第55話
光の聖剣と、破邪の矛……必殺の武具を手にしためぐるさんとすみれさんの閃撃を同時に受け、怪物化したクラウディウス・ヌッラが私の目前で轟音をあげながら、その巨体を地に伏してゆく。
まさに、古い神話を描き出した絵画のように美しく、見事で……なによりも致命的な一撃だった。あれほどの攻撃をまともに食らってしまえば、いくら魔王の力を得た『彼』であれひとたまりもないだろう。
「……っ……」
……眩暈がして、足元がふらつく。先ほどの攻撃でなっちゃんとともに受けたダメージがまだ回復しきっていないのかもしれない。
それに、クラウディウスからの攻撃を受けて壁に激突し、瓦礫の中に埋もれた直後の私は身動きすらもできない有様だった。アストレアの回復術を受けていなければ、おそらく今頃は……。
「……。そうだ……」
ふと、私は……瓦礫の中で薄れゆく意識の中、過去の記憶を脳裏に呼び起こしていたことを思い出す。
それは、数週間前の出来事だ。お父様との思い出が残るフィンランドのとある村を訪れた私となっちゃんは、そこでなじみ深い建物の中に足を踏み入れて、地下へとつながる入口を見つけたのだ。
そして、洞窟のように長く伸びた通路を抜けて……そこで――。
× × × ×
「あなたが、……お父様?」
「そうだ。テスラ、それにナイン……。思ったよりも元気そうで、何よりだ」
そう言って、人語を理解して話す不思議なネズミ……ピエールは私となっちゃんを交互に見つめ、微笑みのような表情を浮かべる。
もちろん、姿形が小動物ということもあったので、生前のお父様の面影とは似ても似つかなかった。だけど……!
「声、……お父様と、同じっ……!?」
聞き間違えるはずもない。なっちゃんが思わずもらしたその言葉のとおり、ピエールがその口から発する声色はまさにお父様と瓜二つのものだった。
「おいおい……こいつぁ、どういうことだ? 幽霊にしては妙ちくりんな姿だが、まさか化けて出てきたってのかよ?」
「幽霊……か。確かに、当たらずとも遠からずといったところだろうな。実際、お前たちがこうしてここに来たということは……オリジナルとしての『ダークトレーダー』はもはや、この世の人間ではないことを意味しているのだから」
「……っ……」
そう、ナポレオンに答えるピエールの言葉を聞いて……私はかすかに抱きかけた一縷の望みが胸の中で霧散するのを感じる。
やはり、お父様はもう……いない。すでに理解して、納得もしたつもりだったけれど……その厳然たる事実に、私は冷水を浴びせられたような気分で口元をきゅっ、とかみしめた。
「では……あなたは、いったい何者? どうしてあなたが、お父様の魂を引き継いでいるのですか?」
「魂……といっても、あくまで一部だけだ。波動エネルギーを内包したアスタリウムの力で、もしもの時に備えてデータ化した自分自身の人格と記憶を残しているだけに過ぎない。このネズミの身体に乗り移ったように見えるのは、たまたまこの小動物と波長が同調したせいだろう」
「…………」
「ただ、さすがにこの姿では……私の分身だとは気づいてもらえそうにないかもしれんな。お前たちが疑うのも、無理はない」
「いえ……わかりますよ。ね、なっちゃん……?」
「……っ……」
私の問いかけに、なっちゃんは感極まったように声を詰まらせながら大きく頷く。そしてその顔には、驚きと……今にも涙がこぼれそうなほどに瞳を潤ませる、たとえようのない嬉しさが満ち溢れていた。
だけど……おそらく私も、この子と同じ顔をしているのだろう。だって、急に視界がにじんだように感じるこれは、きっと……!
「……っ、父さまっ……!!」
なっちゃんは地面に膝をつきながら、恐る恐る手を伸ばしてピエールの小さな身体に触れる。そして、掌の中に包み込むように収めると……嗚咽に肩を震わせながらそれを胸の前で優しく抱きしめた。
「父さま……また、会えたっ……! うぅっ……!」
「……辛い思いをさせてしまったな、ナイン。テスラも、……すまなかった」
「っ、いえ……そんなっ……!」
「ただ、お前たちの優しさに水を差すようで申し訳ないが……さっきも説明をしたように、ここにいる私は私ではない。ダークトレーダーの人格と記憶の一部のデータを収めているだけの、あくまで記録媒体にすぎないのだ。だから――」
「……それでも、いいんです。だって私たちは、もう二度とお父様の声を聞くことはかなわないと思っていたんですから……!」
申し訳なさそうに話すピエールに、私はそう答えて首を振りながら、目尻に込み上がってきた熱い感触を指でそっと拭う。
どんなに悲しくても、現実を受け入れる覚悟はできていた。
これからの未来に自分たちがどう生きて、何をすべきなのかも心に強く誓っていた。
……でも、二度と会えないと思っていた『家族』の声をこんな形で聞けたことが嬉しくて、その小さな身体に重なるあの人の幻から目が離せない。
それに……人格と記憶の一部、とピエールはさっき言っていたけれども、これまで厳格に振る舞ってきたお父様が最期に残そうとした『想い』に触れることができて……私たちは切なさに胸がはちきれそうだった。
やがて、私の心が少し落ち着き……なっちゃんもひとしきり涙を流して嗚咽が収まった頃合いを見計らって、ピエールはとある『言付け』を私たちに伝えていった。
「テスラ、ナインよ。私からの、本当に最後の命令……いや、お願いだ。お前たちは、魔界――エリュシオンに行ってくれ」
「えっ……!?」
あまりにも唐突で、しかも聞き及んだことのない場所の名前を告げられたため、私は即座にどう返すべきかわからず、息をのんで固まる。隣にいるなっちゃんも、その言葉の意味が何なのか理解できない様子で目を見開き、不安げに私に視線を送ってきていた。
「あの……魔界に行けとは、どういうことなんですか? そもそも私たちは、それがどこにあるのかさえわからないんですが……」
「アスタディール家には、その場所の存在と行き方についての記録がまだ残っているはずだ。ダークロマイアと戦い、ゼルシファーを討ち果たしたお前たちならば、情報を出してもよいと考える者がきっといる。それを頼るがいい」
「で、でも……」
再会の喜びがすでに落ち着いた反動のせいか、困惑と不審が拭いきれない私たちはその『メッセージ』をどう捉えるべきか、思考を巡らせる。……すると、ピエールはなっちゃんの手の中から逃れ、近くの岩場にちょん、と乗っかると苦笑交じりに息をついて続けた。
「……ずっと、心残りだった。お前たちには、私がどうしてあのような暴挙と愚行を犯したのか……その動機については、一度も話したことがなかった。ツインファントムとして『天ノ遣』たちと敵対させた時ですら、その行動理念について示したことは皆無だったからな」
「…………」
そういえば……遥さんたちと和解する前から、ずっと不思議に感じていた。お父様があれほど狂気的に、そして偏執的なまでの情熱を費やす目的は一体何だったのだろう、と。
「それを……私たちに教えてくれるというのですか?」
「そうだ。……実を言うとダークロマイアに加担すると決めた時点では、真実は永遠にこの胸にしまって逝くことを考えていた。……だが、決戦を前にして心が変わってしまった」
「心が、変わった……? どういうことですか?」
「……未練だと、笑うがいい。自分の生きざまを何も残さず消えることに、迷いと……おそらく、欲が出てしまったのだ。だからせめて、お前たちだけには、真実を――」
× × × ×
「……さん、テスラさんっ!」
「えっ……? あ、すみれさん……」
何度目かの呼びかけで、ようやくテスラさんは私の声に気づいたのかはっ、と息をのんでこちらに顔を向けてくれる。
……よかった。顔色こそ疲労とダメージが残っているのか優れない様子だったけれど、瞳からはさっきまでのような虚ろな曇りが薄れ、元の輝きが戻っていた。
「大丈夫ですか……? 話しかけても、急に反応がなくなって……心配しました」
「……すみません。少し、集中が切れて……クラウディウスはどうなりましたか?」
「あ、はい。あちらに――」
わずかな違和感を覚えつつも、私はテスラさんに見えるよう大広間の中央を指し示していった。
「グッ、……オオォォォおぉぉっ……!!」
猛獣のような咆哮が轟いて周囲の空気をびりびりと震わせたかと思うと、怪物の胸元と背中……両方に鋭く斬り開かれた裂け目から、大量の黒い波動の力が勢いよく噴き出してくる。それがしばらく続いた後、醜いその巨体は瞬く間に原形を失い……まるで砂像のようにさらさらと崩れていった。
「すみれちゃん、あれって……?」
「……ええ」
隣に立つめぐるの指さした先に目を向けて、私は頷く。
黒い煙が消え、怪物の身体が跡形もなくなったそこには、一人の男――クラウディウスが元の姿に戻って倒れているのが見えた。
「お……おのれ……! 一度ならず、またしてもこの俺の邪魔を……っ!」
そう、苦痛のうめき声をあげながら私たちに呪いの言葉を吐きかけると、クラウディウスは床に手をついて上体を起こし、よろよろと立ち上がる。そして、残された力を振り絞るように手に持った『天使の涙』をこちらに向けてきたのを見て私は腰を落とし、緩みかけた心に気合を入れてアインの『破邪の矛』を両手持ちに構えて向き直った。
――と、そこへ。
『――無駄です』
冷ややかに、そして容赦なく思念波によって断じたのは、めぐるの手の中にある剣――エンデだった。
『あなたの今の力では、先ほどまでの巨体を維持することはできません。それに……』
エンデの言葉を受けて、私はクラウディウスの様子をうかがってはたと気づく。
その手には、力の源となっていた『天使の涙』が確かに収められていた。だけど……。
「……『天使の涙』。片方はもう、取り返したよ」
そう言ってめぐるは、大剣を握っている手とは反対側の手を掲げてみせる。そこには、涙のような形をしたペンダントがあった。
「貴様……いつの間に!?」
「同時攻撃をかけた後、エンデちゃんが教えてくれたんだ。『今が絶好のチャンスだ』ってね」
驚愕に目をむくクラウディウスに、めぐるは笑みを浮かべながら彼に鋭い視線を向けて応える。私も破邪の矛を両手に構え直すと、今度こそは逃がさないとばかりに鋭い切っ先を向けていった。
「いずれにしても、チェックメイトよ。『天使の涙』の力を引き出せなくなったあなたには、もはや魔王の力を維持することができない。……諦めなさい」
「……っ……!」
その宣告に心が折れたのか、ついにクラウディウスはがくり、と膝を折ってその場に崩れ落ちる。その様子を見て私たちは顔を見合わせ、張りつめた緊張を解いて大きく息をついた。
『そういえば、ディスパーザさま……『魔王のメダル』はどこだ?』
「……あそこの床に落ちてる、あれじゃないの?」
『っ? ディスパーザさま……っ!』
「きゃっ!?」
その瞬間、めぐるの手にあった大剣が光に包まれたかと思うと、人の形をとってエンデの姿となる。そして、少し離れた場所に落ちていたメダルの下へと駆け寄ると、それを拾いあげていとおしそうに胸にかき抱きながら安堵の息をついた。
『ディスパーザさま……よかった、ご無事で……』
「エンデちゃん……」
『この方が……私にだけ伝わる思念波で、教えてくださっていたのです。クラウディウスを倒すには、思考が防御動作へと移るよりも早く同時に攻撃するしかない、と』
「……そうだったのね」
クラウディウスの弱点にエンデがいち早く気づいたのはそういうことだったのかと、私は合点して頷く。
そして同時に、心の片隅ではなんとなく確信に近い思いを抱いていた。魔王ディスパーザとは、やはり私たちの知っている『あの人』なのでは、と……。
「……く、くくっ……。そうか……ディスパーザよ。お前とは結局、あの日に袂を分かった時から最後まで相容れることができなかったというわけか……」
クラウディウスは笑う。そんな彼にテスラさんとナインさんはゆっくりと歩み寄ると、悲しさも寂しさともつかぬ表情を浮かべながら口を開いていった。
「クラウディウス……いえ、お父様。もはやあなたの野望は潰え、魔界と人間界を反転させるということは不可能になりました。この上は潔く降伏して、あなた自身の罪を贖ってください」
「今なら……引き返せる。お願い」
「っ、くく……罪を贖う、だと? またしても世迷言を……」
「――怖いのですか、あなたは? 罪を認めることが、そんなにも……」
「なんだと……っ?」
テスラさんの淡々とした口調からの指摘が気に障ったのか、クラウディウスは身を乗り出すように凄んで向き直る。だけど彼女は目をそらすことなく、それを受け入れて続けた。
「あなたの野望に手を貸して、家族となり……そして敵として戦ってから、わかったことがあります。……クラウディウス、あなたは実のところ、一番自分のことを信じていなかったのですね」
「ふん、何を言うかと思えば……! 俺は、俺自身の選んだ道を進み、正しいと信じるものを現実にする――その誓いを胸に立ったのだ。愚かな邪推など、聞くにも及ばぬ」
「……聞いてください。未来のあなたは、私たちを魔界へ来させようとしました。ひょっとしたら、あなたは揺らぎそうになる信念や覚悟を守るために、自らを悪と狂気に追い込むしかなかったのではないか、と……」
「……やめろ」
「今になってみると、私はそう思う……いいえ、気づいたのです。あなたは、誰かに自分を否定されることを望んでいたのですね。そうすることでしか、自分が抱えてきた苦しさと悲しさを解消できなくて……だから――」
「止めろ、小娘ッッ!!」
そう叫ぶと、クラウディウスは怒りもあらわに立ち上がってテスラさんに迫る。それを見た私たちはすぐさま武器を構えて迎え撃とうとしたが、……それよりも早く彼女はその手に電撃の刃をいつの間にか生み出して、男の喉元にその切っ先を向けていた。
「……っ……!?」
「……勘違いしないでください。今の言葉は、同情ではありませんよ」
「ね、姉さん……っ!」
「ごめんね、なっちゃん。……でも、ここでこの人が過ちを受け入れなかったら、おそらく同じことを繰り返して……そして多くの人々と、自分自身さえも切り刻んでいくでしょう。だったら、いっそ――」
そして、テスラさんは眼光に刃物のような鋭さを満たし、腕を振り上げた――と、その時だった。
「えっ?……きゃぁぁっっ!?」
「っ、な、何……!?」
突然、大広間全体が立っているのがやっとなほど、激しい揺れに見舞われる。顔を四方に向けると、装飾らしきものは崩れ落ち、外からはおびただしい量の黒い波動が流れ込んできているのがはっきりと見えた。
『っ、もう時間がねぇ……! 急げ、すみれ!』
「い、急ぐといっても、何をすれば――、っ!?」
アインの急き立てに応えてから再び顔をあげると、目の前にいたはずのクラウディウスの姿が忽然と消えている。テスラさんも見失ったのか、戸惑いもあらわに視線を左右に向けていた。
「すみれちゃん! クラウディウスはどこっ!?」
「落ち着いて、めぐる! まだ、そう遠くには――」
「っ、……くく、くくくっ……!」
すると、大広間の奥のほうから低くくぐもった笑い声が聞こえてくる。見るとそこには、『天使の涙』の片方を高々と掲げて巨大な漆黒の渦を生み出している、クラウディウスの姿があった。
「っ? まだ、あれだけの力が残っていたの!?」
『いや、……あれは、あいつの手に持っている『天使の涙』――マナの結晶に残っていた力だ。だけど、あれを解放すれば……』
アインの懸念を最後まで聞くよりも早く、ガラスか石か、何か固いものが弾けて割れる音が響き渡る。それは、クラウディウスの掲げる『天使の涙』の片割れが、ところどころにひび割れたことによってできたものだった。
「ど、どうしよう……? あれが、こんなところで壊れたりしたら――!?」
『……大丈夫です。あれだけのマナの結晶であれば、エリュシオンの影響下を離れても自己修復の能力で元通りになります。ただ、そこに至るまでの歳月は数百年……いえ、それ以上かもしれませんが……』
「なっ……!?」
「ま、待ってください! お父っ――、っ!?」
駆け寄ろうとしたテスラさんの足元に、光弾が放たれる。それを避けようと一歩引いたその隙にクラウディウスは、どこからともなく漆黒の渦を呼び出していた。
「かような闇と邪に染まったこのわが身では、もはや後戻りなどできるわけがない……! たとえ、己の女神に背くことになったとしてもっ――!」
「……カシウス……」
そんなクラウディウスの叫びを聞きながら、私たちの後ろにいたアストレアは悲しげな表情を浮かべて……かつての名前を呼びかける。その視線を感じたのか、彼の表情に一瞬怯みにも似たものが浮かんだようにも見えたけれど――すぐさま天をふり仰ぎ、神に呪いをぶつけんばかりの勢いで咆哮していった。
「っ……認めるものか……! この選択が間違いだったなどと、俺は――絶対に認めないッッ!!」
クラウディウスはその叫びとともに、自らがつくり出した漆黒の渦の中に飛び込む。その身体はあっという間に包まれて見えなくなり、……やがて、渦とともに跡形もなく消えてしまった。
「お父、様……っ……」
いなくなった空間を見つめながら、テスラさんは後姿を向けたまま、その場を動かない。心なしか、その肩が落ちているように見えたのは……ただの私の思い込みだろうか。
「テスラさん、その……」
「……大丈夫ですよ、すみれさん」
それでもテスラさんは呼びかけに応えて振り返ると、どこか憑きが取れたように吹っ切れた表情を浮かべていった。
「お父様……あなたは、『明日』が欲しかったのですね。自分だけのためではなく、大切な誰かと過ごす時間を手に入れるために。だから――」
そこでテスラさんは言葉を切って、顔を背ける。そして、表情を隠すようにして何かを呟いていたけれど、……その言葉の最後だけはおりしも流れ込んできた風に運ばれて、私の耳にも届いてきた。
「だから、私たちにあそこで倒されることを望んだのですね……? あなたが尊いと思ってくれた、私たち『家族』に『明日』を渡すために――」
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