第106話 おやすみなさい
「大樹君ってお料理もできたんですね」
「いや、全然。だってこの直近が一ヶ月前くらいだったもん」
「……大樹君。私より数倍上手です」
夕食のカレーを食べ終え、皿洗いを済ませた後のこと。二人はしばらくまったりとした時間を過ごしていた。
とは言っても真面目な優等生である茜は数学のワークにペンを走らせており、それに感化された大樹も世界史の教科書を読み直している。
「そう?じゃあ今度こういう時があったら茜に作ってもらおうかな。茜の料理食べてみたいし」
「分かりました。じゃあその時までに最低限はできるようにしておきますね」
ワークから顔を上げた茜は対面に座る大樹のことをちらっと見た後、スマホの画面を見た。
「大樹君。九時です」
大樹もスマホの画面を見ると八時を少し過ぎたあたりだった。
「九時だな」
「そ、その……あの……」
「おうどうしたどうした急に」
急に茜が挙動不審になった。目線をキョロキョロさせたと思えば彼女が持ってきた大きめのトートバッグをじっと見て、時折思い出したかのように顔を手で覆う。
何を意味しているのかは一切わからないが、まあ可愛いからよしとしよう。
しばらくすると彼女は本当に恥ずかしそうに言った。
「その、お風呂、ってどうしますか?」
その言葉にそういえば考えてなかったなと自分の不準備を恨みつつ大樹は頬を人差し指で数回押し込んだ。
「ぜっっっっっっっっったいに覗かないでくださいね!?」
「分かった分かったしないから早く入ってこい」
「私の体に魅力がないと言いたいんですかっ!?」
「とんだ拡大解釈だな!?」
「ふん!良いですよ!バスタオル一枚で出てきて誘惑してあげますもーん」
「それはやめてくれ!?」
茜は真っ白なビニール袋を片手に脱衣所に向かった。脱衣所のスライド式ドアが閉まる音を聞いてため息をついた。
ザー、とシャワーが水を吐く音が聞こえて大樹は目をぎゅっと閉じた。
そしてすぐにその行動を後悔した。瞼の裏に浮かび上がる大樹の空想に焼かれる。
彼女の小柄な体躯に湯がぶつかりその白肌に潤いを与える。湯煙に包まれた彼女の手が彼女の体を這い回る───────
「ふんっ!」
ゴンッ!
大樹は壁に思い切り頭を打ちつけた。そのぶつけた部分を手で押さえてため息をつく。
「何やってんだよ俺……」
「上がりましたー、大樹君?どうしました?」
「いや、ちょっと自己嫌悪してるところ」
「どうしたんですか!?」
リビングの隅っこでうずくまっているとドアが開いた音がなり茜が入ってきた。
大樹はのっそりと顔を上げてそちらを見た。
濡れた黒髪が頬に張り付いている。彼女の頬が熱を帯びたように赤く染まっている。そしてゆったりとした緑色のパジャマ。彼女は心配するように大樹を見下ろしていた。
「ああ、うん。特になんも問題ない」
「本当ですか?はい。確かに平気そうですね」
「んじゃ、俺も入ってくるわ」
自分の部屋から着替えを回収して脱衣所に入る。
いつものようにTシャツとシャツを脱ぎ上半身裸になったところでカゴにそれらを投げ入れようとして、みてしまった。脱衣所の隅に無造作に置かれた大きめな不透明のビニール袋。
「いや、これはノータッチでいくべきか」
大樹は二枚貝のようなそれをできるだけ目にしないようにしながら服を洗濯機に入れた。そしてそのまま急ぎ目で服を全て脱ぎ去り早々に風呂場に避難したのであった。
「ふぅ」
大樹はドライヤーで髪を乾かすのもほどほどにリビングに向かった。
「茜めっちゃ緊張してない?」
ソファに正座という不思議な状態になっている彼女はオイルの切れた機械のように首をぎこちなくこちらに回した。
「あ、大樹君……はわわわわわわわ」
茜はとたんに頬を真っ赤に染めて両手で顔を覆った。
「大樹君……色気が……」
「男に色気があってどうするんだよ」
大樹は苦笑しながら茜の隣に腰掛ける。茜は正座を解いてその脚をソファに外に投げ出した。
すると茜は口元に手を当ててふわぁとあくび。ふと時計を見ると時刻は九時半。
しかし今日すべきことはもうない。このまましばらく茜とゆったりとした時間を過ごしても良いが、茜がこの様子だと寝させた方がいい。
「もう寝るか?」
「……そうですね。ごめんなさい」
「いやいや、謝るなって。そもそも茜初めてだろうちに来たのって。慣れてないなら当然だ」
「ありがとうございます」
「縁の部屋片付けたから茜そっちで寝て良いよ」
あの汚い部屋を大樹はなんとか片付けていた。とは言え最低限であり、机の上に散らばった本は片方に積まれているだけであったり、ジャージ類はタンスに詰め込んであったりと雑である。
「お気遣いありがとうございます」
「良いよ良いよ。もし何かあったら隣の部屋に俺寝てるから来てくれたらいい」
「はい」
「じゃあ、おやすみ茜」
「おやすみなさい」
茜が縁のベッドに登ったところで大樹は背を向けて縁の部屋を後にした。
「これもよれてきたな」
大樹はベッドに投げ出されているシロクマの抱き枕をゆるく抱きしめた。小さい時から抱き枕がないと寝れない人間だったのでこれはもう四年ほど使っている五代目である。
電気を消して大樹は目を閉じた。
次回投稿
10月3日予定
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます