第28話 机上の空論、砂上の楼閣

「大丈夫か?」


 大樹はひとけのなくなった廊下で俯きがちになった茜に話しかける。彼女は顔を上げて、少し喜色を滲ませた笑顔を浮かべ


「はい。大樹君と服部先輩のおかげで助かりました」

「俺はなんもしてないけどな」


 大樹は眉尻を下げてそのことを伝える。


「そうですか?頼もしかったですよ」


 茜の上目遣いに少し心拍の上昇を感じた大樹は目を逸らすのだった。




「あの、茜さん?」

「ドウシマシタカ」

「なんでそんなに片言」

「タイジュクンニハカンケイナイノデ」


 なんとなくだが原因は分かり切っている。というか原因の半分以上は大樹にある。

 それは大樹の左手、茜にとっては右手に存在している。




 原因は数分前に遡る。

 大丈夫だと先ほどは気丈に見えた茜だが、やっぱり恐怖や不安はそう簡単に消えないのか右手を胸に抱いて小さく震えている。


「怖いなら保健室でも行って休むか?」

「……やです」

「そっか」


 ちょっと可愛い言葉遣いに緩みそうになった頬を引き締め


「じゃあ行くか」




 大樹は数歩歩き、後ろを振り向く。そこには未だ右手を抑えて震えている茜の姿があった。

 流石に心配なので大樹は一肌脱ぐことにする。


「ほら」

「(ピシィッ)」


 その華奢な右手を左手で包み、優しくギュッギュと握る。そして力を緩めて


「嫌なら抜け出して」


 そうして大樹は茜の手を引き文化祭へと再び繰り出した。





 どうやら嫌がられているわけではないのか手を離されるといったことはないが、緊張してしまっているのか非常に返事が片言になってしまっている。


「スミマセン。ハジメテナモノデ」

「安心しろ。俺もだ」

「えっ」


 意外そうな目で見られ、そんなに手慣れてそうだったかと思い、すぐに

(まあ、茜はあんまり人との接触に慣れてなさそうだから仕方ないか)

 と、少し失礼だが納得したのだった。


「何か失礼なこと考えてません?」

「いや、そんなことはないな」


 バレた。まあ、茜が少し復活したし結果オーライといこう。


「じゃあ、文化祭楽しもうか」

「はいっ」


 はにかむような笑みを浮かべた茜は大樹の手を強く握った。




「ストラックアウト?なんだっけそれ」

「えっとですね。簡単に言えば的当てですね。野球部がやっているそうです」


 運動場の一角。茜は先程からそれを興味深そうに眺めている。小学生らしき男の子が腕を振り、スパーンと爽快な音が鳴り九つのボードのうちの一つを白球が撃ち抜く。


「茜って運動できるの?」

「あの子小学生でしょう?ならいくら運動が苦手だとはいえ高校生の私ならできます」


 見ていてください。としばらく歩いたは良いものの、そこで立ち止まり、大樹の方を向きながら何か訴えるようにじぃっ、と見てくる。

 大樹は駆け足で茜に寄り


「どうした?」

「あの、えっと、えぇっとですね」


 すごく申し訳なさそうな前置きをした後


「受付の方に話しかけてくれませんか?」

「……なるほど?」

「誰がコミュ障ですか」

「なんも言ってないが」


 まあどうやら自覚はあるようなので


「社会人になってそれなら困るんじゃないか?確かに茜は頭良いけどこれからそれだけじゃ生きていけないぞー」

「安心してください。大樹君を通訳として雇いますので」

「なんか職決まったんだが」


 大樹は茜の通訳、状況的には秘書か?になった自身を想像し、なんか似合わないなと考えた直後


「やっぱりやめです……!」


 何やら必死そうな茜の声を聞きそちらに目をやると、なぜか彼女は地面と睨めっこを繰り広げており、隙間から覗く耳が真っ赤になっていた。


「どうしたんだ?」

「よくよく考えたら私の場合の通訳って……」


 その後の言葉を聞いて大樹も狼狽えてしまったのであった。

 茜は数秒頭をブンブンと振った後こほんと咳払いを一つ。


「時に大樹君。人には適材適所というものがあります」

「ふむ」

「私よりも大樹君の方がコミュニケーションが得意なのは自明のことです」

「ほお」

「現代社会において万能型というのは非常に重宝されますが、これからの社会ではどちらかといえば何か一つに特化したスペシャリストが重視されると私は考えます」

「それで?」

「大樹君が受付をしてきてくれないでしょうか……?」

「よし、一緒に行こうか」

「へっ、はっ、あああっ!」


 大樹は茜の手を握って引っ張った。もちろん無理に力を加えずに、傷つけないように最大限の配慮はした。

 茜の絶望したような声を聞きながら大樹は野球部員に話しかけたのだった。




 私が先に投げますと自身ありげに宣っていた茜は七メートル先の的を睨み、地面に落ちている白球を手に取った。


「風速は南西から大体二メートル、ボールの質量は百五十グラムほどでしょうか」

「一番当てやすいであろう真ん中の的の高さは大体五十センチほどで私の身長が百五十七センチ……」


 やばい。なんか計算し始めた。ちなみに運動を理論的に組み立てるのも全然オーケーだとは思うが、理屈と現実は違う。


 たとえ世界一の物理学者が数多の計算を用いてストラックアウトにチャレンジしたとして全部の的を射抜ける保証などないのだ。


「sinθが……ボールの空気抵抗が……」


 しばらくぶつぶつと呟いたあと、彼女は右腕を掲げ、


「ここですっ!」


 彼女の右腕が振り抜かれ、その掌から放たれた白色の弾丸は……




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