第101話
前を行く遥と葵お姉さまの背中を追いながら、私はひたすら長い回廊を走り抜ける。
ほのかな灯りが照らし出す道はどこまでも続いて終わりが見えず、耳に届いてくるのは私たちが石の床を駆ける固い足音の反響だけ。それ以外は何も聞こえず、さらには何者の姿も視界に入ってこない。だけど――。
「(……いる。それも、今までとは比べものにならないほどの「敵」が……!)」
突き進むにつれて、大きくなる存在感と緊張。ずしり、とした圧迫を覚えた私は胸の内にわだかまっていた息の澱みを吐き出し、少し乱れかけた呼吸を整える。
新型スーツの特徴の一つは、従来よりも心肺系の働きを活性化させる機能が搭載されていることだ。そのため全速力で走り続けたとしても、身体上の負担は実際よりもかなり軽減されている。
……とはいえ、精神的に感じる負荷を解消することまではさすがにできず、私の全身には目に見えない気怠さと不安がじわじわと広がりつつあった。
「――クルミちゃん、大丈夫?」
すると、そんな私の心の動きにどうやって気づいたのか……遥が走りながら背中越しにこちらへと顔を向けてくる。その心配げな表情を見て私はすくみかけていた気持ちに活を入れ、自分を鼓舞する意味も含めて声を張り上げた。
「問題ないに決まってるでしょ! こっちのことに気を回してないで、ちゃんと前向いて走りなさい!」
「あははっ、平気だって。まっすぐ走るだけなら、目を閉じたままでも……わっ、とと」
「っ、遥さんっ?」
突然躓いたようにバランスを崩した遥を見て、横に並んでいた葵お姉さまが声を上げる。私も思わず手を伸ばしかけたが、彼女は素早く体勢を立て直すと再び元通りの駆け足へと戻っていった。
「ふぅ……危ない、あぶない。もうちょっとで転んじゃうところだったよ」
「……もう、だから言わんこっちゃない。敵と戦う前に怪我なんかしたら、承知しないからねっ」
ため息とともに叩いた私の憎まれ口に、遥は「ごめんごめん」と片手を上げて謝ってくる。……だから、わざわざこっちを見なくてもいいってのに。
「(でも……ありがとね、遥)」
私のことを慮ってくれたその思いやりに、そっと感謝の言葉を口の中で呟いた。
どんな時でも、私のことを見守ってくれる優しい女の子――それが、水無月 遥。そして、そんな彼女のことをあたたかな笑顔で支え、同じように私にも気遣いを忘れない神無月 葵お姉さま。最高に尊敬できる2人がいたおかげで、私はこれまでの『快盗天使』の務めをまがりなりにも果たすことができたのだ、と本気で思っている。
そして、ツインエンジェルBREAKを見守る立場になってからも……めぐるやすみれにとって何をしてあげればいいのかを考えて悩んだ時、いつもお手本として頭に思い描いていたのはこの2人の姿だ。
その関係はきっとこれからも変わらないだろうし、変わってほしくない。そして『天ノ遣』の後輩たちにとっての自分も、遥や葵お姉さまのようでありたいと心から願っていた。
「(めぐる、すみれ……2人とも、無事でいてくれてるかしら)」
2人のことを思い出したことで、ちらり、と不安が心の中で暗い影を落としてくるけれど……私は首を振って、それを追い払う。
きっと、大丈夫だ。私たちがそうであったように、あの子たちも困難を乗り越えてくれると信じよう。
たとえ2人に、私が想像もしていなかった過酷な運命と責務が課せられていたとしても……彼女たちなら……!
「もうすぐよ。3人とも、しっかりついてきてね」
そう言って宙を浮かびながら、私たちを先導して音もたてずに飛び続けているのは天使ちゃん――もとい、エリスの仮の姿だ。
現在『ワールド・ライブラリ』の管理者を務めている彼女は、本来この世界にいてもいい存在ではない。にもかかわらず私たちの前に姿を現し、あまつさえその力を貸してくれるということは、よほどの緊急事態が迫っていることを物語っている。
「(……。それにしても……)」
道中、私はずっと違和感を抱いていた。
エリスの導きで見つけた隠し通路とはいえ、この回廊はあまりにもまっすぐな一本道で曲がり角や扉、窓すらもない。おまけに、魔王城の時には待ち伏せだったり、あるいは奇襲だったりでしつこいほど現れては私たちの行く手を阻んできたガードロボや戦闘員は、姿どころか気配すらも皆無だ。あのゴスロリ衣装の戦闘エージェント、サロメさえも私たちの前に立ちふさがることがなく、ここまで順調すぎるくらいに静かな行程が続いていた。
「(てっきりどこかで、「さっきの仕返しをしてやるっしょ!」なんて言って攻撃を仕掛けてくると思ってたんだけど……)」
最初こそ多少心の準備をしていただけに、肩透かし感が否めない。何度も足止めをされると「またか」とうんざりもするが、だからといってここまで何者とも出会わないままでは、かえって薄気味悪さを感じる。
この一見無防備な感じはよほどの自信があるのか、それとも何かの意図があってのことなのか……。
「(……ま、いいわ)」
いずれにしても、油断は禁物。どんな罠が待ち構えていても万全の態勢で臨めるように、私はポシェットの中にしまった切り札『エレメンタル・メダル』の所在を手探りで確かめる。
このメダルと、そしてなにより遥と葵お姉さまが一緒だったら、どんな敵が相手であっても負ける気はしない。
だから、私たちが決めるんだ。あの子たちに「最後の力」を使わせないためにも……!
「エリス……私たちが向かっている先に、今回の黒幕がいるのね?」
「ええ、そうよ。そして高みの見物を決め込みながら、私たちの動向をうかがい続けている……はぁっ!!」
そう言うとエリスは両手を前にかざして、その間に生み出された光球を射ち放つ。それは一条の光の軌道を描いて勢いよく壁際に命中し、轟音とともに崩れた瓦礫とともに黒い塊がごとり、と床へと落下した。
「それは……なに?」
「監視カメラよ。この回廊を見渡せるよう、一定の間隔で仕掛けられているみたいね」
「…………」
私は足を止めて膝をつき、壊れて動かなくなったそれを拾い上げる。
周囲に注意を払っていたつもりだったけれど、全く気付かなかった。こんなものまで設置している今回の黒幕は、無防備な一方でずいぶん準備周到なところがある。
「ここだけじゃないわ。さっき『人造人間(ホムンクルス)』たちと戦った部屋でも、これと同じタイプのカメラが設置されていた。黒幕とやらは覗き見趣味があるようね」
「なんのために、そんなことを……?」
「おそらくは、データ集めのためでしょう。私たちの力を見定めた上で、対策を講じようとしていると思われます。……油断は禁物ですよ」
そう言って注意を促す葵お姉さまに、私と遥は無言で頷き返す。
となると、敵は私たちの新アイテム『エレメンタル・メダル』の存在にも気づいていると考えたほうがよさそうだ。使用したのは『風』とエリスに貸した『火』の2つだったのが、せめてもの幸いといったところか。
私たちは気合を入れ直すと、宙を飛ぶエリスの先導に従って再び回廊を突き進む。すると間もなく、長く続いていた回廊の先にぼんやりと何かが見えてきた。
接近していくうちに、そこは左右に通路もない、完全な行き止まりであることに気づく。そしてたどり着いた私たちは、威圧するようにそびえ立つ黒い巨大な扉の前に来てそれを見上げた。
「この先が、黒幕の部屋……?」
「そんな感じだね。扉越しに、すごく強力な気配が伝わってくるよ」
さらに目を凝らすと、鉄製の扉には何か禍々しい形相をしたレリーフがしつらえてあるのがわかる。
鋭く赤い瞳に、牙をむいて開かれたおぞましい口顎。……造形物だとわかっているのに、見ていると背筋に冷たい感覚が広がっていくのを止められない。
「どうしましょう? めぐるさんたちと合流するまで待つか、あるいは……」
「――行こう葵ちゃん、クルミちゃん。今度は、私たちの番だよ」
その問いかけを途中で遮り、遥はきっぱりとそう答える。そして、それを葵お姉さまも予測していたのか、「……ですね」と穏やかな笑顔で頷いた。
その反応を見て、ひそかに安堵を覚える。私にめぐるとすみれの秘密を教えてくれた時は、感情を抑えていたのか冷淡なようにも映っていたけれど……やっぱりこの2人もめぐるとすみれのことが心配で、彼女たちに申し訳ないという思いを抱いていたんだ。
できることならば、あの子たちに負担になるようなことはさせたくない――。言葉はなくとも遥と葵お姉さまの表情には、そんな想いがあふれていると私は感じていた。
「開けるわ。……手伝って」
「わかった。よっと……!」
私たちは左右それぞれの扉に手をかけて、ゆっくりと押し開く。
鈍く響く、重い金属のきしむ音。……元々施錠されていなかったようで、扉はあっさりと開き内部が明らかになった。
「………」
足を踏み入れて、室内をぐるりと見渡す。
かなり広くて天井が高い上、そこかしこに置かれている荘厳さに満ちた調度品は、今までの部屋にはなかったものだ。床は歪な石を並べたものではなく、鏡のように磨き上げられたおそらく大理石。そこに高級そうな深紅のじゅうたんが敷かれ、皺もなくまっすぐ奥の壁際にまで延びている。
そして、遠くに見える階段の上には――。
「あれは……?」
葵お姉さまが指し示した先に掲げられていたのは、壁を覆い尽くすほどの大きな肖像画だった。
そのすぐ下には玉座のような立派な椅子が置かれているけれど、今は誰も座っていないので特に気にもならない。それよりも私たちが目を離せなかったのは、その絵画だ。
そこには、見覚えのある……いや、忘れたくても忘れられない男の顔が描かれていた。
「……葵ちゃん」
「えぇ。あれは……ゼルシファーですね」
険しい表情を浮かべる遥に返事をしながら、葵お姉さまも唇を引き結ぶ。
そう……大魔王、ゼルシファー。私たちが聖杯戦争で決戦を挑み、死闘の末にその肉体と魂を闇の彼方へと葬り去ったダークロマイアの首領だ。その肖像画が飾られているということは、つまり……!
と、その時だった。
「へへっ……ようやくお出ましか。待ちくたびれたぜ」
そう言って、幕間から一人の男が姿を現す。それに気づいた私たちはすぐさま身構えると、その容姿を確かめようと目を向けて凝視した。
「……っ……?」
見たことのない風貌だ。ダークトレーダーとも、人間の姿をしていた初期のゼルシファーとも違った感じというか……齢の頃が全く分からない。
一見すると青年のようでもあるが、その一方で老獪な雰囲気を漂わせている……不思議な印象。そしてなによりも、男性のはずなのにその面立ちには女性のような妖艶さがあり、ある意味で「中性」という言葉が私の頭に思い浮かんでいた。
「ここは大魔王さまの謁見の間だ。アポは貰ってねーし、お前らに招待状を送ったわけでもねーが、わざわざ来てくれたってことで歓迎はしてやるぜ。……一応、な」
「……あんたは、何者?」
「んー、別に本名がないわけじゃねーけど……ま、『ブラックカーテン』とでも呼んでくれ」
「ブラックカーテン、ですって……!?」
そのふざけた名前に、私はきっ、と目をむいて憤る。
全ての陰謀を企み、裏で操ってきた「黒幕」だから『ブラックカーテン』……? 仮名にしても、こちらを侮っているとしか思えないふざけたネーミングだ。
おまけに、あからさまにこちらを見下すような傲岸さと、軽薄な口調……はっきり言って嫌いなタイプというか、相手をするだけでイガイガした気分が込み上がってくる。
「つまり……あなたが、ゼルシファーに代わる新しい魔王、というわけですね?」
「……魔王? はっ、そんなものに俺は興味ねーよ」
葵お姉さまの質問に対して、ブラックカーテンは小馬鹿にでもするように鼻で笑う。その態度も私にとっては許しがたいものだったが、さらに不快感をかき立てるようにその男は恍惚とした表情で天を仰ぎながら宣っていった。
「俺の役目はあのお方を復活させて、こちらにおわす玉座に再び招き入れること……それが、俺の願い。そのためならどんな犠牲でも払ってやるつもりだ。俺自身の肉体と、魂……もちろん、てめぇらの命もな」
「なっ……!?」
「んで、俺の欲しいものはアスタリウム結晶……メダルだ。天然ものも純正品はそれなりにレアだが、それを精製したお前らのメダルも、結構いいモンだなぁ。あの双子のお姉ちゃんたちのアレなんて、さすがダークトレーダーの遺作だと感心したぜ」
「っ? あんた、テスラとナインに何をしたの!?」
かっ、と頭に血がのぼって、私はブラックカーテンに向かって怒声を投げかける。だけど男はそんな威嚇にも涼しい顔を浮かべながら、肩をすくめていった。
「……そんなに知りたきゃ、あとでゆっくり聞かせてやるぜ。冥途の土産話としてな」
「……っ……!!」
「ま、『アカシック・レコーダー』が来るまでの余興にしては、ちと大盤振る舞いだが……そこに「オリジナル」がいるみてーだから、大サービスだ。いいものを見せてやるぜ」
そう言ってブラックカーテンは、ぱちん、と厭味たっぷりに指を鳴らす。すると、入った時は薄暗かった室内に煌々と明かりが灯り、中の全容が見渡せるようになった。
そして四方を囲む壁際には、無数の人影が並んでいるのが目に映ったが……いや、待って。その髪型と服装、そして容姿は……まさか……!?
「せいぜい楽しませてくれや。『ルシファー・プロジェクト』の完成形……こいつらの相手を、なっ!」
「……っ……!?」
ブラックカーテンの言葉とともに、「人影」から数え切れないほどの凶悪な気配が立ち上がってくる。
その姿を見て、私は驚愕のあまりに声を失い……遥と葵お姉さまもまた、それぞれの表情で大きく目を見開き、その場に固まってしまった。
そして、エリスは――。
「っ……やっぱり、貴様が持ち出していたのか……ッ!!」
天使ちゃんの可愛らしい外見を歪ませながら、ぎりっ、と歯がみしてブラックカーテンを睨みつける。
そう……『ルシファー・プロジェクト』の完成形とされる、『人造人間(ホムンクルス)』。
その姿は、エリスがかつて身をやつしていた悪魔の化身、『ダークフェニックス』だった――。
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