第65話
頭の芯からにじみ出すような鈍痛とともに意識を取り戻して、私は目を開ける。……視界に入ってきたのは今にも崩れ落ちそうな、朽ちた造りの天井だった。
「……っ……」
重くのしかかるような気だるさを振り払い、私は地面に手をついて起き上がる。
以前、天使ちゃんに助けられて『ワールド・ライブラリ』で目覚めた時とは違い、全身のあちこちが痛い。起き抜けの気分はお世辞にも良いとは言えなかった。
「ここは……?」
……薄暗い部屋だ。とはいえ真っ暗というわけではなく、壁際には燭台があって灯がゆらゆらと頼りなく揺れている。
広さとしては、私たちの学院の教室くらいだろうか。ただ、調度品らしきものはどこにも見当たらず、窓もないので今が昼なのか、それとも夜なのかもわからない。
ただひとつあるものといえば……おそらく出入口と思しき、大人の背丈ほどの穴。それがぽっかりと口を開け、ここからでは先が見えない深淵の闇に覆われていた。
「どうして私たち、こんなところに……、っ?」
自分の服装を確かめると、聖チェリーヌ学院の制服。薄汚れ、ところどころに泥のようなものがこびりついている。つまり、私たちは学院からこの場所に運ばれてきたと考えるべきだろう。
でも、いったい私たちの身に何が起こったの……?
『――ツインエンジェル、ホカク、カイシ』
「――っ……?」
刹那、気を失う直前の出来事が脳裏に蘇り、はっ、と息をのむ。
そうだ……私たちは昨夜見た夢の話をしながら学院の校門を出て、学院寮へと帰る途中だったんだ。そこに突然、「彼ら」が現れて――。
「っ、めぐる……!?」
続いて一番大切なことを思い出した私は、ぞっと全身から血の気が失せるような戦慄を覚えながら辺りを見回す。
まさか……また、あの子が何者かによってさらわれた? そんな最悪の可能性を想像して、自分の迂闊さと無力感に絶望を抱きかけた――その時。
「う、うぅん……」
「っ……!?」
背後から聞こえてきたかすかな声に反応して、私は弾かれたように勢いよく首を振り向ける。ちょうど死角になっていたすぐそばには、私と同じく学院の制服姿のめぐるが仰向けになって倒れているのが見えた。
「めぐる……めぐるっ!」
立ち上がる動作すら惜しくて私は、這うような格好でめぐるのもとへとにじり寄る。そしてその手を取り、無意識の反応で彼女が握り返してくれた瞬間……思わず目が潤むほどの涙が浮かんでくるのを感じた。
「めぐる……起きてっ。ねぇ……!」
「んぅ、……?」
喜びと、まだ少しだけ残る恐怖心から震える声で耳元に恐る恐る呼びかけると、めぐるはぼんやりとした表情のまま目を開けてくれる。その瞳がわずかに横へと動き、見つめ合った瞬間にほころぶその口元を確かめてから、……私はようやく安堵の息をついた。
「すみれちゃん? あたしたち、どうして……ここはどこ?」
「……わからないわ。私もついさっき、気がついたところだから」
そう応えると、私の手を握ったままめぐるは上体を起こし、さっき私がしたようにきょろきょろと周囲を見回して様子をうかがう。とはいえ、やはり視界に映る範囲内には何もなく、どうして自分たちがこんな場所にいるのか、そしてここがどこなのかさえも判断することは不可能だった。
「なんか……少し前の映画で見た、外国の古いお城の部屋みたいだね」
「部屋というよりも、牢獄と言ったほうが近いイメージかしら。だけど……」
感じたまま言葉にしてみたのだが、ここが牢獄かもしれないという推測はその通りかもしれない、と納得を抱くと同時に、それにしても……と別の疑念に気づく。
じめじめと湿った空気に、窓のない室内。それだけなら何者かによって拉致され、この中に閉じ込められた、という展開を想像することは容易かもしれない。だけど、
「あれって……どういうこと?」
「…………」
めぐるの質問に明確な答えを返すことができず、私は無言で首を振る。
四方を囲む壁の内にある、大きな出入り口のような穴……もしここが牢獄であれば、扉か鉄格子で出入りが制限されるはずの箇所が開け放たれた状態になっているのは、いったいどういう了見なのか。
まるでここから、出ていくことを促しているかのように……。
「いずれにしても、ここでじっとしていてもらちが明かないわ。何か罠があるかもしれないし、慎重に動きましょう」
「うん。それに……」
めぐるはきゅっ、と胸元を掴みながら、唇をかんでうつむく。……おそらく、ここに来る直前のことを思い出したのだろう。その気持ちが痛いほど伝わって、私も「……そうね」と応えるのがやっとだった。
× × × ×
……わが目を疑う、とはまさにこの瞬間のことを言うのだろう。それほどに私たちは、今それぞれが目の当たりにしている光景を信じられず……戦う意思すら失ってただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。
「あ、あなたたち……どうしてっ!?」
「――――」
喉元が引きつって喘ぐほどの息苦しさを感じながら、それでも声を絞り出して私はヌイに呼び掛ける。……だけど、私を無言で見据えるまなざしは妖しく輝き、面立ちには感情の動きが全く見られない。続いて肩越しに顔を振り向けると、ヴェイルもまた能面のような表情でこちらに対峙しているさまが目に映った。
「うそ……ヴェイルちゃんっ? ヴェイルちゃんだよね!?」
「――――」
「無事、だったの……? 生きてて、……っ、よかっ――」
「っ! めぐる、待って!」
感極まったように声を詰まらせ、あふれ出す思いにまかせて駆け出そうとしためぐるの手を、私はとっさに掴んで引き止める。そして驚きと、若干の不服で大きく見開いたその瞳に喜びの涙を浮かべている気持ちに水を差すことを後ろめたく感じながらも、あえて心を鬼にして言葉を繋いでいった。
「……様子がおかしいわ。あれは、本当にヴェイルなの?」
「えっ? で、でも……!」
困惑もあらわに、めぐるは前後に立つ二人を何度も見比べる。
容姿は確かに、私たちの知っているあの子たちで間違いないだろう。だけど……。
「ヴェイル、ちゃん……?」
「――――」
「ど……どうしたの? あたしのこと、わかるよね? 会いに来てくれたんだよね!? そうじゃないのっ?」
「――――」
驚きと同時に、喜びと希望をにじませていためぐるの声が、……呼びかけを重ねるごとに不安、そして失望へと染まっていくのを感じる。
私たちを救い出す代わりに戦艦インフィニティ・ラヴァー号の自爆に巻き込まれて、宇宙空間でその運命を共にした姉弟のアンドロイド――ヴェイルとヌイ。たとえ機械の身体を持つ彼女たちでも、常識で考えれば生還の可能性は限りなく低い……いや、ほぼゼロと断言してもいいくらいだろう。
そんな二人が、再び姿を現した……? これはいったい、どういうこと!?
「……とにかく、すぐにみるくちゃんたちにも来てもらいましょう。そこで――」
このままではらちが明かない……そう考えた私が、スマホを取り出してみるくちゃんの電話番号を呼び出した――その時だった。
「「ツインエンジェル、ホカク、カイシ――」」
「えっ? なっ――!?」
ヌイ、そしてヴェイルがおもむろに前へと突き出したその手から、闇のオーラをまとった波動が私たちに目がけて放たれる。
突然の攻撃に、回避を試みるどころか身構える隙もなかった。その波動は私とめぐるの身体を包み込み、そして――。
× × × ×
「……目が覚めたら、ここにいた。そういうことよね」
「うん……」
悄然と肩を落としながら、めぐるはこくり、と頷く。同意しての肯定というより、そう答えるしか術がない……そんな困惑が表情にも出ていた。
とはいえ私自身、あまりにも急展開が過ぎて理解が追いついていない。……ただ、私たちがこの場所へと運ばれてきた経緯にヴェイルとヌイが関わっている――それだけは確かなことのようだった。
「……。あの二人が、どうしてあたしたちに攻撃を仕掛けてきたの?」
「わからない。でも……」
死んだと思っていた人物が、再びその姿で私たちの前に現れる――その前例として、例の夢にまで出てきた「彼女」の存在を思い返さずにはいられない。
そして、その復活が事実なのだとしたら今のヴェイルとヌイは、……。
「もし、メアリと同じケースで再び現れたのだとしたら……こちらに襲ってきたのは洗脳されているせい、という可能性もあるでしょうね」
「せ、洗脳……?」
「思い出して。エリュシオンで私たちに向かってきたメアリは、こちらのことを覚えている様子だったでしょう? それどころか、正気を失っている言動もあった……」
「……うん」
めぐるは二の腕のあたりを掴みながら、唇をかんでうつむく。
こちらを見下して、嫌悪さえ感じているような言葉を吐きかけていたメアリ。……でも、エリュシオンで私たちの前に立ちふさがった彼女はそんな黒い感情など一切感じさせない、不気味な笑みを常に浮かべていた。
まるで、そう……何者かに操られた人形のように……。
「いずれにしても、結論は二人ともう一度会ってからよ。そのためにも、この部屋を出て動きましょう」
「……うん、そうだね」
私の提案に対し、めぐるは決心を固めたのか瞳に光を宿らせた表情で、今度は力強く頷く。それを確かめてから私は彼女とともに出入口らしき穴へと近づき、それをくぐって外へと出た――。
× × × ×
部屋を出た先は、果てが見えないほど長い廊下が延々と続いていた。
左右の土壁には燭台が一定の間隔で並び、ロウソクの灯が私たちの行き先を示すように地面を照らしている。……ただ、それは私たちへの親切のつもりなのか、それとも何らかの意図を持った罠なのかは今のところ、判断がつかなかった。
「……なんだか、古い感じの廊下だね」
「めぐるの言ったとおりね。ますます外国の城みたい」
私たちはそんな感想を口にして、周囲を窺いながら慎重にまっすぐ伸びた廊下を進んでいく。静まり返った空気の中、石畳を叩く私たちの足音だけがやけに甲高く響いていた。
「誰もいない。でも……」
「ええ。……気配は感じるわ」
それも、一つではなく複数……かなりの数だ。さらに、こちらの動向を探るように視線を向けているのを肌で感じ取り、私たちは息をひそめながらほぼ同時に足を止めた。
「っ? すみれちゃん、来るよ!」
「っ……!?」
鋭い叫びとともにめぐるは手を掴んで私の身体を引き寄せ、同時に重心を落とした姿勢でかばうように身構える。すると、土壁の一部がぐにゃり、とゆがみ……中から大量のアリの仮面をつけた戦闘員たちが現れて、私たちを取り囲んでいった。
「……どうする?」
「決まってるよ。話して分かってもらえる相手じゃなさそうだし……力づくでっ!」
私たちは頷きあい、それぞれの手にブレイクメダルを出現させる。そして取り出したコンパクトにそれを装着させ、中から現れた指輪を装着すると高らかに叫んでいった。
「ラブリー☆くりすたる!」
「ジュエリー☆えんじぇる!」
まばゆい光が廊下いっぱいに広がり、私たちを包み込んでいく。それはあっという間に収まり、再び姿をあらわにした全身にはおなじみのスーツがまとわれていた。
「暁に射す、まばゆい朝陽! エンジェルローズ!」
「黄昏に煌めく、一番星! エンジェルサファイア!」
あふれる力と、みなぎる勇気。そして――。
「「輝く未来を切り拓く! ツインエンジェルBREAK!」」
かけがえのない、そして心強い仲間がそばにいてくれる今の私たちに、怖いものなどは何も存在しなかった……!
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