第26話 微小な潰瘍の想起

「お、この時間大樹なのか」

「いらっしゃいませー」

「なんか噂になってたよ。大樹にめっちゃ可愛い彼女がいたって」

「お二人様ですか。カップル様でしたらカップルシートというのがございますが」

「あの子誰なの?私達の高校の制服を着ていたけど見たことないわ」

「カップルシートは普通のシートに比べて少し値が張りますが、その分より親密になれると担当者が申しておりました」

「なあ、大樹」


 これはまずいなと思って大樹は顔を上げる。楓哉と皐月が呆れた目で見下ろしている。


「人の話は聞こうな?」

「これ答えたら俺詰むやつだろ」

「そりゃね。にしてもあの大樹が彼女かぁ。成長したな」

「誰目線だお前」


 頭をわしゃわしゃと撫でようとしてくる楓哉の手を軽く払って


「あの人は彼女じゃない」

「じゃあ誰さ。というか見たこともないんだけど」

「見たことはあるだろ」


 皐月は少し考えるように視線を上に向け、そして


「美羽は知ってるやつねこれ」

「!?」


 皐月の思考速度とその精度はとんでもない。先ほどの皐月の発言は美羽に聞けば分かるという意味ではない。


 皐月は既に理解したのだ。その上で皐月より先に美羽が知っている。という意味の発言なのだろう。


 先程から皐月の視線は生暖かいものとなり、楓哉のそれは混乱している。


「まあ良いわ。これ以上話してると周りの迷惑になってしまうしね」


 皐月は楓哉に目をやり


「ねえ、楓哉。せっかくカップルに見られてることだしカップルシートとかどう?」


 そこからの楓哉の慌てようはとんでもなく、結局楓哉と皐月は通常より少し高い金額を支払ったのであった。




 基本的に私、佐渡茜はコミュ障である。


 大樹君が文化祭のシフトに行ったことで私は約二十分ほど一人行動になりました。

大樹君は好きにしてていいと言ってくれていましたが特にしたいこともなかったので慣れ親しんだ場所、文芸部室にやってきていました。


 その光景に少し驚きます。


 人がいる。それも、部誌を手に取ろうとしてくれています。

 ちょっと嬉しい気分になりながら私はその背中をよく見ていると


(あれ、あの人……)


 私は微笑んで少しした後渡り廊下に再び出ました。


 あの十分強、どのように時間を潰そうか迷い、それならもう先に待機していようと考えたので待ち合わせ場所にいることにします。


 水筒を取り出し、九月の熱気で失われた水分を補給。




 自慢かもしれないけど私の見目はどちらかといえば整っている方だと自負しています。

 まあ、普段は前髪で目を隠しているので陰キャ女子としか思われていないでしょうが。この前髪は私の戒めです。一年前のあの出来事以来私は前髪をおろすようにしました。


 でも、大樹君の前ではなぜかその戒めで慣れたはずの前髪が邪魔で仕方ありません。


 いっつも明るい笑顔を見せてくれる大樹君には本当に感謝してもしきれません。お陰で私も大きく出ることができました。




 話を戻します。とにかく、私の見目は多少整っている方だと思います。

 ただ、美羽さんや三枝さんみたいな美少女というわけではなくて中の上の下レベルな気がします。


 だからちょっと油断してました。


「ねえ、キミこの高校の生徒さんでしょ?ちょっと行きたいところがあってさ、案内してよ」


 私はハッと振り返り、目の前に立っていた社会人らしき男性を見て


「分かりました。では、パンフレットが置いてある職員室前に案内しますね」


 そうして私はすぐに案内して待ち合わせ場所に戻ろうとやや早足で職員室に向かうのでした。




 文化祭中は職員室に人はほぼ居ません。

 それに、周りに大した教室もないので唯一と言っても過言ではない静かな場所です。少し薄暗い廊下の脇にはたくさんのパンフレットが。


「はい。ここにパンフレットがあるのでその中に地図が記されていると思います」

「おー。ありがと」


 その男性はパンフレットを一部手に取り、眺めた後、


「ところでキミ、これから用事ない?」


 雰囲気が変わりました。先程までの誠実そうな雰囲気は鳴りをひそめ、軽薄そうな嫌な感じがしました。


「いやー。そんなに警戒しないでよ。あれさ、助けてくれたからお礼に何か奢ろうって思ってさ」

「いえ、先約がありますので……」


 ダメだ。強く出れない。それに、空気が薄くなったように感じ、息がうまくできなくなる。

 一年前の恐怖を思い返し私は膝をつく。


「あれ、大丈夫かな?」

「だい、じょうぶ、ですっ」

「でも苦しそうだよ?」

「へいきです……」

「いやいや、キミみたいな可愛い子ほっとくわけにはいかないでしょ」


 その手が私に迫り……恐怖に私は目を閉じ……


「ちょっとそれはいただけないな」


 その声に私はハッと目を開けるのでした。




 大樹はシフト業務をしっかりと終えたのち、待ち合わせ場所に向かった。


「あれ、居ない」


 見渡しても茜の姿は見えない。まあ、トイレにでも行ったのだろうと考えて再び待った。


 それでも、彼女は来なかった。


「どこ行ったんだ?」


 とりあえず連絡をしておき、大樹は茜を探すために歩を進めたのだった。

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