第79話

「すみれちゃん……? すみれちゃんってば!」

「えっ……!?」


 はてしなく続くかと思うほどに長い通路を駆け抜けていた私は、ふいに呼びかけの声を感じてはっ、と顔を振り向ける。

隣には、並走しながら心配そうに表情を曇らせるめぐるの姿。だけど、なぜそんなに深刻そうに見つめてくるのか理解できなくて、私は怪訝な思いで「……なに?」と尋ね返した。


「あの……大丈夫? 何度呼んでもすみれちゃん、全然返事してくれなかったから……」

「……そうだったの? ごめんなさい、ちょっと考え事をしてて」


 気づかないうちに無視してしまっていためぐるにそう謝ってから、そんなにも思考の淵に沈みこんでいたのか、と自分の迂闊さを悔やむ。

 ヴェイルたちと戦った部屋から通路に出て、先を急ごうとひたすら走っていたつもりだった。……だけど敵らしき姿も全く見当たらず、同じ景色が連なったせいで緊張が途切れたのか、ここが敵の本拠地であることを失念しかけていたのかもしれない。

こんな状態のところにもし不意を突かれて、襲撃でも受けていたら――そう思うとぞっとしたものを禁じ得ず、私は気合を入れ直すつもりで両の頬を平手でぴしり、と叩いた。


「(……。でも……)」


 同時に油断、とは違った落ち着かない気分が拭いきれず、私は肩越しに後ろを顧みる。

先ほどヴェイル・ヌイと戦った部屋はすでにはるか遠く、暗がりの先は闇に覆われている。途中に分岐路などはなかったので、今さら戻ることに意味はないのだけど……どうしても後ろ髪を引かれるような心残りが胸の内側にこびりつき、もやもやとした違和感を手放すことができなかった。


「(「逃げて」……? あれはいったい、どういうことなの?)」


 視線を再び進む方向に戻しながら、さっき目の前に迫ったヌイが呟いた、あの言葉を頭の中で反芻する。

めぐるにも言い聞かせたように、あの2人はヴェイルとヌイの偽者だから、ただの戯言――そう切って捨ててもいいはず。まして、彼女たちは敵として戦いを挑んできたのだから、私たちを惑わせるために吐き出された欺瞞の可能性も否定できないだろう。

ただ……本当に、そう決めつけてもいいのだろうか? 悪意のプログラミングにしては唐突すぎたし、しかも小声で私にしか聞こえなかったので効果的とはいえないものだった。それに、あの言葉は「助けて」とか「止めて」といった情に訴えかけることで私たちを困惑させるようなものではなく、今になって思うと逆にこちらのことを案じ、注意を促すような意図が含まれていたように感じられる。

でも、……だとしたら、どうして? あれは偽者のはずなのに、なぜ私たちにそんな警告をしてきたのだろうか……?

 と、その時だった。


「――すみれさん。……」


 先行して走っていたテスラさんとナインさんが、ふいに足を止めてこちらに声をかけてくる。そして、つられて立ち止まった私に向き直るとほんの少しの間言葉を選ぶように視線を落とし、再び顔をあげてから口を開いていった。


「ご友人の姿をした敵と戦って、戸惑われている気持ちはよくわかります。ですが、私たちには時間があまり残されていません。……辛いと思いますが、この先の迷いはあなたにとって命取りにもつながりますよ」

「……はい。すみません」


咎め、ではなく私のことを慮る気持ちが込められた厳しい言葉に、私は答えを導き出そうと再び囚われかけた困惑を胸の内にしまい込み、まずは心を落ち着けようと大きく深呼吸する。

 本音を言うと、私の戸惑いの理由はテスラさんたちの指摘とは少しずれている。……でも、ここで躊躇している時間がないこともまた事実だったので、今はとにかく前に進むことを優先すべきだと思い直すことにした。


「ご心配をかけて、申し訳ありません。……めぐるも、ごめんね」

「ううんっ。たとえ何があっても、あたしの一番はすみれちゃんだから……!」

「……ありがとう」


 こういう時でも快活な表情と言葉で元気づけてくれるめぐるの存在は、本当に救われた思いになる。私は彼女に笑顔を返すと、さらに駆ける足を速めていった。


 × × × ×


……それからほどなくして、私たちは通路の終わりにたどり着く。左右には他に道がない行き止まりで、そして――。


「……また、扉ですね」


テスラさんの言葉のとおり、そこには物々しい造りをした巨大な鋼鉄製の扉が私たちの行く手を阻むように立ちはだかっている。……にもかかわらずやはり施錠のされていない様子が、かえって不審な気配だった。


「(途中で敵と遭遇することもなく、罠もしかけられてなかった……敵の意図は、いったいなんなの?)」


単純に準備が追い付いていなかったのか、或いは待ち受ける黒幕たちの余裕なのか……そこまでは私たちの理解の及ぶところではない。だけど――。


「中から、かなりの敵意を感じます……。また、私たちを待ち受けているようですね」

「……っ……」


 扉に身体を預けて耳をそばだてながら、慎重に中の様子をうかがうテスラさんは潜めた声で、私たちに注意を促す。確かに、少し離れた場所に立つ私たちにもそれはひりつくような熱となって伝わっており、全身に緊張がみなぎるのを感じた。


「開けますよ……準備はいいですか?」

「……はい」


 扉の取っ手をつかむテスラさんの念押しに、私とめぐるはそれぞれに武器を構えながら頷き返す。

 メアリの大群に、ヴェイルとヌイ。次は何が待ち受けているのかわからない。……ただ、たとえどんな敵や罠が待ち受けていようと、とにかく私たちは前に進むだけだった。


「なっちゃん、露払いをお願い」

「……了解」


 頷いてナインさんは、テスラさんと向き合う格好で身をかがめ、息を殺す。そして、一気に引き開けてできた扉の隙間をすり抜けると、背中の大剣を引き抜いて中へと駆け込んだ――。


「覚悟しなさい! ファントム・インパル――えっ?」

「……。誰も、いない……?」


 ナインさんに続いてテスラさん、さらに私とめぐるはその中に勢いよく突入したが、……予想に反して室内はがらん、としていて何もない。それに加えて、あれだけ扉越しに感じた強烈な敵意は嘘のように消え失せ、本当にただの空き部屋のようにしか見えなかった。


「……どういうこと?」


 確かに、難敵を相手にした時間的ロスとリスクのことを考慮すれば、何者にも出会わないほうがいいに決まっている。……でも、今までずっと何らかの仕掛けによって出迎えられてきただけに、穏便に通してもらえると考えるほうがかえって不自然だろう。


「……? すみれちゃん、あれは何かな?」


 そう言っておもむろにめぐるが指さしたのは、床に描かれた魔法陣のような幾何学模様だった。

 何を意味しているのか、ここからでは全く読むことができない。……英語とも違う奇妙な文字の羅列にも見えるが、私たちは何か手掛かりになるかもしれない、とさらに歩み寄った――。


『逃げてっ……!!』


「……っ……!?」


 ふいに、私の脳裏にヌイが告げた言葉が蘇って、私は歩みを止める。そして魔法陣の中にテスラさんとナインさん、そしてめぐるが足を踏み入れた格好になった瞬間……ぞわっ、と全身の肌に泡立つような悪寒が駆け抜けていくのを感じて、とっさに叫んでいた。


「……いけない! みんな、その中から出てっ!!」

「えっ? すみれちゃん、なにが――、っ!?」


 いち早く反応しためぐるが振り返って、私を見た――と思うや否や、突如として魔法陣の周囲に闇の壁が立ち上がる。それは黒い電撃のようなものをほとばしらせながら、あっという間に3人の身体を覆って内部に飲み込んでしまった。


「なっ――きゃぁぁああっっ!!」

「めぐるっ……!?」


 何が起こっているのか、私のいる場所からは全く見ることができない。ただ、闇の中からめぐるたちの悲鳴が響き渡るのを聞いた私は反射的にブルームを構え、記憶と勘を頼りに2人の居場所らしきところを外して刺突の連撃を放った。


「エンジェルローリングサンダー、黄昏っ! はぁぁぁあっっ!!」


 疾風をまとった薙刀の猛攻は闇を切り裂いて、漆黒の壁を吹き飛ばしていく。……そして視界が明らかになると、そこには床に倒れ伏しためぐるたちの姿があった。


「めぐるっ! テスラさん、ナインさんっ!!」

「……っ……」


 慌てて私は3人のもとへ駆け寄り、めぐるの身体を抱き起こす。……呼びかけには応じないものの、その呼吸は規則的で鼓動も感じる。どうやら気を失っているだけのようで、ほっと胸をなでおろした。


『あらあら……ふふっ……。全員しとめるつもりだったのに、あなただけが残ったのね……』

「っ……!?」


 その時、どこからともなく妖しく、蠱惑に満ちた声が轟き渡る。

聞き慣れた……というよりも、忘れたくても忘れられない声。私はややうんざりした思いを抱きながらできるだけ優しくめぐるの身体を横たえると、再びブルームを手に取り立ち上がった。


「……出てきなさい、メアリ! これは、あなたの仕業ね!?」

『ふふ……ふふふふふ……!』


 その笑い声の出元が部屋の一角にあると感じた瞬間、はたして私の読み通りメアリの姿が現れる。

 髪の色は、この城で出会ったメアリ「たち」と同じく紫で、瞳の色も血に染まったような紅。……ただ一つ違うのは、そこに意思の光のようなものが宿っていることだった。


「さすがじゃない。完全に気配を断ったつもりだったのに、罠の存在に気づくなんて……」

「偶然よ。あなたこそ、よく飽きもせず色々としかけてくるものね」


 私はブルームを両手で構えながら、油断なくメアリの動向と息遣いをうかがう。

 こちらの武器は薙刀で、相手は槍――同じ長物で戦う時の鉄則は間合いだ。そして出方と意図を悟らせないためにも自分の呼吸を殺しつつ、同時に敵の気配を読みとることが肝要――。


「まぁ、それも悪あがきにすぎないんだけどね。お仲間たちと一緒に眠ってしまえば、まだ楽に逝けたのに……」

「……めぐるたちに、何をしたの?」

「言ったとおりよ。眠ってもらっただけ……ただ、その先は悪夢なんでしょうけど。ふふ、ふふふっ……!」

「っ、まさか……!?」


 悪夢、と聞いて私の脳裏に、ある一つのことが思い浮かぶ。

 この城にさらわれるきっかけになった、ヴェイル・ヌイとの邂逅の直前……私はめぐると、夜に見たメアリの悪夢の話をしていたのだ。

つまり彼女は、3人を妖術によって意識の中に取り込んだというのか……!?


「くく、くくくっ……! この城の中には、闇のマナが充満している。以前は抜け出ることができたかもしれないけれど、ここでは私を倒さない限り、術が解けることはない……永遠にね……!」

「――――」


 それを聞いて、すっ……と私の心に、自分でも驚くほど氷のような冷たさが広がっていくのを感じる。

 ヴェイルとヌイを私たちの目前で爆破しただけでなく、めぐるを拉致したこと……さらにはイスカーナでの戦いや、エリュシオンの決戦前。このメアリには本当に、数え切れないほどの煮え湯を飲まされてきた。

 なにより、この女はめぐるの心を何度も傷つけてきた事実がある。……それを思い返すと私の堪忍袋はもう、弾けそうなほどに膨らみ切って爆発寸前だった。


「……なるほど。つまり、あなたを倒せばすべて解決、ってことね。わざわざ助ける手段を教えてくれて、手間が省けたわ……っ!」


 そう言って私は、胸の内で煮えたぎるような激情を鎮めつつ、ブルームを構える。

 怒りが頂点に達した時、人は笑みを浮かべると誰かが言っていたけれど……確かにその通りだと思う。事実今の私は、めぐるには決して見せたくないほどの憤怒に満ちて……口元、そしてまなじりがつり上がるのを自分でも感じていた。


「……めぐるが気を失ってくれてて、よかったわ。私はもう、あなたに対してだけは慈悲の心を持てそうにないから……これで遠慮なく、全力が出せるっ――!」

「……っ……!」

「あえて言わせてもらうわ――メアリ! あなたとの因縁の決着、ここで全部つけてやるッッ!!」

「くくっ、くくくく……あっははははっ! 身の程知らずの小娘が、大言をッ! わが槍で引き裂かれて泣き叫びながら、『天ノ遣』として生を受けてきた運命を呪うがいいっ!!」

「っ、たぁぁぁあっっ!!」


 私は突進をかけて一気に距離を詰めると、ブルームを大上段から振り下ろす。それを槍で受け止めたメアリとの間に、無数の火花が飛び散っていった――。

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