第105話
「……全ての闇を倒す、だぁ? 死に戻りの分際で、ずいぶん御大層なことを言ってくれるじゃねぇか」
ブラックカーテンは傲然とそう言い放ちながら、嘲笑を表情に浮かべてめぐるに凄んでみせる。
軽薄な口ぶりとは裏腹に、圧倒的なほどに空間を支配する強い妖気。殺意に満ちた視線はまるで刃物のように鋭く、それが私自身に向けられたわけでもないのに戦慄がこみ上げてくるのを止められない。
……にもかかわらず、めぐるはそれを真正面からとらえていながら、小ゆるぎもしない。そして、背後にいる私には表情こそ見えなかったけれど、彼女の全身から漂う力の波動はますます強いものへと高まり、空気を震わせて周囲に広がっていくのを肌で感じ取ることができた。
「め、めぐるっ……?」
これまでのめぐるには決してなかった、頑なに張りつめた気配だ。だから頼もしさよりも、戸惑いのほうが大きい。これはもはや成長ではなくて、覚醒……いや、変貌といったほうが正しいだろう。
『……めぐるのことが、心配なの』
魔界――エリュシオンから2人が無事戻ってきた直後、めぐるがいない時を見計らってすみれから受けた報告の内容を思い出す。
めぐるとすみれはエリュシオンの中枢部であるエリュシオン・パレスで若い頃のダークトレーダー……クラウディウス・ヌッラと戦って、人間界と魔界を入れ替えてしまうという途方もない野望を阻止することに成功した。その時のめぐるの活躍ぶりは実にめざましいもので、『神器』の助けがあったとはいえ単身でも魔王化したクラウディウスを凌駕、圧倒するほどの力があったのだという。
だけど――。
『あの子の身体から発するようになった波動……なんだか、とても良くないもののように思えるの。『魔王のメダル』と同化した影響が残っているだけで、いずれ解消されるのかもしれないけれど……』
それを受けて私は、神無月家の施設を借りてめぐるの身体検査を精密に、徹底的に行った。あまりにも多項目に渡ったせいで、彼女から「まだやるのー?」と泣きが入ったくらいだ。
……それでも、検査の結果はどれも正常、問題なし。むしろ以前に懸念していたチャクラの不具合もなくなって、当初の懸念とは真逆の数値が算出されていた。
『だったら、よかった。魔界から戻ってきたばかりで私、少しナーバスになっていたのかな……手間を取らせて、ごめんなさい』
そう言って、心底ほっとしたように胸をなでおろしたすみれの笑顔……今はそれを思い浮かべると申し訳なくて、自分の甘さが腹立たしくなる。
なぜあの時、彼女の心配をもっと真剣に捉えておかなかったのだろう。当時、相談を持ち掛けようと考えていたジュデッカさまがたまたま不在であったとはいえ、無理やりにでもめぐるをキャピタル・ノアへ連れて行けば、私の気づかなかったことが判明していたのかもしれないのに……!
「……っ……」
こんな状況になってから、すみれの不安が的中してしまったことを痛感して……めぐるの顔を見るのが、正直言って怖い。本来であれば何か声をかけるべきはずなのに喉が引きつったように固まって、漏れ出てくるのは喘ぐような息だけだった。
「まぁ確かに……お前は『決戦兵器』というだけあって、俺たちにとっては邪魔な代物だ。脅威というほどでもないが、面倒な存在には違いないだろう」
「…………」
「だが、それもお前が力の本質を知り、使いこなしてこその話だ。どれほどの能力を持っていようが、それだけで俺たちに対抗できるものでもねぇ。そして、揺るがぬ意思なき分際で俺たちの大願が阻めるものかっ――!」
「……なっ!?」
刹那、ブラックカーテンの瞳が怪しく輝いたかと思うと、めぐるの振り下ろした巨大なハンマーが少しずつ、だけど確実に持ち上がっていく。そして、その瓦礫の中から姿を見せたのは――めぐるの撲撃で叩き潰されたはずの『ルシファー』だった。
「ま、まさか……っ?」
「あの一撃でも、倒れなかったの……!?」
葵お姉さまは大きく目を見開いて口元に手を当てて、遥はぎりっ、と悔しそうにこぶしを握り締める。私も衝撃的すぎるその光景に反撃することも忘れ、その場を動けずに固まってしまった。
信じられない……ではなく、もはや信じたくない現実だ。これほどに私たちの攻撃が全く通用しないなんて、いくら希望を持ちたくても心が挫けてしまいそうになる。
だけど――。
「……それは、あたしの台詞だよ」
そんな絶望の光景を間近で目の当たりにしているはずのめぐるは、まったく動揺を感じさせずにそう言うと、ゆっくりと『ルシファー』に顔を向ける。そして、四肢を震わせながらも敵の姿があらわになり、ぎらりと金色の瞳が禍々しい輝きを宿すのが見えた次の瞬間――彼女はハンマーを持った手とは反対の左手を突き出し、間髪を入れない動きで大きく開いたその掌を敵の胸元へと押し当てた。
「――っ……?」
「力は、持ってるだけじゃ意味がない。使ってこそ……ううん、目的をもって使いこなしてこそ、力なんだって。ミスティナイトさんが、そう教えてくれたから――」
× × × ×
「マナの『核』を、傷つけられた代償……?」
ミスティナイト――すみれちゃんのお兄さん、如月唯人さんがそう教えてくれたことの内容が良く理解できなくて、あたしは彼の片目をまじまじと見つめる。
赤い瞳に、真っ黒に染まった白目の部分。……不気味な彩りは動物というよりも、昔話に出てくるような魔物か化け物に近い印象だ。失礼かもしれないけど、もしこれが唯人さんでなかったらあたしはとっさに顔を背けてしまっていたと思う。
「け、けど……前に会った時は、こんな感じじゃなかったのに……?」
「『天ノ遣』としての力を行使すると、一時的にこうなってしまうのだよ。……驚かせて、すまなかった」
そう言って謝ってから唯人さんは苦笑交じりに仮面をつけ直し、目元を覆う。
……たぶん、あまり他人に見せたいものではないんだろう。それを敢えて明かしてくれたというのは、あたしを信頼してくれてのことだとわかって、逆に安堵がこみ上げてきた。
「いったいどうして、そんなことに……?」
「……俺が幼い頃、『天ノ遣』の力を手に入れようとする不埒な輩が襲撃をかけてきたのだ。その際に連中が狙ったのは『天ノ遣』の血を引きながらもまだ使い方を知らず、身を守る術を持たない幼子――つまり、私だった」
唯人さんの話によると、敵は『天ノ遣』の当主と継承者が不在のスキを突いて襲ってきたのだという。
だから、残っていた家中の人たちも必死に防戦したけれど、拠点を固守するだけで精一杯。知らせを受けた『天ノ遣』の継承者は急いで屋敷に戻ったものの、到着した頃にはすでに敵の姿はなく、唯人さんが連れ去られたという残酷な結果だけが残されていた……。
「……っ……」
唯人さんの話を聞いて、思い出す。あたしも以前如月家の修行場で同じように襲われて、危ない目に遭ったことがあった。その時はエンデちゃんが助けに来てくれたおかげで無事だったけど、結局その後は彼女の手で魔界――エリュシオンへと呼ばれ、すみれちゃんたちにも心配をかけてしまった……。
「……あたしの時と、似てますね」
「あぁ。その後、魔界に入る『門』の手前で襲撃してきた『魔』に追いついた『天ノ遣』の継承者たちは、そこで一戦を交えることになった。だが……」
「……?」
「俺の身体が『魔』と同化して人質状態に置かれていたために、彼女たちは思うように力を発揮して戦えず……苦戦を強いられた。そして、その様子を残った意識の片隅で捉えておきながら俺は何もできず、ただ黙って見ているしかなかった……」
「…………」
感情を抑えようと淡々と語るその口調の端々に、悔しさと無念さがにじみ出ていることにあたしは気づく。
自分のため……ううん、自分の「せいで」大切な人が傷つき、それでもなお自分を救おうと全てを賭して戦っている姿を、ただ見ているしかできない――。それがどんなに悲しくて情けないことだったのか、あたしは全てを理解することはできない。
それでも、少しくらいは想像して、共感できると思う。だってそれは、ヴェイルちゃんやヌイ君を救えなかったあの時と、ほとんど同じものだったから……。
「その後、俺は激戦の中で意識を失い……再び気がついた時には、病室のベッドの上だった。そこで、俺を救い出すために『天ノ遣』の継承者2人のうち1人が身代わりになり、異次元の彼方に飲み込まれてしまったことを知った……」
「え……っ!」
「俺は、絶望した。そして、自ら責任を取らねばと考えた。こんな未熟でふがいない自分のために、世界のためにその力を使うべき継承者が犠牲になったのだ。その罪は、万死に値する。己の愚かさを呪って、憎んで……命を自ら絶つことも考えた……」
「そ、そんな……っ!」
衝撃的な過去を聞かされたあたしは、胸が締め付けられるようで……思わず涙がこぼれ出そうになってしまう。
優しくて、穏やかで……すみれちゃんが誰よりも自慢に思って慕っている、如月唯人さん。あたしなんか遠く及ばないと感じるほどに素晴らしい人が、そんなにも傷ついていたなんて考えもしなかったからだ。
「(もし、あたしが同じ立場だったら……?)」
たとえば、あたしのせいですみれちゃんが身代わりになって、酷い目に遭わされたとしたら……? 想像しただけでも恐ろしくて、目の前が真っ暗になってしまう。
まして、その相手があたしの目の前に立ちふさがったとしたら……きっとあたしは正気を保つことすらできないだろう。
「だが……そんな俺を止めてくれたのは、執事の長月だ。そして、道を指し示してくれたのがもう一人の『天ノ遣』――葵の母だった」
「長月さんと……葵先輩の、お母さんが……?」
「あぁ。俺は2人の叱咤と激励を受けて再び立ち上がることを決め、自らの罪を償うべく闇に怪我された自分を鍛えて……次の継承者たちを支えることを誓ったのだ。……そして生まれたのが、このミスティナイトというわけだ」
「……。唯人さんは、すごいですね」
感動と、ある意味で敗北感にも近い思いを抱いて……あたしはため息とともに悄然と肩を落とす。そして、これこそが本当の意味での「正義の味方」のあるべき姿なんだと、痛いほど感じずにはいられなかった。
「(あたしには……無理だ……)」
罪を受け止めて、耐えて……その償いのために自らを律し、全てを捧げる姿勢。それは、確かに唯一の手段なのかもしれない。
だけど……いくら唯人さんのように誰かが手を差し伸べてくれたとしても、あたしはそこまで賢くなれないと思う。もっと感情的で、臆病で……きっと、すみれちゃんが一番嫌う人間になってしまう可能性だってあるだろう。
その証拠に、以前……あたしは過去の世界でアストレアさまを助けられなかったことにショックを受けて、その心の隙間を突いたクラウディウスの罠に堕ちてしまった。あの時はすみれちゃんが文字通りに命がけで助け出してくれたけれど、自分の心の弱さが悔しくて、悲しくて……。
正義の味方になりたいっていう夢と願いを、もう少しで諦めるところだった。そんな弱い覚悟しかもっていないあたしに、唯人さんの真似はとてもできない……。
「やっぱり……正義の味方って、唯人さんみたいな人を、言うんですね……」
そんな心の想いが言葉になって、ぽつりと口から漏れ出てしまう。すると、それを聞いた唯人さんはぽん、と優しくあたしの肩に手を乗せると、穏やかな表情でゆっくりと首を振っていった。
「それは違うぞ、エンジェルローズ――いや、天月めぐる。君には、他の者には持ちえない……そして、君にしか許されていない力があるじゃないか」
「あたしだけの、力……?」
「そうだ。君の持つ、『決戦兵器』の力……『闇』としての力だ」
その指摘を聞いて、あたしは思わず目を見開いて息をのむ。だけど、抱いた感情は励ましや慰めに対する安堵ではなく、むしろ嫌悪による落胆だった。
『闇』なんて、正義の味方……たとえばすみれちゃんのような『光』の人とは真逆に位置する、悪しき存在の象徴だ。たくさんの人を救うどころか傷つけ、苦しめるための力でしかなく、げんにメアリやガラブシたちが一般の人たちからメダルを集めたり悪事を働いたりするために、その『闇』を悪用するところを何度も目撃してきた。
そんな人たちと……あたしが同じ力を持っているというだけでも厭わしくて泣きそうになるのに、いったいそれが、何の役に立つというのだろう……?
「(まして……あたしは、すみれちゃんから力を貰って命をつないでいる……厄介者なのに……っ)」
それを思うと、また悔しさと悲しさがぶり返して……このまま消えてしまいたいという思いが心をせめぎたててくる。
そして、うつむいたことで目に込み上がってきた涙がこぼれ落ちそうになった……その時だった。
「……光が強くなれば、闇はさらに濃くなってその姿形を明らかにする」
「えっ……?」
「昔、俺を鍛えてくれた人の口癖だ。『闇』を嫌い、拒絶することは当然の感情で、誰しもそうありたいと願うもの。……だが、『光』ばかりでは完全に『闇』を祓うことはできず、それどころか却って力と勢いを増大させることもありうる。……ならば、力を持つ『闇』を消し去ろうとするには、いったいどうすればいい?」
「それは、……」
突然の質問に、あたしはすぐに回答が思いつかなくて口ごもってしまう。
『闇』を消す……? そんなことができるんだろうか。たとえば強い光で地上を照らしてみせても、何か障害物があれば勝手に影――『闇』は生まれてしまう。だから『闇』を消すことは、あっさりと答えが出せるほど簡単なことじゃないはずだ……。
「……わかりません。それこそ、影ができないくらいに広くて何もない世界なら、『闇』は消してしまえるかもしれませんけど……」
「はは、それもひとつの方法だな。……だがそれは、影のもととなる誰かの存在を否定するのと同じことだ。そして、自らでさえも影を生み出す存在であることを忘れてはいけない。……俺の言っている意味を、理解してもらえただろうか」
「……。あっ……?」
唯人さんの言葉から、あたしは彼の伝えたい意図が分かったような気がして、はっと息をのむ。『光』を生み出す者と、それを受ける者――それぞれの力と役割が違ってはいても、ひとつだけ共通していることがあった。
「みんな、影……『闇』をつくり出す、もとになってる……?」
「そうだ。怒り、悲しみ、苦しみ、悔やみ……誰しもが『闇』の源を持ち、その業から逃れられることはできない。そして、一見して同じようなものでも『闇』には様々なものが存在して、地上を色や形、強さと大きさで彩っている。それもまた、『光』があるがゆえんの醜さであり、美しさなのだと俺は――私は、そう思うのだ」
「…………」
「大切なのは、『光』を受けてどんな『闇』をつくり出し、地上を彩ってみせるかだ。『闇』は『光』がなければただの『無』でしかなく、『光』もまた、『闇』がなければ『虚』なもの。だからこそ、『光』と『闇』は密接であらねばならない。……君と、すみれのようにな」
「……っ……!!」
脳裏に浮かんだすみれちゃんの勇ましくて凛々しい姿に、あたしはなによりも心強くてあたたかい励ましを覚えて、顔を上げる。
もちろん、自分がすみれちゃんと同等のパートナーだなんておこがましい、とわかってる。彼女にはそれこそ一生かけて償い、返していっても足りないくらいで、あたしは彼女のためなら何と引き換えにしても全然惜しくない。
ただ……誰よりも大好きで尊敬してる人が自分の側にいてくれて、理想とする先にいるのだと思えば、そこを目指すことが全然辛いものではなく、それどころか楽しいとすら感じられた。
「だから、天月めぐる。君は『光』を助ける『闇』となって、全てを否定しようとする悪しき『闇』に立ち向かうのだ。それこそが『光』への助けと、己自身の贖罪となる――」
× × × ×
「――だから、あたしは戦う! この、『闇』の力を使って……!!」
そう言ってめぐるは、私たちが呆然と見守る中『ルシファー』の胸元をつかんで離さない左手から光……いや、闇の波動を広げてゆく。すると、
「っ……ぐ、……ぁぁああぁっっ……!!」
さっきまで無表情で反応すらまともに返さなかった『ルシファー』が苦悶の声を上げて、はっきりとその顔を歪める。それを見て驚いたのは私たちだけでなく、さっきまでにやにやと余裕の表情で状況を眺めていたはずのブラックカーテンもだった。
「なっ……お前、なにをしやがった!?」
「……何もしてないよ。あたしはただ、この中に封じられてるメダルの「魂」に呼びかけているだけだから。「このままで、本当にいいの?」……ってね」
「呼びかける、だとっ……?」
「そうだよ。だって、この『ルシファー』を動かすために使ったメダルが『エリュシオン・メダル』なんだとしたら、この中にはエリュシオンの人たちの心が眠っているはず。だから――はぁぁあぁっっ!」
力と気合のこもった叫びとともに、めぐるは左手を勢いよく後方へと引き抜く。すると、『ルシファー』の身体がまばゆい光に包まれたかと思うと、急速に収束し……ばたり、と糸が切れた操り人形のようにその場に倒れ込むや、その姿が無数の光の粒となって霧散していった。
「エンジェルローズ……それが、あなたたちを元の世界へと還す、滅びの天使の名前だよ。夜明けを見る前に、眠らせてあげる――永遠にね」
そう言って憂いの表情を浮かべるめぐるの左手の中には、鈍く光るメダルがあった――。
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