第34話

 砂地の平原を歩いてみると、思った以上にお城までの距離があって……城壁のすぐ近くにたどり着いた頃には、周囲は薄暗くなりはじめていた。


「大っきいね……」


 遠くから眺めた時は、周囲に比べるものがなかったせいで「わりと大きい」印象だったけど……改めて見上げると山のようにそびえ立って、圧倒されそうな感じ。学院の校舎も大きいけど、これはそれ以上……二倍くらい、かな。

 城壁には埋め込むように鉄製の門があって、今は固く閉じられている。重々しくて、頑丈なつくり……ちょっと押したくらいでは、びくともしないと思う。


「ところでエンデちゃん、どうやってこの中に入るの? 誰か呼んだら、開けてくれるのかな……?」

『いえ。この城の人たちにとって私たちは身元の知れない他所者ですから、たとえ頼んだところで中に入れてもらえるとは思えません。なので――』

「?」

『飛び越えます』

「えっ……!?」


 こんな高い壁を、どうやって?……なんて言葉を口に出すよりも早く、エンデちゃんはあたしの手をそっと握る。その瞬間、ふわっ、と風が舞い上がったかと思うと身体が軽くなって、砂地を踏みしめていた足が地面から離れはじめた。


「ひゃっ? え、えぇっ……!?」

『……力を抜いてください、めぐるさま。バランスを崩すと、私の制御から外れて落ちる恐れがあります』

「お、落ちるっ……!?」


 そんな注意を受けている間も、あたしの身体は不思議な力に支えられるようにして空中へと浮かび上がっていく。突然のことに思わずエンデちゃんの腕にしがみついてしまったけど、彼女は動じることもなく落ち着いた表情のまま、何か聞き取れない言葉を口ずさんでいた。


「・-・・ ・---・ ・・ -- ・-・-・- ・・-・ ・-・・ ・・・ ・--- --・-- -・ -・--- -・ -・・- -・---」


 やがて、あたしたちはあっさりと壁を越えて浮遊しながら、お城の中へと移動する。

視線を下に向けると、あちこちの家屋からはぽつぽつと明かりの気配。たぶん今頃はそれぞれの屋根の下で、いろんな家族が楽しい時間を過ごしているんだろう。

 そして、たくさんの住居を左右に分けるようにしてまっすぐに伸びる大きな道。その先には童話に出てくるようなお城が、天を突くようにどっしりとした姿を見せていた。


「でも、すごいね~。エンデちゃんって、こんなふうに空を飛べるんだ……!」

『はい。魔力を応用することで、この世界でも少しでしたら』

「そうなんだ……うわぁ……」


 チイチ島から東京に出てきて以来、展望台や超高層ビルの上から景色を眺めたことがあったけど……こんなふうに空中を浮遊しながら、足元に広がる街並みを見下ろすのは初めてだった。鳥のように翼が生えたみたいで、なんだか気持ちがワクワクしてきちゃう。


「(空を飛ぶのは、あの時以来かな……)」


 ふと、メアリの執念で宇宙空間へと飛び立った戦艦インフィニティラバー号を追って、すみれちゃんと飛んだ日のことを思い出す。

あの時は、戦艦を止めることだけを考えてて必死で……終わった後も頭の中はずっとヴェイルちゃんとヌイ君のことばかりだったから、景色を見る余裕なんてなかった。

 それを思うと、今は少しだけ気持ちにゆとりがあるんだろうな……前を向きながらも手をずっと握りしめてくれているエンデちゃんの真剣な横顔を見て、あたしはそんなことを思っていた。


「ねぇ、エンデちゃん。この魔力って、やっぱり聖杯の力と一緒なの?」

『聖杯……それは、イデアの言葉でいう波動エネルギーのことでしょうか』

「え、えっと……たぶん、そうか……な?」

『だとしたら、原理は同じですね。発動のための術式は異なりますので、エリュシオンにいる時と異なり使用時間は、かなり短いものになってしまいますが』

「…………」


 エンデちゃんの話している内容はわかりやすいようで、わかりにくくて……やっぱりわかりづらい。一生懸命耳を傾けていても、イメージがどうしてもつかめなかった。


「(すみれちゃんかみるくちゃんがいたら、解説をしてくれてもう少しわかりやすかったかも……)」


 可能性によって生まれた平行世界――その中身は大きく違っている。

科学が発展したというあたしたちの世界と、魔法が栄えたというエンデちゃんの世界。その違いはいったい、どういうところで生まれたんだろう……?

 なんてことを考えているうちに、あたしたちはお城がすぐ目の前に見えるところにまでたどり着いていた。


『……そろそろ降ります。ご準備はよろしいですか?』

「う、うんっ!」


 あたしがうなずくのを確かめてから、エンデちゃんはゆっくりと高度を落とす。そしてお城の陰に回り込むと、そこにある大きなバルコニーのひとつに降り立った。


「……鍵、かかってるね」


 扉のノブに手をかけてみたけど、しっかりと施錠されて動かない。この高さなら泥棒もなかなか忍び込めないと思うけど、やっぱり用心のためなんだろうか。

すると、それを見ていたエンデちゃんは「お任せください」とあたしに代わって、そっとノブの鍵の部分に手をかざす。そして、静電気のような火花がほとばしったかと思うと、扉がぎぃ……と音を立てながら開かれていった。


『……めぐるさま。おそらくこの城の中には、警備の兵士が多数控えているものと思われます。見つかると、厄介です』

「う、うん……」

『ですから、中に足を踏み入れた後はなるべく物音を立てず、静かに私の後をついてきてください。よろしいですか?』

「わ……わかったっ」


 エンデちゃんの注意に、あたしは物々しいくらいに大きくうなずく。それを見て彼女は優しく微笑んでから背を向け、踏み入った無人の室内を横切って廊下へと出る。

あたしはその後に、こわごわとした足取りで続いていった。


「迷路みたいだね……。アストレアさまって、どこにいるの?」

『大丈夫です。この城の構造は事前に把握して、どこに何があるかはわかっております』

「そうなの?」

『はい。アストレアさまの居場所は、この先にある聖女の間です。……では、参りましょう』


 あたしたちは物音を立てないように息をひそめ、時々物陰に身体を隠して周囲に注意を払いながら、慎重に進んでいく。

 なるべく小走りに、……突き当りになったら角に隠れて、……安全を確かめてから、また走る。その繰り返し。

 運がいいのか、誰とも出くわすことがなく順調な行程だった。二度ほど、遠くで警備の兵士さんらしき姿が目に入ったけれど……特に気づかれた様子もなく、その人はすぐに離れていった。


「(それにしても、真っ暗だね……)」


 人に見つかることよりも、この廊下の暗さが不安というか、落ち着かない。ディスパーザさまのお城にはろうそくの明かりがあってまだましだったけど、このお城はそれすらもなく、廊下の窓からの月明かりがわずかに足元の一部を照らしてくれているだけだった。


「あんまり、人がいないみたいだね……」

『……はい』


 時折、思い出したようにどこからともなく物音が聞こえることはあるけど、……廊下にはほとんど人の気配がない。昔の西洋のお城がどんなものなのか全然知らないけど、偉い人の住まいってこんなにも静かというか、寂しいものなんだろうか……?


『…………』


 そんなことを考えながら廊下の曲がり角に隠れて様子をうかがっていると、エンデちゃんが注意深く廊下の先を見据えながらぼそり、と呟いた。


『……やはりですか』

「どうしたの?」

『あまりにも警備が手薄過ぎます。これは、おそらく……』


 それだけ呟いて、エンデちゃんはまた黙ってしまう。本当は「何か気付いたの?」って聞きたかったけど、……その険しげな横顔を見ていたら、何も言うことができなかった。


『……。この先ですね』

「……っ……」

『参ります。私の後についてきてください』

「う、うん」


 エンデちゃんは柱の陰から出ると、それまでとは違って廊下の真ん中をゆっくりと歩き始める。あたしも遅れないよう、さらに早足になってその後を追いかけた。


  × × × ×


 廊下の先は、部屋……というよりも、大広間のような場所につながっていた。

 天井も高くて、そこから月の光が差し込む様子はまるで絵画か映画の中みたいだ。幻想的な景色を見ていると、本当にここが現実なのか夢なのかわからなくなってくる……。

 なんてことをぼんやりと考えながら、しばらく見惚れるように立ち尽くしていたその時だった。


「――やはり、お越しになりましたね」

「っ……!?」


 突然、透き通った声が聞こえて……慌てて顔を向ける。そして目を凝らすと影に隠れた先に、誰かが椅子に座っているのが見えた。


「あ……」


 それは、長い髪がキラキラと輝く女の人……ううん、女の子だった。

 室内が暗いから、はっきりと見えたわけじゃない。……だけど、月明かりに照らされたその雰囲気はまるでお姫様か、天使みたいな印象を受ける。

それに、……微笑みをたたえるようなその面立ちはすごく、優しい感じ。冷たい夜の中で、彼女の周りだけはほんのりと明るいような……そんな錯覚をあたしは覚えていた。


『お初に目にかかります、アストレアさま。私は……』

「ふふっ……そんなにかしこまらないでください、エンデ」

「えっ……?」


 にこやかにそう答えるしぐさと返答を見て、やっぱりこの人がアストレアさまだと理解する。

それに、エンデちゃんの名前を知っているってことは……。


『ご存じだったのですね。私が、ここに来ることは……』

「えぇ。あなたが、あの力を引きついだ人というわけですね」

『――――』


 エンデちゃんが息をのんで、硬い表情をする。その反応はさっきまでと違って、落ち着きがなく……気のせいか、どこか怖がっているようにも見えた。


『ここまでの警備が手薄だったのは……やはり、わざとですか?』

「はい。あなた方が来るまでは、魔物の襲撃はない。ですから、皆には早めに引き上げてもらいました」

『……感謝いたします。この城の方々に、姿を見られるわけにはいきませんでしたので』

「ふふ……あなたのためというより、城の兵士たちを気遣ってのことです。本気のあなたを相手にできるような武の者は、今この城に残っておりませんから」


 そういって、女の人――アストレアさまは少し困ったような笑顔を浮かべる。

 このお城の兵士さんだと、相手にならない……? そこまで言われるってことは、本気のエンデちゃんってどれくらい強いんだろうか。


『……では、本題に入らせていただきます。すでにお察しかと思いますが……私は、貴女さまをお迎えに上がりました』

「…………」


 そういって恭しく頭を下げるエンデちゃんを見て、アストレアさまは苦笑いしながらそっとため息をつく。そしてふと、あたしに顔を向けて小首をかしげながらいった。


「……天月、めぐるさん」

「は、はいっ!?」


 突然名前を呼ばれて、あたしはピンと背を伸ばす。……エンデちゃんと同じく、あたしの名前もわかってたみたいだ。

 うぅ、すごく偉い人だってエンデちゃんからも聞いてたから、緊張しちゃう……すみれちゃんならきっと、普通に受け答えができるんだろうけど。

 そんなことを思って次の言葉を待っていると、アストレアさまは軽く目を伏せながら呟くようにいった。


「あなたが、私の受け皿となるエリューセラなのですね」

「受け皿……?」


 何のことかわからず、首をかしげる。すると、その間に割り込むようにエンデちゃんが「アストレアさま」と一歩前に踏み出していった。


『……でしたら。私がここに現れた意味は、もうご理解いただいていると思います』

「えぇ。もうすぐ、私は死ぬのですね」

「……え、えぇっ!?」


 あまりにもあっさりとした言葉に思わず聞き逃しそうになったけど、その意味と深刻さに遅れて気づいたあたしは、思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。

 アストレアさまが……死ぬっ? ということは、あたしたちがここで連れ帰らないと、この人は……!?


「ど、どういうことですか!? アストレアさまが死ぬって、いったい何が……っ?」

『……めぐるさま、お静かに。さすがに、警備の者に気づかれます』

「だ、だって……!」


 あまりのことに、動揺が抑えられない。それに、自分が死ぬと言うのに……まるで本に書かれた文字を読み上げるような言い方をするアストレアさまの落ち着きすぎた態度に、ついあたしは気持ちが止められず言葉をつないでいった。


「怖く……ないんですか?」

「死ぬことがですか? ……そうですね。恐ろしくはありますが、すでに見えていたことですから」

「え? 見えていたって……それはどういう――」

『……でしたら、説明の必要はございませんね。私たちと一緒に、エリュシオンへお戻りください』


 あたしの質問は、エンデちゃんの声に遮られる。

 ……やっぱりだ。彼女がここまで落ち着きなく焦っている様子は、2人の話が本当だということを示している。そして、


『この夜が明ければ日付が変わります、アストレアさま。……そして貴女さまは、そこでお亡くなりになるのです』

「っ? そ、そうなの……!?」

『……はい。ですから、日付が変わる前に貴女さまを連れてこの国から出なければいけません』

「……っ……」


 硬く強ばったエンデちゃんの横顔を見つめながら、唾を飲み込む。

 焦る理由……それは、死の運命を回避するまで残された時間はあまりない、ということだった。


「…………」


 アストレアさまは目を閉じて、黙ったまま何も答えない。……そして少しの間考え込むようなしぐさをしてから顔をあげると、ゆっくりと首を横に振っていった。


「申し訳ありませんが、今はまだこのイスカーナを離れるわけにはいきません」

「ええっ……!?」


 アストレアさまがそう言って拒むのを見て、あたしはさらに驚く。ここに残れば死ぬとわかっていながら、その決意は小揺るぎもしなかったからだ。

それは、エンデちゃんも同じ気持ちだったんだろう……気色ばんだ様子を見せながら、彼女は詰め寄っていった。


『ど、どうしてですか……? このままだと、貴女さまは……っ!』

「わかっています。ただ現状、魔物たちは私の結界によってこの城への進行を食い止めている状況です。ですから、私が去れば結界が消え……その瞬間、彼らは大挙してこの国に押し寄せ、人々に襲いかかることでしょう」

「そ、そんな……!」


 落ち着き払った口調でそう告げるアストレアさまの様子に、あたしは思わず言葉を失ってしまう。

だけど、そんな彼女に対してエンデちゃんは、睨むように真正面から見つめて……。


『……それも、この世界の人々の運命だと思います』

「っ…!?」

『世界の選択は、この世界の人間が行うもの。あなたが背負うものではありません』


 凍えるような声で、そう断言する。それを聞いた瞬間、あたしは叫びながらエンデちゃんの腕にすがりついていった。



「だ……だめだよ、エンデちゃん!」

『めぐるさま……?』


 何か言おうとしたエンデちゃんの声をかき消すように、大声で叫ぶ。声を抑えるようにと注意されたことも忘れて、あたしは食い下がっていった。


「エンデちゃんの世界も、もちろん大事だよ! でも、でもっ……だからってこの世界の人のことを見捨てるなんて、そんなの絶対、駄目だよっ!」

『ですが、めぐるさま……我々には、時間がありません』


 そう言ってから口元を引き結びながら、エンデちゃんは首を横に振る。

……だけどその表情には、どこか虚勢を張るような固さ。冷たく振舞おうとしているけど、彼女なりの苦渋があるんじゃないか……そう、あたしは思いたかった。


「……っ……」


 どうしよう。アストレアさまがこの国を出たら、みんなが大変なことになる。だけど、このまま残れば今度は、アストレアさまが……。

 両方を助けることは、できない。だからといって、どちらも見捨てることはできない……。


――だったら、……あきらめるの?


「……っ!?」


 その時、脳裏に浮かんだのはすみれちゃんの厳しくて、……でも、あたしのことを大切に思ってくれるあの凛とした表情だった。

 うん、…そうだよ。だったら、あたしにできることは――。


「……。なら、守るよ」

『……え?』

「だったら、あたしがアストレアさまを守る!」

『なっ……!?』


 予想外の提案だったのか、エンデちゃんは目を丸くして唖然とした表情をする。

 勢いに任せて口走った、その場の思い付きだ。すごく無責任だし、実際に何かいい案が思いついたわけでもない。

それにアストレアさまと、この国の人たち……両方を助けることがどれだけ難しいか、わかっているつもりだ。


「(……でもっ!)」


確かに時間は少ないけど、ゼロじゃない。だったら、あたしにできることはまだ残っているはず……!


「少しだけ……少しだけでいいから、時間をください! アストレアさまと、この国の人たち……両方助ける方法を、見つけ出す! それまではあたしが、みんなを守ってみせるから!」

『めぐるさま……ですが――』

「お願い、エンデちゃん! あたし、エンデちゃんの世界もあたしの世界も……この世界も、全部守りたいの!」


 ……ここで頭の中に浮かんできたのは、やっぱりヴェイルちゃんとヌイ君の顔だった。

 あの二人が身を挺して守ってくれたおかげで、あたしとすみれちゃんは生きて帰ることができた……。

でも! だからといって犠牲を仕方がないものだ、なんて思いたくはない。何かを守るために別の何かを失う――それを肯定することは、あたしには絶対できなかった。


「誰かを犠牲にしないと、成り立たない幸せなんて……そんなの、幸せなんて呼べないよ! だからエンデちゃん、簡単にあきらめるだなんて言わないで!」

『っ……簡単ではありません! 私だって、何度も考えました! でも、結局っ……!』

「一人で抱え込まないでよ! みんなで考えよう……そして、力を合わせて頑張ろうよ!」

『……っ……』

「一人だったら無理でも、二人、三人なら何とかなることだってある! 今がそうだと言い切れないけど、可能性はゼロじゃないんだから!」


 ヴェイルちゃんと、ヌイ君との別れ……あんなことはもう、二度と繰り返したくない。ううん……繰り返しちゃいけないんだ!

 そう訴えるあたしに、エンデちゃんは困惑をさらに強くした表情で視線を逸らす。そして、大きくため息をつきながら少し呆れを含んだ声で言った。


『めぐるさま……私たちの意図にかかわらず、この世界でアストレアさまの存在が明日をもって「なくなる」ことは、もはや決まっているのです。そして、その後に訪れる悲惨な結末も――それをあなたは、変えようというのですか?』

「そうだよ! だって……あたし、正義の味方だから!」

『っ……!?』

「みんなの笑顔を守りたい! それが、正義の味方の役目でしょ?」

『…………』


 それを聞いて、エンデちゃんの表情が変わる。

 怒っているような、泣いているような……困っているような、笑っているような。

 そんな、たくさんの感情を詰め込んだようなエンデちゃんの向こう側で……あたしたちの様子をアストレアさまがじっと黙ったまま見つめていた。


「あのっ、アストレアさま! 勝手なことを言ってることは分かってます! でもっ……!」

「ふふっ……めぐるさん。あなたは、いい人ですね」


 そういって立ち上がったアストレアさまは、高いヒールで床をコツコツと叩きながらゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。

  そして、あたしの手を両手でそっと握りしめていった。


「やはり……『アカシック・レコーダー』の力を持つ人は、器の広さが違うということですね」

「? あかしっく…なんですか?」

「そう言われても、今は理解できないと思います。でもいつか、あなたは自分の力の意味に気づくでしょう。そして、あなたたちの使命にも……」

「…………」


 白くて小さな手……でも温かくて、力強い。……なんとなくだけど、お母さんの手を、思い出した。


「だから、これだけを覚えておいてください。あなたたちは運命に逆らってでも、未来を書き換えることができる人……私と違って、ね」

「えっ……?」


 それがどういう意味なのかわからずに問い返そうとした時、アストレアさまが顔をあげる。そして、なぜか厳しい表情で黙ったままのエンデちゃんを見ていった。


「……わかりました。天月めぐるさんがそこまで言ってくださるのでしたら、あなた方についていくことにします」

『っ? そ、それでは……!』

「ですが、条件があります。この王城と城下町には、兵士以外の一般民も居住していて、結界なしでは危険な状況です。……ですから彼らの避難がすみ次第、私はあなた方に同行します」


 そういって、彼女はエンデちゃんとあたしに向き直る。そして、笑みをひそめた真剣な表情で言った。


「皆の避難を手伝っていただけますか。その方が、色々と手早く済むと思います」

『っ、だから、私たちにはそうするべき理由がありません……!』

「……素直に認めなさい、エンデ。あなたも本心では、犠牲が出ることを何よりも厭わしく思っていたはず。そうでしょう?」

『……っ……』


 焦った様子で、なおも抵抗しようとするエンデちゃん。でもそんな彼女に対して、アストレアさまはゆっくりと首を左右に振りながら諭すようにいった。


「ふふっ……それに、確固とした信念を持つこのエリューセラを、説得することなど不可能です。私も……それに、あなたもね」

『…………』


 そう念を押されたエンデちゃんは、再び黙り込む。唇を噛みしめ、ぎゅっと手を握る彼女に……あたしは、かける言葉が思い浮かばなかった。

 エンデちゃんと、アストレアさま……二人は何か、知らないことを知っている。だけどそれがどういうものなのか、あたしには見当もつかなかった。


「あの、……最後に聞かせてください。アストレアさまは、この先の未来を知っているんですか?」

「……私にもわかりません。そして、これが正解だという確信もないのです」


 アストレアさまは小さくため息をつきながら、そっと目を伏せる。影に隠れたその表情には、どこか憂いにも似たものを感じたけど……それは一瞬で消えて、再びあたしたちに視線を送っていった。


「ただ、このままではあなた方と行動を共にすることは出来ないということははっきりしています。ですからお二人とも、どうか手を貸していただけますか?」

『それは、……』

「いいじゃないエンデちゃん、避難を手伝おうよ! アストレアさまも、終わったら来てくれるって言ってるんだし、ねっ!」

『…………』


 エンデちゃんは大きなため息をつく。

 これでも反対されたらどうしようとドキドキしていたけど、次に顔をあげた彼女は覚悟を決めた表情をしてくれていた。


『……わかりました。エリューセ――めぐるさまのいう通りですね』

「ありがとう、エンデちゃん!」


 それを聞いたあたしはエンデちゃんの両手を握りしめ、ブンブンと上下に振る。彼女も戸惑い苦笑を浮かべながら、……それでも少しだけ、力を込めて応えてくれた。


「一緒に頑張ろうねっ!」

『……。はい』

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