は杳としてつかめない――。

 間違いなく、覚悟していたはずの可能性の中でも最悪のケースだ。目の前には、平之丞さんが淹れてくれたお茶のいい香りがただよっていたけど……とても、カップを手に取る気分にはなれなかった。


「っ……!」


 きゅっ、とスカートの裾を掴んで、こみ上がってきそうな感情を寸前でかみ殺す。

 耐えきれないほどの息苦しさに何度も意識が遠のきそうになり、そんな私を気遣ってか隣に座るみるくちゃんの視線に気づいてはいたが……今の私には、それに応える余裕も失われてしまっていた。


「……失礼いたします。葵お嬢様――」


 すると、何やら連絡を受けた長月さんがいったんリビングを出て、すぐに戻って来たかと思うと神無月先輩に短く、耳打ちをする。それを聞いた彼女は無言でかすかに頷くと、こわばった表情で立ち上がり私たちに向き直っていった。


「……すみません、みなさん。少し、席を外してもよろしいでしょうか?」

「葵お姉様……どちらに?」

「お祖母さまたちが戻ってこられましたので、一連の経緯を説明してまいります。あと、怪我をされた方々の今後についてもご相談をしなければ……」

「じゃあ葵ちゃん、私も行くよっ」


 そう言って、隣に座っていた水無月先輩が続いて立ち上がる。その反応を半ば予想していたのか神無月先輩はほっとした安堵と、やや申し訳なさをにじませた表情を浮かべた。


「ありがとうございます、遥さん。ですが、これは神無月家の私の役目ですから……」

「ううん、違うよ。これは聖チェリーヌ学院の生徒さんが関わっている事件なんだから、生徒会長の私も行かなきゃ、ねっ?」


 つとめて明るい笑顔を浮かべながら、水無月先輩は自分の胸をポンと叩く。それを見て神無月先輩は苦笑して軽く肩をすくめると、頷きながらその手を取っていった。


「では遥さん、一緒に行きましょう」

「うんっ!」


 そして二人は連れだって、部屋の外へと出て行く。その後に長月さんが続こうとしたが、それをみるくちゃんが「……待って」と呼び止めていった。


「悪いけど、車を回してもらえる? 私もちょっとだけ失礼するわ」

「かしこまりました。ですが、どちらへ?」

「神無月エレクトロニクスの、アスタリウム研究所にね。そこにしかない資料があるから、今すぐ目を通しておきたいの」

「……でも、クルミさん。その研究所って、以前の襲撃で破壊されたって話ではありませんでしたか?」


 確かにテスラさんの言うとおり、アスタリウム研究所はブレイクメダルの開発の途上で何者かに破壊された、と私も聞いている。そしてその際に、水無月先輩と神無月先輩が敵の手に落ちたということも……。


「大丈夫よ。お姉さまたちの力を借りて、つい最近になって一部の設備を復旧したの。今後のことを考えると、メダルの研究と分析、そして開発が必要不可欠になってくるからね」


 そう答えながら、みるくちゃんはずっと握りしめていた手の平を開く。そこには、二つに割れた黒いメダルがあった。

 チェリーヌ学院……そして、あの如月神社に出た化け物を倒した後に残っていたものだ。


「今、ここでじっとしていても何にもならないわ。私は私なりに、解決の糸口を探す……めぐるを見つけるためにね」


 そしてみるくちゃんは、割れたメダルを握りしめながら私に顔を向けて力強く、頷く。その真剣なまなざしには、年下ながらも先輩としての矜持と固い決意が満ちていた。


「時間外だけどちひろさんからもらったパスがあるし、なんとか入れると思うわ。とはいえ、説明も必要になると思うから……長月、そのあたりはよろしくね」

「承知いたしました。では、すぐに準備いたします」

「お願いね。……あと、テスラとナイン。帰ってきて早々で悪いけど……」

「ええ、もちろんです」

「……任せて」

「ありがとう。じゃあ、頼んだわよ」


 間髪を入れずそう答えた二人に、みるくちゃんは信頼を込めた笑顔で頷き返す。そして彼女は軽く手を上げると、足早にリビングを出ていった。


「…………」


 残ったのは双子の先輩たちと、私の三人だけだ。閉じられた扉を呆然と見つめながら、さらに高まった居心地の悪さにどうしたらいいのか迷いかけた――その時。


「……如月さん。いえ、ここは「すみれさん」と呼ばせてもらってもいいですか?」

「えっ……?」


 髪の長い、……確か、テスラさんの方だったと思う。その彼女が不意打ちのように、私の下の名前を口にしていった。

 ほとんど初対面の人からそう呼ばれて、どう返事をすべきか戸惑ってしまう。すると、彼女は上品に口元に手を当てながら「ふふっ」と、大人びた笑みを浮かべた。


「……?」


 なんだか、不思議。神無月先輩も大人っぽいけれど、楚々とした彼女とは反対にテスラさんの大人っぽさはどこか、艶やかさに近いものがあった。


「すみません、初対面なのに。……でもなんだか少し、不思議な感じがしますね」

「……不思議?」

「ええ。大変失礼な話で申し訳ないのですが、私たちは『如月さん』……生徒会長の如月唯人さんに妹がいたことを、つい最近になってお聞きしましたので」

「……びっくりした。でも、……可愛い。よろしく」


 そう言ってぺこり、と会釈をしてくれたのは、ショートカットのナインさん。慌てて私も、それに応えて頭を下げる。

 隣のテスラさんと違って、表情にはあまり変化がない。……けれど、その優しげな瞳で見つめられると、なんだかこちらも温かな気持ちになるのを感じていた。


「……唯人お兄様のことを、ご存じなんですか?」

「聖チェリーヌ学院の生徒で、知らない人はいませんよ。とても立派な方ですから」

「みんな、尊敬」

「…………」


 お兄様が褒められていると思うと、自然と嬉しくなって頬が緩む。

 もし、何もない平時であれば、ここでお茶をしながら歓談も悪くなかっただろう。……でもさすがに今は、それどころではないことも自覚していた。


「お聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」

「はい……」


 私の緊張が和らぐと同時に、テスラさんがおもむろに本題を切り出す。そして私も、居住まいを正して二人に向き直っていった。


「少々、質問攻めになることを許してください。まずあなたは、ブラックカーテン……という名前をご存じですか?」

「ブラック、カーテン……」

「知ってる?」

「あ、いえ。……すみません」


 口の中で繰り返してみるけれど、どうにも聞き覚えがない。私は首を左右に振った。


「そうですか……では、大魔王ゼルシファーの名前は?」

「っ!」

「ご存じですね?」

「え、ええ……ただあまり、多くは」


 少し前にメアリが蘇らせようとした、災厄の象徴……その名前は今なお、記憶に色濃く残っている。復活直前に阻止できたとはいえ、大鏡からその禍々しい姿が現れた時は本当に肝が冷える思いを味わったほどだ。


「大魔王、ゼルシファー……」


そっと、独りごちるように呟く。かつて、その大魔王は混沌から突如として現れ、この世界を危機に陥れようとしていたと聞いた。そして、それを死闘の末に倒したのが先代の『天ノ遣』――水無月先輩たちだった、と。

ただ、その勝利の代償として『天ノ遣』の力の根源であった『聖杯』――アスタディール家の当主、リリカ・アスタディール様は力を失ってしまったらしい。それによって先代たちもまた変身能力を喪い、『天ノ遣』としての働きを一時中断せざるを得なくなった……。


「(そして、その聖杯の代わりに『天ノ遣』としての力を発揮できるように作り出されたのが、私の持っているこのメダル――)」


 そんな思いを胸に抱きながら、私は手の平の上にあるメダルをしげしげと見つめる。

 ……もしも、ゼルシファーとの戦いの果てに聖杯が力を失わずにいたら、おそらく私がこうしてツインエンジェルBREAKになることもなかっただろう。その意味では、実際には一度も対峙したことのないその大魔王は、私とめぐるの運命に大きく関わっていることを改めて自覚せずにはいられなかった。


「なるほど。では、それを蘇らせようと企んだ者のことはご存じですか? 聞くところによると中等部の養護教諭として、潜り込んでいたそうですが……」

「……知っているもなにも、私とめぐるが少し前に戦い続けていた相手です」

「あなたたちが、ですか?……あ、すみません。私たちはてっきり遥さんたちが首尾よく復活して、それと戦ってきたものと勝手に思っておりましたので」

「はい。もちろん、先輩たちの協力がなければ危ないところでしたが……」


 お世辞でも謙遜でもなく、それは事実だ。めぐるは敵の手に落ちて力を利用され、彼女を助けるために駆けつけた私もあやうく返り討ちに遭う寸前だった。ヴェイルとヌイが捨て身で私たちに力を貸してくれたとはいえ、あの時のことを思い出すとよく全員が無事で戻ってこられたものだ、と幸運を感謝したくなる。

 いずれにしても、メアリはあの大鏡での一戦で自ら命を絶ち、その邪悪な魂も宇宙空間で戦艦の爆散とともに消え去った――。


「そのメアリと、何か関係があるのですか?」

「いえ、直接的には。ただおそらく、今回の一件はそれと似た立場にいて……ゼルシファーとのつながりのあった者、あるいは連中が企んだのだと思われます」

「…………」


 それは気づいていたし、ある程度の推測がつく。だけどそれ以上に、私は何も知らないままの今の自分に苛立ちを覚えていた。

そもそも私は、そのゼルシファーがいったいどんな存在なのか……そして、テスラさんたちがいった『魔界』がどんなところで、そして私たちの現状とどう関係しているのすら、何も知らない。

 固有名詞と事実だけが先行して、自分たちの運命がまるで弄ばれているように感じられるのは正直言って、あまり気持ちのいいものではなかった。


「教えてください。ゼルシファーって……いったい、何者なんですか? それに、『魔界』って……」

「そうですね。そこを説明しておかないと、話が進みませんよね」


 そんな私の返答を受け、テスラさんは腰を据えるとカップを口元に運び、喉を軽く潤す。そして一息ついてから、ゆっくりとした口調で語り始めた。


「『魔界』……エリュシオンとは、この世界と異なる世界のことを指します。そして魔王ゼルシファーは、その世界を文字通り力で支配していた男です。……ブラックカーテンは、その直属の幹部の一人といったところでしょうか」

「じゃあ、ブラックカーテンはメアリの仲間ということですか?」

「……微妙に、違う」


私の問いかけに対して、ナインさんが首を振って否定する。その意味を補足するように、テスラさんは言葉をつないでいった。


「メアリは、魔界の力を手中に収めた大魔王ゼルシファーを信奉する、いわば魔術主義者のなれの果て。ですから、彼が世界征服のためにつくったとされるダークロマイアの組織に所属しない……いわば、狂信者と言った方が正しいかも知れませんね」

「狂信者……」

「はい。ゼルシファーが神話の時代に残した逸話を聞いたことで魔界の力に憧れ、やがて魔の支配によって訪れるであろう闇の時代の到来を待っていた。しかし――」

「ゼルシファーは前の聖杯戦争で、水無月先輩たちに倒されてしまった……でしたか」

「その通りです。そこで、その夢を自らの手で実現させてみせる、というのが彼女のメダルを集め続けた行動理念であり、そして執念であったというわけです」

「…………」


 テスラさんの説明に、私は慄然とした思いを抱いて息をのむ。メアリがゼルシファーの復活にかけた思いの強さと、それが叶わなかった時の絶望の深さ……その片鱗を、そこに垣間見たような気がした。

 いつか会えることを長い間焦がれ、待ち望んで……そのために心血を注いで準備してきた儀式が、「小娘」たちの手で失敗に終わったのだ。その怒りと悲しみは、文字通り自ら命を絶つほどのものだったと理解できる。

ただ……だからといって世界中のメダルを集めた上に、あまつさえめぐるを媒介にしてまで大量に生み出し、大魔王を復活させようとする行為は狂気にも近い偏執さを感じずにはいられなかったが……。


「つまり、メアリは水無月先輩たちが戦ってきた組織に所属しない、全く別の勢力だったというわけですか」

「そういうことになります。……ですが、そのためにかえって神無月家をはじめとした『天ノ遣』、さらにはキャピタル・ノアの元老院もその背後関係を調査することに時間を要してしまい、結果として対処が後手に回ってしまいました」

「ダークロマイア、まだ残っていたら……大変」

「ええ。遥さんたちの救出を後回しにすることについては、最後まで迷いましたが……クルミさんとも相談した末の、苦渋の決断でした。本来なら真っ先に駆けつけるべき私たちがあなた方に全てをお任せすることになったのは、そういう経緯があってのことです」


 そこでテスラさんは言葉を切ると、右手でそっと自分の髪……いや、白い花の髪飾りに触れる。なにか思うところがあるのか、どこかぼんやりとしていた。


「……? あの、テスラ……さん?」

「……姉さん」

「大丈夫よ、なっちゃん……ふふっ、失礼しました」


 呼びかけられて顔を上げた彼女は、先ほどまでと同じ穏やかな笑みで話を続ける。……何かを思い出している様子にも見えたが、聞くのもはばかられて私は気づかなかったふりをした。


「話を戻します。そんなわけで、私たちはダークロマイアの残党がどこに、そしてどれだけ存在しているのか……その追跡と捜索を行なったことで、彼らの活動を突き止めることができたのです」

「その首領が、ブラックカーテン……。でも、だったらその残党たちはこれまでどこで、何をしていたんですか?」

「あちこちにいましたよ。メアリの活動が派手な分、それを隠れ蓑にして……この日本にも、それなりの規模で拠点を築きつつありました」

「…………」


 そう言われてみると、確かにいつもメアリとは別の気配をどこかに感じていた。しかもそいつらはなぜか見ているだけで手を貸すことも、邪魔もしてこなかった。

 そして、大魔王復活の野望が潰えた直後にクワガタだの、フクロウだのの姿をした輩が姿を現し、暗躍を始めた。メアリの時とは明らかに異なる雰囲気に違和感を抱いていたが、やはり別物だったということか……。


「そしてブラックカーテンは、メアリとは違った手段でゼルシファーの復活を企んでいるようです。封印されたはずの『魔界の門』が開かれつつあるのも、そのせいだと思われます」

「……その扉が開かれたら、どうなるんですか?」

「地上は、『魔界』からの侵略を受けることになるでしょうね。遙かなる昔、そのためにこの世界は一度崩壊の危機に瀕したと言いますから」

「侵略……崩壊……っ」


 異なる世界の住人が、この世界を支配するためになだれ込んでくる。その筆頭が私たちが最近戦ったあの化け物たちだと思うと……ぞっとしない話だった。


「……ここからは、私たちの推測です。天月さんは、『魔界』へ連れさらわれた可能性が非常に高いと考えています」

「どうして、めぐるが『魔界』に?」

「……かつてゼルシファーを倒したのは、遥さんたち快盗天使です。ですからその復活を企てた場合、彼女たちの後を継ぐツインエンジェルBREAKが妨害に動くのは明白」

「…………」

「ブラックカーテンは、メアリがツインエンジェルBREAKを倒す……まではいかなくとも、相打ちになるのを期待していたようです。だけど倒されたのはメアリで、あなた方もそこまでダメージはない。それゆえ、ブラックカーテンが表に出てこざるを得なくなった……そんなところでしょう」

「だから、本格的に動く前にめぐるをさらった……?」

「そういうことです」


 テスラさんの説明を受けて、今まで不確定だったものの正体が判明する。しかし同時に、私はことの深刻さを理解して慄然とした思いを抱かずにはいられなかった。


「天月さんは、非常に強大な力を秘めていると聞きました。メアリが彼女を攫った理由をどこから知り、彼女の力を何かに利用しようとして攫ったと思われます」

「……っ……」


 納得できる……いや、これ以上ない理由だ。私たちとメアリの最終決戦をブラックカーテンがどこかで見ていたとしたら、その可能性は高い。

 だとしたら、私のやることはたった一つだった。


「……『魔界』へは、どうやって行けばいいんですか?」

「えっ……?」

「行き方、知ってるんですよね。教えてください。どこにあるんですか!?」

「すみれさん。落ち着いてください」

「落ち着いてなんていられませんっ!」


 思わず、私は大声とともに立ち上がっていた。

 はしたない、とは思わない。だって今の私は、彼女たちから『魔界』への入口を聞き出さないと何もできない……だから……!


「私、行きたいんです! すぐにでもめぐるを連れ戻しに……っ!」

「――ダメだ。危険すぎる」


 その時、ふいに冷静な声が場に響いた。テスラさんでも、ナインさんでもない。いつの間にか現れて、壁に背を預けながら立っていたその人は――。


「お、お兄様……!?」


 あろうことか、私が誰よりも尊敬する唯人お兄様だった。


「……っ……!」


 いつもなら、一も二もなくそばに駆け寄って、そのあたたかくて優しい空気に触れようとしただろう。……だけどその、今の私が一番聞きたくなかった言葉をお兄様がまさか口にするとは思ってもいなかったので、思わず頭の中が真っ白になってしまった。


「ど……どういうことですか? 危険なのは、さらわれためぐるの方じゃ……!」

「めぐる君もそうだが、それ以上に危険なのはすみれ、お前だ。『魔界』に満ちた闇の波動エネルギーは、確実にお前の身体を蝕むだろう」

「かまいません! それで、めぐるを連れ戻せるなら……」

「ダメだ。お前が『魔界』に入って、無事に戻ってこれるわけがない。最悪の場合、……死ぬぞ」

「っ!?」


 その残酷な宣告に、私は胸元を押さえてよろめきそうになる。

 今まで、どんなに体調を崩した時でもお兄様が私に決して口にしなかった……生死に関わる言葉。それを告げられて、耐えていたはずの恐怖や不安が一気に自分自身を苛んでいくのを感じた。


「わ、私は……大丈夫、です。それにまだ、そうと決まったわけでは……!」

「いや……残念だが、お前は戻ってくることができない。いい加減な見立てじゃなく……これは、『天ノ遣』としての判断だ」

「っ……!?」


 今までに見たことがないほどに険しいお兄様を前に、声が出なくなる。

 多少命が短くなる程度なら、大丈夫。これくらいは平気と、本心から笑い飛ばすことだってできるだろう。

 だけど……戻ってこれなかったら? そして、本当に命を落としたら……?

 その怖さはもちろん、ある。だけどそれ以上に、きっとめぐるは悲しむ。そしてヴェイルとヌイを失った時のように、自分のせいだと己を責めるだろう。


「…………」


 あの時の彼女を知っている以上、私は自分の身を捨てることができない。たとえ自分の命を捧げる覚悟があったとしても、それでは意味がないんだ……。


「……提案」


 悔しさに歯噛みする私を見て、ナインさんが口を開いた。


「『魔界』には、私と姉さんが……行く」

「えっ?」

「そのかわり、すみれはここに残る……なら、問題無い」

「…………」


 それまで、テスラさんの説明を補足する程度の発言に留まっていた彼女が自分で意思を示したことが意外だったのか、お兄様は険しい表情をさらに深くして、唇を引き結ぶ。

 そしてしばらく逡巡の間を空けてから、静かに……かつ鋭さをもった目を私ではなく、二人に向けていった。


「……だとしても、かなりの危険が伴うことに間違いはない」

「かまいませんよ」


 そう答えたのは、指先で髪飾りをそっと撫でていたテスラさんだった。


「私となっちゃん……それに、このお守りがあります。必ず、天月めぐるさんを見つけて……そして、帰ってくるつもりです」

「……。それしか、方法がないんだな」

「ええ。残念ですが……これが現時点で、もっとも確実な対処策なんです」

「わかった。……すまないが、よろしく頼む」

「ま、待ってください!」


 自分の意思とは違う方向に話がまとまりかけるのを見た私は、思わず声を上げて二人の間に割って入る。そしてテスラさんに振り返ると、すでに覚悟を決めたように穏やかな表情に向かっていった。


「めぐるは、私の友達です……私が助けなきゃ、いけないんです! それに、関係の無いあなた方を巻き込むわけにはいきません!」

「一方的に巻き込まれるわけではありませんよ。私たちも、『魔界』には因縁があります」

「因縁……?」

「はい。……私たちは、その人の背負ってきた罪業に決着をつけなければいけないんです」

「…………」


 その固い決意に満ちた面立ちに、私は怯みすら覚えて身を退いてしまう。

 確かにお兄様の言うとおり、手段がそれだけだというのなら任せるのが得策であり、それに対して自分の同行を求めるのは、ただのわがままだろう。

 でも……それでいいの? みるくちゃんが彼女たちを信頼しているのは、私のことを任せるといった時の様子からすぐに察することができた。だけど――


「……これは、お礼」

「えっ?」

「遥と葵を、助けてくれた。……だから、今度は私たちの番」

「はい。なっちゃんのいう通りです。私たちにとって、あのお二人は大切な存在……そんな彼女たちを救ってくれためぐるさんを助けるのは、当然のことです」


 そういって、テスラさんとナインさんはよく似た表情で私に笑いかけると、お兄様に向き直って念を押すように言った。


「というわけですから、如月さん。『魔界』のことは、私たちに任せてもらえますか」

「深追いはしない。安全第一」

「…………」


 お兄様は渋い顔で二人を見ていたが、やがて嘆息を吐き出すと首を縦に振った。

 いい、とは口に出してはいえない。だけど、否定することも出来ない……そんな曖昧な態度だったけど、お兄様も彼女たちを信頼しているのだろう。そんな短いやりとりから、すぐに察することができた。


「……っ……」


 快盗天使ツインエンジェルと、お兄様が信頼している人……。ならきっと彼女たちも、めぐるが憧れた正義の味方なんだ。

 だったら、私にできるのは……不本意だけど……。


「お願い、します……。めぐるを、どうか……助けてください……っ!」


 ……本当は、自分が行きたい。だけど、この役割を託さなければいけないなら……この人たちに、任せよう。

 そんな想いを少しでも伝えるように、私はこみ上げてくる嗚咽を必死にこらえながら頭を下げていった。


「……大丈夫。絶対に、見つけてくる」

「えぇ。私たちに……ツインファントムに、お任せください!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る