第51話
「……その後、我らは評議会の長老たちを説き伏せて、有志とともにイデアの地を訪れた。そしてアストレアさまの主導のもと、エリュシオンから流れ込む『悪しきマナ』を浄化して正常なるマナ……いわゆる波動エネルギーに変換する装置と、それらは元の世界へと循環させるシステムを構築したのだ――」
「それが……アースガルズの集落にあった、あの神殿……?」
それを聞いて私は、あの神殿のゲートが魔界――エリュシオンに通じていた理由を理解する。アストレアはゲートの鍵を渡してくれた時に「これがないと通過できない」と私たちに言っていたが、おそらくそれは『悪しきマナ』によって汚染されるということを意味していたのだろう。
もっとも、そのゲートに近づく直前にクラウディウスが介入してきて――さらにその後イスカーナの王城襲撃の報告がもたらされたために、結局私たちは魔界へと移動することがないままその場を立ち去り、ゲートの鍵はいまだ私の手元にあるのだけど……。
「ということは、あなたはアインと『融合』した私と戦った後……『天使の涙』を使って、そのゲートからこのエリュシオンへ戻った――というわけね」
「そうだ。……だが、あの神殿で俺に互角以上の戦いをしてきた小娘が、まさか『天ノ遣』の片割れだったとはな。事前にそれと知っておればあのような不覚も取らず、余計な手間も省けたものを……め……」
「えっ……?」
なんだろう。今、クラウディウスは誰かの名前を口にしたような気がしたけど……小声のせいでよく聞き取ることができなかった。
「とはいえ、黄昏には暁が伴うもの……ゆえに一人の動きさえ操れば、もう一人を誘い出すことはたやすい。その思惑通りに動いてくれて助かったぞ、黄昏の『天ノ遣』よ――」
「……っ……」
めぐる絡みだったからとはいえ、冷静さを失ってクラウディウスの策に踊らされたことが、今さらながら悔やまれる。……もっとも、彼女を目の前で連れ去られたあの場面で他に何か選択肢があったとしても、私の取るべき道はただ一つだけだったのかもしれないが。
「くくっ……俺としては誘い出された貴様らが傷つけあい、共倒れともなれば力を容易に手に入れることができたのであろうが……さすがにそれは期待が過ぎたというものだな」
「……残念だったわね、期待外れで」
ぎりっ、と奥歯をかみしめ憎まれ口をぶつけながら、私はクラウディウスを睨みつける。危うくのところで大切な友達に取り返しのつかない真似をしてしまうところだったことを思い出し……私はこみあげてくる怒りを抑えこむのに苦労した。
「すみれちゃん……っ」
隣に並んで立つめぐるが、気遣うように声をかけてくる。それに対して私は、わかってる、と返事を表情に載せながら、視線を交わしてゆっくりと頷いた。
「クラウディウス……そこまでして、あなたが実現しようとしているものは何? アストレアさまの復活? それとも――」
「……確かに、その想いもあった。だがあのお方は、おそらくその改変を受け入れようとは思わぬだろう。……いかなる運命をも受け入れることを、イデアを訪れた時から覚悟されていたからな」
「…………」
私も、そうだと思う。たとえ理想の道半ばで不慮に斃れるとはいえ、自然の摂理に背いてまでアストレアは自らの運命を変えようとは考えないだろう。むしろ、自分の信頼する誰かに願いを託し、安らかに終焉を受け入れたと思う。
……だとしたら、そんなアストレアの意思に背いてまで果たそうとするクラウディウスの野望は、何を目的として生まれたものなんだろうか。
そんな疑問と違和感に答えが見いだせず、私は、あえて訊かずにはいられなかった。
「だったら、なぜ……? なぜあなたは、アストレアの教えや信念に背く道を選んだの? いったいどんな理由があって、あなたが崇拝する彼女を裏切ったりしたの……!?」
「……っ……!」
「フェリシアは言ってたわ。あなたは優しく、誇り高い人だと。だから、不可抗力だったとはいえ悪しき力に魂を汚されたことが許せず、自らを責め続けたって。それだけ高潔だったあなたを今のように変えたのは、いったい何が――」
「裏切った、だと……? ふざけるなっ! アストレアさまを裏切ったのは、この世界に巣食う凡愚どもだッッ!!」
「――っ!?」
血が迸るかと思えるほどの叫びに、私はもちろんめぐるも気圧されて身を引き、さらには後ろに控えるテスラさんたちも息をのむ。
ずっと沈着、冷酷に振る舞ってきたクラウディウスがここまで激昂した反応を見せるのは、正直意外だった。それほど今の「裏切り」という言葉は、彼にとって逆鱗に触れる禁句だったのだろうか……?
「アストレアさまはすべてを愛し、あらゆる生きとし生けるものを大切に想われていた! だからこそ俺はその気高く優しい思いに応え、『悪しきマナ』の化身たる魔物どものせん滅にこの身命を捧げてきたのだ! その果てにこの命を焼き尽くしたとしても、俺は笑ってこの世に別れを告げることができる……その覚悟でな! だがっ――!」
ぎり、と歯がみする。その口元からは血のしたたりがこぼれるのが映り、目には血走った狂気の輝きがあった。
「だが、平行世界の狭間へと落ちて――あらゆる世界へと渡り歩いて生きながらえたことで、俺は知った! 知ってしまったのだ! アストレアさまのお命を奪ったのは、魔物でもなければ敵国の者でもない! 味方であるはずのイスカーナの連中――やつらの手によるものだとな!!」
「なっ……!?」
その衝撃的な真実を前に、私は目をむいてわが耳を疑う。
イスカーナ王国を強大な統一国家にすることで、アストレアは世界の安定した平和を実現させようとしていたという。……それなのにその彼女を亡き者にしたのが、一番の恩恵を被っていたはずのあの国の人たちっ……!?
「い……いい加減なことを言わないで! アストレアを害する理由なんて、彼らにはないでしょう!?」
「理由か……笑止! やつらにとっては、マナの力――すなわち波動エネルギーを手中に収めることが、アストレアさま以上に重要だったのだ!」
「力を、得る……っ?」
「あぁ、そうだ! 来るべき統一国家の頂点に君臨する、絶大な力を得るためにな!」
「……っ……!?」
そういえば、と思い出す。……アースガルズに向かう道中で、フェリシアがイスカーナの支配体制のことを話してくれたことを――。
× × × ×
『イスカーナには国王がいるが……あれは「選挙」によって王となった者だ。いわゆる盟主と呼んだほうがより正確な肩書かもしれん』
『盟主……それってつまり、地方領主や貴族階級の中から選ばれたってこと?』
『ほう、さすがに詳しいな。王の在位期間は4年と決まっていて、よほどのことがない限り時期が来ればその座を退く。そして今年が、ちょうどその改選の年になっていて――』
× × × ×
「じゃあ、まさか……後継者争いに、アストレアさまは巻き込まれた……!?」
「それだけではない! 絶対なる統一国家の実現が目前に見えてきたことで……やつらは恐れたのだ! このままでは、アストレアさまが名実ともに国の象徴、そして尊敬の対象となり、やがては自分たちの地位を脅かすようになると……! だから、排除したのだ! 俺たちがあのお方の側を離れた一瞬の隙を狙い、刺客を差し向けて……!」
「そんな……っ! そんな単純な理由で、何よりも心強い協力者を……!?」
それが事実だとしたら、あまりにも短絡的で……なにより計画性を放棄した愚かすぎる所業だ。
金の卵を産む鶏は、その体内に金の塊を内包しているとでも考えたのだろうか。……以前、謁見の間に居並んでいた王や重臣たちの容貌が脳裏に浮かび、それが途端に醜悪なもののように感じられて虫唾が走る思いだった。
「それでも……それでも! それが我らの……俺たちの世界だけであれば、まだ救われた! 許すことができた! だが、奴らの愚行はありとあらゆる平行世界の全てで起こり、アストレアさまはそのたびに害され、あのお方がもたらした波動エネルギーは凡愚どもの政争の具、欲望の対象として濫用された……その現場を、俺は数限りなくこの目で見てきたのだ!!」
「……っ……!」
そういえば、天使ちゃんが教えてくれた。イスカーナは大陸における覇権を握ってから、わずか数年で国力を衰退させた末に滅んだのだ、と。
つまり、その直接的な原因は……アストレアを排除し、それによって波動エネルギーを奪い合って、自滅したということ……!?
「あのお優しいアストレアさまは、そんなにも醜くあさましい世界のために故郷を捨てて、その尊い命と想いを捧げたというのか!? そしてエリュシオンは、そんな腐ったやつらに恩恵をもたらすがために滅びの道へと向かわねばならんのか!? その事実が、俺には許せなかった……!!」
「クラウディウス……いえカシウス、あなたは――」
「だから俺は、誓ったのだ! あの時に犯した過ちを正し、なすべきことをできなかった恥辱を雪いで……今度こそ、エリュシオンの復興と繁栄を築いてみせるとなっ!!」
「…………」
その、純粋ゆえに苛烈すぎる吐露に、私は二の句が継げず押し黙る。
アストレアを愛し、その意思を誰よりも尊重するがゆえに、それを軽視し無下に扱った者たちを許せなかった……その想いは、痛いほど理解ができた。私ですら、万が一その立場に置かれたとしたら同じ選択をして、狂気に身と心を預けてしまうかもしれない。
でも、……果たしてそれは、クラウディウスの言うとおりなのだろうか? 歴史のあらゆる事象に異なる真実が存在するように、ひょっとすると何かの誤解か、解釈の齟齬であった可能性は、本当にゼロなんだろうか……?
「(それに、……どうしてアストレアは、自分の命を狙う者がいる「未来」を見逃したの?)」
彼女には、予知の能力がある。そしておそらく、人の真偽を見抜く目も。にもかかわらず、刺客が差し向けられる可能性に気づきながら思惑通りに動いたりしたのは、なぜなのか。
……あと、気になることは他にもある。
アストレアはあの時も私たちに、城を出発して「急いで、アースガルズに向かえ」と強く促していた。そして何があっても、戻ってきてはいけない、と……。
――いずれ、あなた方は真実を知るでしょう。……ですが、それは別の誰かの口を介してのことになります。
――再び会うことは、きっとないでしょう。……ですが、それが一番良いことなのです。
あの言葉の意味は、どういう意味だったの? 自分の側にとどまれば、私たちまでもが危機にさらされるということ……? それとも――。
『っ? すみれ、前を見ろっ!!』
「えっ……? きゃぁぁぁっっ!?」
アインの警告にはっ、と顔をあげるが、それよりも早く、雷にでも打たれたような衝撃が全身を駆け巡る。
一瞬の出来事に、身構える余裕すらなかった。私たちに向かってクラウディウスは『天使の涙』を突きつける。そして、その宝石の部分から迸る電撃が私、そしてめぐるに目がけて放たれた――!
「(まずい……話に気を取られすぎた!)」
油断を悔いても、もう遅かった。めぐるは電撃の網によってその身体を捕えられて、私も完全ではないにせよ、利き腕の自由を奪われて床に引き倒されてしまう。
そして、そんな私たちのことを酷薄な笑みで見下ろしながら、クラウディウスは言い放っていった。
「ようやくここで揃ったな……黄昏に、暁の『天ノ遣』! お前たちさえ手に入れることができれば、わが願いと望みは、成就への道へとつながるのだ!!」
「な……んで……っ?」
「貴様らは、生まれながらにして『アカシック・レコーダー』の資格を持つ稀有な存在……世界の因果律に干渉し、構造すらも書き換える能力を生まれながらに持った者! つまり、イデアとエリュシオン――因果の軛としがらみによって身動きが取れないこのような状況下では、その血と魂が贄となって改変をもたらす……っ!」
「うぐっ……ぅ……!!」
クラウディウスが話している間も渦巻く大量のメダルが、まるで魔法陣のような幾何学模様を描き出し、私とめぐるの身体を包み込んでいく。
力が……抜けるっ……? まさか、あの渦に吸い取られて……!?
「す、すみれちゃっ……ぅあぁっ……!!」
「め、めぐ……ぅっ……!?」
残った手を掲げてメダルを出現させ、変身すべくコンパクトに合わせようとしたけれど……うまく力が入らずに取り落とし、メダルは床に転がってしまう。それを見て、はっ、と我に返ったテスラさんとナインさんは、すぐさま戦闘態勢をとってクラウディウスに向き直った。
「止めなさい、お父……いえ、カシウス・アロンダイト! 行きますよ、なっちゃんっ!」
「了解……、っ!」
私たちへの攻撃を阻止すべくテスラさんは電撃を、続いてナインさんは斬撃を繰り出しクラウディウスの至近へと迫る。
それでも、彼はそれをあっさりと片手で受け止めながら……アースガルズの神殿の時と同じく無造作な動きで、二人へ反撃を送り出した。
「きゃあっ!!」
「ぐぅ……っ!」
「……ふん、学習能力の低い小娘どもだ。この程度の腕で、私の娘をかたろうなど片腹痛い……!」
そしてクラウディウスは、まるで羽虫を踏み潰すような傲然とした動きで二人のもとへ歩み寄っていく。
このままじゃ、二人が危ない……! 無駄なあがきだと頭ではわかっていても、私は思わず反射的に手を伸ばした――その時だった。
『――やめなさい』
「っ!?」
『い、今の声は……まさか――、きゃぁぁっっ!!』
その声をとともに、アストレアの身体が光にぼうっ、と包まれ――その背中から、一人の女の子が弾かれるように飛び出してくる。
見覚えのない容貌……だけど、すぐさま同じように見ていためぐるが「エンデちゃん!」と叫ぶのを聞いた私は、それがアインのパートナーであるエンデという子だと理解した。
いや……驚くのは、そこではなかった。エリュシオンの民との融合を解き、それによって物言わぬ亡骸へと戻ったはずの、アストレアは――。
「そ、そんな馬鹿な……!」
「もう、止めてください……カシウス」
青白い肌に、わずかな赤みをのぼらせながら……驚愕し慄くクラウディウスに向かって、彼女はその本名を呼びかけた――。
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