第49話

「久しぶりね。……カシウス・アロンダイト」

「なっ……!?」

『ま……マジかよ!?』


 自分でも驚くほど穏やかに切り出したその名前に、テスラさんとナインさん、そしてアインも言葉を失う。

 動じる気配を見せなかったのは、カシウスと面識のなかったので経緯がよく理解できていない、めぐる。そして――。


「……。どうして、わかった?」


 テスラさんから問い詰められた時とは違って否定せず、それどころか落ち着き払った口調で聞き返してきたクラウディウス……いや、カシウス本人だった。


「……っ……!!」


 テスラさんとナインさんが、ほぼ同時に息をのんで目を見開く。

 彼女たちも、まさか肯定の言葉が返ってくるとは思ってなかったのだろう。……だけど私は、むしろそこにこそ「彼」らしさを確信する。

 道を外れて、あの時とは姿だけでなく中身も大きく変わってしまったけれど……やはり、その中に秘められた本質は……なにも……。


「答えよ、黄昏の『天ノ遣』。どうして、私だと気づいた?」

「……半分はあてずっぽう。でも、以前にフェリシアさんから聞いたことを思い出したのよ。カシウスがどうして、あのアースガルズの集落で疎まれていたのか……その理由を、ね」


 そして私は、あの日の夜――エリュシオンとアースガルズの関係について真実を聞いた後、フェリシアと交わした会話の内容を「彼」に告げていった――。


 × × × ×


「……フェリシアさん。寝る前にひとつだけ、教えてください」

「? どうした、まだ聞きたいことがあったのか?」

「はい。正直、これを尋ねてもいいのかどうか迷ったんですが……もう会えないのだったら、どうしても確かめておきたくて」


 就寝前。顔を洗ってから寝床につきたいと考えた私は、フェリシアの案内で外の水場へと向かった。そこで顔や髪についた土埃や汚れを落として、口をすすいだ後……ちょうど二人きりになったことをこれ幸いに、ずっと気になっていたことを彼女に問いかけたのだ。


「カシウスのことですが……彼は、どうして皆から嫌われているんでしょう?」

「…………」


 ある程度予想していたとはいえ、その質問を投げかけるとフェリシアは表情から笑みを消し、怪訝そうにこちらを見据えてくる。ただ私も、このアースガルズの集落に来た時から抱き続けていた違和感を残したまま、とても休む気にはなれなかったのだ。


「(アストレアに使える騎士……カシウス)」


やや愛想の悪いところはあるものの、彼は実直で、高潔な態度を常に崩さず……出会って間もない私から見ても、好青年といって差し支えない印象だった。

 それなのに、……アースガルズの人たちはなぜか彼に冷たく、どこか疎んじているふうに見える。あの気立てのいいフェリシアの叔母ですら、例外ではなかった。

 余計な詮索かもしれないという、申し訳なさは少しだけ感じている。だけど……。


「……叔母の態度を見て、そう思ったのか?」

「きっかけはそうです。ただ、カシウスはそれを当然のように受け入れているのが変だな、って。それに……」

「それに?」

「彼の振る舞いというか、言動が……なんだか、引っかかるんです。まるで、自分の命すら自分のものとは考えていないようにも感じられて……あ、自暴自棄になっているってこととは違うと思うんですけど」

「いや、わかるさ。……やはり、そなたは聡いな。実はまずいところを見られてしまったと、内心では後悔していたんだ」


 フェリシアは苦い思いを隠すように、笑みを浮かべてみせる。……でも、すぐに自分でも無理をしていると悟ったのか、ため息を軽くついてから私に顔を向けていった。


「あの男の名前は、カシウス・アロンダイトという。それは以前に、話したことがあったか?」

「はい。あ、いえ……『アロンダイト』のほうの名前は今、初めて聞いた気がします」


 話の腰を折ってしまいそうでややためらいながらも、私は正直に記憶をたどって答える。するとフェリシアは「そうだったか」と少し首を傾げ、そばにあった切り株のひとつに腰をおろして続けた。


「我々アースガルズの民……すなわちエリュシオンの民は、生まれた時から聖なる武具の名前をその力とともに授かる。私の名が『フェリシア・デュランダル』と綴られるのも、それが所以だ」

「デュランダル……アロンダイト……」


 その二つの武器の名前は、聞いたことがある。どちらも中世ヨーロッパの騎士物語に出てくる、伝説の武具のひとつだ。


「有名な武器の名前ですね。……歴史の本でその名前を、見たことがあります」

「……なるほど。そういえば以前にそなたたちは、未来から来たと申していたな。持ち主がいなくなった後も、武具の存在と名は後世まで残り続ける……か」

「……。でも……」


 その剣にまつわる話を思い返すと、あまり感傷的な気分ではいられない。

 『デュランダル』は不滅の刃と呼ばれて、忠義の騎士が死ぬまで持っていた剣だ。これはフェリシアの人となりも反映しているようで、実に彼女らしいものだと思う。

 だけど、『アロンダイト』は……確か――。


「『アロンダイト』……味方を裏切って、仲間の騎士を斬ったとある騎士の愛剣が、そんな名前だったと思います。最後は血に染まった末、その持ち主の心臓を貫いて命を奪った、と……」

「そうか……あやつの悪名は、そのようなかたちで後世へと伝わったのだな。おそらく我らの同胞の誰かが、あの所業をそのように語り継いだというわけか……」

「悪名……?」


 不穏な言葉がフェリシアの口から発せられて、私は思わず眉をひそめる。すると、彼女はふいに立ち上がって周囲を見渡し、誰の気配も近くにないことを確かめてからこちらに向き直っていった。


「……できれば、今からの話はそなたの胸の内にとどめておいてもらいたい。よいか?」

「は、はい……」

「カシウスは、咎人なのだ。さっきも言ったように、詳細をここで語るわけにはいかないのだが……あやつは罪を負ってこのアースガルズ、ひいてはイデアにやって来た。後ろ暗さを背負ったように見えるのは、そのゆえんだろうな」

「咎人……罪人ってことですね。いったい、何をやったんですか?」

「そなたが知る、伝承のとおりだ。……家族や仲間を、その手で殺めた」

「――っ!!」


 あまりにもあっさりと告げられたその事実に、かえって衝撃の重さをずしんと感じる。

 あのカシウスが……味方を殺した? それも家族まで? 敵に向けてその大剣を振るうのならともかく、にわかには信じがたくて私は愕然とその場に固まってしまった。


「我々のいたエリュシオンでは、『災厄』が起こっていた。……ひとまずここでは、『病』と言っておこう。それに支配されたものは正気を失い、殺意に目覚め……周囲の者を傷つけて、破壊の衝動を抑えられなくなる」

「…………」

「そして、運の悪いことに……カシウスはある時、その『病』に冒された。狂気で血を求め、異形へと身をやつし……まさに魔物と化して人々を襲い始めた。あやつを止めた私ですらアストレアさまのご加護がなければ、どうなっていたことか……」


 そう言ってフェリシアは、羽織っていた服をくつろげて胸元を私に見せる。……月明かりに照らされた豊満なその谷間には、暗がりでもわかるほど大きな刀傷が浮かんでいた。


「それも、カシウスが……?」

「あぁ。その後、アストレアさまの献身的な治療と介護によって、あやつは元の姿を取り戻した。……だが、身体の傷が治ったところで失われた信頼と名誉は決して戻らない。そして、命もな……」


 フェリシアの話によると、カシウスはアストレアが最も信頼の置く騎士で、彼女とは主従を越えた仲睦まじい関係だったという。二人は、お互いに学術書……特にエリュシオンにはない『時』の概念を含んだ歴史や哲学といったものに興味を持ち、その分野にはあまり造詣が深くないフェリシアも時には巻き込んで、日々対話に花を咲かせていたそうだ。

 しかし、その一件以来彼はアストレアとの間に壁をつくるようになり、他の人々とも距離を置き始めた……。


「……エリュシオンにはもはや、カシウスの居場所はなかった。それを見かねたアストレアさまは、あやつをアースガルズ移住の一員に加えることを決定したのだ。当然反対を受けたが、穏やかなあのお方が珍しく食い下がったこともあって……それは容れられた。そして私とともにアストレアさまの親衛隊に属し、今に至るというわけだ」

「……。カシウスがアストレアさまのことを大切に想うのは、そういう経緯があったんですね」

「そうだ。だから、もしもアストレアさまの御身に何かあればあやつは決して許さず、再び狂気に身を染めることすらも厭わないだろう。アストレアさまの命は、自分自身の命よりもかけがえのないものと思っているからな……」

「…………」


 その気持ちには少しだけ、共感があった。私もこの先で、めぐるを連れ去った犯人と対面することがあったら……とても冷静でいられないと思う。


「話してくださってありがとうございます、フェリシアさん。あ、でも……」


 感謝の意を伝えてから、別の違和感が鎌首をもたげてくる。尋ねておいてどうかとも思うが、なぜフェリシアは自分にそこまでのことを教えてくれる気になったのだろう……?


「……そなたの心に、誠と優しさがあったからな」

「えっ……?」


 すると、そんな疑問が表情にでも出て伝わったのか、フェリシアはそう言ってふふっ、と笑う。そして私の肩に優しく触れると、諭すように穏やかな声で続けた。


「会って間もないカシウスのことを、そんなふうに気遣ってくれて……感謝する。その恩に報いたいと思い、そなたには真実を打ち明けた」

「…………」

「なに……案ずることはない。そなたたちをエリュシオンへ送り届け、イスカーナに戻ればあやつも心が救われることになろう。アストレアさまとカシウス、そして――」


 × × × ×


「……だから、思ったの。もし、そんなアストレアさまを失ったとしたら……あなたはどう考えて、どう動くだろう、って」


 おそらく、どんな手段を用いてでも……それと引き換えに世界を失うとしても、彼女を取り戻したいと考えるだろう。

 ……私が、めぐるに対してそうであったように、きっと――。


「そして、私たちがやろうとしていることの前に立ちふさがるとしたら……それは、あなた以外には考えられない。そうでしょう?」

「……そうだ。お前たちを放置すれば、私の計画に支障が生じることは必定だからな」


殺されたアストレアを目の前にして、次元震に巻き込まれたあの時……カシウスはフェリシアと一緒に、次元の狭間に飲み込まれて行方不明になった。

だけど、そこで彼は何らかの方法で一命を取り留め……その幸運を足掛かりにして世界を揺るがすほどの陰謀を企んだのが、今のこの状況だろう。


「あと、クラウディウス・ヌッラの名……『クラウディウス』はローマ帝国を自ら滅ぼそうとした最悪の暴君、皇帝ネロの本名。そして『ヌッラ』はそのネロのスペル変えで、『無』を表す……歴史と因果に関心を持つあなただから、偽名にも由来を持たせたのね」


 ……そういえば、ふと気づく。

 カシウスという名は、かつて救世主の命を奪った『ロンギヌスの槍』の持ち主の名と同じだ。そして、その槍は皇帝ネロと別人とはいえ……同じクラウディウスの名を持つ皇帝へと引き継がれたという。

 これは、単なる偶然なんだろうか……それとも、何かの所以か因縁があって――?


「…………」


 沈黙が続く。私も、クラウディウスも……他の人たちもみんな固唾をのんで、成り行きを見守っている。

と、その時――。


「……。やはり、フェリシアの見立ては正しかったな。その聡明さは、歳月を経て次元を超えても、変わらなかったということか……」


 そう言葉を発してクラウディウスは、バイザーに手をかけてゆっくりと取り外す。そして、あらわになった素顔を見た瞬間、……テスラさんとナインさんは息をのみ、「そんな……!」と呟くとその場に固まってしまった。


「お父様の、素顔……っ……!」

「どうして私たち、今まで気づかなかったの……?」

「……気づくわけがあるまい。何十年、何百年……いや、もっとか。無為な時間を過ごした結果、あの時の容貌など見る影もなくなった。この目さえ見なければ、誰であっても私だと気づくまい……」

「…………」


 言われてみればそうだ、と私も理解する。エリュシオンの民が長命だとはいえ、あの時のカシウスは青年の風貌だった。それが壮年に成長すれば、よほど注意深い人でも気づくことはないだろう。

 そして、その目は……あの時の面影をわずかに残すものの、色が異なっている。カシウスを前にしてもテスラさんたちが同一人物だと気づかなかったのは、おそらく当然のことだろう。


「あなたの、目……どうしたの?」

「長年、あらゆる平行世界を渡り歩き……強度の高い波動エネルギーを受け続けたことで、光を失った。このバイザーがなければ、もはや何も見ることができぬ」

「……っ……!」


 確かに、カシウスの目はこちらに向けられているが……その焦点はどこか合っていない。彼がテスラさんたちの前でもバイザーを外さなかったのはそういう理由だったのかと、私は一人合点していた。


「……教えて。どうして、こんなことになってしまったの?」

「あの世界でアストレアを……愛するものを失い、次元の嵐の中をさまよって流れた私は、そこで『失われた世界』の声を聞いたのだ。怒り、悲しみ、嘆き……そして、切なる願いをな……」

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