第67話
視界を埋め尽くすように現れた、メアリ「たち」の姿。それを目の当たりにした私たちは言葉を失い、さっきまでの張りつめた緊張感を忘れてただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「な……なんなの、いったい……!?」
……思い出す。この、何処なのか見当もつかない場所に来る直前、私とめぐるは昨夜見た「悪夢」の話をしていた
そこに出てきたのは、あのメアリだ。何度も私たちの前に立ちふさがり、己の邪な野望と狂気を果たすべく戦いを挑み続けてきた彼女は、私とめぐるの心を支配した、などと嘯いて襲いかかってきたのだ。
それでも、めぐると想いを合わせることでその脅威を撃退することに成功し、メアリは不穏な言葉を残しながら姿を消して「悪夢」が終わった――はずだった。
だけど……っ!
「(これも、夢の中の話……? いえ、違うっ……!)」
一瞬、すがりそうになった淡い逃避の気持ちを、私は強く首を振って振り払う。
あの時と明らかに違うのは、身体の内外に伝わる時の流れの感触、そして意識と連動した四肢の反応だ。この状況が容易に受け入れがたい非現実なものとはいえ、あの「悪夢」よりリアリティに満ちている事実は認めざるをえなかった。
……ただ、それにしても。
最悪の記憶を爪痕のように残していったとはいえ目覚めとともに終わり、やがて時間の流れに従って存在すらも忘れて消えていくものが「悪夢」なのだとしたら、私たちがいま目にしているものは何と表現すればいいんだろう……?
「――――」
メアリ「たち」は妖しげな笑みを浮かべながら、ゆっくりとした足取りで徐々に私たちとの距離を詰めてくる。
その整然とした動きは、まるでロボットのように無機質で……その機械じみた雰囲気がかえって不気味な恐ろしさを醸し出していた。
「す、すみれちゃん……!」
「落ち着いて、めぐる! 心を乱されたら、相手の思うつぼよ!」
動揺もあらわに言葉を震わせるめぐるを励ますつもりで、私は叫びにも近い勢いで声を張り上げる。だけど、……口に出してみたことでなおさら、私は気づいてしまった。
虚勢を絞り出しているとすぐにわかるか細い響きに、喉が詰まったような息苦しさ。さらには全身から血の気が引くような戦慄に、戸惑いを通り越した恐怖の感情――。
もしも、そばに誰もいない状況で彼女「たち」と対峙していたら、私は悲鳴を上げながらなりふり構わず逃げ出していたのかもしれない。少なくともこの光景を受け入れてすぐに戦意を取り戻すことは、きっとできなかっただろう。
「……っ……!」
だけど、今の私は一人じゃない。隣には何よりも大切な友達がいて、あまりの事態に声を失い、泣きそうな顔で身じろぎすらできなくなってしまっている。
だとしたら、ここで動くしかない……! そう意を決した私は蛮勇をふるって足を踏み出し、めぐるをかばうようにメアリたちの前に対峙していった。
「すみれちゃん……!」
「まず、あの集団の実態を確かめるのが先よ。ひょっとしたら幻術のようなものを使って、私たちを惑わせようとしているのかもしれない……」
完全にあてずっぽうの推理だが、あのメアリのことだ……魔術か何かを駆使して、自分の姿を実際よりも多く見せている可能性もゼロではない。もしその通りだとすれば、本物以外は「幻」の虚像――つまり残りの一体を倒せば、全てを消し去ることもできるだろう。
「私が斬り込むから、あなたは援護して。いい?」
「っ、ダメだよ! 先制攻撃なら、あたしの方が――」
「大丈夫、私を信じて。……お願い」
顔を寄せ合ってささやき声でめぐると会話しながら、私は油断なくメアリ「たち」の動向をうかがう。彼女たちは前進を止め、それぞれの手に持った槍を構え悠然と佇んでいた。
……一気に飛び掛かれば、届かない間合いじゃない。そこまで接近しておきながら攻撃を仕掛けて来ないのは数の余裕なのか、それとも――。
「さっきの応用で行きましょう。あなたが突破口を開いた直後に、私が斬り込む。できる?」
「もちろんっ……!」
ようやく吹っ切れて腹をくくったのか、めぐるは力強く頷いて口元を引き結ぶ。その輝く瞳に頼もしさを感じながら私は正面へと視線を戻し、『サファイア・ブルーム』を出現させて身構えた。
「――めぐる、今よ!」
「うん! いくよ、『ローズ・クラッシャー!』っ!」
合図を送ると同時にめぐるは私の前に進み出て、手に持ったメイス状の武器から巨大な鉄球をメアリ「たち」に向けて振り放つ。それを見て彼女たちは左右に分かれて飛び退り、やがて鉄球の直撃を受けた床は轟音をあげながら塵芥と瓦礫を巻き込んだ爆風が炸裂した。
「(今っ……!)」
私は全身に力を込め、地面を勢いよく蹴って土煙の中へと突進する。そして、視界がやや晴れた先に一体のメアリを捉えるや間合いを詰め、一気に刺突の連撃を放った――!
「『エンジェルローリングサンダー・黄昏』ッッ!!」
「――っ……!」
その怒涛の攻撃を、メアリは持っていた槍でことごとく弾き飛ばす。
反撃の手応え……ということは、今戦っている相手は幻ではなく、実体? つまり本物がこいつ――。
「っ? すみれちゃん、後ろっ!」
「っ……!?」
めぐるの叫びにすぐさま反応し、私は薙刀状の『サファイア・ブルーム』を手繰って閃かせながら身を翻す。そして、目前に迫った槍の凶刃を間一髪で撃ち返し、さらに反撃を試みようと下段の構えから得物を振りかぶった――が、
「なっ?――ぐぅっ!!」
突然、右横から殺気を覚えて顔を向けると、槍を頭上高く掲げたメアリの姿が至近に映る。とっさに柄の部分でその刃を受け止めたものの、衝撃までは削ぐことができずその場に膝をついて動きを止めてしまった。
その背後に、また別の気配が迫ってきて――!
「すみれちゃん! このっ……『エンジェルジェットスライダー・暁』ぃッッ!!」
そこへ、駆けつけてくれためぐるが鉄球を振り回して、集まってきたメアリの集団を薙ぎ払う。その捨て身の大技に巻き込まれた数体は防ぎきれずに吹き飛ばされ、周囲にいた連中もまた暴風の脅威を避けるべく四方へと退いていった。
「大丈夫、すみれちゃん!」
「えぇ、心配いらないわ。ちょっと不意を突かれただけだから……それより」
「……うん」
話を最後まで聞く前に、めぐるは私の言いたいことを察して険しい表情を浮かべながら頷く。
……私を襲ってきたメアリ「たち」は、全て質量を持った攻撃を繰り出してきた。つまりあの集団は「幻」などではなく、「実体」と見るべきだろう。
「力も、以前戦った時とほぼ同じ……やっぱり、認めるしかないようね」
「うん。でも、どうしてメアリがあんなにもたくさん増えて――、っ!?」
そう言って顔を前に向けためぐるの表情が、驚愕に固まって目を大きく見開く。何事かと思ってその視線の先を見つめた私もまた、……彼女と同じく立ち上がることも忘れてその場に凍り付いてしまった。
「……クク、クククク……」
「ケケケ、ケケケケッ……」
めぐるの攻撃をかわしたメアリたちは再び集結して群れを成し、無機質で不気味な笑い声をあげながら武器を構える。……いや、それだけならば想定内の事態だけど、それ以上に異様で奇怪だったのは鉄球の攻撃を受けた数人もまた、血を流し凄惨な姿をさらしながら何事もなかったように起き上がってきたことだった。
「な、なんなのっ……!?」
全身の肌が泡立つような悪寒に震えながら、私は思わず呻くようにそう呟く。
昔テレビで見た、ホラー映画。集団を組んだゾンビたちが全身から肉を腐り落としながら獲物を求め群がってくる……目の前に広がっているのは、まさにそんな恐怖の光景だった。
……逃げなきゃ。私たちでは、とてもかなわない。
でも、……どこに? 今、自分たちがいる場所すらもわからないのに、どうやって?
だったら、せめてっ――。
「っ……逃げて、すみれちゃん!」
慄きながらも必死に立ち上がったその時、めぐるが『ローズ・クラッシャー』を構えながら私をかばうように前へと進み出る。そして、私が手を伸ばして彼女に呼び掛けようと口を開きかけると、背を向けたまま気丈に声を張って続けた。
「あたしが、時間を稼ぐから……すみれちゃんはその隙に、この部屋を出て、逃げてっ!」
「な、何を言い出すの!? そんなことできるわけ――」
「さっきは、すみれちゃんが勇気を出してくれたんだから……今度はあたしの番。大丈夫、絶対食い止めてみせる……!」
「っ……!?」
無茶苦茶な理由づけに、私は怒るよりも呆れを感じて言葉を失ってしまう。
さっきの強襲はあくまでも、めぐるの援護をある程度期待していたからこそできたことだ。たとえ敵に包囲されたとしても、彼女が助けに来てくれる――その可能性がなければ、ただの自殺行為だっただろう。
だけど……私を逃がしてめぐる一人だけが残るとしたら、誰が助けに来ると? 冗談で言われても笑えないし、もし本気だったらひっぱたきたくなるくらい「ありえない」選択肢だった。
「…………」
……ただ、めぐるがそんな「ありえない」提案を迷いもなく言ってくれることが実は少しだけ……いや、すごく嬉しくて幸せに感じたのは、私だけの秘密だ。
だから私も覚悟を決め、さっきまでの恐怖を全て捨て去ってめぐるの横に並ぶと、『サファイア・ブルーム』を構えながら言葉を返していった。
「……バカなこと言わないで。何のために私があなたを連れ戻しにエリュシオンまで行ったのか、わかんなくなるでしょ」
「すみれちゃん、でも……っ」
「帰るのだとしたら、二人一緒が必須の条件よ。それ以外は聞かないし、認めないわ」
たとえ、帰る以外の結末になったとしても二人一緒……ただ、そちらの可能性はなるべく考えたくないので私はあえて言葉にせず、めぐるに顔を向けて精一杯の微笑みを浮かべていった。
「私たちは、二人でひとつなんだから。……そうでしょ、めぐる?」
「っ……うんっ!」
めぐるは目尻に浮かんだ涙をぬぐいながら、嬉しそうに頷いてくれる。
……おそらく彼女も、胸の中に抱いた恐怖と絶望と必死に戦いながら、それでも私のことを一番に考えてあの結論に至ったのだろう。その優しさは確かにありがたいのだけど、それは私にとって絶対に受け入れられない、それどころか存在すらも認めたくないものだ。
とはいえ、そんな気持ちとは裏腹に……。
「……全部倒すのは無理だから、一点集中で突破に賭けましょう。足を止めず、二人でこの部屋を出る――いいわね?」
「わかった、任せて!」
めぐるは瞳に輝きを再び宿らせながら、私に笑顔で応える。その表情はとてもあたたかくて、いつも私に力を与えてくれた。
だからもし、神様が本当にいるのだとしたら……。
どんなに最悪の運命と結末が私たちの前に待ち受けていたとしても、せめてこの子だけは無事に元の学院、あるいは故郷の島へ――。
そんな悲壮感を胸の奥に秘めて武器を構えた、その時だった。
「――ファントム・インパルスっっ!!」
背後から鋭い叫びが聞こえ、その直後私たちのすぐ横を稲妻のようなまばゆい光が走り抜けていく。それは目の前のメアリ数体に命中し、彼女は迸る電撃によって動きを止めると苦悶の叫び声をあげていった。
「ギャァァァァッッ!!」
「グェェェェッッ!!」
それはもはや人ではなく、獣か化生のような咆哮。続いて、突然の事態の変化に唖然とする私たちを一条の疾風が追い抜いたかと思うと、大剣を構えた「その人」が後ろ姿の残像を残しながらダメージを負ったメアリたちとの間合いを詰め、一気に斬りかかっていった。
「っ、たあぁぁぁッッ!!」
その斬撃は鋭く真一文字に、電撃で焼け焦げたメアリの首を一体、二体と刎ねていく。そして三体目を屠った直後、ようやく動き出した周囲のメアリたちが一斉に槍で突きかかってきたが、「彼女」はそれをことごとくいなし、素早く後方転回の動きで包囲網を抜けると私たちの前に来て肩越しに振り返っていった。
「……大丈夫?」
「あ、あなたは……っ?」
「めぐるさんにすみれさん、遅れて申し訳ありません。……いえ、この場合遅れてよかったと申し上げるべきでしょうか」
その名前を呼ぶ前に、背後からやってきた「その人」は私たちの隣に並んで、先ほどとは違う優しい響きの声でにこやかに話しかけてくれる。
美しい髪をなびかせながら、花の髪飾りをそれぞれ左と右とにきらめかせる双子の姉妹。それは――。
「……無事でよかったです。ここは、私たちにお任せください」
異世界エリュシオンで何度も私たちを助けてくれた頼もしい仲間、テスラさんとナインさんだった……!
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