第81話 生涯雇用?そりゃもちろん

「その……チョコレートどうでしたか?」


 文芸部室。旧校舎の片隅で茜は期待と不安の入り混じった目で大樹を見た。

 バレンタインチョコをもらったのは二週間前である。なのになぜこの質問が今来たのか。

 それは単純。茜が某コロナウイルスに感染して動けなかったからだ。本来なら電話でも感想を言いたかったが茜が『直接言ってください』と折れなかったのだ。

 お見舞いに行くのも考えたが『コロナですのでうつしたら申し訳ないです』とのことだった。


 ちなみにその間に茜の誕生日があり、大樹は電話でお祝いをして先ほど前から用意してあったプレゼント、ちょっと良い筆箱を渡したところであった。


 手に取った文庫本には目を落とすことはせずただその黒曜石の双眸が大樹を写す。


「すごい美味しかった。心が満たされる感じだった」


 月並みな感想だった。しかし、大樹が最も強く感じたのはそれだったのだ。


「ありがとうな茜」

「はい。どういたしまして」


 茜はふんわりと柔らかい笑みを浮かべて小さく頷く。

 茜は壁にかかっている古びた時計を見て目を少し大きくする。


「おっと、少し雑談が過ぎましたね。ではそろそろ練習しましょうか」

「りょーかい」


 大樹はリュックから原稿を取り出して読み合いを始めたのだった。




「寒いですねー」


 帰り道、二人は風の吹き付ける中を歩く。茜はマフラーに口元を埋めていた。


「確かに。でももうすぐ春だよな」


 茜がコロナで撃沈している間に三月を迎えていた。あと一週間で春休みである。


「春といえば、クラス分けがありますね……」


 しょんぼりとした様子の茜。なんとなく理由は分かる。もし同じことを考えているなら、という前提だが。


「来年はどんなクラスになるんだろうな」

「私は大樹君と同じが良いです」

「俺も」

「なにより修学旅行がありますからね」

「そうじゃん!中学の時は三年生だっから忘れてたわ」


 二人はゆっくりと歩き続ける。茜が車道側に立つことがないよう立ち位置を調整する。


「あ、お気遣いありがとうございます」


 さりげなくしたつもりだが普通にバレていた。


「さすがにな。彼女だし」

「内定ですけどね」

「そのうち内定外れるからオッケー」

「そのまま生涯雇用しちゃいます?」


 さりげなく茜はノリでこぼしただけだろう。ただ、その言葉の意味するところは……


「……え?」


 大樹はそこまで心を決めていたがいざ当人に言われるとなかなか動揺するものである。

 思わず聞き返すと茜も自分の発言の意図を理解したらしい。


「……あ」

「俺は別にそれで良い、というかそうするつもりなんだけどさ」

「うわあああっ!」


 茜は悲鳴を上げながら顔を両手で隠した。


「大樹君……照れすぎて顔見せられませんので少し待っててください」


 茜はマフラーをさらに上に持ち上げて顔を覆い隠す。右掌を大樹の方に向けて「ちょっと待って」とジェスチャー。

 大樹としては彼女のその“照れすぎて見せられない”という顔を拝みたかったが茜が本気で隠すほど見せたくないのなら、と少し残念な気持ちになりながら茜の照れが治るまで立ちっぱなしの大樹なのであった。




「復活しましたので行きましょう」


 茜がおもむろにマフラーを下げる。そうして「お待たせしました」とことわった。


 他愛のない雑談を続けるといつもの分かれ道にたどり着いた。茜を家まで送るべくそちらに足を向ける。


 そして数分歩くと彼女の家が見えてきた。目を凝らすとその前には誰かがいる。

 啓さんかな? と思ったがそこまで背が高くない。それに、あの感じは女の人だろう。

 その人影が大樹たちに気がつきゆったりとした足取りでこちらへと歩いてくる。街灯があたりその人物を映し出す。


「茜のお母さんか?」

「そうですね」


 彼女はかなり茜に似ていた。柔和な顔立ちをしており少し長い黒髪はツヤツヤとしている。茜より少し背は低い。

 茜の母は大樹を見るや否や「キャッ!」と黄色い悲鳴を上げ茜に駆け寄る。


「こんなかっこいい彼氏がいるのにどうして紹介してくれなかったの!?」

「バレンタインの日に付き合ったのでまだ一ヶ月にもなってないんですよ!?」

「バレンタインの日って……茜」


 唐突に茜の母の目が細くなる。茜は何を言われるのかわかったのかたじろいだ。


「草宮大樹くん」

「はい」


 その細い目が大樹に向けられた。


(啓さんと同じかこの人も?)


 大樹はなんとなく身を構える。


「風邪はひいてない?」

「ええ、健康ですよ」

「良かったー」


 茜の母はほっとしたように胸を撫で下ろしていた。訳が分からない。


「あの、どうしましたか?」

「娘のせいで大雨の中を駆け回る羽目になったんでしょ?そりゃ風邪を引いてないか気になるよ」

「いえいえ。あの件は茜ほとんど悪くないので僕が風邪を引いたとしてもそれは茜の責任ではないですよ」

「大樹君。あの出来事に私以外の誰の責任があるのですか?」


 横からふと飛んできた疑問に大樹はすぐに答える。


「まずは茜の初恋を弄んだやつら。あとあの無責任ギャル共。それと事前に行動できなかった俺にもあるな」

「でも私があの時我慢したら大樹君はずぶ濡れにならなかったじゃないですか。制服も泥まみれになっちゃいましたし」

「ああ、ずぶ濡れなのは仕方ないけど確かに泥まみれは茜かな。不紡山とかいう高校からめっちゃ遠い場所にまで……」


 大樹はかなりしょんぼりした様子の茜を見てくすりと微笑む。そして茜の頭に手を置いてゆっくりと撫でる。


「まあ思い返したら茜が居なくならずに済んだから結果オーライみんなハッピーなんだよね」

「大樹君……」

「よーしよし。二人が仲良いのは分かったから早くしてよ?おばさん寒いんだから」

「それは失礼しました。茜、また明日な」


 大樹は茜の頭から手を離す。茜はほんの一瞬切なそうに大樹を見上げたがその後茜の母の方を向いた。


「では、おやすみなさい」

「おやすみ茜」


 親子が門の奥に消えていくのを見送り大樹は帰路をたどるのだった。




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