第107話 茜ちゃん大暴走

「眠れません」


 私は小さな声でそう呟いて上体を起こします。


 縁ちゃんがいつも使っているベッドですのでやっぱり慣れておらず、変な感じです。枕元のスマホを見るともう深夜でした。


「この隣の部屋で大樹君寝てるんですよね……」


 どうしましょう。すごく見にいきたいです。大樹君のそばで寝たことのある二回ともが大樹君の方が先に起きてしまって大樹君の寝顔を見ることができていないのです。


「これは、行くしかありませんね」


 私はできるだけ音を立てないように縁ちゃんの部屋を後にしました。


 抜き足差し足忍び足……二メートルほど廊下を進み、大樹君の部屋の前に来ました。

 見た目以上に重さを感じるドアノブに手をかけて深呼吸。

 私はそのドアノブを思い切り引きました。そして恐る恐る一歩を踏み出します。

 真っ暗、ですが明らかに空気が違います。呼吸をするとその違いがよく分かります。


「この部屋……!素晴らしいです」


 空気がもう大樹君です。


 しばらく深呼吸を繰り返して肺の中の空気を完全に入れ替えたころには少し目が慣れてきていました。

 この部屋の端にあるベッド、そこにちょっとした膨らみが見えます。足元に気をつけながら一歩ずつ、一歩ずつ進むとそのベッドの主人が居ました。

 大樹君がすごく柔らかい表情で寝息を立てています。

 心臓がバクバクと音を立てています。


「好きです……!」


 私はそう呟いていて、それが聞こえたのでしょう。大樹君が少しみじろぎしました。


 ん?あれ?大樹君、何か抱きしめてないですか?


 私は大樹君の被っている掛け布団をちょっとだけまくってみます。

 やっぱり。そこから現れたのはシロクマを模した抱き枕。大樹君はそれを優しく抱きしめています。

 私はその抱き枕をちょっと睨みます。


「良いですね。大樹君に抱きしめられながら眠るなんて」


 つぶらな瞳のそれと目を合わせながらゆっくりと呟きます。

 私という彼女(内定)がいながら……


「大樹君も、その、うわきはダメですよ……?」


 なんだかすごくモヤモヤします。

 どうしましょうか。


「分かりました。抱き枕さん。ごめんなさい。その場所変わってもらいますね」


 私は大樹君の腕の中から抱き枕を引っ張り出します。どうやらあんまり力が入ってなかったらしくすぐに抜けました。


 私は覚悟を決めてベッドの上に上がりました。


「大樹君、重く、ないですよね?」


 二重の意味を含んだそれを誰にいうでもなくつぶやいて私はその抱き枕を抱きしめたまま大樹くんの腕の中におさまりました。


「私の方が抱き心地は良いはず、ですよ……?」


 すっごくドキドキします。大樹君が私のことを抱きしめながら寝ています……!

 大樹君の体温が私を包み込むように……!これは感動です。私は自由な方の右手で掛け布団を直します。


「ほわぁ……」


 変な声が漏れてしまいました。でも、それは当然のことでしょう。だってこんな好きな人と同じ空間を共有できているのですから!


 深呼吸。抱き枕に染みついた大樹君の匂いを思い切り吸い込み、ぎゅっと抱きしめます。

 これは……危険ですね。中毒性があります。私の理性が一気に叩き割られていくのを感じます。

 冷静な判断ができなくなっています。

 だから、こんなこと……大樹君の右手を捕まえて、私の胸に押し付ける───────なんてこともできるんです。


「えへへ、サービスです。ほら、小さくてもちゃんと、あるんですよ?」


 そうして私はベッドの中でモゾモゾと体勢を変えて大樹くんと向かい合うようにします。


「あぅ」


 大樹君のちょっと長いまつ毛とちょっと硬い髪の毛が目の前に!


「ほんとに大樹君は私の中で危険です……」


 さて、気を取り直して。私は大樹君の左頬に口を近づけて、そっと唇を触れさせませた。

 とんでもない満足感と背徳感です。


「ほんとに、んっ、よくないですね……」


 もう一度同じ場所にキスをしながら誰に言うでもなくこぼしました。




(うわー、すっごい起きにくい)


 大樹は目を閉じながら好き勝手する茜の動きを腕の中で感じ取っていた。大樹が起きたのは多分茜が抱き枕の代わりに入ってきた時だろう。


 すぐに起きようと思ったがあろうことか茜が大樹の右手をその胸に押し付けたせいで起きるタイミングを見失ってしまった。

 確かに少し柔らかかったです。ハイ。


 現状茜は大樹の頬にキスを落とし続けている。五回目だろうか。段々と触れるだけのものから啄むように、そして吸い付くように変わってきている。


 さて、どうしようか。

 大樹としてもこの状態は非常に役得であるため、無理に起きたふりをしてこの時間が終わってしまうのは勿体無いと感じてしまう。

 ただここまで好き勝手されて一切揺らがない朴念仁なわけがない。もちろん大樹としても茜を好きにしたいという欲求はある。

 そして現在それがだんだんと成長していっている最中なのだ。


 そんなことを思いながらも寝ている人を演じ続けていると、茜のキスが止まった。

 今度は何をしてくるのだろう。そんなことを考えていると彼女は大樹の手を持ち上げた。


「ごめんなさい。失礼します」


 そんな微かな声が鼓膜を震わせて直後、右手の人差し指が生温かい感触に包まれた。




次回更新

10月7日

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