第100話

 ……それがいつ、どこの記憶だったのかは、どうしても思い出すことができない。

 ただ、「その光景」を視界におさめた私の心の中にはあたたかくて幸せな気分と、同時に胸が締め付けられるような切ない想いが広がっていた。


『…………』


 ぼんやりとした意識の中、私が佇んでいるその場所はどこにでもあるような……普通の家のリビングだ。広いわけでもなく、置かれている調度品も高級なものは見当たらない。

 でも、この空気に包まれているだけでなぜか、心が満たされる。かつてお父様と暮らした日々にも似ているけれど、それとまた違った「懐かしい」感覚。そして――。


『……ん? どうしたんだい、※※※……?』


 ソファのひとつに腰を下ろし、何かの本を読んでいた「彼」が私に気づいて顔を上げると、にっこりと微笑んでくれる。

 その優しい面立ち……視界に収めているだけで、わけもなく目頭が熱くなった。


『……、さんっ……!!』


 思わず私は、「彼」に声をかけていた。そうせずにはいられなかったのだ。

 でも、その言葉が口から音となって出るよりも早く……いや、そもそも「彼」に向かってなんと呼んだのかを理解する前に――。

 私の意識は、真っ白な光に包まれていった。


 × × × ×


「姉さん……姉さんっ……!」

「……。え……?」


 肩のあたりに置かれたあたたかくて柔らかい感触に気づいた私は、遠のいていた意識を引き戻して目を開ける。

 視線の先に見えるものは石の床と、そこに膝をついた自分の身体。そして、足元に落ちる無数の雫のあとが全身からしたたり落ちた自分の汗だと理解したその直後、喉の奥の方で灼けるような渇きを覚えた私は、その痛みと息苦しさに激しくむせこんだ。


「姉さんっ……!?」

「へ、平気です……」


 そう答えて首を横に向けると、なっちゃんがこちらをのぞき込みながら肩に手を乗せて心配そうな表情を浮かべている。

彼女も前髪がはりつくほどびっしりと汗をかいていたが、顔の血色はそこまで酷いものではない。同じようにアクセラモードを使用したとはいえ、とっさに全力を振り絞って重力波を放ってしまった私よりは消耗の度合いも低かったようだ。


「……立てる?」

「えぇ……。ごめんなさい、心配をかけて」


 私はまだ少し残る覚束なさを押し隠しながら、なっちゃんの手を借りてよいしょ、と勢いをつけて立ち上がる。そして背筋を伸ばすと、途端に全身から血の気が失せるような脱力感がこみ上げてきて足元がふらつきそうになったものの……なんとか気力を奮い立たせて、その場に辛うじて踏みとどまった。


「(これが、アクセラモードの反動……)」


 変身用のブースターキットを私たちに渡す際、ジュデッカさまがくどいほどに繰り返し注意をしていた理由が、これでわかった。こんなふうに意識の混濁、あるいは断絶がもしも戦闘中に起きていたら、たとえ戦力の劣る敵を相手にしていたとしても後れを取る可能性は十分にあっただろう。

 現状の私たちの身なりは安全装置のようなものが働いてくれたのか、アクセラモードが解除されて通常のスーツに戻っている。勝手な妄想だけど、ひょっとしたらお父様の髪飾りが守ってくれたのかもしれない……そう感じて私は、感謝の言葉を内心で呟きながらそれにそっと触れた。


「っ……なっちゃん、あの二人は?」

「……あっちに」


 私の問いかけになっちゃんは短くそう答えると、首をめぐらせて背後に目を向ける。そこには私の渾身の一撃を至近で受けて満身創痍のヌイと、それを抱き起こしているヴェイルの姿があった。


「…………」


 見たところ、ヴェイルも私の放った攻撃の余波を受けたのか衣服が汚れて、肌には大小の傷を負っているようだ。それでも、以前あったような「豹変」の可能性も否定できなかったので、私はなっちゃんの支えを受けながら注意深く2人のもとへと歩み寄った。


「……っ……」


 私の接近に気づいたヴェイルは顔を上げ、緊張した表情でこちらをじっと見つめてくる。

多少の消耗はあっても、私たちの動向によっては戦闘の続行も選択肢のひとつ、と考えているのだろうか。……ただ、ヌイはそんな彼女をとりなすように手を上げて、こちらに顔を向けると力なく笑ってみせた。


「アスタリウムの結晶体……メダルの波動エネルギーを科学的に相転移させて、『天ノ遣』の超常の力に匹敵するほどのパワーを実現させる、か……。メダルの力に頼っているだけの僕たちじゃ、とても歯が立たないわけだ……」

「ヌイ、さん……」

「アクセラモードも、見せてもらったよ……。君たちのデータは、余すところなく分析したつもりでいたんだけど……他にもまだ、切り札を隠していたんだね……」

「……評価して下さるのは光栄ですが、あれは奥の手でもなんでもなく、ただの急場しのぎです。成功する確証もない、文字どおり捨て身の一撃でした」


 謙遜でも卑下でもなく、私は本心からそう返す。

 相打ち覚悟で放った『ライトニング・エクスキューション』の発展形――超電磁によって生み出された重力場のベクトルを変えることで、確かに理論上は可能だと事前にわかっていたが……一度も試したことがなかった技を実戦で使用するなど、はっきり言って暴挙の極みだ。もし幸運の女神様がこちらに向いていなかったら、倒れていたのは私のほうだっただろう。

 ただ、そんな答えを聞いてもヌイは抱いた感銘を取り消そうとは考えなかったのか首を振り、おとがいを反らして天井を仰ぎ見ながら続けていった。


「やっぱり、人間はすごいんだね……。こちらがどんなに精巧なロジックを構築してみても、それを超えた行動と信念で乗り越えてしまう。……見せてもらったよ、人間の強さと凄さ。そして、正しさってやつを……」

「…………」

「……最期に戦った相手が、君たちでよかった。僕たちのわがままに付き合ってくれて……ありがとう」


 その言葉とともにヌイは身体を起こすと、姉の腕の中から抜け出て私たちの前に座り込み、こうべを垂れる。そのお辞儀をするような仕草は私たちに感謝を伝えるつもりなのか、とも一瞬思ったが、身じろぎもせずに制止した様子から私は思わずはっ、息をのんだ。

まさにそれは、首を差し出すような姿勢。そして「最期の相手」と言ったようにヌイは、私たちに止めを刺すように言っているのだ――。


「バカな真似は止めてください。……さっきも言いましたよね? あなたたちと戦うことに意味はないと。それに私たちは、めぐるさんやすみれさんのお友達を傷つけたくはありません」

「ははっ、友達……か。あの二人にそう呼んでもらえるだけでも、僕たちはこの世界に存在できた意味があったと思ってるよ。でも……」


 そう言ってヌイは、乾いた笑いとともに顔をわずかに上げる。そして視線を地面に向けたまま、力ない声で呟くように続けた。


「僕たちは……人間じゃない。ロボット、アンドロイド……メアリによってつくり出された、ただの兵器だ。色んな人たちを騙し、傷つけて……操られてとはいえ、めぐるとすみれにも一度ならず、二度も敵として攻撃を仕掛けたりもした……。そんなやつが、あんな心の綺麗な彼女たちと友達になれる資格なんて……あるわけないだろう?」

「そんなこと……」

「……夢を見たよ。人間になって、大好きな人と一緒に楽しい時間を過ごして、心の底から笑って過ごす……ずっと、憧れていた。でも、僕たちには……いや、僕には無理だ……無理なんだよっ……!」


 独白するヌイの声が徐々に大きく、そして切ないものへと変わっていく。私たちは黙って耳を傾けながら、そんな彼の様子を見守っていた。


「……正直に言うよ。僕は、人間に憧れただけじゃない……ずっと、羨ましいと思ってた。それどころか、妬ましいとすら考えてたんだ……」

「…………」

「人間になりたかった……そのために人間のすばらしさ、あたたかさを理解しようと、僕は色んなことをした。メアリに指示されてはじめたアイドル活動でも、その心理を学ぶことができて……悪いものじゃなかったよ。……だけど、人間を知れば知るほど、上っ面しか真似できてない自分との違いをはっきりと意識させられて……それが苦しくて、辛くて、悲しくなって……っ!」

「……ヌイさん」

「僕は……最低なポンコツだよ。自分の中にわき上がるこの気持ちを整理して、抑えつけることができなくて、……めぐるやすみれの想いを、拒んでしまった。それどころか、姉さんが2人と仲良くしている姿を見るだけでも、どうしようもなく腹が立ったりして……そして、そんな自分が情けなくて、大っ嫌いで……っ……!!」

「ヌイ……」


 肩を震わせて俯くヌイの背中に、ヴェイルは慈しみの表情を浮かべてそっと手を触れる。そしてその小さな身体を抱きしめながら、悲しげな声で呟いていった。


「私も……ヌイと、一緒ね。めぐると一緒にいると嬉しくて、楽しくて……でも、怖いっていつも、思ってた。すごく幸せなのに、それと同じくらいに辛いって感じる時もあって……苦しかったのこと。だから、これは夢で……いつかは覚めるものだから、って心のどこかで諦めて……それ以上考えるのを、止めてしまってたね」

「姉さん……」

「おかしなお話ね。人間になりたい……人間を理解したいって願望と、自分たちが人間じゃないって現実……ふたつを合わせて考えると、すごく辛くて苦しくなるのこと。それを受け止めて、問題を解決することができない私たちは、やっぱり人間には……なれないね……」


 そう言って、ヴェイルはヌイを抱きしめながら寂しそうに呟く。その表情は垂れ下がった前髪に隠れて見えなかったが……その姿から、2人がこれまでに感じてきた悲哀は伝わってくるようにも感じられた。


「(……。あぁ、そうか……)」


 ヴェイルとヌイ……2人のアンドロイドと出会ってから、ずっと抱いてきた違和感。それは異物に対しての敵意とか、悪事に加担する相手への憎悪とかだと考えてきたけれど、……ようやく今、その正体に気づいた。

 ……似ているんだ、私たちと。優しさと残酷さが混ざり合う現実の中で、自分たちが何を信じて生きていけばいいのか迷って、苦しんで、悩んでいた……あの頃のように……。

 だから、私は言った。「あの人」たちに救われた、あの日のことを思い出して――。


「……そんなの、当たり前じゃないですか」

「えっ?」

「アンドロイドだから……人間じゃないから、現実の矛盾に苦しむんじゃない。嬉しいこと、悲しいこと……色んな思いや経験をして、自分にとって何が大切で、正しいかを考えます。そして立ちふさがる困難を乗り越えながら、願いや望みを叶える方法を探して……みんな、悩み続けるんです。……私たちだっていつも、迷ってばかりですよ」

「…………」

「なのに、甘えないでください……! そこまで人間になりたい、理解したいって願うのなら、どうしてあなたたちはその程度で諦めるんです? おばあさんから受け継いだ2人の想いは、そんな簡単に終わらせられるようなものだったのですかっ?」

「……! そ、それは……」


 ヴェイルとヌイは顔を上げて、私を見つめながら戸惑ったような表情を浮かべている。

 ……さすがに、乱暴なことを言いすぎていると自分でもわかっていた。そもそも、めぐるさんたちと違って彼らのことをそこまで知っているわけでもなく、ましてや正しいことを言っている自信もないのに、説き伏せる資格なんてあるんだろうか……そんな逡巡に思わず、口を噤んでしまいそうになる。

だけど……そこへ、私の手を優しく包み込む感触。はっとなって振り向くと、すぐそばにはなっちゃんの顔があった。


「…………」


彼女は黙ったまま、優しい微笑みを浮かべながら小さく……だけど、確かに頷いてくれる。それが怯みそうになった心に力を与えてくれて、私は頷き返すと再び2人に向かって言葉を重ねていった。


「……私たちも、以前はそうでした。自分に与えられた環境と立場、そして運命……それを受け止めようという想いと、変えたい、変わりたいという願い……その狭間の中で生まれた矛盾に苦しんで、悩んで……いっそ全てを拒んでしまえば楽になれるのでは、と考えたこともありました。……そういうところは、あなたたちと一緒ですね」

「……僕たちと……一緒……?」

「そうです。私たちだって、人間でありながら闇の組織に所属して、悪事に手を貸していた……ある意味で人形、兵器としての存在でしかなかったのかもしれません。だから、そんな自分にはまっとうな生き方……幸せになる権利も資格もない。そう絶望して、諦めかけていたことも確かです。でも――」


 そんな臆病だった私たちに「あの人」たちは手を差し伸べて、励ましてくれた。そして、前に足を踏み出す勇気を授けてくれた……。


『――私たちは、友達だよっ。ずっと、ずっとね……!』


 その言葉と明るい笑顔に、どれだけ救われたか……もはや語るまでもないし、語り尽くすこともできない。だから私たちはあの人たちのためなら命だって惜しくはないし、その笑顔を守るために、これからも希望を捨てることなく戦い続けることができるだろう。

 ……そして、今度は私たちの番だ。誰かに救われたのだとしたら、他の誰かを救う。その無限の樹形図によって繋がって、傷ついたり迷ったりしながらも築き上げられてきたのが、私たちの「時間」と「世界」……。

 そして「人間」のすばらしさじゃないかと、私は信じたかった。


「……諦めないでください。どんなに苦しくて悲しくても、あなたたちを想う人がひとりでもいてくれる限り……その生命は、あなたたちだけのものじゃないんです。……自分自身に置き換えてみてください。めぐるさんやすみれさんが悲しい思いをして、あなたたちは笑えますか? そしてあなたたちが不幸になることを、あの2人が望むと本気で考えていますか?」

「っ……!?」

「大切な人のために、生きること……それは権利や資格と同じくらいに、義務のようなものなんです。……だから、生きることを諦めないでください。そして、悩み続けた末に正しい答えを見つけ出すこと……それがあなたたちにとって本当の意味での罪の償いなんだと、私は思います」

「生きることを諦めない、か……難しいね。僕たちなんかに、それができるのかなぁ……」

「できますよ。だって――」


 私は軽く息を整え、口を開いて言葉を切り出す。

それは、先ほどの戦闘を通じて……そしてヴェイルとヌイの苦悩を聞いたことで感じた、私なりの「答え」だった。


「そんなふうに悩んでいるあなたたちは、もう私たち人間と同じ……いいえ、そのものじゃありませんか」

「は……? な、なにを言ってるんだ……?」


 それを聞いたヌイは顔を振り上げると、私たちをまっすぐに見据えてくる。

……表情には驚きを通り越した、怒りにも似た彩り。そんなふうに言われるとはおそらく予想だにしておらず、むしろ侮蔑されたようにも感じたのか、私を射抜くように瞳の輝きが鋭い。

だけどもちろん、私は嘘やお世辞なんかで、そう言ったわけじゃない。それが本心であることを伝えるため、さらに言葉を繋いでいった。


「あなたたちは、確かに身体が機械です。……でも、心はそうじゃないんですよね? 過去に出会った人たちと接することでその想い、願いを理解して……悩み、苦しんだ末に、あなたたちが生まれた……。それって、人間と何が違うんですか?」

「そ、それは……!」

「さっきの繰り返しになってしまいますが……私たちも大切な人たちと出会ったことで、「自分」というものを意識することができました。今後の生き方、その人たちのために何ができるのかの答えはまだ、見つかってはいませんが……少なくとも私たちは、自分の生きる意味とその価値を知ることができた。今の、あなたたちのように……」

「……。あ……」

「そもそも変わりたいと思った時から、ひとは変わっているものだと言います。だとしたら変化を望んだあなたたちは、もう変わっている……つまりはもう人間になっているんだと、私は……思います」

「っ、……僕、たちが……にん、げん……!?」

「変わりたい……ずっと、思ってた……。じゃあ、私たちは……もう、変わって……!?」


 と、その時。

ヴェイルとヌイの瞳が潤んだかと思うと、……つぅっ、とその目尻から頬を伝って雫がひとつ、ふたつと流れ落ちる。その変化に本人たちはひどく驚いた表情を浮かべながら、……両手を広げ、それを呆然と受け止めていた。


「っ……な、なんで……? 目から、液体……なに、これ……?」

「……胸が、思考回路が……熱い……。でも、苦しくない……? うれ、しい……?」


 そんな、たどたどしい呟きとともにぼろぼろと、ヴェイルとヌイの両目から……涙がこぼれていく。その様子を私たちは、あたたかな想いと救われた気分で見守っていた。


「(メアリ……めぐるさんとすみれさんに酷い思いをさせた彼女のことを、許す気にはなれない。でも……)」


 この2人に「人間」としての、生きる道を与えてくれたこと――ヌイが言ったことの繰り返しにもなるが、それだけは感謝すべきなのかもしれなかった。

 ……やがて落ち着いたのか、ヴェイルとヌイは涙をぬぐうとこちらに向けて顔を上げる。そしてどことなく吹っ切れたような表情で「……ありがとう」と頭を下げてきたので、私たちも笑顔で応えた。


「それで……この後はどうしますか? 私としては、事態が急変する前にこの城から脱出することを提案しますが」

「……それは無理な話だね。城から抜け出る方法がないわけでもないけど、僕たちの体内には以前と同じように爆弾が仕掛けられている。……出た瞬間に木っ端微塵になるのがおちだよ」

「なっ……!?」


 和解したばかりの穏やかな空気が吹き飛ぶようなことを知らされて、私となっちゃんは息をのんで顔を見合わせる。そして、脳裏に蘇ったのはお父様――ダークトレーダーが魔王城の研究施設で最期を迎えた光景だった。

 あの時……私たちは彼の身体の中に埋め込まれた自爆装置を止めることができず、彼を助けることができなかった。……だけど今なら、メダルの力と研究施設の機器がある。それらを使って、一刻も早く最悪の事態を食い止めなければ……!


「すぐに、それを解除しましょう! 設置場所はどこか、わかりますかっ?」

「うん。……けど、急がなくても大丈夫ね。今のところは外部からの干渉や命令を、ダミー回路でごまかしているのこと。以前に同じトラップをメアリにやられたから、対策は打っておいたね」


 顔色を変える私たちに向かって、ヴェイルは安心させるように説明する。

……聞けば以前、2人はめぐるさんやすみれさんと心を通わせ合ったことで、戦いを止めようと決心した。そしてその後、組織を抜けることを考えたのだが……それを頭に思い描いたことがメアリに伝わって、裏切り者として「処断」を下されてしまったのだという。


「(ヴェイルさん自身がそう言うのなら、とりあえず直近の心配はいらないだろう。だけど……)」


 ますます、わからなかった。人形の2人に自律的な身体を与えて人格や個性を尊重する姿勢を見せていながら、その一方でメアリは自分に逆らった彼らを許さなかった。……彼女の思考と行動には、やはり整合性が欠落しているようなところを感じる。

 先ほど自分でも言ったとおり、矛盾を抱えるものが人間だ。ただ、メアリの気まぐれにも思えるその行動には、これから先に控えている決戦に向けての手掛かりが隠されているようにも思えてならなかった。


「それより、君たちに頼みがあるんだ……、っ」


 そう言いかけてヌイは、自らの傷のダメージがぶり返してきたのか顔をしかめてうめき声を上げる。それを見てヴェイルが解放しようと手を伸ばそうとしたが、彼はそれを遮ると私たちに身を乗り出して続けた。


「見てのとおり、僕たちはここを動けない……だからめぐるとすみれに、伝えてほしいんだ。今すぐこの城を脱出して逃げてくれ、って」

「それは……無理な相談ですね」


頼みとはそんなことか、と私は若干の苦笑を内心に覚えながら首を振る。

気持ちはわかるが、あの2人がこの期に及んで『天ノ遣』としての使命を捨てて、自分の保身を考えるような無責任を選ぶとは思えない。さすがに現実的とは思えない相談だろう。


「そもそも、この城に連れてきたのはあなたたちではなかったのですか?」

「……それは、半分正解だ。あの時の僕たちは、新しい身体に、データを移されたばかりで……自我を制御下に置くことができなかったから、ブラックカーテンの操り人形になってしまっていたんだ」

「でも、この城でめぐるたちと再会して戦っているうちに、なんとか取り戻すことができたね。それで、洗脳されてるふりをしながらやつの情報を集めていたのこと」


 ただ、その際に「気になること」を見つけた2人は、それを調べようとあまりに深く侵入を試みたことで逆ハッキングを受けて……意識を乗っ取られてしまったのだという。その結果として、私たちを一時捕らえることに手を貸すことになったとのことだった――。


「そのせいであなたたちには、余計な面倒をかけてしまったね。……でも、おかげで大変な情報を突き止めたのこと」

「大変な、情報……?」

「……今のブラックカーテンは、不死身だよ。比喩とかそういう意味じゃなくて、あいつを倒すことは絶対に不可能なんだ……!」


 そしてヴェイルとヌイが伝えてきた事実は、私たちでさえにわかには信じがたいものだった――。

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